エピローグ ~聖女騎士カトレイヤ編~3/3
群れとなったダンジョン猫たち。
彼等に亜空間から取り出したアップルパイを提供した後。
先ほどの庭園に備え付けられたテーブルにて、二人の聖女の会談は行われていた。
互いに大魔帝ケトスの関係者ということもあり、敵対する意思はない。
とりあえず、この会談は順調といっていいだろう。
人死にがあったのなら、また話は変わっていたのだろうが――ここの守護者の男があの男の弟子だったというイレギュラーのおかげで、その未来は回避されていた。
――本当に、あの大魔族は他人の運命を簡単に変えてしまうのね……。
と。
まじめな会談の途中なのに、カトレイヤは眉を下げてしまう。
そんな彼女の不思議な吐息を興味津々で見つめるのは、一人の高潔な女性。
誰の目から見ても美しいと分かる、司祭姿の人間。
大魔帝ケトスの魔力を一部分けられた、超越者。
この黒の聖母教の神殿を治める聖女――大司祭アイラである。
上品そうな顔立ちを少し崩したアイラは、おっとりと頬に手を当てる。
「お話は分かりましたわ。この度は、わたくしの身内の者も失礼いたしました。申し訳ありません、この神殿が襲われたのはついこの間の事だったので……彼、とっても警戒していて」
「いえ、とんでもありません。こちらこそ失礼いたしました。突然、亜空間を渡って参ったのです、先日の件への配慮がかけていたのはこちらの方です。改めて謝罪をさせていただきます」
互いに頭を下げられる関係ならば、この先の心配は減っただろう。
誤解が解けて、まずは一安心といったところか。
聖女騎士カトレイヤは安堵を浮かべて責任者である女性を見た。
正確には。
その後ろにいる影の男を、だが。
――すっごい聖女様って感じねえ、綺麗だし。美人だし。ははーん、なるほどね……あの男。ふふ、ま、心配するのも無理はないか。
くすくすと下世話な笑みを浮かべる内心とは裏腹。
聖女カトレイヤの表情は敬虔な神の使いとして、すぅっと瞳を細めている。
意識して、気を引き締めていたのだ。
まさか謝罪に来たのに、「ぷぷぷー、やっだーあなた! この聖女様に淡い恋心を抱いているのね! ちょっと、かわいいところもあるじゃない!」などと、言えるはずがないからである。
そんな邪心をコホンと咳払いで隠し、カトレイヤは一つの書を差し出す。
休暇に入る前のホワイトハウルに指導された通り、きわめて事務的な口調を意識する。
会社の電話を受けるみたいにと、魔狼はなにやら理解の出来ない言葉を零していたが――ともあれ彼女は、教わった通りの丁寧な声音で告げる。
「かつて勇者の供であった槍戦士ダイアナ。天に召し上げられた彼女が起こした非道は、こちらでも把握しております。主は此度の凶行を自らの失態と判断いたしました、そこでお詫びと言っては失礼にあたると存じますが……何か一つ奇跡をお申し込みください。その書に奇跡を書き込み願えば、すぐに……え? 大いなる光様!? ちょ、え? メッセージ魔術!? は、はい分かりました、訂正いたします。す、すみません……えーと、主が目を通した順に、可能な限り、おそらくぅ……なるべく……早く、迅速に叶えさせていただく流れとなっておりますので」
説明を聞き終えた大司祭アイラは静かに、落ち着いた口調で応じる。
「一つよろしいでしょうか? 今、途中でなにか、神の如き凄まじき力の輝きを感じたのですが……書を受け取り改宗せよと、そうおっしゃっているわけではないのですよね?」
「無論です、恥の上塗りなど――さしもの慈悲深き主もお怒りになり、我等眷族、全てを神の裁きにて消滅させることでしょう。それに、わたしも再びお詫び行脚で世界を飛び回るのは、困ってしまいますので」
少しだけ砕けた言葉と共に、疲れを滲ませたカトレイヤの苦笑は同情を誘ったのだろう。
大司祭アイラは書を受け取り、頭を下げた。
「承知いたしました。そういうことでしたら――遠慮なく」
拒否されていたら面倒な流れになっていただろうと、カトレイヤもほっと胸をなでおろす。
とりあえず、これで形式上は謝罪を受け入れて貰えたという事になる。
大いなる光と謁見できる地位。その末席に加わったばかりのカトレイヤにとっては、一つの成功でも大変ありがたいものなのだ。
――ふふーん、やればできるじゃないわたし!
と、調子に乗りそうな彼女に大司祭アイラが問う。
「あの……確認したいのですが、これで天界のグルメなどを注文することも、可能なのでしょうか」
「え!? いや、えーと、それはもちろん可能ですが……そういった実体のある奇跡をご所望のみなさんは不老長寿の薬や、三つまで願いを叶えてくれる精霊召喚アイテムや、そういった貴重な品をご注文なされていますけれど」
「貴重過ぎる品や、あまり良すぎるモノを頂いてしまっては――皆に分配することが困難になりますでしょう。それでしたら、食べてお腹の中に消えて貰った方が……安心できますから」
聖女として色々な闇を見てきたのか、大司祭アイラの瞳は少しだけ寂しそうに揺れていた。
賢い女性だとカトレイヤは感じた。
お詫び行脚の最中、各地を回った際に何度か懸念が浮かんでいたのだ。
神からの謝罪として与えられた願いの書。この書が新たな火種となる可能性は少なからずある、そんな危機感を覚えていたからである。
きっとこの女性は私利私欲ではなく、何か他人のためにこの書を使うのだろう。
そう思うと、かつて生きていた時代に溜まっていた――人間に対してもっていた不信感が少しだけ和らいでいた。
カトレイヤは大司祭に対し、敬意と好印象を抱きながらも立ち上がる。
あえてその話題には触れず、頭を下げる。
「それでは、何か分からないことなどございましたら書の最後に記載されている儀式でメッセージを送ってください。すぐに対応いたしますので。本日はこれにて――」
アポも取らずに押しかけての謝罪なのだ、長居をするのは失礼にあたるだろう。
退席しようと転移魔術を頭に思い浮かべた。
その直後。
大司祭アイラがまるで去ってしまう鳥を引き止めるように、白い手を伸ばした。
「あ、お待ちになってください――!」
「はい、なんでしょうか?」
闇さえ見通す慧眼に似合わない聖女アイラの上げた声が気になり、転移をキャンセルしてしまった。
聖女アイラは曇りのない眼でカトレイヤに問う。
「紅茶のおもてなしをご用意させていただきましたの。よろしければ、いかがですか?」
「えーと……」
アイラの目線の先にあるのは、葡萄がメインのフルーツタルトのお菓子。
もし大魔帝がこの場にいたのなら、タルト生地に突撃して、ブニャハハハ! と、既に切り分けていただろう。
カトレイヤは大魔帝の弟子である影の男に目配せをする。
このおっとりとした大司祭は良き人間だが、少し常識や警戒心が抜けているように思えていた。ここに残っていいのか、彼に判断を促したのだ。
男が頷いたので、カトレイヤはそれに従い居住まいを正し椅子に腰を掛ける。
「それでは、お言葉に甘えさせていただくわ」
大司祭の名と位を持つ聖女は、本当に嬉しそうに美しい笑みを浮かべていた。
◇
サクサク食感のタルト生地にナイフを通し。
甘いシロップに漬けられたフルーツと一緒にフォークで刺して、一口。
蜜の詰まった果実と、硬めの生地の食感が絶妙で――。
ついつい、カトレイヤは、美味しいじゃない人間もやるわね! と、ビシっとポーズを決めてしまいそうになっていたが、ぐっと我慢をする。
二人は優雅なひと時を過ごしていた。
むろん。
ガキ大将気質のカトレイヤにとっては、精一杯のお澄ましなのだが――なんとか通用しているようである。
フルーツをさらに細かく刻みながら、小さく口に運ぶ聖女アイラが言った。
「カトレイヤさんと仰いましたよね? 失礼ですけれど……もしかして、あの有名な救国の聖女様でいらっしゃるのですか?」
「ええ、まあ……生前最後の活躍を認められ、そのような過分な名も頂きました」
と――お上品にティーカップを傾け、カトレイヤは微笑んで見せる。
「まあ! やはり、あなたも聖女様なのですね」
「正確には聖女騎士ですが――あの……それが、何か」
「いえ! あら、すみません。ふふふ、わたくしったら駄目ね。やっぱりお話の仕方が苦手みたいで……お恥ずかしいです」
紅茶を静かに嗜みながら、アイラは言った。
「わたくし、この神殿から外に出られないもので……自分以外の聖女と呼ばれる方にあったことがないのです。だから、初めて出会った聖女のお客様に舞い上がっているのでしょうね。あら、まあ……! またわたくしったら自分の話ばかり……ごめんなさい、本当に慣れていなくて」
ああ、なるほどとカトレイヤは察した。
大司祭アイラ――神聖な領域の籠の鳥となっている彼女は、きっと、寂しいのだろう。
少しくらい、仕事を忘れて聖女として……話をしても、いいのかな。
と、カトレイヤは考え、ニヒィと口をつり上げる。
――そうよね、わたし。聖女の先輩なんだから! ちょっとぐらい威張ってもいいのよね!
だからだろう、カトレイヤはわざと姿勢を崩して紅茶に手を伸ばしズズズズズ。
苦笑してみせる。
「わかるわー。聖女認定されると、そういうの大変なのよね。わたしもアンタは聖女って言われて生贄にされかけたことがあったもの」
「聞いたことがありますわ。その日、天がお怒りになり城の半分を吹き飛ばしたって逸話は本当なのですか?」
「あー、やっぱりわたしが死んだ後はそういう風に誇張されているのね。やったのはわたしよ、わたし、凄いでしょ! だいたい、まだあの時はわたし、主に存在すら認知されていなかったもの」
互いに数奇な運命を歩む聖女同士。
通じる部分があったのだろう。
会話は進んだ。
どれくらいの時間が経っただろう。
二人は時を忘れて――立場も忘れて……談笑をしていた。
心を許した二人の会話は弾んでいた。
いや。
弾み切っていたといってもいいだろう。互いにとって、遠慮の要らない聖女同士の会話がとても新鮮な体験だったのだ。
もちろん、二人の共通の話題は聖女ということ以外にも存在した。
大司祭アイラが口元に置いた手をくすりと揺らしながら、言う。
「そうなのですよ、ケトス様ったら……! 突然来てくださったと思ったら、そのピザの制作者の名前と居場所を教えてくれないかな? って、ふふ、そう、とっても真剣な貌をなさって、機密なのは理解しているがどうしても……知りたいんだって、串団子と引きかえに情報をくれないかって。そう、本当に可愛らしい御方でしょう」
「やっぱり、あの方……食べ物に目がないのね。わたしの思い描いていた大魔帝ケトス様の人物像とはだいぶ違って、たしかに友好関係も築けそうではあるのだけれど、それを喜んでいいのか悪いのか……正直、神の使いとしては分からないわ」
神殿の聖女が苦笑を漏らし言う。
「友好関係とまではいかなくても、敵対したくはないでしょうね。はじめ。こちらが無礼を働いた時は……やはり、わたくしも全滅を意識しましたもの」
カチャリとティーカップを鳴らし、カトレイヤは多少の迷いを纏わせながら言う。
「ケトス様、ここにはよくいらっしゃるの?」
「ええ、仕事に飽きたんだって突然転移してきて、あそこの専用座布団にお座りになられて……ウチでご飯も食べていかれますし」
「そ、そう……」
「何か御用がおありなのですか?」
んー、と頬を掻きながらカトレイヤは呟く。
「大したことじゃないのだけれど――」
カトレイヤはかいつまんで事情を説明した。
昔、黒猫に助けられたこと。
それがあの大魔帝ケトスだったかもしれないことや、それに対してまだ礼を言えていないこと。
ずっと探していた恩人かもしれないと気付いた時には、もう……。
すでに去ってしまっていた事。
「それでしたら、わたくしからあの方に貴女が会いたいとおっしゃっていたと――お伝えしましょうか? 今度、ピザ職人のダークエルフの方をこちらに招待した時に、あの方の召喚儀式を執り行おうと思っておりますから」
とんでもない話を大司祭アイラは口にした。
「あの方を召喚! この神殿はそんな大規模な儀式召喚の行使が可能なの!?」
「ふふ、違うのですよ。そういう儀式ではなくて――新しいご馳走をご用意させて貰って、どうか召し上がりに来てくださいませって祈るだけなんです。それだけなのに……大抵の場合は即座に転移してきてくれますよ」
「えぇー……ご馳走につられて召喚される主神クラスの魔族って、どーなのかしら……」
「ふふ、どうなのでしょうね。それで、どういたしますか? ここでお会いになるのかどうか――こちらとしては、どちらでも構わないのですが。助けてくださった猫様がケトス様本人なのかどうかを確認するのは、あなた自身でなさるべきだと、わたくしは思いますので――」
カトレイヤは僅かに眉を下げ、答えた。
「まだ、やめておくわ――ケトス様があの黒猫様であろうがなかろうが、どちらにしても……わたしにとってあの方は、雲の上の存在なのよ。実際、再会できたとしても向こうがこちらを覚えてくれているかどうか分からないし……なにより、わたしがたぶん駄目ね。緊張しちゃって、ガチガチになっちゃうでしょうし。うまくお礼を伝える自信もないのよ」
「畏まりました。それでは、あなたとお会いした事だけは伝えてしまうと思いますが――許してくださいね」
「構わないわよ。なんなら、わたし、超出世したらしいですって伝えておいてね!」
クスクスと、聖女達は笑った。
本当に、二人は心底から笑っていたのだ。
けれど。
楽しい時間というモノは、過ぎてしまえば一瞬。
瞬きする間に終わってしまうモノなのだろう。
影の男が、二人に向かって礼をしながらも終わりを告げる言葉を発していた。
「アイラ様。そろそろ祈りのお時間でございます――これ以上、御引き留めになるのは……カトレイヤ様にもご迷惑となりましょう」
忠義に生きる男に向かい、カトレイヤがウインクをしてみせる。
「迷惑ではないけれど。そうね、報告をしないと心配する部下たちに怒られてしまうかもしれないから。今日は、そろそろお暇させていただくわ」
「はい。カトレイヤさん、不躾かもしれませんが――最後に一つお聞きしてもよろしいかしら」
「なにかしら」
「もしカトレイヤさんがこの書に願うとしたら、何を願うのですか」
「わたしは、そうね……」
思い浮かんだのは――やはり……。
ようやく掴めたかもしれない恩人の正体。
大魔帝ケトス。
少なくとも本人なのかどうかを確かめたい。
もし、あの方だったとしたら。二度も救ってくれたあの方にもう一度あいたい、あってお礼を言いたい。
助けてくれて、ありがとうございます――と。
けれどその願いは遠く彼方、まだ手の届かぬ先に存在する険しい道なのだ。
相手は大魔帝。
そう気安く会える相手でもないし、そもそも会える立場に自分はまだいない。
だから、いつか今度。
神族として出世して――あの人に会おう。
そう思っていた。
だから書に捧げる願いはないのだ。
今はまだ。
「内緒よ。また今度お話した時に、まあ、気が向いたら教えてあげるわ。それじゃあ、今日は楽しかったわ。それで、あぁ……あ……のね、その……つ、次に来るときは神の使いとしてではなくて友人として来ても、いいのかしら?」
照れたように咳払いをするカトレイヤは、耳の先まで、真っ赤に肌を染めている。
友達として。
また今度。
再会を約束するその言葉に、アイラの花の笑みが膨らんでいく。
「はい! わたくしは、友人だと――そう思っておりますわ。ありがとうございます。カトレイヤさん」
「それじゃあ、照れ臭いから本当にもう行くわね。影君も頑張りなさいよ。何をとは言わないけれどね! じゃあ、またね!」
言って、彼女は一瞬で転移した。
◇
天に上る帰り道。
聖女騎士カトレイヤは心の底から彼らを祝福していた。
――わたしの恋は成就しなかった。けれど――彼女なら……。なんて、わたしが御節介する必要はなさそうね。
未来の可能性をある程度掴むことのできるカトレイヤには、あの二人の明るい未来が見えていた。
だから、安堵してしまう。
そして同時に、ぷぷぷーと顔を下世話に緩めてしまう。
「あの男、どんな顔をして、アイラにプロポーズするのかしらね。絶対、タイミングを逃さないように観察しなくちゃ」
ついつい口に出してしまった彼女の耳を、ハスキーな魔族幹部ボイスが揺らす。
『聖女と影の淡い心……か。意外だね、君はそういう色恋沙汰には鈍いタイプだと思っていたよ』
「あのねえ、わたしだって聖女で乙女よ。そういう感情にはビビっとくるのよ」
そうだ。自分だって恋ぐらいは知っている。
掴めなかった恋だが、それでもあれは……乙女の初恋であったのだとカトレイヤは誇りを持っていたのだ。
だから、ついつい言い返してしまった。
『にゃははは、ごめんごめん。だって過去の君はさ、相手があんなに好きだよアピールしていたのに……全然、まーったく鈍感で気づいていなかったからさ』
「ちょっと、人の過去を勝手に見るのは……って」
そこでようやく、気が付いた。
自分が誰と話していたのか。亜空間を渡る自分に追いつくほどの存在が、誰なのかを。
大魔帝ケトス。
目の前には、猫がいた。
あの迷宮であった時の殺意と闇を纏ったシャープな印象の黒猫とは違い、プライベートで、のほほーんとした黒猫がいた。
太々しい……ドヤ顔の黒猫。
「黒猫、様……」
『黒猫様? あれ、私の名前を忘れちゃった? 私は確かに超絶プリティでかわいい黒猫だけど、ケトスっていうめっちゃカッコウイイ名前があるんだけど』
やはり、この方は大魔帝ケトスなのだろう。
そして――。
いつだって運命は突然やってくる。
心の準備を許すことなく、突然にこんな再会を用意する。
「どう……して、あなたがここに……」
『いやあ、私の眷属がなんか天界のアップルパイを貰って食べたなんて言っていたから、大急ぎで飛んで行く途中だったんだけど。今、ちょうど君を見つけてね。そのアイテム収納亜空間にしまってある奇跡のアップルパイを貰おうと思って、待っていたんだよ』
彼女は思った。
ああ、この魔力。
この太々しいドヤ顔。やはり間違いない……。
あの黒猫様、本人だ。
だから運命のいたずらは……この世界は、嫌なのだ。
この世界はきまぐれで、ずっと会いたいと願っていても会えないのに。伝えたいと思っていても、ずっと伝えられないのに。
諦めた途端に、頭を見せる。
『そんなわけで、アップルパイを私にも分けて欲しいんだけれど――っ、て……どうしたんだい。そんなに顔を赤くして』
「黒猫様、ケトスさま……わたし! ずっとあなたに言いたいことが――」
腕を伸ばし。
ずっと探し求めていたあの日の輝きを胸に抱きしめ。
聖女は光を求めて叫んでいた。
その目も。
心も。
そして言葉も――しばらく、揺れ動き続けていた。
『ど、どうしたんだい? 私、さすがに女の子に泣かれるのには、弱いんだけど』
「ずっと……ずっと――探していたの、会いたかったの。ずっと、伝えたかったの。あなたのおかげだって、だって、わたしは――」
あなたに助けられたのだから――。
ずっと言えなかった言葉。
告げられなかった言葉は、涙と共に黒い獣毛に吸われていった。
その日。
カトレイヤは泣いた。
かつて一度だけ、号泣したあの日のように――何度も何度も、泣いたのだ。
◇
数奇な運命に翻弄され続けた魔炎の魔女。
死して尚、運命の輪を走り続けた女性。
救国の聖女カトレイヤ。
彼女の魂は救われた。
報われたと、彼女自身がそう感じたのだった。
――聖女の願いは成就された――
【SIDE:黒の聖母教】
木漏れ日が優しく揺らぐ神殿。
行ってしまった異教の聖女、友を見送って――。
黒の聖母教の聖女、大司祭アイラは一つだけ……掟を破り、悪い事をした。
異教の魔術、または魔道具を許可なく使用してはならない。
そんな大事な決まり事を破って、サラサラサラ。
文字を記した羽根ペンを亜空間に仕舞いながら、詫びるように影に言ったのだ。
「ごめんなさいね、絶影。お詫びの品だというこの書をわたくし、勝手に使ってしまって。おそらくこれを職権乱用というのですね」
「元よりそれは異教の神の力を借りた魔道具。いわばご禁制の品。公にすれば処分されてしまうでしょうから……問題はないかと」
聖女と影。
二人は去っていった聖女を想いながら、言葉を口にする。
「それでもやはり……皆様に相談する前に使ってしまったのは悪い事なのだとわたくしは思いますわ。そう、とっても悪い事。外に出られない事を言い訳に、許される範囲でわざと犯したズルい罪。ふふ、今日は初めての体験がたくさんありましたね」
胸に手を当て、微笑む彼女。
その手元にあったのは、大いなる光が齎した願いの書。
書けば可能な範囲で願いが叶う。
一種の魔道具。
心優しき聖女がそこに記した願いは――。
新しくできた友のための……。
八章エピローグ
~聖女騎士カトレイヤ編~ ―おわり―