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聖女が見た領域その2 【SIDE:聖女騎士カトレイヤ】



【SIDE:聖女騎士カトレイヤ】



 第三領域で展開される神に等しき存在の戦い。

 いや。

 これを戦いと称するには語弊が生じるか。

 猫が殺す前の獲物を弄ぶかのような戯れを止めるべく、彼女は動いていた。


「ダイアナさん! もうお止めなさい! それ以上やったら、死んでしまうわ!」


 聖女は思わずあの無謀な女を止めていたのだ。


 このままでは、確実に消される。

 大魔帝ケトスの闇に包まれ、その罪の代償として塵すらも残さず魂を粉砕される。

 それを、止めたい。

 勇者に固執する戦乙女。

 愛するがゆえに狂ってしまった女神の末裔。

 ダイアナ。

 まだ彼女にも更正の芽が残されている。

 聖女は騎士として、神に仕える眷族として――聖女騎士カトレイヤとして、そう思ってしまったのである。


「あら?」


 槍撃を放つ手を止めて――。

 戦乙女ダイアナは聖女を振り向いた――。

 キョトンとした顔をして見せる。


「あなたは――えーと……、まあ名前なんてどうでもいいですわね。どうして、ここに――」

「そんな事はどうだっていいでしょう! あなたほどの達人が、実力の差も分からないの!? 死にたくなかったら早く槍を収めなさい!」


 こんな女、助ける価値はない。

 それは分かっている。けれど仲間だ。どんなに非道な行いをしていたとしても、仲間なのだ。

 カトレイヤの叫びは真実の叫びだった。


 けれど、相手に伝わるかどうかはまた別の話。

 女神の末裔は白い肌の目立つ美貌に疑問を浮かべて、首を傾げる。


「死にたくなかったら?」

「ええ、そうよ。その人は恐ろしいだけの人じゃない。話せば分かってくれる人だと、わたしはそう信じている。今ならまだ、許してもらえるかもしれないわ!」


 あの男――。

 大魔帝ケトスは、聖女の評価に眉を下げて見せるのみ。

 もはや、ダイアナの更正を諦めているのだろう。


 ――腐っていたわたしを嗜め、試練を与えたような慈悲は――もう、ないというの?


 ぐっと唇を噛むカトレイヤに、何も知らないダイアナは言う。


「変な事を仰いますわね――わたくしの方が誰の目から見ても明らかに強いのに……」


「もっと目を凝らして、現実を見なさい!」

「ああ、殺したくなかったらと言い間違え……ですわね。大丈夫、分かっておりますわ。実力の差があって可哀そうな事も重々承知の上、けれど仕方ないでしょう? この人が、弱いくせにわたくしに逆らうんですもの」


 それは――普段ならば強者にだけ許された余裕の言葉だったのだろう。

 けれど、今は違う。

 今の弱者は――戦乙女、槍戦士ダイアナ。

 彼女の方なのだ。


 どうして、気付かない。

 あれほどの憎悪と混沌。

 世界全ての憎しみを猫の器に閉じ込めたような、世界そのものを相手にするような特大の闇に、どうして誰も気付かない。


 聖女は叫んでいた。

 ――これほど膨大な常闇が。


「どうして分からないのよ!」

「おかしな方。まあいいです。そこで見ているといいですわ。神に逆らった愚か者の末路を――わたくしの槍が、愚者の首を刈るその瞬間を」


 聖女騎士カトレイヤには理解できなかった。

 どうして彼女が自分の言葉を理解できないか、理解できないのだ。


 ――なんで、分からないの? ダイアナさんには見えていない? あんなに大きな、あんなに膨大な憎悪の魔力を前にして、どうして気付かずにいられるの?


 聖女には本当に、理解ができなかった。


 もはやそれほどに、聖女と戦乙女の格は違っていた。

 大魔帝ケトスの試練。

 その合格で得た力はけしてやすいものではない。


 高みを覗く権利を彼女は既に有していたのだ。

 最強には程遠い。

 あの領域にはけして届かない有象無象の一人。

 けれど。

 あの高みへと昇るための、永遠に続く階段の最初の段階に――彼女は入ることが許されていたのだ。大魔帝ケトスの力の一端を見るための、最低限の力を手に入れていた聖女には見えていたのだ。


 絶対に届かない深淵を。

 相手は敵う筈のない、届くはずのない混沌なのだと。

 例えるのなら、そう――大いなる闇のような存在なのだと。


 そんな彼女の耳にだけ、あの男の声が響いた。


『悪いねカトレイヤくん。君は君のお仲間たちが無茶をしないように見守っていてくれ、悪いけれどこれでも一応戦闘の最中なんだ。うっかり間に入られると、反射的にやっちゃうかもしれないし。そうなったら私も気分が悪い。まあ、もし殺しちゃっても私の責任じゃないから構わないけれど、仲間を死なせたくなかったら頼んだよ』


 メッセージ魔術。

 他者に聞かれたくない会話を、一方的に相手先へと送り付ける失われつつある魔術の一種である。

 失われかけている理由は単純。

 この魔術を習得するのに、非常に複雑な条件が要求されるのだ。

 神界と呼ばれる天界でも、これを使える者はごく一握り。

 それをいとも容易く。

 ますます、カトレイヤは緊張で息を呑んでしまった。


 戦いは再開された。


 男と女。

 二人は戦いの中で言葉を交わす。

 自己強化の魔術を繰り返し続けるダイアナが、獲物を狩るハンターの貌で、男に向かい挑発の言葉を投げつけた。


「猫獣人如きが、いつまで避けていられるのかしらね!」

『筋力増強に、加速魔術。へえ、これが勇者も使っていた古代魔術か、竜族の扱う魔術系統に似ているね。ふーん、そういう構成になっているんだ。悪くないねえ』


 男は戦いながら相手の魔術構成を読み解いているのだろう。

 猫目石のように尖る瞳の輝きに、膨大な量の魔術情報が刻まれていく。

 カトレイヤにはその魔術把握の過程が見えていたが、ダイアナには見えていなかったのだろう。


「ふふ、みっともない。そういう駆け引きはおよしになってくださいな」

『駆け引き?』


「そう。格下の相手が格上相手から逃げるには、相手を警戒させるのが定石。あなたがいまなさっている事ですわ」


 フンと小馬鹿にした笑みを浮かべた戦乙女は、槍に神酒を纏わせ。

 更に自己強化。

 二又の先端に魔力を這わせて、呻る。


「魔術を暴いたと嘘をつき――わたくしの警戒と注意を引こうとしているのでしょうけれど、お見通し。あなた如きに、あの方の強化魔術は読み解けませんわ」


 対する獣人紳士は、はぁ……と落胆を隠さず眉を下げる。


『まあ信じて貰わなくてもいいけれどね。それにしても、女神の末裔といっても所詮はその程度なんだね、ちょっと期待外れだよ。そんなにブンブン振り回しているのに、まだ私にてられないのかい?』

「そんな戯言を放っている余裕なんて、あるのかし――ら!」


 高らかに叫んだ女は槍を回転させ、女豹を想わせるしなやかな動きで跳躍。


「逃がしませんわ!」


 振動波を生み出しながら、距離を詰め。

 刃が――男を裂く。

 それをやはり男は紙一重で避けるが。


 ザシュゥゥゥゥゥゥゥウウウ――ッ!


 男の影が、切り裂かれるように揺れていた。


 戦乙女の二又の槍が、男の影を突き刺していたのだ。

 槍自体にも何らかの魔術が施されていたのか。

 影を魔力発生の軸として、空間座標の認識を阻害。

 影の主に直接攻撃をする攻撃魔術だったのだろう。


『へぇ……そういう魔術か。影を縫い呪縛するなんて古典的な魔術、久しぶりに見たよ』

「これでもう、あなたは動けない。終わりですわね」


『さて、どうだろうか』


 だが。

 男は影を刺されたままニヒィと、口角を猫のようにつり上げる。

 パチリ!

 翳した指を鳴らし。


『魔力――再動、影渡りの猫(キャット・ブリンガー)!』


 宣言がそのまま魔術となって発動する。

 ウニャニャニャニャ!

 影が猫の形を取って、再び壁を這い回る。

 意思を持つ猫となった男の影が、槍の呪縛から逃げ出したのだ。


 ――うまい!

 聖女カトレイヤは思わず拳を握っていた。

 観戦していた取り巻きが、怪訝そうに眉を顰める。


「え? どうやって……あの人は、詠唱もなしにあんな高度な魔術を発動させたのでしょうか」

「詠唱もコストも必要としない魔術スキル、再起動エコーよ。一定期間以内に使用した直前の魔術を瞬時に再度発動させる、最上位の反響魔術。わたしも理論だけは知っていたけれど、白銀様以外にも使い手が実在したなんてね」


 その言葉で、どれほど便利な魔術スキルなのか理解したのだろう。

 取り巻き達も、ごくりと息を呑む。


「じゃ、じゃああの獣人さん。まさか白銀様のお弟子さんとかなんでしょうか?」

「さあ、そこまでは――けれど、ただ者じゃないわよ」


 頬から滴る汗が、首筋を伝うのが分かった。

 彼女の中の魔炎が、高揚に反応し昂っていく。

 汗が、蒸発していく。

 カトレイヤには今のスキルがどれほど先にある技術なのか、見えていた。

 だから、心も昂っていく。

 戦士としての彼女が、今ここにはいた。

 もっと見たいと、そう思ってしまったのだ。

 そしてダイアナも、その恐ろしさにすこしずつ気付き始めたか。

 明らかに、顔色が変わり始めていた。


「……ッ! わたくしの魔力を跳ねのけたですって?」

『おや、どうしたんだい? 震えているよ?』


 男の低音は、女の怯えを煽るように空気を揺さぶっていた。

 酷く、蠱惑的な声だった。

 神に仕えし神話を謡う詩人とて、これほどの美声は出せないだろう。

 思わず、全てを忘れて――情に溺れて、枝垂れかかってしまいそうになる魅惑の声。


 聖女カトレイヤの目には男の手にする魔道具が見えていた。

 赤いスティック状のアイテム。

 液状ちゅ~……それ以上は異界の言語なので読み取れなかったが、何かどうしようもないほどに他者を惹きつける、香料のような道具を手にしていたようである。

 男は神速でそれをチューチュー、吸っていた。

 ……。

 ネコちゃんのおやつと書かれている気がするが――カトレイヤは思った。

 大魔帝たるこの男が、こんな戯れをするはずがない。何か大きな意味があるはずだと。


 聖女は考えた。

 魔炎を滾らせながらも、冷静さを保ちながら思考する。


 ――考えなさい、考えなさいカトレイヤ。相手は大魔帝、主神、大いなる光様に匹敵するほどの大いなる闇。この行動にも必ず深い意味があるはず……っ。けれど、どう見ても、ただオヤツを食べているようにしか見えない!?


 まったく、男の行動が読めなかった。

 意図が分からなかった。

 だからこそ、恐ろしかった。

 それは直接対峙する女神の末裔ダイアナとて同じだったのだろう。


『降参するかい? 今なら、君のために声を上げた勇気ある信徒に免じて見逃してあげてもいいけれど。そろそろ気付いたんだろう? 君の槍は届かないってさ』


「誰が……っ――、いえ、そうですわね。あなたが逃げる力もないタダの雑魚ではないとは理解しました。けれど、ただそれだけのお話。脱兎のごとく逃げるだけでは、いつかは捕まりますわよ?」

『そうかい。残念だ』


 男はただ悠然と佇んだまま女と対峙する。

 揶揄うように逃げる猫の影だけが、周囲を走り続けていた。


『これで影を狙う君の作戦は無駄になった。さあ、次は何を見せてくれるのかな? いいよ、君の魔術には研究する価値がある。もっと見てから殺してあげるから、早く見せてくれないかな?』

「調子に乗らないでくださいまし! たかが一度、わたくしの技から逃げた程度で!」


 焦りを隠すような叫び声。

 叫ばずに、いられなくなっているのだろう。

 けれど。

 もはや繰り出される技も単調なモノとなり始めていた。

 掴む槍からも、余裕が消えていく。


 次第に、広がっていく停滞感。

 既に、男の瞳からは興味が薄れていた。


 ここまでね――と。

 聖女カトレイヤは心の中で呟いた。

 強者の戯れで維持されていた戦いとは言えない戦いも、終わりを迎えようとしていたからだ。



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