エピローグ 帰国編 ~さよならは宴の中で~1/2
まん丸お月様に照らされたメルカトル王宮のテラス。
防御魔術で満たされた見晴らしのいい広間。
特設された会場でこの儀式は執り行われていた。
大魔帝を鎮める、贄を捧げる大事な大事な神事である。
並ぶ魔力による淡い焔のトーチ台。
魔力に満ちた月明かり。
二つの光源に照らされた中庭は昼間のように明るいが、空に広がるのは美しい星々。
太陽のように明るく照らされた宴会場では、人間とネコとワンコの談笑が続いている。
ここで何が行われるのかは、まあ皆さんご存知の通り!
やっと。
本当にやぁぁぁぁっと、やって参りました!
念願のごちそうタイム!
目で楽しい、香りで楽しい、食べても勿論、超たのしい!
宮中晩餐会!
今回の依頼報酬であるグルメである!
今までのながーい旅路は、全て! この時のためだったのじゃあああああ!
むろん、お堅い雰囲気が好きではない私の要望で立食パーティ形式である。
それぞれがご馳走をセルフでお皿に盛り、味わう。
異界のテーブルマナー。
まあ専門用語でバイキング形式ともいう。
本当は護衛のしやすさを考えると向いていないのだろうが、ここには強者が揃っているからそっちの心配はないしね。
今回の宴は、新しき神に平和を祈念する催しにもなっていて――世界樹を仰ごうとやってきた、世界各地の聖職者たちも足を運んできている。
肝心な神樹はこっちじゃなくてネイペリオン帝国にあるんだけど、その辺りの事情はまだちゃんと伝わっていないのだ。
淡い輝きで世界を照らす神樹が街のシンボルとなっているネイペリオン。
あちらでも宴は続いている。
平和を祈る儀式――つまり、立食パーティは続いているので、実はこことあちらを私の魔術で空間を繋いであったりもする。
自由に行き来できるようになっているのだ。
こちらの宴の主催者はカルロス王。
しばらくの間、世界会議の議長となった新たな指導者である。
そして、もちろん。
こっちの宴の主役は、な、な、な、なぁぁぁぁぁあんと!
世界を救った大魔族!
魔王様に愛される黒猫!
大魔帝ケトス、その人!
つまり――私である!
……。
さて、茶番はいいからご馳走をたっぷりと味わおう。
じゅるりと舌なめずりをし、ペンギンの後ろ姿を彷彿とさせるネコちゃんタキシードを優雅に翻し、進軍!
平和を祈り演説するカルロスくん。
その横とご高説を素通りした私は――とてとてとて。
「であるからして――これからは新しき主神様の、様子を観察しながら……っと、ケトス殿? いったい、どちらへ?」
『ふぇ? あ、カルロスくんか。いやいやいや、気にしないで続けておくれ。私は私で、そのぅ……なんだ。ほら、自分の職務を果たすから。うん。いやほんと、気にしないでおくれ』
魔力音声を飛ばす魔道具を握るカルロス王に、ケラケラケラと肉球を振って。
私はそそくさと料理皿の前に鎮座。
待ちきれず、ちょん……ちょん……。
ぐきゅ~ぅぅぅぅぅぅぅうううううぅぅぅっぅう!
爆音は、恥ずかしながら私のお腹の音。
苦笑したカルロス王が、横に待機するドレスアップ済みのミディアムくんをちらり。
「どうやら――主役であるあの御方が待ちきれないようなので、乾杯とするしかあるまいか」
「不肖ながら、この神官長ミディアムが乾杯の音頭を取らせていただきますわ。それでは大いなる光様、よろしくお願いいたします」
神を降臨させたミディアム君の身体から、眩い聖光が広がり。
共鳴するように――世界樹からも世界に聖光が広がって――。
世界が祝福の力で満たされていく。
「世界が平和でありますように!」
「平和でありますように!」
「うにゃんにゃにゃ、うーにゃにゃ!」
「バウバウワウ、バウバウゥゥバウ!」
人間と、犬天使と猫魔獣。
皆はグラスを掲げ、乾杯した。
乾杯の合図までぎりぎり堪え切れた私。
偉いね?
◇
一番のオードブルの前で、ナイフとフォークをむぎゅっと握って――。
にゃはり!
目の前に並ぶ前菜の数々は、各国のコックやシェフが力を込めて作り出した逸品ばかり。
立食バイキングと言えど宮中晩餐会。
パーティの最初に出されるお腹を整えるための軽食なのだが――。
さすがに宮廷料理ともなると、前菜でも心を奪われてしまうモノばかり。
鼻がスンスン。
目がぎらり!
特に目を引いたのは――。
『うむ、これであるな!』
赤い肌で我の眼を誘った、肉の塊。
ローストビーフなのだ!
『くははははははは! これぞ、これこそが大魔帝にふさわしき馳走である!』
黒コショウの効いたローストビーフの切り身を、フォークで、づぶし!
蜂蜜ベースの甘い肉ダレにその赤身を、すぅぅぅぅぅっと通し。
タレが零れないように猫のお口で、パクリ!
舌の上に、柔らかな肉の甘みが広がっていく。
じゅわ~♪
もぐもぐもぐ、じゅわ~♪
『ぶにゃはははは! 見事、見事であるぞ人間よ!』
あまりのおいしさに、モフ毛がぶわっと膨らんでしまうのである!
ローストビーフを作ったであろう料理長が、神に一番に選ばれたという事で感涙。
嗚咽を堪えて歓喜していたりもするが。
そんな姿も気にせず、私はむーっしゃむしゃむしゃ!
『どれ、では次の馳走は……これニャ!』
品よく並べられた生ハムを魔力で引き寄せ、並ぶスライスメロンを包み。
フォークでぶすり!
マナーなんてとりあえず忘れて、必殺乱れ食い!
とろける果肉とハムのほど良いしょっぱさが、絶妙なのである!
私がご馳走にありついている間に、参加者たちも見事なグルメの数々に手を伸ばし始めた。
◇
宴会は長い間つづいている。
皆、この宴を節目に次の旅路を歩むのだろう。
人の命は短い。
休んでばかりもいられないのだろう。
けれど。
今はただ――おいしい料理をたくさん食べて。
それでいいじゃないか!
『ふむ、余は満足である……!』
全種のグルメを堪能した私はでっぷりと膨らんだお腹をサスサスしながら、周囲を見渡す。
ドレスやタキシードで着飾った人間達。
猫魔獣用タキシードで身を包んだニャンコたち。
もちろん犬天使も。
そして、今回の異世界散歩の原因ともなった職人もいる。
ネモーラ男爵に誘拐されてこっちに連れてこられた職人達は一度、元の世界に帰ったのだが。
せっかくの宴なのだ。
参加できる希望者は、私が異界召喚して連れてきていたりもする。
だって、こっちでも知り合いができていたみたいだからね。
人間同士の色恋沙汰もあったみたいだし。
私達だけで宴会をしてしまうのは、ちょっと気が引けたのである。
彼らの輝きを見ていると――心がザワザワとする。
これが人の営み。
今を生きる命の、美しくも儚げな姿なのだ。
思わず肉球を伸ばしかけた私は――。
その手を止めて、苦笑した。
私は猫魔獣だ。
それもそんじょそこらの猫とは違う特別な猫魔獣だ。
だって魔王様の愛猫だからね。
永久に生き。
永久に魔王様を御守りし続ける、あの方の眷属。
命短き彼等、人間とは違う。
……まあ、その肝心な魔王様がまだ枕を高くしてグースカピーなわけだが。
長い間魔族を守り続けて、魔力を行使し続けたあの御方は休んでいるだけ。
魔力回復期に入っているだけで。
元気だから、いいんだけどね。
いつお目覚めになることやら。
なにしろ魔族の感覚だからにゃ~。
人間ならどれだけ魔力消耗をしても、回復期に入れば一年やそこらで起きるのだろうが。
神や類似する大いなる存在にとって時間は永久に続くモノ。
行動が百年単位だったりするからね……。
んーみゅ。
こういう感覚の違いは、まあ……魔王様のことだけを揶揄するわけではないが。
大魔族の欠点でもあるだろう。
そんな。
惰眠を貪るご主人様のお目覚めを待つ、愛らしい猫魔獣。
大魔帝である私に声をかけてきた者がいた。
ドレスで着飾った美しい女性。
神聖な波動を纏う、人間としては最上位の実力を手に入れた聖職者。
ミディアムくんだ。
「ケトス様、楽しんでいらっしゃいますか?」
『やあミディアムくん。その様子だと、皆への挨拶は終わったのかな』
「ええ、まあ」
珍しく歯切れの悪い言い方である。
先ほど会話をしていたのは、どうしても挨拶をしないといけない聖職者の先輩とかだったのかな。
『ん? 何かあったのかい? 他の国の聖職者とかに無礼なことを言われたんなら、私が代わりに呪っとこうか?』
「もう、ケトスさまったら。あなたがそう仰ると冗談に思われないんですから。駄目ですよ、冗談でもそんなことを言ったら」
くすくすと彼女は笑ってみせるが――私は実はちょっと困っていた。
あれ……。
呪っちゃ不味かったのかな……。
なんか偉そうな聖職者がツンケンしていたから、むかついて。
財布から小銭を零したり、とか。
お菓子を最後まで食べきろうとすると、ほんの僅かな残りを手から零してしまう、とか。そういう生死には関わらない地味な呪いを、もうかけちゃったんだけど……。
まあ、言わなきゃバレないか。
『それで――何か言われたのかい。落ち込んでいるように私には見えるんだけど』
話題を逸らすためにも、私は彼女の悩みを聞いてみる。
「いえ、直接的に何かがあったわけではないのです。けれど――わたくしがどうも駄目なのです。ちょっと飲み過ぎてしまったみたいで」
『悩みがあるのなら聞いてあげるよ。暇だし……どうせ私は異邦人だし。明日までにはいなくなる身、言いにくい話だったとしても消えてしまう存在さ』
お見通しだと。
私は猫のスマイル。
ここ、実は渋い猫による闇の微笑。ダンディポイントだったりする。
複雑な笑みを浮かべて――けれど、観念したのか。
彼女はゆったりと語りだした。
「わたくしは所詮、戦の中で選ばれた神官長ですから。街や王宮の皆さまはそれでも慕ってくれていますけれど……平和になりつつある今、あまり……表に出る気になれなくて」
遠い昔を懐かしむようにミディアムくんは、胸の前で片手を握る。
それに――。
と、慣れないドレスの裾を気にしながら言った。
「わたくしは、邪なる神とは知らずに……大いなる輝きの教えを説いていたのです。おそらく、そのせいで不幸になってしまった人や、最悪、死んでしまった者もいると思うのです。それも気にならないと言えば、嘘になってしまいますわね」
私は食事の手を止めて――大人の猫の顔でクールに告げる。
『なるほどね……、まあ否定はしないよ。嘘を言って慰めても、君には通じないだろうから……はっきり教えるが――大いなる輝きの神殿に仕えていた人間の何人かは、洗脳を受けていた。大いなる輝きを崇める聖職者になったことで危険があったことは、確かだろう』
さりげなく、ここ。ネコちゃんの賢いポイントである。
百猫夜行で暴れていた神殿荒らしをあくまでも調査だった、というすり替えに成功しているのだ。
『それでも、悪い事ばかりではなかっただろうと思うよ。偽りの女神といえど力は本物だった。実際、君の教えで大いなる輝きの信徒となった信者が、神の奇跡を用い、治療の儀式で人の命を救っていた場面だって多々あったはずさ』
しかし。
彼女は賢い人間だ。それも承知の上で悩んでいるのだろう。
「仕方のない事だと、悪い事ばかりではなかったとは分かっていますわ。皆が騙されていたのですから、わたくしだけが被害者のような顔をして、いつまでも……悩むのは、自意識過剰気味だということも――分かっているつもりなのです。けれど……けれどです。わたくし……今更、どんな顔をして皆さまとお話したらいいか、よく、分からなくなってしまって……」
悪戯そうな顔をしてみせて、ミディアムくんは私の頭を撫でた。
「聖職者として――こんなことを言っていいのか、分からないのですが。わたくし……平和というものが、まだよく分からないのです」
まるで自分自身の心も慰めるように、私のモフ頭を撫でていた彼女は周囲を見渡す。
明日の平和を祝う、賑やかな宴。
その灯りはとても暖かい。
けれど。
まるで歴戦の猛将の顔で、平和を祝う人々を見ながら、戦いに明け暮れた聖職者は言う。
「物心ついた頃にはもう既に、わたくしはお父様の教えに従い……修行に明け暮れておりました。祈りを捧げ祝福を覚え、父の仕事を手伝い人々の傷を魔術で癒し……、休みの日には白兵戦の訓練。料理やお裁縫を習うよりも前に、戦の仕方を覚えていたんですよ。ふふ、変でしょう。だから本当に、皆さまが幸せそうにしている姿は嬉しい筈なのに、喜ばしい筈なのに――この平和の中を、どう過ごせばいいか……分からなくなってしまったのです」
彼女のその言葉は、紛れもない本音なのだろう。
この歳で、これほどの魔術や奇跡を習得するのは並の努力ではなかったのだろう。
魔導だけはなく武芸もそうだ――才能だけで習得できる達人のレベルを超えていた。
「だからこうして、あなたの下へとちょっと逃げてきたのです。お別れの挨拶もしたかったですしね」
『もしかして、君。神官長――三傑の座から降りるつもりなのかい?』
指摘すると、彼女は大きな瞳をぱちくりさせた。
図星だったのだろう。
少しだけ困ったように苦笑してみせる。
「ええ、すぐにではないですけれど……そのうちには。身を引くつもりですわ」
『そうか。それもまた君の選択――君の答えさ。じゃあもし今度、何年後、何十年後になるかは分からないけれど。私がこの国を再び訪れて来るときには、もう君は別の場所で、別の何かをしているのかもしれないね』
先の未来を眺めながら私は猫の眉を揺らす。
「本当に、帰ってしまわれるのですね……」
『ああ、これでも長居をした方なんだけれどね』
ホワイトハウルやロックウェル卿がいるからこそ。
彼らと再会したからこそ長い間、異世界に身を置くこともできたが。
やはり、いつまでもいるわけにはいかない。
魔王様の眠る顔を見て、魔王様成分を補充したいし。
「魔王陛下はとても素敵な方なのでしょうね。あなたにそんな顔をさせるなんて――」
『とても立派な御方だよ。力強く高潔で――少し悪戯好きだけれど、誰よりも心優しい……偉大なる御方。私はね、ミディアム君。あの方のためならば、なんだってできてしまうんだ』
魔王様。魔王様。
魔王様、魔王様、魔王様、魔王様。
揺れる世界に飛んできたのは、宮廷魔術師のワイル君。
彼はぽりぽりと頬を掻き、頭を下げる。
「あのぅ……ケトス様。ちょっとあふれ出る魔力で世界が揺れていますので、天変地異が起きる前に……もうすこし……魔力を抑えて頂けると」
『おっと、ごめんごめん、いやあ、魔王様の事に関するとどうしてもブレーキが利かなくなってしまって。気を付けるよ。うっかり世界を壊しちゃったらまずいしね』
冗談ではなかったのだが。
ワイル君もミディアム君も、また御冗談をと言って微笑んでいる。
まあ、いいか。
ワイル君は挨拶回りや警備などで忙しいのか、私に頭を下げる。
「せっかくの宴を邪魔してしまって、すみません。それでは、わたくしはこれにて。お二人はどうぞごゆっくりとお楽しみください」
『おや、宴なのに用事でもあるのかい』
「ええ――まあ。異国のモノも参加する晩餐会、このような機会はあまりありませんからね。少し未来視を覚えたので、カルロス陛下の陰口を吐き――後の暴君となる異国のモノをいつでも昏睡させられるように、今のうちに時限式の呪いをかけておこうかと」
そんな、私みたいな冗談を残して去っていく。
今のワイル君なら、本当に呪おうと思えば呪えちゃうけど――まあ冗談だよね、きっと。
事実だったとしても、そんなに問題なさそうだし。
私が同じ立場なら、同じことをするだろうし。
……。
まさか私の影響を受けて、似たような行動をしだしてるんじゃないだろうか……。
まあ、いいや!
私のせいじゃないし! と、開き直る私にミディアム君は言う。
「カルロス陛下やわたくしが引き留めても、無駄なのでしょうね」
『ああ、すまないけれど。こればっかりはね。私は魔王様の愛猫。常に魔力でリンクしているから万が一の危険もないけれど……あまり長い間、離れているわけにもいかないのさ』
分かっていますわと、彼女はグラスを更に傾けグビビビビ。
結構度数の高いお酒なのだが……大丈夫かな。
「少し、飲み過ぎてしまった原因の一つはそれにもあるんですよ」
『原因かい?』
聖職者ミディアム。
彼女は魔猫である私の眼をまっすぐに見て、言った。
「やはり、これほどお世話になった方との別れは……寂しいですもの。だってケトス様。いままであったことのないタイプの猫様でしたから、そのぅ……色々と……印象的で。できる事なら共に、なんて……ほんの少しだけ、思ったりもしたんです」
冗談だとは分かっているが、彼女は耳の先までお酒で紅くして。
ぐびびびび。
更にお酒を飲みながら、頬を林檎のように赤く染めている。
『ありがとうと言っておこうか。君みたいな、か弱く心優しい乙女にそう言われるのは、悪い気はしないね』
「か弱い乙女。なんて、そう言ってくださるのは、ケトス様だけ――ですわ」
自嘲するように彼女は笑っていた。
そして。
これが本音だったのだろう――その唇から、苦悩の息が漏れた。
「戦以外の場面では……あまり役に立てそうにありませんから。なんだか、要らない存在になってしまったのではないかって、ちょっと不安になっているのです」
寂しそうに、そう呟いているが……。
こりゃ、もう既に結構飲んでるな。




