メルカトル王国の受難 ~黒猫はひそかにドヤる~その3
血も涙もない恐怖の存在、大魔帝ケトス。
メルカトル王宮の一室に浮かび上がる黒猫のシルエット。
邪悪な獣の影が、ギラギラデラデラと妖しく周囲を照らしていた。
ちょっと影が太ましく見えてしまうが――それはほら、光源の位置とか、狭い部屋での影は大きく映りやすいとか、そういうのだろう。
うん。
私、スレンダーキャットだし。
ともあれ私は――私利私欲のために昏倒させた敵国の君主、カルロス王の顔に肉球をぺちぺち。
ドヤる顔をニヤケさせ不敵に笑っていた。
『くはははは! どうだカルロス王よ! これでもう、貴様はなんか行動する度に全ての事がうまく運び、どえらい幸運に恵まれてしまうだろう! すなわち! それはもはや、我が眷族に堕ちたようなもの!』
眷族なら、まあ守ってやらないといけないだろう。
うん。
だから仕方ないのである。
『愚かにもこの我を守ろうとした――その無謀への対価だ! もはや貴様は、我の許可なく死ぬことすらできぬであろうな。その浅慮を呪うがいいのである! くははははは!』
哄笑が、他に誰もいない会議室に響き渡る。
……。
さて、阿呆な寸劇で大事な時間を潰している場合じゃないね。
王様の側近ぽかった三人が来る前に、残りの情報も引き出しておこう。
やはり今重要なのは、四大脅威。
この世界で魔王の名を騙る、身の程を知らぬ連中の情報か。
それにはやはり、あのネモーラ男爵について、もう少し詳しく知る必要がある。
無数に存在する世界。
それぞれがそれぞれを異世界と呼ぶ中、あのネモーラ男爵はなぜ私たちの世界を狙ったのか。
そこにどんな理由があったのか。
それを把握しておきたい。
今はこちら側で目を光らせている私の力。
そして、向こう側で結界を維持しているホワイトハウルの力で異界渡りはできないだろうが――万が一ということはある。
警戒をしておいて損はないだろう。
ペチペチペチ――と、魔力を纏わせたプニプニ肉球で王の額を撫でる。
『悪いけれどもうちょっと探らせてねえ。えーと、どの辺かな……ネモーラ男爵との戦い……は、と。おー、あったあった、この辺だ』
なぜ、どういった理由で、どのような手段で。
あのマリモは世界の狭間をくぐり……我らが世界に入り込んできたのか――。
その理由と原因を探る……。
少なくとも、あのマリモとこの世界の人間は長きに渡る戦いを繰り広げていた。
必ずヒントがあるはずだ。
翳す肉球に、王の思考が入り込んでくる。
ザザザザと映像が浮かび上がってくる。
マリモキング(仮)が私の世界に入り込んでくる直前の記憶か。
どうやら私達の世界に干渉する前に、こちらの人間達の連合軍と戦っていたようである――。
カルロス王にとって、ネモーラ男爵との最後の戦い。
それは大規模な作戦だったらしい。
この私が少しネコ眉を顰めてしまうほどの……苛烈な戦争だ。
長い戦いだった。
連合を組んだ人間と闇風のネモーラとの全面対決――共に犠牲を払った、死闘。
結果を言ってしまえば、人間側の辛勝だったようである。
決め手は呪術によるアプローチ……再生能力のトリガーとなっていたマリモの根、そこを呪い、腐らせることに成功したのだ。
根の腐敗は、植物系生物にとって致命的な一撃。
もはや勝利は確実だった。
カルロス王は数多くの死体の山、屍の道を進んでいた。
敵も味方も、多くが死んだ。それでも王は駆けたのだ。
共に平和を誓った重臣を失ったとしても、朝笑いかけてくれる臣下たちを犠牲にしたとしても、無謀な王だと罵られても、心を殺し――後の平和のため、種の存続のために、王はその魂を燃やし遂に勝利をその手に掴んだのだ。
ただ、それでもやはりしぶとい男爵にとどめを刺すことはできなかった。
勇猛果敢な王は、男爵をあと一歩のところまで追い込んだのだが――取り逃がしてしまったようなのである。
その理由は……次元のゆがみ。
突如、空に開いた亜空間。
どこからともなく現れた鈎爪――猫の爪の様な剣が空を掻き、そこに開いた隙間にネモーラ男爵が逃げ込んだのだ。
王の記憶の中。闇風の魔王種は言った。
――ぐぐぐ、ぐはははは! もしや、これは……なるほど異世界への通路か! ついに、見つけたぞ――生き延びる術をな! これは運命だ、世界は我々植物魔族に負けてはならぬと奇跡を与えたのだろう。
見える、見えるぞ!
勇者に、魔王……? ほう、なるほど! これは幸いだ! かの地の最強の存在は一方が既に滅び、一方が既に眠りについているではないか。
今ならば、侵入も容易かろう。
なにやら……数値が張り切れそうな変な闇の動物達の姿も見えるが……小動物がそんなに強い筈がないだろうし、気のせいか……。
これほどの好機、これほどの天運なのだ!
まさか、このモフモフ達が、とんでもなく強い存在だった――などと言うお約束なパターンではあるまい。
勝機、まさしく勝機!
かの地から植物や食物に詳しい人間を浚い、貴様らの知らぬ場所で飼い、再生と培養で魔力核となる我が根を増殖してみせよう。増えて、増えて、増え続け! いつかこの地に返り咲く! 絶対なる力を用いこの地を征服してみせよう!
勝機しかないではないか!
震えて眠るがいい、カルロス王!
我を唯一ここまで追い詰めた賢王よ! ぐは、ぐはははははは!――
と――勝ち誇ったように哄笑を上げながら、次元の隙間に消えていったのだ。
まあ随分と、調子に乗っていたのか。
ペラペラペラペラ、魔術でこの場面を見られるという可能性を考えず、事情を説明してくれたが……やっぱり基本頭脳が植物なんだろうね。
ふむふむ、なるほどー。
つまり……弱ったネモーラ男爵は、亜空間を敗走した末に我らが世界へ漂着。
弱体化を解除するため、次元の狭間を棲み処とし増殖――回復手段として、我らの世界から生産系職業の民間人を誘拐。
そして、両方の世界を行き来し暗躍していた。
私達の側で討伐されるまでは……。
というわけか。
何故、異界渡りができたのか、それが分からなかったのだが――それは偶然。
なぜか突如、次元の隙間が開いたせい。
魔王種にとっても、狙ってやったことではなかったのだろう。
ようするに、彼自身はちょっとしぶとくて強いだけの植物。
指定した場所に異界渡りができるほどの特殊能力は、なかったのである。
他の三種も、あまり心配しなくても大丈夫そうかな?
まあ、ここまで来たのだ、ちゃんとその正体を見極めておこうと思うが。
ともあれ、だ。
このネモーラ男爵には申し訳ないのだが、たぶん異界に逃げるという判断は大失敗だった筈だ。
なんというか……私、力も増してきているし。
狙った場所の未来視も、そこそこ意図的にできるようになっているのだが――。
闇風のマリモ男爵くん。
たぶん、私達の世界に逃げずに、この世界に留まり続けていれば。
んー……かわいそうなことに。
天下、取れていたみたいなんだよね。
おそらく。
なんやかんやと今回の件でも生き残り、カルロス王の知らぬ場所で身を隠し――数十年。
この地に残ったしぶといネモーラ男爵は再生を繰り返し、増殖。
英雄となった王が死亡した後の世界に、再び降臨。
民間人を誘拐していなかったので私に滅ぼされることもなく、一切、関わらないまま――この世界を覆っていた筈なのだ。
つまり、待ってさえいれば世界征服完了だったのである。
私にはそんな別の未来も見えていた。
身も蓋もない事なのだが、逃げなきゃ、自分の種で覆いつくすって夢が叶ってたみたいなんだよね。
だって。
アレを完全に駆逐できるのは、おそらくこっちの人間では無理。
それこそ、異世界最恐クラスの大魔帝と、その愉快な仲間たちぐらいしか存在しなかったのだから。
ネモーラ男爵が我が世界に乗り込んできた、その真相をようやく掴み私は瞳を閉じる。
ふぅ……と零れるのは渋い大人のネコ吐息。
私は会議室の魔術強化された窓から外を見る。
穏やかな空気。
緑豊かな環境。
良い国だと――そう思った。
……。
さて、それっぽい言い訳を真面目な貌をして語ったが――。
分かる人には分かっていただろう。
ジトジトジトと、肉球に汗が滲み始める。
……。
今回の事件てさ……。
もしかして……。
勇者の剣で遊んでいた大魔帝ニャンコこと私のうっかりミス。
ネコちゃんの悪戯で裂けてしまった次元の穴が、この世界の、よりにもよって大規模戦闘の最終決戦場面に繋がって……逃走を手助け。
あのマリモを引き寄せてしまっただけなんじゃ……。
なんで異界で魔王を自称する存在が、わざわざ強大な力持つ私と魔王様の世界に来たのか。
その理由が分からなかったのだが……。
答えは単純。
偶然、道が開いたせい。
つまり。
もしかしなくても……全部、私のせい、だったりするんじゃ……。
いやいやいやいや。
確かに、道を開いてしまったのは私のせいだが、このマリモキング……ネ、ネモーラ男爵? を逃がしてしまったのは私のせいじゃないし。
そう! ちゃんととどめを刺さなかった、こっちの世界の人間が悪いのだ!
それに――。
本来ならこっちの人間は遠い未来に絶滅していたのだ。
それを未然に防いだのだから、今回は失敗ではなくむしろ善行!
滅びの未来を回避した英雄!
そう!
あくまでも結果的にだが!
私は悪くない!
ドーン! 証明終了!
うん。
ジトジトと汗を流したまま私は再度、苦労して生きてきたオッちゃんの額に肉球をピトり。
眠る王の思考が聞こえてくる。
さすがに一国の王。
その頭脳は本物で――。
一連の流れを、多角的に眺め――深く考えていた。
王の思考は語りだす。
人間は睡眠中、夢の中で起きていた時の記憶を整理するらしいからね。
声が、聞こえだした。
――あの時の次元の穴は偶然、生まれたモノなのだろうか?
いや、答えは否であろう。
世界と世界との境界が偶然に繋がるとは思えない。
なにか大いなる存在の意志が働いたに、違いない。
そこにはとてつもない思惑。
様々な悪意が詰まっていると考えるべきであろう。
王は考える。
誰かが、あの大魔帝の世界と、魔王種渦巻くこの世界との境を切り開いた。
それはおそらく間違いない。
遊びや余興で理由なく次元を切り裂くなど、絶対にありえないのだから。
つまり――。
ネモーラ男爵は罠に嵌められ、誘導され……殺された。
そう考えるのが妥当だろう。
知識豊富で、策略にも長けたカルロス王は考える。
一国を治める器にある彼の優秀な頭脳は言っていた。
これは全て――異界の魔王、大魔帝ケトスの策略。
負傷したネモーラ男爵を利用し招き入れ……攻め込まれたという大義名分を手にし、報復という口実を盾に侵略を正当化するための罠。
全てが異界の魔王。大魔帝ケトスの肉球の上、恐ろしき計画なのではないか――。
と――眠る王の意識はそう考えているようだ。
瞳を細め、現実逃避するように遠くを見る私の尻尾が、ぐにゃーんぐにゃーんと揺れ動く。
動揺、しているのだ。
むろん、賢王が考えるようなそんな恐ろしき計画は存在しない。
本当にただの偶然である。
色々な要素が組み合わさってそう見えるだけであって。
実際には、許される範囲で起こった、ネコちゃんの可愛いうっかりである。
王の思考は続く。
これ……聖者ケトスの書で疲労も回復させたから、頭がフル回転しているのか。
声が聞こえ始めた。
あの日より起こった災厄の連続。
世界を揺るがすほどの異変。
世界を満たしていた筈の魔力の枯渇と大幅減衰。
届かなくなってしまった、大いなる輝きへの祈り。
こう考えるべきだったのだろう。
あのネモーラ男爵をも超えるナニかが、この世界に顕現した。
世界の法則は乱れ、終末の風が吹き荒び始めていた――と。
だから王は悩む。
グルメを差し出したところで、本当に和解などできるのだろうか――?
いや、否だ。
この地には――既に魔が手を伸ばしている。
あの四大脅威、魔王種すらも霞んでしまうほどの存在が、既に我らの喉元に牙を突き刺しているのだ――。
もはや、我らに猶予はない。
それでも、それでも――ワタシは、エルメール……君の愛した世界を守りたい……。
王は酩酊した意識の中で薄らとした涙を浮かべ、寝言のように呻きを上げる。
「我らが判断を誤れば……罪なき民が死ぬ……亡き妻が愛した臣民たちが……それだけは、どうかそれだけは……」
彼の手には、おそらく妻の形見だろう。
我が宝。ワタシが生涯、唯一愛した女性エルメール……と、魔術文字で刻まれた指輪が……しっかりと握られていた。
首飾りとし、肌身離さず身に着けていたのだろう。
亡き妻のため、彼女の愛した国を守り続ける心優しき王様。
か――。
むろん、私はヒゲと猫クチをひくひくとさせていた。
……。
あれ?
なんか私、こっちの世界の人たちからすると、めっちゃ極悪な魔族みたいになってない?
邪悪で狡猾な大魔帝が全てを計画の上、わざとネモーラ男爵を引き寄せて被害に遭ったと難癖。
当たり屋のように怒鳴り込んできた。
こっちの世界の人にとってはそうなっているんじゃないだろうか。
オッちゃんの額から肉球を離し。
私はとてとてとて、と円卓を歩く。
ドテリと寝ころんで、お手々をペロペロペロ。
濡らした手で顔をフキフキ。
……。
はぁ、落ち着いた。
これでじっくりと、動揺することが出来る。
どどどど、どうしよう!
えー、困るよー!
私、そういう超えちゃいけないラインとかは守ろうと一応、努力はしてるのに!
こ、こここ、これじゃあ本当に侵略者みたいじゃニャいか!
ま、魔王様に怒られる前になんとかしないと!
いや、まあ。
黙っていれば気付かれないし――ご馳走のバスケットを貰ったら、そのまま元の世界に帰ってしまえば全部丸く収まるのではないだろうか……。
そんな邪心がムクムクと芽生えたのだが。
ふと、賢い私は思い出した。
いま、めっちゃ……録画しちゃってるね。
撮影用のクリスタルで、私がやらかした証拠、ばっちりくっきり撮っちゃってるね。
普通の相手なら映像を魔力で差し替えればバレないが。
今回。
ホワイトハウルとロックウェル卿が関わってるから、それもできないね。
にゃぁぁぁぁぁぁぁ!
や、ら、か、し、たぁぁぁぁぁぁぁぁ!
考えろ、考えるのだ大魔帝ケトス!
私は魔王様の愛猫。
素晴らしいニャンコなのだ。
今から取り繕うには――。
ぐ、具体的には、そう!
私が正体を隠し、残りの魔王種をどうにかして。
更に、王の呪殺を企んだ輩をどうにかするしかないのではないだろうか!?
これはあくまでも、滅びるはずだったこの世界を守るための演技。
実際、滅びの未来は回避したのだから完全に嘘というわけではない。
だから全部。
滅ぶ筈だったこっちの世界に同情して、皆に内緒で計画を進めていたってことにしちゃおうではないか!
そう、罪も失敗もなかったことにするため。
善は急げ!
もうすぐ王を心配した臣下たちがやってきてしまう筈!
私は円卓の上から飛び降り、変身!
ザザザ、ザザァァァァァァァアアア――ッ!
演出の魔霧の中から現れたのは、美貌の紳士。
大魔帝ケトスの部下、という設定の私!
名前は……。
ブラックハウル卿でいいや!
獣人モードの麗しき私が、何食わぬ顔をしてこのオッちゃんをサポートしてやろうではニャいか!




