神官長と極悪にゃんこ ~王者の膝は我の領域~前編
蟲とニャンコ。
あまーい蜜酒と、素晴らしきホットサンドを交わし合った歴史的な和解の現場を目にし。
いやせいかくには、違うか。
蟲魔公ベイチトくんの回復した絶大な魔力を目にして怯えるのは――器の大きな王様以外の人間。宮廷魔術師団に宮廷神官たちに王宮騎士団。
それは。
猫のガーゴイル像などが立ち並ぶ。
魔王城風に改造されたメルカトル王宮の玉座の間での出来事だった。
事態を収めるべく動いていたのは、この国の王様。
凛々しい壮年騎士王のカルロス陛下である。
翳す腕と、放つ静かなる言葉には魔力が滲んでいた。
「皆の者、落ち着くがいい――」
宣言が魔術となり、臣下たちのザワめきを止める。
静かになったことを確認すると、こほん。
カルロス王は臣下たちそれぞれの瞳を見るように見渡し――穏やかな声音で告げた。
「蟲魔公ベイチト殿とは不可侵条約の魔導契約書を交わした――互いに無益な争いを避けるようにとの願いを込めてな」
王の視線を受けた蟲魔公ベイチトが、互いに保管する魔導契約書を翳す。
「これ、契約書」
「これある限り、人間、敵から除外」
「彼女とは他の四大脅威との件で助力を頼めるよう、協定も結んでいる。人間としての誇りと尊厳を穢さぬ範囲で、彼女たちの生存権を保証し、また協力するという条件でな。むろん、これは互いに一方的な破棄は不可能。大事なお客人、賓客として扱うように皆の対応を期待している――これは、勅命でもある」
蜜酒をグビグビ呑んでチーズをむっしゃむっしゃと齧る私の頭を、なーでなでなで!
「今回は大魔族である大魔帝ケトス殿、その腹心であられるブラックハウル卿の協力があったからこそ叶った契約なのだ。そしてハウル卿は多忙な御方だと伺っている、この場に留まり続ける御方ではない。そこは十分、肝に銘じておいて欲しい」
ようするに。
再度、敵対したら今度はどうなるか分からないから細心の注意を払えということだろう。
王様の視線がこっちの言葉を促しているので、尻尾の先をピクピク。
お口の中でモッキュモッキュしているチーズを、蜜酒で流し込んで――と。
こほん。
キリっと魔王軍としての勇ましき顔を見せて、私はドヤり。
『偉大なる御方、我らが魔王様の率いる魔王軍。その最高幹部であられる大魔帝ケトス様は――こうおっしゃった』
もわもわ~ん!
と、超絶カッコウイイ、全盛期モードの私の映像を魔術で映し語らせる。
『我等は我等同胞の民の安全。そしてそちらの世界の罪なき民間人及び、非戦闘員、特に女子供を守ることを優先する。此度の異世界侵犯はネモーラ男爵に民を浚われた故、やむを得ず行われたもの。なれど、その際に生じたそちらの不利益にも一定の理解を示すものである。故にこそ、我が一番の臣、ブラックハウル卿を協力者として派遣する――卿はグルメを所望している、グルメを対価にまあちょっとくらいは手伝うそうだから、グルメだ、グルメを提供するといいぞ! くははははは!』
魔術を解除して、私は王様の膝に座り直し。
『と、仰っているのである!』
グールーメ! グールーメ!
膝の上でウキウキで輪唱する私を見る、人間たちの視線は――まあ……ちょっと複雑そうだ。
え? なに、この猫……といった感じの顔である。
凛々しい鷹を想わせる王者の顔で、カルロス陛下は続ける。
「それと……契約関係にある彼女もハウル卿もこちらを突然襲い掛かってくることはないが、こちらから攻撃すればむろん反撃をしてくるし、命の保証は契約に含まれていない。くれぐれも軽率な行動は控えるように――頼むぞ」
あくまでも協力関係であり、従えたわけではないのだ。
相手は四大脅威。今は味方だが将来はどうなるか分からない。だから、今のうちに滅ぼそうと攻撃を仕掛ければ――反撃で瞬殺されるから止めようね、って事である。
蟲魔公は怯える人間たちに目をやると――蟲なのに、複雑な表情で言う。
「人間。安心、するといい」
「この王宮、ダンジョン。既にカボチャ猫の棲み処」
「我等、アレがいる限り。絶対、手を出さない」
取り返したモフモフマントを手繰り寄せて、しかし奪われたままの髑髏の杖の代わりにキャンディースティックで結界を張って。
蟲魔公ベイチトは、女帝モードでネコに恐怖したまま、はぁ……と息を吐く。
んーむ、よっぽど怖かったんだろうな。
「安心なされよ、ベイチト公。彼等カボチャ猫たちにはそなたを襲わぬようにとお願いをしてある。そなたが安全な存在だと認識されれば、あの神器も返してくれるだろうて」
彼女はカルロス王に向かい、親愛を示す笑みを浮かべて――ギチギチギチ。
「それで、四大脅威の話。どうするか?」
「今、話しても問題ない。なれど、そちら、事情。如何か?」
「ネモーラ男爵滅びた。故に我、活性。めざめた。おそらく、他の脅威も直、起きる」
「なるべく早急、推奨」
契約の一部である四大脅威の情報。
情報を提供すれば契約は正式になされる。少なくとも協力者であると私は認定して、滅ぼすことはしない。
つまり、安全を確保したいベイチトくんはなるべく早く語りたいのだろう。
彼女が見ているのはカルロス陛下の上でドヤる私!
ではなく……あれ?
うしろ?
振り返ってみると――そこにいたのはハロウィンキャットのリーダー。
喉部分のモフモフが特徴的な彼は、スコップの代わりにベイチトくんの邪杖を片手に魔法陣を展開。
わっせわっせ!
その術構成は――偶像の召喚、かな。
作られるイメージは……っと、黒く凛々しいドヤ顔をした漆黒の猫。
あー、これ私か。
技術が拙いのか、ちょっとだけ太っているけれど――太っていること以外は見事な造形である。
この猫たち。
私を讃える石像を作ろうと、玉座の後ろで勝手に動いているけど、いいのかな……これ。
『ねえカルロス王、この子達勝手に私の像を作ろうとしているけれど、いいのかい?』
「安心なされよ。勝手にではなく、ワタシが正式に王として依頼したのだ――寝床と食事だけの報酬では、お菓子も自由に買えないだろうからな。この国に棲む以上、お小遣いは必要だろうて」
おや、この王様。
いつの間にか気を回していたらしい。
随分と、ドがつくほどの不幸以外は本当に優秀な男である。
じゃあ、これも問題なし。
「さて、諸侯らにも様々な意見があるだろう。お二方には少し失礼な言い方となってしまうが、敵対していた魔族と手を組むことに変わりはないのだからな。この件に関しては、遺恨を残さぬためにも今のうちに、忌憚なき意見を述べて貰いたいのだが――」
まあ先にベイチトくんに四大脅威の話を聞いても良かったのだが。
情報を聞いた後で、やっぱり反対!
こいつら追い出そうぜ! となられるのは少しムカつくからね。
「此度の発言に対してのみ、罪には問わぬ――お二方も不快に思われる発言もあるやもしれぬが此度だけは、どうか目を瞑っていただきたい」
文句があるなら先に言ってくれと、王は言ったのだ。
私とベイチト君は顔を見合わせて。
『私には魔王様という尊き御方――我ら魔族を御導きになる最高権力者がいらっしゃる。その方への不敬にあたる発言でないのなら、構わないよ。まあ、反論もするだろうけど、攻撃はしないよ』
「ワレも、構わぬ」
「人間、自由に述べよ」
臣下たちも互いに顔を見合わせる。
混乱している――といったところか。
あのダンボール空間で現実世界から隔離されていたから、普通の人間たちは会議室に入ることが出来ず。かなり心配していたみたいだからね。
王としてはこれ以上、彼らの心労を増やしたくなかったのだろう。
意見を求める王の言葉は正解だったと思う。
カルロス陛下は本当によく部下を見ている。
やがて一人の女性――。
王の側近たる三傑が一人、清楚な女性神官長がスッと前に足を出し、私と王に宗教的な意味合いのあるお辞儀をして見せる。
私は王様の膝の上から、じぃぃぃぃっとそれを見る。
……神官とか、司祭とか。
偉い人の服って、なんかジャレたくなるヒラヒラとか装飾がついてるから……。
猫手で、ていてい!
掴んで転がって、うにゃにゃにゃ! と、したくなってしまうのである。
……いやいやいやいや、いかんいかん。
まだ魔族に怯えている人間たちの前でジャレたら、洒落にならなくなる。
「陛下。発言をお許しいただいても?」
「構わぬが――どうしたというのだ、神官長ミディアム。魔竜すらも無表情のまま屠るそなたが、それほどに不安そうな顔をして。いつもの武闘派神官としての美しき顔が勿体ないのであるが?」
王様さあ。
君、そりゃあちょっと若いとはいえないぐらい歳は取っているが、貌もいいんだから――あんまり美しい顔とか、そういう言葉を女性に言うのは……ほら、やっぱり。
ミディアム神官長さん、全身まっかっかだよ。
カァァァァっと紅い斜線が頬に見える程、神官長の顔は熱くなっていく。
「え? いえ! その……! ま、魔竜討伐の件は……お忘れくださいませ。わたくし、戦闘になりますとどうしても……内から込み上げる魔力の衝動を抑えるのに、必死になってしまうので」
「ふむ。貌も赤いが、大丈夫であるか?」
おいおい、だーかーらー。
オッちゃん、王様の顔が無駄に良いから……そんなに目線を合わせたら。
「あ、ああああ、あの……陛下? もう、ちょっと……ぉ、そのお顔を……」
「誰よりも敬虔で、誰よりも美しく――いつも気丈で優しく、誰にでも平等に接するそなたを――民を守れるほどに強いから、そんな身勝手な理由で酷使してしまうワタシは……王失格なのだろうな。すまぬと思っておる」
漏らす懺悔はハスキーな大人の声音。
王者というのは魔王様と同じく、声にまで魅力があるのだろう。
詳しくはないが――こういうの、五百年前。女性向けのサブカルチャーとして流行った気がするのである。
あわあわと慌てる神官長様は、きゅっと唇を結んで言葉を詰まらせてしまう。
こりゃ、この王様。
たぶん無自覚でいろんな罪を作ってそうだな――。
そういう心の機微にはやはり疎いのか、ベイチトくんが私を見て。
「大いなる輝きの眷属。女性、紅くなっている、どうしたか?」
「あれ、熱源上昇。理由不明」
「回答求む、魔猫王。疲労回復奇跡の後遺症?」
『あー……うん。人間の本能というか、まあ、うん、そういうもんなんだよ……あんまり触れないであげた方がいいかもね……』
二匹の魔族の会話を聞く、人間たちの空気は軽いんだか重いんだか、よくわからないモノになっている。
咳ばらいをした彼女は――表情を静かなる聖職者のモノへと戻す。
カルロス王の許しを得て再度お辞儀。
薄い祈祷用の紅が塗られた唇を、すぅっと開きだす。
「それよりも――お話は分かりましたが、大いなる輝き様を信仰するわたくしどもと致しましては、そのぅ……異界の大魔族、大魔帝ケトス……様の、部下の方と。かの四大脅威、蟲魔公……さまと、どう接したらよいのか……。そして、これから、どうしたらよいものか、と」
清楚な貌を私とベイチトくんに向ける神官長。
そりゃまあ、光とか輝きとか、そういう聖なる属性を仰いでいる連中にとって私達はイレギュラーが過ぎるよね?
ともあれ、彼女は賢い女性なのだろう。
あくまでも敵意を表には出さないように、困惑を前面に出して慎重に続ける。
「それで、あの……主の判断を仰ごうと、祈りを捧げましたのですが……なぜか、猫こわい、猫こわいと繰り返されるばかりで……主の恩寵が得られないのです。本当に緊急時の、命にかかわるような場面での回復や癒しの奇跡は発動するのですが、それ以外はまったく。まるで、怯えて隠れてしまっているようでして……」
あー、神。ベイチトくんみたいに猫恐怖症になっちゃったか。
まあそれは一時的なバッドステータスのようなもの。
仮にも主神というカテゴリーにあるものならば、そのうち回復もするだろう。
しかし。
しかしだ。
ここで一つの大問題が生まれていた。
あー……。
あー、駄目だ。ちょっと、我慢、できそうに……ない、かも。
私は耐えきれず――。
『ぶにゃはははは! あー、あの輝き! 自分から喧嘩を売ってきたくせに、おもいっきし逃げていったからねえ、にゃははははは!』
食糧庫に亜空間を繋げ、ネコ手を突っ込みチーズを貰いながら私は大笑い。
人間たちが見守る中で、ドニャハハハハ!
猫笑いが止まらない!
空気が読めないとか、ぶち壊したとか、そういう所が駄猫なのだ! と、仲の良い魔族に言われてしまうのも理解している。
でもでも、だってぇ!
だって、だってだってぇぇぇ、超笑えるんですけどー!
あの輝き、猫恐怖症になってるんですけどー!
ふん、私に容赦なく襲ってきた、その愚かさを思い知ったようである!
あー! ああいう、偉そうな神とかの鼻をくじくのって、わりと楽しいかも!
ぶにゃーははははは! ぶぶっブニャ―ハハハハハ!
「あ、亜空間接続でチーズを……そんな大奇跡を、盗み食いのために? い、いえ、そんなことは今、どうでもいいのです。がんばれーわたくし、ミディアム神官長って呼ばれるようになったのですから……! ここは、少し、強く出ませんと駄目なのですよね」
こほんと咳ばらいをし、彼女は不謹慎に笑う私を睨む。
「ブラックハウル卿さま? 大いなる輝き様が大魔帝ケトスさまと戦いになり、その……お逃げになられたというお話は本当、なのですか!?」
周囲も騒然とし始める。
それは神を信仰する者たちにとっては、大事なことなのだろう。
神官長の見せる気丈な貌――。
聖職者として魔と向き合う、まっすぐな心。
明らかに異常な猫魔獣である私を前にしても、神のためにと動く彼女。
それはさながら悪魔に立ち向かう聖女か。
水鳥と戯れているのが似合いそうな、清らかな人なのに……まーた、芯の強そうな女性でやんの。
聖女とか、女性聖職者ってなんでこう、信念がしっかりしてるんだろうね。
まあ、こういう相手は嫌いじゃないが。
……。
できたら、意見の食い違いで殺したりはしたくないものである。
私は魔王様のためならば――非情になれてしまうのだから。
『これは失礼。笑ってしまったのは――配慮に欠けていたね。すまなかったと詫びさせていただこう。さて――いっぱい笑ったし、少しシリアスをするとしようか』
私は微かに――その本性を覗かせてみせる。
憎悪の魔性としての闇。
そして、魔族を束ねる魔王様の代理魔猫としての貫禄を闇属性のオーラとして放出しはじめたのだ。
『我はブラックハウル卿。魔王様の牙であり、魔爪。人間よ、汝の問いかけに答えようではないか』
空気が、変わり始める。
人ならざる私が放つ瘴気に、力ある者たちは気付き始めたのだろう。
この猫は――危険だ、と。
それでも彼女はこちらをちゃんと覗いていた。
女性神官長、ミディアム。彼女のまっすぐで強い瞳からは、高潔な美しさが感じ取れた。




