エピローグ ~聖女騎士カトレイヤ編~2/3
転移した聖女騎士カトレイヤ。
油断も隙も無く顕現した筈の彼女を急襲したのは……謎の人影。
手刀が、喉元に突きつけられていた。
「動くな――」
その声が、ぞくりと空気を凍てつかせる。
声に魔力が含まれていたからだ――もし聖女騎士カトレイヤが並以上の神族に成長していなかったら、その戒めの魔力だけで平伏していた事だろう。
しかし、今の彼女は冷静だった。
強敵だが、対処ができない程の差があるわけではない。
聖女はごくりと息を呑み、状況を観察する。
転移した座標は、渓谷の奥地に隠された秘境にある寺院。
いや、神殿か――。
木漏れ日に包まれた神殿の中央、神聖な場所、庭園にも似た祭壇に出てしまったようだ。
何か重要な魔道具でも設置されているのだろう。
中央に鎮座する綿を詰めたような正方形の道具、鑑定結果によると座布団と呼ばれる神具からは濃厚な魔力が漂っている。
――ここは儀式や召喚を行う場所、かしらね? 座布団と呼ばれるアレからは神クラスのナニかが何度も降臨した名残を感じる……これは、失態だわ。たしかに、敵対行動とみられても仕方がない。
相手は――。
包帯で顔を覆う影、まるで闇がそのまま動いたような男。
この神殿の守護者と思われる長身の人間だった。
――武器は……持っていない!? 手刀だわ! 生身の肉体で、この殺意を? とんでもないわね……。
相手は武器を用いず素手に魔力を纏わせるだけで、強靭な刃として利用している。
それは、並の領域では届かない妙技。
戦いに来たのではない。
謝罪に来たのだ。
けれど、このままでは殺される。
殺意を向けられて高揚した戦意が、彼女の中の魔炎を滾らせる――。
魔力の暴走を抑えながら、聖女騎士カトレイヤはゆっくりと口を開いた。
「その手を離していただけないかしら。これじゃあ話し合いもできないわ」
「その気配、その魔力。神の手の者だろう――あの狂った戦乙女の仲間と話す気など、こちらにはない」
切り裂くような鋭い声が彼女の肌を伝う。
こりゃ、完全に敵認定されてるわね……と、内心でぼやくのはカトレイヤ。
「そう、やはり彼女はここにも来ていたのね。あの者は処分いたしました、今日は彼女が起こした問題への謝罪をしに来たのだけれど――どうやら、簡単には信じて貰えないようね」
「我らも最初はヤツを迎え入れた――しかし、それは裏切られた。貴様も同類ではあるまいか?」
さすがに、いま反撃するのはまずい。
一度こちらがやらかしているのだから仕方がないかと、カトレイヤは心を落ちつける。
「違うわ――」
「ワタシはあの時、油断から主の命を危険に晒した。その失敗を二度するわけにはいかぬのだ――たとえ貴様の言葉が真実であったとしても……手を引くわけにはいかん」
その言葉は本音なのだろう。
男は迷いを声に乗せながらも、試すように言葉を続ける。
「あの者は言った。霊獣を放った後に、もし生きていたら後で遊んであげますわ……と、邪気すらなく、ただ平然と命を蔑ろにするようにな――。ならばこそ、今、あの霊獣の復讐に仲間がやって来た、我らがそう判断してしまうのは致し方あるまい?」
「動かないのは構わないけれど、いつまでもこのままじゃ仕方ないでしょう? 話をしたいのだけれど、駄目かしら?」
言葉に反応はない、時間を稼いでいるのか。
あまりにもこの男が素早く飛んできたせいで、責任者がまだこちらに到着していないのだろう。
「戦う意思は無いわ。望むのなら武装だって解除するし、それでも信用できないのなら全てを曝け出しても構わなくてよ」
男の前で裸体を晒すことで信用を得られるのなら安いものだと感じていたのだが。
やはり、反応はない。
忠義に厚く冷酷そうな男だ。弱体化の意味でも、武装解除の提案に賛同すると聖女は思っていたのだが。
――あら……もしかして、女性相手に、そういう行為を要求することが嫌いなタイプなのかしら。変に誠実ね。
「真面目な話をするわ、どちらにしてもそろそろ手を離してちょうだい。これ以上殺意を向けられると、わたしの中の魔炎が貴方を自動的に攻撃してしまう。さすがに、そこまでは責任取れないわよ」
これも真実。
厄介な体質だと自覚はしていたが、こればかりは仕方がない。
――仕方ないわね。謝罪を上乗せするとして、とりあえず……対処するしかないか。
聖女は考える。
この状況から抜け出る最適の手は――。
ピンと浮かんだのは奇跡や祝福ではなく、一つの魔術。
カトレイヤは見様見真似で、六重の魔法陣を展開した。
「魔力――解放。影渡りの猫!」
魔術宣言と共に、聖女の身体は影の猫となり散っていく。
サァァァァァァァ……。
大魔帝ケトスが戯れに使っていた回避魔術である。
これならば相手を傷つけることなく、距離を保つことが出来るだろう。
男の手刀から抜け出すことに成功した聖女に向けて、影の男は包帯の隙間から覗く瞳を揺らした。
「影猫魔術だと!?」
「あら、知っていたの。稀少な魔術だと聞いていたのだけれど、案外知られているものなのね」
影の猫が集まって、聖女の姿が元に戻る。
その周囲には既に魔炎と神聖な力、熱と聖の二種の結界が展開されていた。
成長したカトレイヤにとっても、この相手は油断の出来ない使い手。
姿勢を整え――息を吐き。
「話を聞いて貰えないようだから、すこし拘束させて貰うわ。と、その前に……神に恥じぬ行為の証として名を明かします。わたしの名はカトレイヤ、大いなる光の使いとして顕現した聖女騎士カトレイヤよ」
「救国の聖女!? 魔炎の魔女カトレイヤ……っ、か。まさか、死した後に天に召し上げられていたとは」
大魔帝ケトス。
あの男にこの名は通じなかったが、人間社会で暮らす彼にはやはり通じていた。
これが今までの普通だったのに、やはりあの方と白銀の君様が高みにあり過ぎるのねと。
聖女は今の空気に似合わない微笑を零していた。
影猫魔術とこの二種結界。
神の使いカトレイヤの実力が、途方もないレベルにある者だと悟ったのだろう、影もまた姿勢を整え――息を吐いた。
互いに、間合いをはかっているのだ。
空気が――変わった。
――あまり使いたくなかったけれど、仕方ないわね。
聖女騎士も魔力波動を全開。
自らの周囲に紅き魔炎を纏いながら手を翳す。
「我が名は聖女騎士カトレイヤ、神の代行者なり!」
大魔術だと察したのだろう。
シュシュ……ッ――、ン!
影の男もまた動きを開始していた。
闇の中に身を沈め距離を取り――自らの影を魔力波動で揺らし手を翳す。
二人は同時に叫んでいた。
「申し訳ないけれど、少し痛い目を見て貰うわ!」
「申し訳ないが……、少々痛い目を見て貰おう!」
力量が近いのだろう。
術の詠唱は同時に行われた。
「怠惰なりしも偉大なる者、深淵の大神よ。慈悲深き汝の御名において――」
「怠惰なりしも慈悲深き者、深淵の大神よ。偉大なる汝の御名において――」
彼らの詠唱は酷似していた。
魔術の構成――力の源を引き出す順番こそ違うが、誰の力を借りる魔術なのかはすぐに理解できた。
……。
しばし。
戦闘中にもかかわらず、妙な沈黙が走る。
互いに大魔族の力を借りた禁術を扱おうとしている。
そこで、ちょっと二人は考える。
あれ、こいつ――あの方の関係者じゃね?
と。
しかし勘違いかもしれない。
もしそうだとしたら、相手の術に負け……目的を果たせなくなる。
ならば――使う魔術は戦闘能力を奪う邪術。
術の構成を切り替えたカトレイヤは、指を鳴らし宣言する。
「再起動魔術、影渡りの猫!」
ザザ――ッ!
カトレイヤが影渡りの猫で再び距離を離し――。
シュシュン!
影の男も、闇の中に身を沈め駆ける。
そしてやはり互いに暗闇の中から手を翳し――詠唱を開始する!
ズゴゴゴゴゴ!
『ふくよかなる御方よ。我は汝に救済されし者。その慈悲において、汝が司りし惰眠の誘いを……っ!』
完璧に、二人の詠唱は一致していた。
大魔帝の力を借りた魔術を編み出せる程の魔術使いなら、まず浮かぶ惰眠魔術。
ようは、相手を猫のように強制的に眠らせる魔術である。
考えることは一緒だったのだろう。
それはつまり――。
影と聖女。
二人はともに、互いの詠唱と魔力を引き出す力の源を確認して……目を点にしていた。
あー、こりゃ……こいつ、完全にあの方の関係者だわ――と。
互いの目を見て、頷いた。
大魔帝ケトス。
あの方の知り合いを無断で滅ぼすことなど言語道断。
絶対に攻撃してはならないと、二人が同時に詠唱を破棄しだしたことは言うまでもないだろう。
だが。
その時だった。
既に戦いの気配など消えていたのだが――。
大魔帝ケトスの力を借りた余波だろう。
展開されていた魔法陣から数匹の凶悪な魔物が、ヨイショヨイショと、その鋭い爪と肉球を覗かせ出現し始める。
「いけない! わたしたちが同時にあの方の魔術を使ったから次元が変な場所と繋がっているわ、早く魔術破棄を」
「やっている! しかし、間に合わん……奴らが、くるぞ!」
ブニャン!
魔力と食事の気配に釣られてやってきたのは様々な色をした猫魔獣。
我が物顔で神殿を徘徊し始めた猫ちゃん軍団は、ごーはーん! ごーはーん! と大騒ぎ。
彼らは大魔帝の眷属。
あの膨大なる魔力に惹かれてやってくる野良ダンジョン猫だ。
「あちゃー、間に合わなかった。また来ちゃったのね……どうもあの方の魔術を使うと闇の中からズズズって這い寄ってきちゃって……それなりに高価なご飯を与えるまで、絶対に帰らないのよね。この子たち」
「なに!? では、やはりきさまも……あの方の……って、どわぁ!?」
驚愕する影の男。
その肩に飛び乗ったのがリーダーだったのだろう。
男の頭上には一匹の黒猫がたかっていた。
リーダー黒猫はまるで大魔帝ケトスのような太々しいフォルムと顔をして。
ドヤァァァァァァ!
大魔帝本人でも分霊でもない。
ダンジョン猫たちは大魔帝ケトスを倣っているのか、ドヤる黒猫をリーダーとする傾向にあるのだ。
彼等は……大魔帝ケトスとは比較にならない程、脆弱だが――それはアレと比べるから悪いだけ。
実際はかなりの実力を持つ謎のダンジョン猫軍団。
今、この二人が力を合わせたとしても一匹退治できるかどうかという大物ネコ魔獣である。
それが群れで、集ってきている。
影男の頭の上から包帯をペシペシ叩き要求するのは――もちろん御飯。
「ええ、そうよ。わたしは大魔帝ケトス様に少しだけ御縁があった神族。どうやら貴方もその口みたいだけれど、少しは話を聞いてくれる気になったかしら?」
頭に乗った猫に貌をペチペチされながら影は言う。
「無論だ。これは失礼な事をした……その、なんだ……こいつらを返す返還魔術などは……」
「無理よ、一回試してみたら顔面に猫パンチを喰らったわよ――わたし」
勝てないと知っているから手を出せない。
けれど猫たちはご飯を求めてウニャーウニャーと瞳を輝かせる。
「っく、アイラ様はまだ清めの儀から戻られないというのに……この始末、どうしたら……」
やはり責任者は留守だったのだろう。もっとも、清く強い輝きがこの神殿内には存在しているようだが。
「その責任者の方を呼びに行くわけにはいかないの?」
「そ、それはできん! な、なにしろ……あの方はいま……その、湯浴みというか、そのなんだ、無防備な御姿で……」
――なるほど、お風呂に入っているのか……。この男、冷酷そうな割に、そういうところはウブなのね。
カトレイヤの眉がぴくんと跳ねる。
これは千載一遇のチャンスである。
「ねえ、あなたと敵対する意思が無い事の証明に。この子たち、わたしがなんとかしましょうか?」
「何か手立てがあるのか?」
「ふふ、実は今ね。天界では干していない奇跡のリンゴを用いたアップルパイが流行っているのよ、もちろん、それなりに高い品なのだけれど……丁度わたしも持ち歩いているし――どう? 無償で差し出すから、責任者の方に会わせてくれないかしら」
影の男はしばし考え、じろっと聖女を睨む。
「本当に、襲いに来たのではないのだな」
「まさか、大魔帝ケトス様の縄張りと関係者を襲うほど愚かじゃないわよ……あの人と関わったことがあるなら、分かるでしょ……?」
慈悲深い一面もあるが、その裏の中にある闇も知っている。
「ふっ……そうだな。まずは先の非礼を詫びよう、すまなかった。早速で、すまないがこの頭にたかっているデ……大きな猫へ、早急にアップルパイとやらを提供してくれんだろうか。重くて敵わん」
そーしろ! そーしろ!
よーこーせ、よーこーせ!
アップルパーイ、よこせ!
と、影の男の頭に乗っている太々しい黒猫は、自らの神に倣い偉そうに訴えていた。




