悪夢の終わり ~救済と罰~その1
聖騎士猫も帰った後の迷宮奥地。
私を殺そうと企んだ愚かな女に誘われた地からは、既に戦いの気配は無くなっていた。
玉座でドヤァァァっと踏ん反り返る私は、握った肉球をきゅっきゅとしながら周囲を見渡す。
今ここに居るのは。
麗しき謎の獣人の正体が大魔帝ケトスだと知り、感動のあまりに泣きそうな聖女騎士カトレイヤ。
そして私を助けようとした褒美で、それなりにレベルアップを果たした取り巻き達。
彼等は皆、跪いて私の動向を窺っている。
そして。
その横。
潰れかけた女神の末裔が一人。
肉球の重圧魔力の下で蠢く勇者の関係者、ダイアナ。
聖女達は動こうとしない。
無関係な人間を襲っていた女神の末裔ダイアナに何らかの同情はしても、助けようとはさすがに思っていないようである。
あくまでも今のところは――だが。
腐っていた時期があった神の眷属達も本来ならば神聖な存在。邪を見る力は備わっている筈だ。
影で、ダイアナがどんなことをしていたのかは、まあだいたい想像がついているのだろう。
神の名の下で行われた、人間界への不必要な干渉。
略奪や接収、そして虐殺。
勇者再臨のために暗躍していた彼女の裏。
猫の魔眼をギラーン! と輝かせた私は、潰れかける女神の末裔をじぃぃぃぃっと見る。
過去視の魔術。
今まで行われただろうダイアナの凶行を、少しだけ覗いているのだ。
過去視に映っているのは……やはり惨憺たるものだった。
私も人間は嫌いだが――。
正直、これはただの虐殺だ。
これじゃあ神への信仰心もなくなるよね、人間。
神族はわりと人間に辛辣だ。
彼等にとって人は道具、信仰を運んでくるだけのミツバチのようなもの。
戯れに愛したり愛でることはあっても、あくまでも余興。
言い方は悪いが、人間の中にも存在する極一部の逸脱した強者、彼等を除いては家畜のような存在と認識しているのだろう。
それが元勇者の関係者。
世界の維持を何よりも優先する思考を持つダイアナなら尚更。
おそらく。
魔族でさえも目を背けたくなるような事さえ、人間相手に行ってきたのだろうが……。
ともあれ。
私の美しさに感涙しかけている聖女騎士カトレイヤ君は、大丈夫そうだけど。
他の人は、ちょっと危ないな。
急に正義を思い出したからなあ。
その反動も結構大きいだろう。
ダイアナくんを助けようなんて考えだされても面倒なんだけど。
さっきの過去視の映像を見せつけてこの者に助ける価値などないと教えてやるのが一番楽なのだが――それは止めておこう。
無残に殺された人間の尊厳を、これ以上穢してしまうのは避けたい。
後で浄化にいってやるとして。
さて。
私はちょっと真面目な貌で取り巻きくん達をチラリ。
『一応忠告をしておくよ。変な勘違いをして助けようなどとは思わない事だ』
念のため。
バカなことは考えるなよと言ってやるのである。
攻撃されたら自動反撃でやっちゃう気がするんだよね……。
混沌の魔力を展開させ、コホンと咳払い。
ちょっと威厳を出してみる。
憎悪の魔性としての本体。
かつて勇者を噛み殺した姿を彷彿とさせる貌に、表情を変化させたのだ。
玉座の高みから、超カッコウイイ決め顔の私は告げる。
『この者は我の縄張りを荒らした。我が目にかけ、我が厳かなる安寧を得られる聖域を――この者は潰した。異教徒だからと蹂躙し、略奪をし――本来ならば人間では太刀打ちできない程の聖獣を放ち、虐殺しようとした。なによりも許せんのは……我のマイ座布団……ではなく、無関係な民間人、邪気なく生きる無辜の人間に怪我をさせた事だ。――それはさすがに、海よりも山よりも丸々一枚のピザよりも広い我の心とて、許容できん。大罪である。我の許容を超える罪であるのだからな』
取り巻きの一人が呟いた。
「大魔帝が……人間を憂う、というのですか」
『ほぅ? どういう意味だ』
蛇に睨まれたカエルの表情で、全身にびっしり汗を流しながら取り巻きの一人は恐る恐る答えた。
「い、いえ……っ、大魔族のあなた様が、なぜ、かつて敵対していた人間をそれほど気に……かけて、いたのか……そのぅ……」
神酒とブドウと、リアル育成ゲーム。
あとはぐっすりポカポカ安眠空間が気に入っていた。
なーんて言えないから、とりあえずそれっぽい事を言おう。
『そなた達とて、殺されそうになっていた我を助けようとしたではないか。まあ全くの無駄であったが、その心はけして無駄ではなかったはず。それと同じ事。そうしたいと思ったからそうしただけ、ただそれだけの話』
憎悪の魔力が駆け巡る中、私は穏やかに続けた。
『だからこれも我の身勝手な慈悲である。さきほどの、弱き衣を纏いし我を救おうとしたように、この者を助けようなどと間違いを企てた果て……我の意思なき反撃で行われる殺戮など、我は見たくないのだ。汝らを失いたくないのだ。先ほどに見せた汝らの心、その献身――我は気に入った。汝らならばあの日の我を、光に手を伸ばしていた我を、救っていたのかもしれないのだからな――』
過去を偲び。
天を仰ぎ見て、私は続ける。
『いや、過ぎ去った感傷を想うのは詮無き事か。消費期限の切れたお菓子はもう諦めよ、そんな貌をして泣くでない、過去ばかりを見るな、前を見て歩めと魔王様も語っておったしな……。ともあれ神の僕たちよ、我が授けた力、驕ることなく弱者を守るために使われると信じておるぞ』
言って、神様っぽく厳かに見下ろし。
ドヤァァァァァアアアア!
おー! なんか超それっぽい!
一応、納得して貰えたようである。
いやあ、取り巻きくん達が大人しくなってくれた良かった。
それでもダイアナくんの事が仲間だからと、こっちに襲い掛かってきたらどうしようかとちょっと心配だったんだけど、そういうのがなくてよかった。
ま、さすがに私を敵にする意味を知らないわけではなかったのかな。
今回の私は、あくまでも善意で神に協力しているのだ。
気まぐれで行動を変えてしまう可能性だってある。
わざわざ虎の尾を踏むような事をするつもりもないのだろう。
ぶにゃーんと私はいつもの猫ちゃん顔に戻って。
潰れかけたカエルこと、女神の末裔ダイアナに目線も戻す。
『さてと、じゃあ君をどうするかだけど――答えは決まっているんだけれどね。その手段が問題なんだ。何かリクエストはあるかい?』
あれ。
聞こえないのかな?
『おーい、聞こえているんだろう? 大魔帝相手にこれほど心を煩わせてくれたんだ、死に方ぐらい選ばせてあげようって言ってるんだけど……! これ、大魔帝の慈悲なんですけどー!』
んーむ、直接的な反応はない。
肉球から生み出された魔力の重圧。
その圧倒的な力の差に、女神の末裔ダイアナの全身は押し潰されている。
そんな彼女はただ歯を食いしばって私をギロリ。
ギギギと歯の隙間から血を零してるし。
憎悪する眼が私を睨んでいるし。
うわぁ。
けっこう、こわいかも。
たぶん、転生前のホラー映画でこういうの見たよ。
それほどに、私が憎いのだろう。
言葉を吐くのはもはや苦痛の筈なのに、女の唇は憎悪を告げようと蠢き続けていた。
「勇者さま……の仇っ、憎き黒猫、全ての命から愛されるべき勇者様の命をうばった、魔族ぅ……っ! わたくしは……っ、わたくしはこの手で……あなたの、仇をっ」
『君程度の光じゃ私には届かないよ』
無駄だと分からせてやるためにも、私はお手々を翳して肉球をペチン。
更なる重圧が女の肌を蝕んでいく。
「この……程度で、わたくしの……心は!」
『おや、頑張るね』
潰されていく女の指が、地を掻きむしる。
ジャラリ、ジャラリ……。
美すらも武器にする筈の女の装飾品が、滑稽な音を鳴らす。
それでも折れた槍を掴もうと――女は腕を伸ばす。
憎悪で力を増したのだろう。
重圧に耐えながらも折れた槍を掴んで、女は私の玉座の前までやってきた。
「大魔帝、ケトスッ……どーして、どぉぉして、勇者様を、あの方を殺した!」
このまま潰してもいいかと肉球圧力を放っていたのだが――。
なかなかどうして強靭な魂である。
その勇気と土壇場で見せた成長に免じて、私は答えてやった。
『だから言っただろう。あの者は忌まわしきこの世界に疲れ切っていた。アレが魔王様の許を訪れたのも……滅びるため。魔王様との戦いの後、私を含む力ある魔帝、我等かつての魔王様直属の腹心に挑みかかってきたのは――元の世界に帰るため。殺されるためさ――』
「殺される、ため、ですって?」
『そうだよ――私はただ、魔王様の命に従いあの者の願いを叶えただけ。死んで滅んで、世界の呪いから解放されてあるべき故郷に魂を戻し……安寧を得たい。それが勇者の望みであり、魔王様の心を動かした真なる願い。魔王様は、勇者の魂を救いたかった――我らはそれに協力をした。そう、それだけの話さ。私はあの日、もっとも尊き光を失いかけたのに……逆恨みされても、困るね』
まったく、いい迷惑だよ――と私は猫のため息。
それでもあの者に浮かべてしまう憐憫があるのは、やはり同類、だからだろう。
強制的にこの地に呼ばれ、好き勝手に運命を狂わされた勇者。
その境遇には、私にも思う所があるのだ。
私とて――。
おそらくは……似たようなモノだったのだろうから。
「なにを、いっているのよ……っ、勇者様が、元の世界に帰るわけ、ないでしょう? だって、勇者様、帰れなくてもいい、わたくしたちがいるのなら、それでいいって、言ってくれたんですもの」
血走らせた瞳を見開いて、壊れた女は立てた槍で地を這いながら。
繰り返し、ふふ、そうでしょう? と言い続ける。
まるで自分にも暗示をかけるように。
過去を懐かしむように瞳を濡らして、私ではなく、遠くを見ながら女は血反吐を漏らす。
「そうよ。あなたほどの存在を生贄すれば、勇者様は戻ってきてくれる。わたくしを置いて行ってしまった事を謝ってくれる、ええ、そうよ。あなたさえ倒せば――全部、うまくいくの。ねえ、そうでしょう?」
ん? なんか話がちょっと噛み合ってないような気が。
あ―……。
『そういえば君――さっきもまた記憶を自分で弄ったんだっけ。都合よく、書き換えちゃったのかな――嫌な事、都合の悪い事を全部忘れて、さぞや生きやすい人生なのだろうね』
瞳を細めて、私は冷淡に告げる。
けれど。
本当に、勇者を愛していたのだろう。
自らを卑怯者に落とし、その帰路を断ってしまうほどに――。
天に召し上げられても尚、勇者復活のために影で動き続けていたほどに……。
もし私が逆の立場だったら。
魔王様が御眠りではなく、滅んでしまっていたのなら。似た行動をしていたのではないか、そう思ってしまうのだ。
だから同情してしまう。
けれど許すわけにはいかない。
この女は、無関係な民間人や女子供を傷つけていたのだから。
『君を壊す前に確認したいんだけど、いいかな? 色々と知りたいことがあるんだ』
「ふふ、あはははは! このわたくしが、仇であるあなたなんかに、こたえるわけ、ないでしょう? 死んだって、拷問されたって言いやしないわ」
カトレイヤくんと取り巻き達の気配が少しだけ変化する。
物騒な言葉に反応したのだろう。
いやいやいや。
私、そういう趣味ないし……。
拷問とか、そういうのイイ子の猫ちゃんの教育に悪いし……。
だから私は単純な解決策を選ぶことにした。
冒険者リュックから、準備してきたアイテムを出すことにしたのである。
『大丈夫、問いかけるだけで勝手に答えてくれるさ』
言って。
私は魔狐フォックスエイルから貰った魅了の香水をサラサラサラ。
蜂蜜とバターを塗りたくったパンケーキよりも甘い香りが、女の鼻腔を擽っている筈だ。
私には何の効果もないから問題ないけど、他の人にかからないように結界で遮断して――と。
これで安心だろう。
「なにをされたって……時間の無駄よ……殺しなさい」
『何もしやしないさ、ただ答えて貰うだけ。そうして知っていることを話してくれたら、そのまま穏やかに眠らせてあげるよ。永遠にね』
「わたくしは……ほんとうに、むだ……な……のに……」
ダイアナの瞳が虚ろとなっていく。
これで自白剤のような効果を得られるだろう。
まあこれを使わずに魔術で心を読んでもいいのだが。
正直。
もう狂って、どこかが壊れちゃってる人の心なんて覗きたくないんだよね……。