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聖女が見た領域その3 【SIDE:聖女騎士カトレイヤ】



【SIDE:聖女騎士カトレイヤ】



 カトレイヤは全神経を、戦いを見守る事に集中させていた――。


 再び開始された戦乙女の猛攻撃。


 シュン!

 キィィン!

 ザシュゥゥゥゥゥウウウ――ッ!


 神速ともいえる槍の連撃を避けながら、男は欠伸をして見せた。

 全てが男の手のひらの上。

 女神の末裔ダイアナは、このままでは埒が明かないと判断したのだろう。

 槍を構える動作をそのままに一瞬、後退。


「まさか、女神の末裔たるわたくしがこの技を見せることになるとは――っ」

『おや、奥義とか隠しスキルとか。そういう必殺必勝な類の技を見せてくれるのかな? へえ、それはちょっと興味あるね』


 モフ耳とモフ尾をぶわっと膨らませて男は告げる。

 女はそんな男のモフ耳を切り落とそうとする程の眼光で睨み――、告げ返した。


「よくここまでやったものですと、褒めて差し上げますわ。けれど、あなた。すこし調子に乗り過ぎたわ」

『あー、そういうのはもういいからさ。ねえねえ、早く見せてよ?』


 揶揄うような言葉を受け流し、女神の後光を背に纏い女は呼吸を整える。

 準備が整ったのか。

 勝利を確信した笑みを浮かべた女は、軽薄そうな唇を上下させた。


「神力――解放!」


 闘志に魔力と神の祝福を乗せて――。

 ギン!

 目を見開き、女は跳躍していた。


「奥義、山茶花サザンカ閃光撃! あはははは、これで――っ、終わりですわ!」


 女の魔力が膨れ上がり、三つに割れて槍から放出。

 まるで植物が種子を飛ばすように――三方向から、次々と魔力の閃光が男に向かい放たれる。

 魔力を弾丸として撃ち出す魔弾の射手に似ているか。

 魔力の種子の一粒一粒が、山をも削る程の威力なのだろう。

 しかし。

 全てが迷宮の壁に這う影猫に呑み込まれていく。

 ……いや。

 ただジャレつくための玩具として、ペシペシ、うにゃうにゃ。

 はたき落とされていた。


 ぺちぺちぺち、と。

 間抜けな音が、迷宮内に展開された結界の中で木霊する。


「影猫……に妨害された! 全て計算に入れて――そんな、ソレは回避だけに使う術ではなかったの!?」

『いや、これはこの子たちが勝手に……ジャレ。まあいいや。それよりも――君の技はどこかで』


 女が使って見せた技には見覚えがあったのか。

 一瞬、男は眉を跳ねさせてみせたが――その技の練度に失望したのだろう。

 あからさまに肩を落とし。

 つまらなそうに。

 飛んでくる閃光の一房を指ではじきながら、彼は言った。


『なるほど――勇者の技の亜種か。練達には程遠い。あの者が見せた山茶花にはもっと気迫があったんだけどね。それに比べて君の山茶花は、力も魔力もカトンボ程度のそよ風……ガッカリだよ、これじゃあただのお遊戯じゃないか』

「……っ、どうして勇者様の技だと……知って」


『さあ――どうしてだろうか』

「あなた……いったい、何者なの――?」


 女の問いかけに、男はまともに応じなかった。

 ただ口角をつり上げて。


『さあ、誰なんだろうね』


 膨らんでいく男の影。

 這い回る猫の影が次第に、女の身体を覆っていく。

 影は巨大で太々しい黒猫の影を作り出し、女の喉笛を噛み切らんばかりの勢いで跳ねまわっていた。


「……っ!」


 女は周囲を取り囲む影に気が付いた。

 猫だ。

 黒い影猫だ。

 必勝の奥義をジャレて弾き落とすほどに力を持った、魔物だ。


 蠢き徘徊する影猫の群れ。

 にゃーん。にゃーん。にゃーん。

 響く声は一見すると愛らしい。壁に浮かぶシルエットもよほどの猫嫌いでもない限り、微笑ましい猫の遊戯に見えるだろう。

 だが、この猫たちが悍ましいほどの魔力を秘めた闇だったとしたらどうだろう。

 ここは彼らの狩り場。

 彼らの遊技場。


 もし――この影に実体があったのなら。

 もはやその時点で女の首は胴体から切り離されていたのだろう。


 影に包まれた女は、ごくりとその白い喉をならした。

 息を呑んだのだ。

 シャランと、輝く装飾品の数々が音を鳴らす。

 そこでようやく彼女も気が付いたのだろう。

 自身が気圧されて、後ずさっていたのだ――と。


 ダイアナの瞳孔が、揺らぐ。

 心も揺らいでいるのだろう。

 そんな女の心を更に嬲るように、男は掠れた甘い声で囁いていた。


『それで、これだけかい?』

「逃げるだけしか能のないくせに! その生意気がどこまで続くか……っ、後悔するといいですわ!」


 挑発につられてダイアナは再び槍撃を繰り出し始める。

 魔力を高める女の槍の一閃は、更に強度と速度を増していく。

 けれど。

 やはり――届かない。

 食いしばる歯はガタガタと鳴りだし、血走る目はもはや自棄になっているようにさえ見える。

 男の強大さに明らかに動揺しているのだ。


「どうして……っ、どうして当たらないのよ! わたくしは、槍の女神の血を受け継いだ戦士なのよ! それが、なんで! どうして、こんな野良猫一匹に……っ!」

『はははは。強化魔術で増強されているとはいえ――君、思ったよりもやるじゃないか。さっきの技はお粗末だったけれど、槍の腕だけなら二流にはなるんじゃないかな?』


 二人の攻防は続く。

 遊戯は続く。

 男は、女の技を学習し――何か良い点があれば取り入れようと観察しているのだ。

 いままでもこうして敵対した相手の技を盗んでいたのだろう。

 猫が気に入ったモノを、そっと盗ってしまうように。

 男は相手の技を盗み見る。

 それもまた、この男に秘められた強さの一つか。


 ◇


 ――まるで猫の好奇心ね。


 戦いの行く末を見守っていた聖女騎士カトレイヤは、眉間に刻まれた皺を意識し――息を吐いた。

 もはや終わりが近い事を悟っていた。

 彼女には見えていたのだ。


 さきほどダイアナが見せた技は必殺必勝の秘奥義。

 地上に徘徊し悪逆の限りを尽くす魔竜を、一撃で屠った事もある程の大技。

 勇者から譲り受けたという奥義を彼女なりに発展させた、槍の武芸の中では頂点に立つほどのスキルだったのだ。

 それをあれほど容易く――。

 聖女カトレイヤもまた、ごくりと生唾を飲み込んでいた。


 高揚で紅く染まっていく瞳は、二人の攻防を眺めている。

 達人と、達人の域を遥かに超えた魔との戦いを目に焼き付ける。

 この強さを学びたい。

 そして、もっと成長したい。

 もっと強くなりたい。

 成長して、人々を救いたい。

 あの黒猫様のように、絶望の淵の中で伸ばした手を――肉球で拾い上げてくれたあの方のように。


 飄々とした男の見せる底知らぬ力と闇に、聖女の肌はピリピリと揺れている。

 肌に滴る汗を拭いながら聖女は考えた。


 ――あれは、なに? いえ、正体は知っている。おそらく間違いなく本物だわ。けれど――この懐かしい感覚は……何なのかしら。わたしは彼を、知っている? いえ、これほどの存在ならば――忘れるはずないわ、じゃあ、いったい……。


 あと少しで答えが見つかりそうなのに。

 彼女は視界の端に、見つけてはいけないモノを見つけてしまった。


 取り巻き達が心配そうに男の美貌を眺めているのだ。

 悪い癖だと思いながらも親指の爪を噛み、カトレイヤは自分に付き従ってくれる取り巻きに目をやる。


 ――まずいわね。この子たち、今にも助けに行ってしまいそう。


 あまりにも次元が違い過ぎるせいか。

 どちらか優勢なのか、分からないのだろう。

 やはり。

 取り巻き達は目を合わせ。

 心配そうに獣人魔族へと目線を戻し呟いた。


「カトレイヤ様! た、助けに行きましょうよ!?」

「あのままじゃヤバイっすよ!」


 助けたいと、彼女たちは言う。


 一度魅了された。

 それもあるだろう。

 あの男は酷く蠱惑的だった。

 他者を惹きつける妖しい引力を持っていた。

 だが実際は、それだけが理由ではないだろうとカトレイヤには思えていた。


 悪心増長状態の自分たちを思い返し、恥じた彼女たちは反省しているのではないだろうか。

 カトレイヤ自身を含め、いままでの神族は驕り高ぶり――腐っていた。

 神の名に溺れ、信仰と信頼を得る努力を怠っていた。

 それがあの罠によって浮き彫りになったのだ。

 腐っていたと自覚が芽生えていたのである。


 だから、助けられる者を助けたい。

 力及ばずとも、尽力したい。


 それは実に、心清らかな行動理念だ。

 自分の心の変化を感じていた聖女カトレイヤは、彼女たちの心の変化も嬉しく思えていた。

 自分も変わった様に、彼らも心のどこかを成長させていたと実感したからだ。

 けれど。

 これはそれとはまた別の話。

 カトレイヤは冷めた口調で応じていた。


「どちらを助けるの?」


 仲間としてダイアナを助ける、その選択も確かにある。

 けれどおそらく、自分たちが出ていったら戦いの余韻のままにその首は刎ねられる。

 殺意なく、ただ息をするように――反射行動としての死が齎されるのだろう。

 破滅の未来は見えていた。

 だからこそ、あの男は忠告したのだろう。

 仲間を死なせたくなかったら、頼んだよ――と。


 取り巻き達は、怪訝な顔を浮かべて問いかえす。


「え? そりゃ、あの獣人さんに決まっているじゃありませんか。最初はなんとか不意打ちの影猫魔術で防いだみたいですけど、これからは――……」

再起動エコーって魔術? も凄かったですけれど、防戦一方じゃないですか。たぶん、あの人。攻撃手段がないんじゃないですか?」


 違う。

 聖女は考える。


 反撃したら――その瞬間に全てが終わるからだ。

 あまりにも強大すぎるから、どの程度の加減をしたら殺さずに反撃できるか、分からないのだろう。

 彼に言わせればムシケラ。

 路上の蟻一匹を殺すために、街一つを滅ぼすほどの大洪水を起こすような事を、したくないのではないだろうか。

 だから何も返さない。

 それに。

 彼はきっと、あの神殿の復讐を目論んでいる。

 もっと彼女を惨めに苦しめさせてから、消すつもりなのだろう。

 一瞬で終わってしまったら、罰にならない。

 それを説明したところで、おそらく気が狂ったと思われるのがオチか。


 ――考えなさい、考えなさい。カトレイヤ。どうすれば未来が変わるかを。


 聖女騎士カトレイヤ。

 大魔帝ケトスの試練を乗り越え成長した娘。

 彼女の思考は現実を置いて加速していく。


 まるで時間から取り残されてしまったように――取り巻き達の動きが鈍くなっていく。

 全てが遅く見えた。

 あの男以外の全てが――止まってすら見える。

 聖女は思考の渦に飲まれていたのだ。


 彼女にだけは見えていた。

 さきほども未来を予知したように。

 正義に燃える取り巻きたちが、善意で助けに向かったとしても――その首は反射的に刎ねられてしまうのだと。

 カトレイヤだけには、その領域が見えていたのだ。

 遥か高みの領域で蠢き遊ぶ者。

 その猫のようなきまぐれな心と動向が。

 ……。

 カトレイヤの瞳がちょっとジト目になる。

 あの男。

 誰も見えていないのをいい事に、何かを超神速で貪っている。

 戦闘中にもかかわらず――パンのような何かをムシャムシャぱくぱくしているが。


 ともあれ、加速する思考に身を任せる彼女には見えていた。


 しかし考えれば考える程、身体が震えていく。


 彼は優しく飄々としているが――けして善人ではないのだ。

 一歩手順を間違えれば。

 少し答えを間違えてしまうだけで、その場で世界を滅ぼしてしまうほどの――大いなる闇。


 成長した彼女には様々な可能性が見えていた。

 あり得るかもしれない次の瞬間。

 可能性という名の未来、そして――本来なら見る事の出来ない過去が――見えていた。

 聖女としての特殊能力だ。

 神の力を借りた神託、あり得ない領域を知る力がアレを恐れて敬っている。


 本来なら、アレはもう何度も世界を滅亡させかけているのだ。

 それを誰かが、未来を変えて防いでいる。


 誰かは知らない。

 おそらく一人じゃない。

 組織も思想も違う。

 複数の者が、滅びを察知する度に道を逸らしている。

 本人も意識して滅びの道を回避している。

 けれど、やはり。

 一歩、道を踏み外すだけで。

 あの男は――世界を滅ぼしてしまうのだ。


 この世界に招かれ受けた憎悪。

 アレは復讐を遂げようと、嘆き、今でも憎悪を解放しようと爪を研いでいるのだ。

 それをただ堪えているだけ。

 滾り燃える憎悪を食欲に変換して、戯れの余興で心を誤魔化して――滅ぼさないようにしているだけ。


 今も、きっかけさえあれば。

 世界はすぐにでも滅ぼされるのだろう。


 この世界は力ある者たちの綱渡りで、なんとか存続しているだけに過ぎないのかもしれない。

 そして、この闇を呼び込んでしまったのは――他でもない。

 この世界の住人だ。

 恐らく彼は、この男は――勇者となるべく召喚される途中で儀式に失敗、世界の隙間に取り残された者。


 主神であり世界の柱。

 大いなる光でさえも浄化に失敗した怨嗟の塊。


 ブレイヴソウルの一欠けら。


 その取り残された魂の一人が、何をきっかけとしたのか。

 一匹の、ただの猫として生まれ変わり――。

 そして。

 ……。

 それ以上は、読めなかった。


 一瞬だけ彼女を振り返ったあの男が、真実を読み解く力を妨害したのだろう。

 我の深淵をあまり覗くな――と。

 チーズの破片を口の端から、零しながら……。


 おそらく、それは誰も知らない大魔帝の秘密。

 彼自身も知らない、この世界の秘密。

 もっと先を読むことが出来れば、世界の何かは変わったのか知れない。

 けれど。

 カトレイヤはほっとしていた。

 妨害されて安堵していた。


 もしその先を見ていたら――自分の魂も闇に抱かれて取り込まれてしまう。

 久遠の闇に沈んでしまっていただろう。

 そんな直感が過っていたからだ。


 聖女は頭を切り替え――取り巻き達を守る術を考え始めた。



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