魔猫は神をも噛み殺す ~敵地突入、殺戮の魔猫~
転移した先は図書館のエントランス。
代々の王の記憶を保存しておく隔離空間だけあって、その内装は優雅で豪奢。
本棚と共に並ぶのは国宝指定を受けそうな芸術の数々。
特に――この世界の神話を描いたであろう天井画は壮観の一言。
美青年とも女神ともとれる中性的な神が、人間の肩に印を刻み行う王の洗礼場面。
人々を導き、優しい輝きで満たす神。
悪をくじく勇ましき神の姿。
様々な歴史が神々しく描かれている。
全て、神の功績と偉大さを描いた芸術ばかり。
何も知らずに見ていたら、まあ……それなりに活躍した主神がいたんだろうなぁとは思っただろう。
実際は偽りの女神なんですけどね。
さぞや名のある芸術家に描かせたのだろうが……いったい、誰にこんな絵を描かせたのだか。大いなる輝きがまだ主神を気取っていた時の歴史を、色鮮やかに描いてあるのだ。
むろん、これらの殆どは虚像だろう。
とりあえず気配も魔力もない。
ここの領域の支配権はちゃんと私がキープしていたはずなのだが――残念ながらなにやら儀式が行われたようで、大いなる輝きに上書きされている。
まるで何事もなかったような静寂が広がっている。
どう考えても罠なのだが、入り口はここしかないのだから仕方がない。
開いた次元の扉から侵入したのは一匹の黒猫。
大魔帝ケトスこと私である!
扉から上半身だけをニョキっと出し、私は猫の喉に魔力を込める。
ごほんと咳払いをし、いつものようにキリリ!
『あー、あー! テステス! ただいま音声魔術のテスト中!』
静寂に包まれていた図書館に私の美声が鳴り響く。
よっし、これで聞こえていないという言い訳もできないだろう。
『ねえねえ! 聞こえているよねー! 初めまして、こんにちはー!』
反応はない。そりゃそうか。
一応隠れているつもりなんだし。
『わーたーしー! 異界の魔猫、大魔帝ケトスっていう、超絶えらいニャンコなんだけどー! ここにいる全員に警告するねー!』
放つ私の声は十重の魔法陣により拡散され、封印王立図書館という名称で分類される隔離エリア全土に伝わっている筈。
『もしー! この中でー! 大いなる輝きに無理やり脅されて味方になっている者がいたらー! 心と魔力を読めるように防御壁を解いておくれー! 心を読んで正しかったら消滅させずに生かしておくからー!』
ようするに、警告である。
全員が全員、あの大いなる輝きに心から従っているとは限らないからね。
『あ! 神を見限って私の味方につきたいって人も同じことをしてねー! 民間人とか女子供を一方的に虐殺とかしてないなら、助けてあげるよー! 心を読んで、嘘じゃないなら殺さないで上げるからー! じゃあ! 三十秒、時間をあげるからよく考えてねー!』
さて、警告は済んだ。
これで残った者は、まあ死ぬ覚悟がある者ということだ。
反応は……数人。
私は肉球を鳴らし、彼らの座標に干渉――蟲魔公ベイチト君と黒猫執事くんが待機している亜空間に転移させる。
彼らは投降の意志を持つ者や、本当に強制されていた者。
大いなる輝きの凶行にうんざりしていた者など――まあようするに、あまり殺したくはない神の眷属達である。
これで後に残っているのは、消していい存在という事だ。
三十秒という時間は短いかもしれないが、実はけっこう丁度いい時間でもある。
本当にただ強制されているだけならまず間違いなく、何らかの反応を示す。そしてもう神についていけないと強く思っているのなら、やはり何らかの反応を示すだろう。
私、本気になったら魔力障壁で防いだところで心なんて読めちゃうからね。
とりあえず、三十秒の間に心が動いた者は全部転移させて気絶させているのである。
まあ、こんなもんかな。
警告の時に出していた猫声を止めて――。
魔力を解放しながら身を進める私は、魔王軍最高幹部としてのドス黒い声で、
『さて、警告はした。それじゃあ、行くよ――ごめんね、私はこれから君達を惨殺する』
告げた。
全員が突入する、その前に安全を確保してからということで、まずは私が先行するのだ。
案の定。
肉球を床につけた――その瞬間。
ブゥッゥゥゥゥォオオォォォォォォォン……!
八重の魔法陣が展開!
発動した力は呪い。
周囲全てに不可避の死の呪いを振りまく邪術が降り注ぐが。
『んー、わるいんだけど。こういうの、私には効かないんだよね……』
肉球や魔術で防ぐことなく、全ての呪いを吸収してみせる。
だって、私……邪猫で魔猫だし。
初手をそのまま無効化した私は、肉球を前に出し――十重の魔法陣を展開。
『我はケトス。大魔帝ケトス。神を噛み殺す魔王様の牙なり!』
名乗り上げが詠唱となり、私の頭上に巨大な魔猫の幻影が浮かび上がる。
周囲の魔力をわたあめ状に変換し、掻き集め。
幻影の魔猫がその魔力の渦をバクリ。
『くはははははは! 魔力うまし! 魔力うまし!』
エントランス内の魔力を強制遮断したのだ。
これで魔力による干渉が一切できなくなった。
続いて――猫の魔眼を発動。
ボゥ……! ボゥ……っ、ボボゥ!
先ほどから鳴り響く単調なボゥ…という音は、魔力の発動音。
猫の眼に捉えられた命が、焔となって消えていく音である。
本棚の影に隠れていた敵影……大いなる輝きに付き従う神の眷属の魂を滅する闇の光。
防ぐことのできない即死の魔猫眼だ。
動揺が広がる。
それはそうだろう。
全ての魔術とスキルを封じられて、一人、一人と仲間の魂が燃えていくのだ。
ひたひたひた。
悪趣味な芸術品が飾られているエントランスに肉球音が響く。
『魔術や奇跡が発動しなくて焦っているのかい? まあそうだよね。普通、魔力を全部食べて魔術を封じるなんて古典的な戦法、膨大な魔力操作ができる神話レベルの戦いでしかありえなかっただろうしね』
にゃははははは! と自慢しながら私は猫毛を膨らませる。
魔力を食べて毛がモッフモッフに輝いているのである。
きっと敵の眼からはこう見えているだろう。
憎悪の魔力を纏った黒猫が、禍々しい殺戮のオーラを輝かせ歩いている――と。
ホラー映画の怪物が、隠れている主人公たちを探すがごとく――。
図書館をとってとってとって、コミカルな肉球音を立てながら私は進む。
一見すると愛らしい黒猫の図書館散歩だ。
けれど、実際は――。
ボゥ!
ボゥボゥ!
ボボボボゥゥゥッゥ!
エントランスを歩む――ただそれだけで、命が消えていく。
無慈悲に、無差別に……黒猫が命を刈る。
ガタガタガタと、魔力と心を震わせる音がした。
怯えているのだろう。
「ば、化け物めがぁぁぁああああああ!」
『おや、気配を隠すのがうまい人もいるんだね。でも、それじゃあ届かないね』
仮面を身に着けた天使族の男が私に斬りかかってくる、が。
やはり。
何もできずに――猫の魔眼に捉えられ。
「ぁぁ……」
ボゥ……!
音を立てて焔となり、消滅した。
私の顕現で騒々しくなったはずの空間。
入り口にまで並んでいた本棚。
死角だらけの場所。その特性を生かして奇襲を謀ろうとしていた敵が、何もできずに消える度。
静寂が、再び広がっていく。
そんな中。
一人の女性が縋るように飛び出してきて、手にする槍を投げ捨てる。
「ま、まってちょうだい! わ……わたし、降伏するわ! 民間人だって、殺してなんか……」
『殺して、ないねえ……?』
「ええ、本当よ。わたしも、大いなる輝きさまに騙されて……怖かったの」
私は女の心の壁を突き破り……虐殺の記憶を読み取り。
あー……おもいっきり嘘でやんの。
でも、一応命乞いをしてきた女性を消しちゃうってのも……なんだかなぁ……。
と。
どうしたもんかと悩む私に駆け寄って――。
「バカね! だから頭が猫なのよ! 滅せよ、闇に生きる者よ!」
命乞いのふりをして、聖なるナイフで私の身体をぶすり。
むろん、そんな聖剣もどきが私にダメージを与えられるはずもなく。
溶けた刀身が、逆にデロデロデロと女の身を包んで――拘束。
「そんな……まって、こんどこそ、本当に……っ」
『残念だよ、本当に殺していなかったのなら……助けてあげられたのに。それじゃあ、約束通り――君を消す、悪く思わないでおくれよ』
言って。
私は容赦なく肉球を鳴らす。
嘘をついたその口が、歪んで……神の眷属の身体が消滅する。
まったく、後味の悪い事をさせるでやんの。
これが大いなる輝きにやれと命令されてこんな作戦を取ったのなら、まだ救う気もあったのだが、ただの出世欲だったし。
まあ……。
今、ここに残っている連中は、大いなる輝きの非道を知っていながらついてきている神族なのだろう。
まだ引き返せるものや、巻き込まれただけの者はあの三十秒で既に転移しているのだ。
遠慮する必要なんて、なかったね。
『もういいや、拾える魂は拾おうと思っていたんだけど。十分だよね』
時間の無駄だと悟った私は、猫のため息を吐き――憎悪の魔性としての側面を滾らせ周囲を見渡す。
明らかに。
空気が――変わった。
全てを諦めた、落胆。
それに反応して膨れ上がっていく私の魔力。
殺意が伝わったのだろう。
『悪いけれど、敵に容赦するつもりはないんだ――ごめんね』
心から詫びて、私は猫の眉を下げる。
これから行われる一方的な殺戮。
避けようのない魔猫の呪いに捉えられた彼等に、少しだけ同情していたのだ。
『それじゃあ、さようなら』
別れを告げる。
それが魔術詠唱となって大魔帝の呪術は発動していた。
図書館エントランスの天井一面に、巨大な幻影黒猫の微笑が浮かび上がる。
拡がる猫の影が偽りの女神を描いた絵画を影で覆い、闇に溶かす。
天井の中の、猫が不機嫌そうに尾を振った。
ぶんぶんぶんぶん。
そして――。
幻影黒猫の瞳が紅く輝き、うなああぁぁぁっぁあぁご……と鳴いた。
これは私自身の影。
闇の部分。
陽気な二枚目を演じる魔猫ではなく、荒れ狂う混沌としての私だ。
憎悪を滾らす、殺戮の魔猫。
その死を告げる鳴き声に……空気が凍えていく。
彼らに待つのは死ではない、消滅なのだ。
輪廻転生することなく消えてしまう。
世界からいなくなる。
消されてしまう。
それが――最低限の力をもつ神族である彼等、その邪悪で弱い心に伝わったのだろう。
「おねがい……いや、きえたくない」
「すべてを話す、だから、待ってくれ!」
本気の命乞いが、私の猫髯を揺らす。
けれど私には見えていた。
彼らが神の名の下で行ってきた、非道を――。
闇の中。
紅き瞳がムシケラを睨む。
牙を覗かせた口が――怯え震える彼らの装備を揺らす。
『君達は、何度その言葉を聞き……一人でも、救ってあげた事があったかい?』
その問いに、答える者はいない。
誰しもが悟ったのだろう。
いま、この場にいる自分たちは……救われる価値のない魂なのだと。
せめてもの憐憫に、私は彼等に罪を告げた。
『残念だよ。一人でも救っていれば――私も助けてあげられたのに』
言って。
憐れみを込めた冷めた瞳で命を見た私は――肉球を翳す。
『魔力――解放。開け審判の咢』
その次の瞬間。
ズブシュゥゥゥゥゥウウウウウゥゥゥゥウウ!
全ての命が消えていた。
隠れて奇襲を謀っていた名も顔も知らぬ神の眷属達の魂も、鮮血で染まり消えていく。
この呪術に名前などない。
ただ、本気で殺そうと呪うだけで発動する魔術式の必要のない権能。
発動条件に該当する一定レベル以下の敵を殺戮する、憎悪の魔性としての能力である。
その発動条件とは、弱き者や罪のない者をいたぶって殺した事のある者。
つまり。
今、ここの殺戮で消えた命は全て――もはや救う価値のない命だったという事だ。
圧倒的な蹂躙をもって、命を絶つ。
昔なら躊躇なくしていた殺戮なのに――今は少しだけ、違った。
虚しい感傷が、猫のモフ毛をザワつかせるのだ。
もし、彼らの仕える相手が違ったのなら。
下劣な神ではなく――無意味な暴虐を嫌う魔王様に付き従っていたのなら、彼らの運命も変わっていたのだろうから。
アレがこの世界の主神だった、それが彼らの運命を捻じ曲げたのだ。
もっとも、それでも善を為そうとした者もたくさんいる。
自らの行為を悔いていた者もいただろう。
実際、強制されていた者達の一部は最初の三十秒で降伏の意思を示したのだから。
ただ。
そういった、まっとうな価値観を持つ者達のほとんどは……既に神に消されていると考えられる。
やれることはやった。
ちゃんと警告もしたし、救える命は拾った。
これ以上を望むのは、私の傲慢だろう。
それでも、心のどこかが寂しくなってしまうのだ。
……。
にゃふふふふ、黄昏てしまう我はさぞや愛らしい事だろう。
ま、仕方ないよね。
きっぱりと割り切り、気分を変えて。
ずじゃずじゃ!
誰もいなくなった図書館エントランスを駆けまわり、私の領域へと支配し直す。
『まあ、こんなもんかな! 開け、次元の扉!』
さて。
掃除は終わった。
ここで行われた殺戮などなかったことにして、私は次元の扉を完全に開き切る。
「ケトスさまー! どこにいらっしゃいますかー!」
王国軍と猫魔獣大隊、そして犬天使たちが一斉に突入してきたのだろう。
図書館の静寂は消え。
何も知らない人間達の声が響き始めていた。
この声は、ワイル君かな。
「あー、あそこにいらっしゃいますね。無事なのは確信していたのですが、いやはや。少し心配致しましたよ」
「もぅ! 駄目じゃないですか、ケトスさま! 敵地をお一人で先に行かれるなんて、心配したんですよ!」
続いて神官長ミディアム君の声が響く。
大魔帝たるこの私を心配するなんて、随分と甘く見られたものだが。
まあ、そういうのは嫌いじゃない。
彼らは本当に私を心配していたのだろう。
「これは……ふむ、なるほど……」
封印王立図書館と魔力的に繋がっていたカルロス王だけは、この場で行われた殺戮を察したようで……一瞬、残党の気配を辿るように周囲を探るが、既に全滅させてあると悟ったのだろう。
剣に掛けていた手を外し、私に黙礼を示して見せる。
人間達の無事のために行われた私の殲滅に、こっそりと感謝を示していたのだ。
私も瞳だけで、気にするなと送り返す。
にゃふふふ、こういうやりとりってなんかイイ感じだよね!
『にゃはははは! ごめんねー、ちょっと次元の扉を開けきるのに時間が掛かっちゃったんだよ』
詫びる私はいつものようなネコスマイル。
いつものように愛らしい黒猫の声を上げうにゅーっと身体を伸ばし。
しぺしぺしぺと毛繕い。
気分をちゃんと落ち着かせた後。
とてとてとて、と歩み寄った。
エントランスは攻略完了だが――まだ大いなる輝き本人や、狂える女教皇ラルヴァが残されている。
問題はラルヴァが既に覚醒している場合である。
歪な形で願いを叶える能力を有する栄光の手。
強力な魔道具であるラルヴァの子。
ハンド・オブ・グローリーを眷族に持つ彼女が、その力を行使しだすと非常に厄介なのだ。まあ、そのためにもこっちは完全武装しているんだけど。
目覚めていないと楽なのだが……そういうわけにもいかないよね。
さて、次の広間はどうなることやら。
私は人間達に結界の加護をこっそりとかけながら、猫の息を吐くのであった。




