亡国の地下監獄ダンジョン ~ネイペリオンの秘密~その2
奥に進めば進むほど、邪悪な気配は力を増していた。
ラルヴァ封印の地も近いのだろう。
見分け方は単純。
出現する魔物のレベルが上昇しているのである。
後は封印されたままになっているラルヴァとやらを、偉大なる大魔帝こと私の魔術で魔力核ごと蒸発させれば依頼も完了!
無事解決!
ようやく長かった異世界散歩も終わりを迎えるのである。
大魔帝ケトスとしての報酬、ピクニックバスケットにグルメ詰め合わせを受け取り。
そして、ブラックハウル卿としての報酬で宮中晩餐会っぽいグルメを振舞ってもらう。
グルメ報酬の二重取り完成なのじゃ!
いやあ! 無事終了しそうでなによりなのである!
にゃははははは!
……。
大丈夫……だよね?
たぶん。
これ以上問題は起きないとは思うのだが……。
そんな不安を抱きつつも、ネコちゃんと王国軍は地下監獄を進み往く!
◇
じめじめとした監獄を更に進んだ先にあったのは――広い空間。
私のダンジョン探査魔術に引っかかった、妖しげな場所。
一見すると神聖な、けれどよく見ると禍々しい祭壇にたどり着いたのだ。
ぴとーん……と、雫の垂れる音がする。
祭壇を飾る装飾品や燭台の上に作られた水たまり。
錆びたそれらの祭具に天井から落ちた雫が溜まり、まるで流血のように垂れていたのである。
その奥に並んでいるのは、ラルヴァの影響を感じさせるものばかり。
おそらく身分の高い者達の聖遺物だろう。
乾燥した人の腕と手。
それらを栄光の手として魔力で加工するための黄金。
鎖でつながれた後を残す骨は、栄光の手を作らされていた錬金術師系列の職業のモノか。
『こりゃ……上で暴れていた栄光の手って、全部が全部、ラルヴァの眷属が蘇ったわけではなく。ここで作られたモノが含まれていたのかもね……』
「あまり、気持ちのいい景色ではありませんね」
ワイル君が私の助手として魔術探査を発動させながら言う。
邪悪な儀式を嫌悪するように眉を顰める表情は、少し情けないが……まあ、そういう反応は嫌いではない。
『それは君にまっとうな人間の心がある証拠さ。魔導を極めていくと道を踏み外す者も結構いるんだけどね、君は純朴なまま……身も心も清いままだ。誇っていいとは思うけれどね』
その言葉の意味するところを察したのだろう。
神官長たるミディアム女史が、あら……とちょっと困った様に頬を紅くする。
魔導に詳しくない王様はきょとーんとしているが、ワイル君本人はとても嫌そうな顔をして唇を尖らせた。
「それは褒められているのかどうか、微妙な所ですね」
『ええー、そうかなぁ。人間を憎悪する大魔帝たる私が、人族へ贈る最上級の賛美なんだけど』
奥へ進みながら、私は足を止めて――言葉も止める。
中央祭壇ともいえる場所に立ち並ぶ――神の像。
もっともそれはこの妖しげな宗教だけの神であるが。
魔力の込められた偶像。
聖母とすら思える慈愛の笑みを浮かべた聖職者の像が飾られているのだ。まあそれは上半身だけの話。対照的に、その下半身はマンドレイクの根が、重なり合う蛇のようにウネウネしている。
『女教皇ラルヴァの神像、かな――』
「どうやら、ここで間違いないようですな」
カルロス王が剣の先の魔術照明で照らしてみると――その全容が更にはっきり浮かび上がる。
うわぁ……なんかニチャァっと微笑んでるみたいで気持ち悪い。
昏い場所で下から懐中電灯で照らす、アレ状態である。
『顔の作りまでそっくりだ。狂信的に我が子を抱く姿までよく再現できている――君達には伝わっていなかったはずなのに、ネイペリオン帝国の王族には詳細な姿も伝わっているんだね』
「そのようですな――いったい、ネイペリオン帝国はこれほどまで精巧な情報をどこで……」
疑念に口元を引き締めカルロス王が応じる。
が、私は対照的にあっけらかんと猫の声。
『まあ、ここまで来たら簡単さ。おそらくベイチト君達があの教皇を封印した場所に魔法陣みたいなモノがあるはずだ。そこを私が虚無に沈める。その後……栄光の手――ラルヴァの犠牲になった人々を浄化して帰ろうじゃないか』
人間達に異論はないようで、私達は道を進む。
祭壇の道を進みながら、私は浮かんだ疑問を頭の中で整理していた。
なぜ、彼らはラルヴァの姿形を知っていた。
それがどうしても腑に落ちない。
そして。
もう一つ――。
私は王国軍をちらり。
逆に、どうしてメルカトル王国軍はラルヴァの姿形を知らないのだろうか、と。
過去にラルヴァが暴れていたのは、あの過去視の映像から見ても間違いないのだ。
ならば伝承が残されている筈。
なのにはじめ、私とベイチトくんが協力するまで、彼らは他の四大脅威についての情報を何も持っていなかった。
わざわざ眠る王の意識にまで入り込んだのだから間違いない。
あれほどの脅威なのだ、それが伝承されていないのはとても不自然だ。
まるで焚書されたかのように、意図的に隠されていたのではないか。
そんな嫌な推論が浮かんでしまうのである。
いったい、誰が何の意図をもってそんなことを……。
そこにメリットがあるとは到底思えない。
敵の情報、その入手は戦闘において極めて有用だ。将来的に目覚めるであろうラルヴァの力を、王国に隠しておく意味がどこにあるのだろう。
まるで、誰かが四大脅威と人間との戦いを、影から操作しているようにさえ思えてしまう。
少なくとも、ネイペリオン帝国は知っていてメルカトル王国は知らない。
そこには何かしらの繋がりがあるのではないかと、私の直感が告げていた。
ゆらりと私の影が歪む。
魔猫としての魔性が、浮かび始めていた。
まあようするに、好奇心が抑えきれなくなっていたのだ。
私、ネコだしね。
ただの好奇心なのだが、あえて真面目な口調で私はネコの口を動かしていた。
『そろそろラルヴァの巣へと辿り着くだろう、けれどその前に……いくつか、確かめておきたいのだが。構わないかい?』
「ええ、構いませんが――いったいどうなされたのですか。顔つきが変わられていますが」
私が真面目な口調となっていたからだろう。
カルロス王の口調も敬語寄りに変わっていた。
『ラルヴァの情報は、君達には伝わっていなかった。それなのにネイペリオンの王族達は知っていた。ここまではいいよね? そこで質問なのだが、君達メルカトルの王族が封印している王立魔導図書館に、あの女教皇の情報は記されていると思うかい?』
ややあってから、王は言う。
「おそらくは……引き出そうと思えば、引き出せたのだとは思っておりますが――」
『それをしなかった理由を聞いてもいいかい?』
詰問のように見えたからだろう。
周囲の空気が、変化する。
おっと、いかんいかんシリアスになりすぎた。
私、なまじ力が強いからちょっと真面目モードになると人間達ってすぐに影響を受けちゃうんだよね。
空気をわざと壊すように、ぶにゃーんと携帯スティックお菓子を齧り――笑んで見せる。
『ごめんごめん、驚かせてしまったね。別に、今更君達を見捨てたりはしないから、素直に教えて欲しいんだけど、駄目かな? だって、君達は……まあ、共に民間人を救った戦友だからね。多少の問題があったとしても、少しくらいは贔屓をしてあげるよ』
緊張をほぐすように、私は少し落ち着いた声を意識していた。
今更敵対などしない。
その言葉が皆の緊張をほどいてくれたようだ。
ごくりと息をのみ、身構えていたワイルくんとミディアムくんの緊張も解けていく。
王はしばし考えて――ゆっくりと語りだす。
「そう、約束されていたのだよ」
『約束? そういえばベイチトくんもメルカトルを約束の地みたいなこと言っていたっけ』
ベイチト君なら何か知っていそうなのだが……。
……。
反応してこないって事は、語るつもりはないって事かな。
「全ては王家の契約によるもの。四大脅威の情報を所持するのは……一柱ずつ。二つ以上の脅威について、情報を持っていてはならない。そう封印王立図書館の制約、つまり魔導契約で定められているのだ。理由はまったく伝わっておらんがな」
ふむ。
私はしっぽを撓らせながら考える。
『なるほどね。条件付けをすることによって強大な魔術を発動させる、古典的な契約が王家の血に刻まれているってことなのかな。まあ歴代の王家の知識を蓄えておけるのはかなり便利なんだろうけど……そんな面倒な契約魔術、誰と結んだのかは知っているのかい?』
「封印王立図書館は既に何代も世代を超えて余に受け継がれた魔術。強大なる魔――四大脅威に対抗するために授けられた知識の魔導書。その起源を辿る術は……残念ながら。ただ、並の存在ではないのだということだけは理解している――」
言って。
カルロス王は肩の甲冑を外し、二の腕を覗かせる。
空気が、わずかに揺れる。
人間たちが、微かな動揺を覗かせていたのだ。
そこには、魔術契約を破ろうとした代償として発動しただろう呪いが、禍々しい紋様となって刻まれていた。
「封印王立図書館は膨大な知識を得られる大魔術であり、呪いでもあるのだよ」
忌々しげに鼻梁に濃い翳を落とし、王は少し寂しそうに告げた。
「この紋様は王の死後――突如として王家の血筋を受け継ぐものに浮かび上がる。その者が神に選ばれた者、封印王立図書館の後継者となる。それはすなわち――次世代の王と強制的に決められてしまう事でもある。余も、先代の王の死後……まだ十六、七の時にこれが急に浮かび上がってな。それは、まあ驚いたものだ――ワタシは……そのなんだ……いわゆる落胤の身であったからな」
語る王様の瞳は、やはり遠くを覗いていた。
落胤とは、まあ王の隠し子みたいなものである。
他にも王族はいたのだろう。
その中でいきなり落胤の青年に王の証が浮かんだのだ。起こった騒動は予想することしかできないが、そりゃあ大変な騒ぎであったことは想像に難くない。
人と人との醜い争い。
スパイに温情を与えていたのは、その辺の事情もあったのかな。
『なんともそりゃ、確かに厄介な呪いだね』
実際。
王の証には、無理やりに契約解除をしようとした跡が残されている。
人に憎悪し、絶望し――歯を食いしばり掻きむしったような魔術の跡が、私の眼には見えてしまうのだ。
カルロス王の過去の嘆きが、魔力の波動となって私のモフ毛を靡かせる。
その瞬間。
私の意識の中に、魔力と感情の残滓が飛び込んできた。
これは――カルロス王の、過去? だろうか。
魔力残滓の映像の中、青年が叫んでいた。
――なぜワタシなのだ。なぜ兄ではなかったのだ。ワタシはこのようなモノを望んだことなどなかった。ただ愛しき者と、共に、静かに……慎ましく、その日を暮らせるだけの幸せを掴む、それだけでよかったんだ。
本当に、ただ穏やかな日々を……送っているだけで良かったんだよ。
このようなものは要らなかった……。
こんなもの、望んではいなかった。
要らなかったのですよ、兄さん……。
母さん……?
見ないでくれ……ちがうんだ!
たしかに刻印は浮かんだが……違う。
ワタシは……王になど、なりたくない。
あなたを裏切ったとうさんとは、ちがう……!
本当に、ちがうんだ……っ。
……。
神よ、なぜワタシなのだ……っ。
なぜワタシにこのような烙印を刻んだ……っ!
それは――。
兄の遺骸を抱きながら、慟哭を上げるカルロス王の若き日の姿だった。
男はずっと隠していた。
浮かんだ刻印を隠し、王になる道を拒絶して生きてきた。
けれど――見つかった。
王家に捨てられ呪っていた母に刻印がバレ、泣き叫ばれ――王に選ばれなかった正当なる後継者だった筈の兄は絶望し……絶えた。
それでも王として、大いなる輝きを崇める信者たちの手によって――王宮に連れていかれようとする哀れな青年の姿……。
それからも青年の受難は続く。
全ては王になるための道。
刻印によって歪められた運命。
全ては、あの四大脅威と永遠ともいえる戦いを繰り広げるため。
時の流れが私のモフ耳を揺り動かす。
私は見た。
様々に見た。
おそらくこれは政争が行われていた、過去の映像だ。刻印を呪い、憎悪と憤怒を滾らせていたカルロス王の本音だ。
繰り返し、あの時と同じ言葉が聞こえた。
神よ、なぜワタシなのだ……っ。
なぜワタシにこのような烙印を刻んだ……っ!
――と、運命を呪う慟哭が、私の心を揺らした。
それら全てを見届けて――私は静かに告げた。
『すまない、その刻印から……君の過去を見た』
それはおそらく、カルロス王ですらもう覚えていない記憶。
私は一度彼の意識に接続していたのだ。
その時に、このような過去は……なかった。
「構いませんよ――きっと、それはもはやワタシも忘れてしまった記憶……王として、国を治めるにあたり王立図書館の中に封印した、国にとって都合の悪い過去なのでしょうから」
『そうか、君たち王族はそうやって記憶を封印し――良き王になるように動いているんだね』
やはりこの魔術は呪いなのだと、私は思う。
優しき男カルロス王。
記憶を一部封印する前のあの青年は、王になどなりたくなかったのだろう。
それでも王としての道を選んだのは、民のためなのだと私は思う。
理由は簡単だ。
心優しきカルロス王は――少し、魔王様に似ているからである。
……。
まあ、魔王様の方が数百万倍すばらしいんだけどね!