エピローグ
あの後、ジャハルくんと一緒に私は生贄の女性と子供たちの蘇生を行った。
魔力に満ちた召喚陣の影響で死体の保存状態がよかったおかげである。流石に全員分は無理だったが、まあそこは私の責任ではない。今回の事件には私の起こした行動がきっかけとなった悲劇も含まれていたが、結局のところは人間同士の醜い争いだったのだ。全部私のせいにして貰っては困る。
どうやって蘇生したのかってのはまあ簡単だ。
魔力で生命活動を再開させた死体に彼らの魂を戻し、繋いだのだ。彼らの魂をどうやって戻したかというと、それも単純だ、虚無の彼方、アンデッドたちが眠る冥界に下って一人ひとり連れ帰ってきた、それだけである。
たぶん子供たちは猫ちゃんに連れられて生き返ったとか思っているだろう。
精神に干渉して悲惨な記憶を消してやるかどうか悩んだが、私はあえてそのままにした。残酷な世界、残酷な記憶だったとしてもそれを奪う権利はないと思ったのだ。
被害者の彼らが今回の記憶の影響でどう変化するか。どう生きるか。どう未来を選択するか。それは彼らの自由。
それを私の独善で捻じ曲げるのは違うだろう。
残酷な記憶があるからこそ、そしてそこから救い出されたからこそ、私は魔王様のために強くなれたのだから。
問題は一人一人を元の場所。おうちに帰すところだったのだが、まあそこもなんとかなった。オークと共に敵を打ち破ったアーノルドくん、そして軽く事情を聞いたナディア皇女が協力してくれたのだ。
あのバカ皇子。西からも東からもかなりの数の生贄を集めていたらしい。
もっとも、あのバカ皇子の件は話していない。
自分の兄が子供まで生贄にし、手にかけていたとはどうしても伝えられなかったのだ。
けれど。
彼女は賢い。
だから、恐らくは――。
ま、それはともあれ。
後処理を終えて、私はにゃふんと息を吐いた。
結局数日かかってしまった。全ての被害者を帰し、私とジャハルくん、そしてアーノルド騎士とナディア皇女は落ち着ける場所で合流した。
既に日は暮れかけている。
彼女は言った。
「全て、終わらせてくれたのですね」
「ああ。ちゃんとアーノルド君に礼を言っときなよ。まあ、オーク神も回復したし。しばらく戦争になる事もないだろうと思うよ」
私がそう言うと、騎士と姫は互いに見つめ合って、微笑んだ。
どれくらいの平和が続くかそれは分からない。
それは二人も理解しているだろう。
けれど、彼らにとっては貴重な時間。僅かな時であったとしても初めて手にした平和なのだ。
アーノルドが深く私に礼をする。
貸し出した魔剣を返そうとするが、私は首を横に振った。
「姫を守る騎士には力が必要、そうだろ?」
力を与えるため、ではない。
ごめん。
たぶんそれ、呪われてて一生はずせない。
そんな私の内心の動揺を知らずに、魔剣を携える聖騎士アーノルドは更に深く、心からの礼を寄越してきた。
ごめん、ほんとやめて。
罪悪感半端ないから。
「ケトス様はこれからどうなさるのですか?」
「そうだね、まあいつも通りかな。主が目を覚ましてくれる時を気長に待つだけさ」
「それなら、あたし達と一緒に、行きませんか!」
一瞬、時が止まった。
……。
まったく、予想していなかったからだ。
獣毛がばさりと膨らんだ。
そんな私の動揺を察したのか、横から見ていたジャハル君が口を開いた。
「はぁ? ケトス様が人間と一緒に行くわけないっしょ。だってこの人、人間への恨みだけでただの猫から魔獣化した憎悪と怨嗟の……うぐ、あだだだだだ!」
余計な事を言おうとしているジャハル君の口を肉球と魔力で塞ぎ、私は言った。
人型の姿になり、人間として言ったのだ。
「残念だけど私は魔王様の傍からあまり離れたくないんだ。だから、君たちとはいけない」
「愛していらっしゃるのね」
「ああ、とても。愛している」
言葉にすると、心の中が温かくなった。
「もし人間がもっと嫌いになってしまったのなら……私の所へおいで。君たち二人くらいなら暗黒空間で永遠に守って上げられるし、望むのなら魔族へと転生させてあげることもできる」
「魔族に……転生」
「ああ、そうだよ。君も人間が嫌いで、怖いんだろ?」
酷く蠱惑的な声が漏れていた。
人間を誑かす魔族の声だ。
彼女は王族だ。それも危うい立場に置かれている。国に残り続けるにしても、皇位を捨てて亡命するにしても、これからも彼女は苦労をし続けるだろう。
彼女が本心から願うならば、私はその恐怖から解放してやることができる。
助けてあげることができる。
もうそろそろ日が完全に暮れる。
黄昏が終われば夜になる。
私は二人に向かい手を伸ばした。
「私と一緒に、行かないか?」
私の背には夜があった。
深い深い闇の夜。安らぎと静寂を与えてくれる静かな夜だ。
アーノルドは何も答えない。ナディア皇女に従う、それが彼にとっての答えだったのだろう。
魔王様への忠誠を誓う私と同じく、彼は姫の忠実な下僕なのだ。
ナディア皇女はしばし瞑目し。
「人間は嫌いです」
そして。
「それでもあたしは――人間として生き続けようと思いますわ」
彼女は言った。
まっすぐに前を見つめてそう微笑んだのだ。
彼女の背にはまだ沈み切る前の太陽が映っていた。美しい光だと思った。
なぜだろうか、私は嬉しかった。
醜い人の本性を知りながらも人間でいようとする彼女、その穢れなき魂を愛おしく思えてしまったのだ。
指が伸びかける。
この光が欲しい。そう思ってしまった。
けれど。
伸びかけた指は途中で落ちた。
この光は力で奪ってしまったらきっと……。
私は、
「君達なら立派な魔族になれると思ったんだけどね、残念」
猫魔獣の姿に戻り、ふわりと浮いて魔族として笑った。
「にゃはははは、フラれてしまったが。まあ、餞別だ。受け取りたまえ」
肩を竦めて見せた私は彼女たちにプレゼントを与えた。
それは二つの白銀の指輪。
付けると指輪自体が透明になり、その身に僅かな加護を得られるという魔道具だ。
「これなら他の人にもバレないだろ」
そう言うと、私の姿は闇の中へと消えていく。
去ろうとする。
それを察したのだろう。
「お待ちになって!」
彼女は叫んだ。
「また、会えますよね?」
もう二度と逢うことはないだろう。
騎士が姫を守り続ける限り。
だから。
きっと――。
さようなら。
確定券ヤキトリ姫……。
◇
空間を渡りながら土産のヤキトリ串を齧る私に、炎帝ジャハルが呟いた。
「本当に良かったんっすか」
「なにがだい?」
むしゃむしゃとヤキトリをさらに齧り、問う彼に目をやった。
レバーのほろ苦さも悪い気分じゃない。
「いえ、なんでもないですよ」
頭をがしがしと掻きながらジャハルは居心地悪そうにしている。
どうやら何か心配してくれているようである。
私としても、彼が同行しているとヤキトリが冷めないからありがたい。
「それにしてもあの指輪、なんかどっかで見たことがあるような気がするんですけど……なんでしたっけ」
「さあ古いモノだから名前なんて覚えてないや」
「さあって、あれすげえ魔力を感じましたよ」
さすがに精霊族だけあって魔力には敏感らしい。
「死んでも三回までなら生き返る蘇生の指輪だよ。ついでに色々と補助効果をつけといたからまあ普通の人間の戦争程度なら絶対死ななくなるんじゃないかな」
「なーんだ……って、んなレアなもん人間なんかに上げてよかったんですか!」
「だって折角助けたのに死んじゃったらかわいそうじゃないか」
「そりゃまあそうですけど」
「それに、死にそうになったところをわざわざ守りにいくなんて超めんどうだし……」
それもまた、本音であると察したのだろう。
「あの人間たちの事が大事なのかどうか、微妙なところっすね」
魔王軍に寄付してくれりゃあいいのに、とジャハル君は呆れた様子だが。
まあ。
「私は猫だからね、気まぐれなのさ」
にゃはははと笑う私。
その後を追って誰かがやってきた。
亜空間に入り込んでこれるほどの存在なのだから、そこそこは強いのだろう。
そこにいたのは一人の亜人族。
ジェネラルゴットオーキスト、今回協力してもらったオーク神だ。
彼が私の前に跪く。
「ケトス様。籠絡した人間を使役し、我がオーク族を守っていただきありがとうございます」
「別に、君を守るためじゃないさ。まあ感謝してくれるならそれもいいけどね」
「貴方様の干渉がなければ醜き人間、西のバラン帝国により大森林は穢されていたでしょう。心からの感謝をどうかお受け取りください」
言って、彼が私に差し出したのは。
「へえ、分かっているじゃないか。君」
バラン帝国の名産物の海鮮料理、海産物の数々。ちゃんと氷魔術で冷凍してあるから日持ちも抜群だろう。
カニ。タコ。ウニ!
に、にぼしもあるううううううう!
結果的に魔族も守ることになっただけなのは黙っておこう。
おそらく全ての事情を察している炎帝ジャハルくんはこっちをジト目で見ているが、気にしない。
「貴方様のような偉大なる御方の主であらせられる魔王様に、絶対の忠誠を誓わせていただきだく存じ上げます。どうか愚かなこの身を魔王軍に在籍すること、お許しください」
むろん。
海産物の手土産を持参した彼を拒絶するほど私は愚かではなかった。
にゃーーはっはっは!
今日は宴じゃああああああああああああああ!
▽
▽▽
▽▽▽
【SIDEダルマニア第一皇子】
冷たい。暗い。ここはどこだ。
僕は、死んだのか。
声が聞こえた。
「そう、ダルマニア皇子。いえ、もはや皇子ではありませんねダルマニアさん、あなたは死んだのです」
美しい光があった。
温かい光だ。
「神童と言われかつて国民から愛されたあなたがこんなことになってしまって、残念です、本当に……残念です」
光が僕に過去の姿を見せてきた。
僕は、愛されていた。
僕も愛していた。
けれど。
ナディア。
妹が生まれてから、全てが変わってしまった。
僕は。
僕はどうして道を誤ったのだろう。
なぜ。どうして。
言い訳ばかりが浮かぶ。
ナディアは優秀だよ。優秀過ぎるんだよ。天才だった僕よりも天才だなんて。
みんなが僕よりもあいつをみる。ねえ、僕をもっとみてよ。僕だって優秀じゃないか。
過去の僕が妹に笑いかける。
仲の良い兄弟をしている。笑ったふりをしている。
やめろ。やめろ。やめろ!!!!!!!!!!!
僕から全てを奪ったくせに、一人しかいなかった僕の友達のアーノルドだって奪ったくせに。
僕からもう何も奪わないでくれよ!
もうたくさんだ!
羨ましい。妬ましい。憎い。憎い。憎い!
あいつにさえ出逢わなければ。
あいつにさえ。
「本当に、そうでしょうか?」
光が言った。
光がもっと過去の僕の姿を映し出す。
僕は笑っていた。
僕は妹の誕生に、微笑んでいた。
『おかあさんが違ってもいいのです、かわいいいもうとです。僕がこの子をまもります!』
あ……。
この時は、本当にそう思っていたんだ。
僕は。
きっと。
驕っていた僕はアイツがいなくても、道を踏み外していたのだろうと、思う。
「貴方は死にました」
ああ。そうだ。死んで当然だ。
「けれど、あなたが道を踏み外すより前。まだ温かな光だった頃の善行がなくなったわけではありません」
光が言った。
国民のためにまだ頑張っていたころの景色だ。
本当に神童だった。天才だった。国民を愛していた過去の僕だ。
過去の僕は笑っていた。
妹を……愛していた。
「あなたに機会を与えましょう。道を誤ってしまったあなたがやり直すための、新たな生を授けましょう」
やり直す?
「ええ、そうです。あなたは転生する。正しき道を歩む機会が与えられる。今度こそ、迷わずに……そう願っております」
僕はやりなおせるのか。
光が微笑んだ。
温かい光だ。
僕はやり直す。
ごめん。ナディア。僕のかわいい妹。優しい妹。
僕はやりなおすよ。
そして。
今度こそ……この罪を償って――……。
君に謝る機会が欲しい。
国民に、犠牲になった者たちへの贖罪を……。
「さあ、瞳を閉じてください。あなたの来世が明るいものでありますように」
光が道を作り出した。
が。
なぜか温かさが消えていく。
「え……なに……なんなのですか、これは?」
光が騒ぎ出す。
「転生空間に干渉? そんなまさか、そんなことができる者などこの世界に……は――」
プツリ。
動揺した光の声が、途絶え。
音が消えた。
……。
なんだ。
なにがあった。
寒い。
凍える。
闇がある。
闇が広がる。
いや。
闇しかない。
しばらくして。
『ニャ――――……』
猫の声がした。
なんだ。
なんだこれは。
……。
ナニカ……。
近づいてくる。
どす黒い。
何か。
あ……。
……。
猫が、見ていた。
黒々とした猫が、見ていた。
突如。
『あー、いたいた。探しちゃったよ』
声は。
突然耳元から聞こえた。
なんだ。
なんなんだよ、これは!
『君、なんか嫌いだったからさ。このまま消えちゃいなよ』
囁かれた。
おかしい。
『なにがだい?』
だって、僕は。
やりなおせるんじゃないのか!?
闇が。
這い寄ってくる。
待ってくれ。
僕は、今度こそ!
『だって君、子供を殺しただろ?』
底の見えない闇が。
嗤った。
や、め。
……。
ザアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。
~第二章、紅の死霊姫、完~




