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絶望的な差 ~聖女だけが届く領域~後編



 女神の末裔ダイアナの眷属に急襲された地。

 黒の女神像を神と崇める神殿――私もよく知る場所の一つ。

 私は襲われたあの地を、遠見の魔術で観察していた。


 心に少しだけ、焦燥が走る。

 脆弱なる人間の安否に、なぜ心をザワつかせる?

 魔猫としての私は考える。

 奴らは人間。

 我を何度も殺し、弄び、愛するモノを奪った憎き種族の筈だ。

 私という魂があり続ける限り、憎悪は消えることなく燻り続けるだろう。


 だから。

 必要以上に心を波立ててやる必要などない筈だ。


 知らぬ場所で見知った者が滅んだ所で、それは運命の流れに飲まれただけの事。

 弱者が強者に滅ぼされる、それが自然の摂理。

 彼等とて家畜を殺し、弱者を糧とし、肉を喰らっているのだ。

 それがただ、彼等の番になっただけに過ぎない。

 そう。

 理屈では分かっているのだ。

 けれど、心はザワついた。

 魔王様を守り切れなかった時のように、張り裂けそうな胸の鼓動が止まないのだ。


 人間とは、根本では分かり合えない。

 心を通わす瞬間があったとしても、それは一瞬の戯れ。

 一時の暇つぶし。

 気まぐれに過ぎぬ関係だと割り切っている筈だ。

 人間とは、どうしようもない魂を持つ存在だと認識していたはずだ。


 けれど。

 心配なのだ。

 私には分からない。

 理屈も道理も分からない。

 それでも、これが今の私の心だった。

 人間と接し、明らかに変化した私の本心だった。


 なぜだろうか。

 所詮は他人。忌むべき人間の筈なのに。

 見知った人間には、死んでほしくなかったのである。


 もし、死者が出ているのなら――世界の流れもまた変わる。

 大魔帝として魔王様の意志を継ぐ私はこの迷宮を破壊し、即座に転移するつもりだった。

 あの神殿の者たちを蘇生し――その勢いで天へと昇る。

 そして。

 大いなる光、主神たるその神の喉笛を噛み切る。


 大いなる光の弱体化を治す。

 その盟約も、約束も――破棄するつもりなのである。


 ホワイトハウルには悪いが、彼の部下が私の縄張りで死人を出したことになるからだ。

 それも民間人の。

 それは――魔王様がもっとも嫌っていた無関係な人間の死。

 私にとっても、けして許されない大罪。


 覚悟を決めて、私は猫の魔眼で遠見空間を覗く。


 死者は出ていない。

 私の魔術を伝授した護衛、大司祭アイラに思慕を抱いている絶影おとこが放たれた霊獣を撃退していたのだ。

 神酒は盗まれてしまったようだが――、命が無事なら……って。


 ……。

 なんか、よく見ると。

 あっさり撃退してたみたい?


 過去視の魔術で当時の様子を投影する。


 あっれ。

 なんか人間が相手にするのならば相当つよい霊獣の筈なのに。

 あの男、一撃で首を刎ねていたみたい?

 しかも素手って……。

 あー、やっぱり刎ねちゃってるよ首。


 そういや、遊びに行くたびにご飯をくれるし。

 お礼に魔術や技術を教えて、その度にちゃんと習得するもんだから。

 ついつい育成ゲーム感覚で楽しくなっちゃって。

 いろんな事を教え込んだのだが……。


 あれ……。

 もしかして私、ちょっと力を与えすぎた?

 これ、また世界のバランスが崩れるんじゃ……。


 現在の映像に戻してみると、向こうは勝利の宴の真っ最中。

 霊獣の素材を回収して、ちょっとした宴会状態のようである。

 あー、いいなあ。ピザ食べてる!

 まあ。

 平和を取り戻しているようでなにより――ちょっと安心した。

 とりあえず、ホワイトハウルとの約束は継続できるだろう。

 それもちょっと安心である。


 けれどだ。


 私はスゥっと瞳を細める。


 怪我人はいる。女子供にも被害が出ているのだろう。

 もし、だ。

 もしも私が……きまぐれで力を与えていなかったら――おそらく皆殺しになっていた。

 こうした接収は何度も行われていたのだろう。


 神のため。

 勇者のため。

 その言葉を信じ、自らの善を貫いているのだろう。


 私は考える。


 女神の末裔ダイアナ。彼女ほどに独善的な者は少ないだろうが、神の眷属の間ではこういう思想の持ち主も少なくなかった筈だ。

 信仰が失われていく理由。

 弱体化の大きな要因。


 驕りによる傲慢。

 下の者を踏みにじるような品を欠く徴収。

 人間たちの神離れ。


 人間達からの信仰を失った大いなる光は力を失い、更に部下たちを制御できなくなり――新たな被害を生み、そしてまた信仰心を失う。

 後はもう落ちていくだけ。

 崖を崩れ落ちるのは、早かったのだろう。

 負の連鎖を断ち切るための答えは――腐った部下たちを改心させるか、駆逐する事。


 その両方をこの迷宮で行うつもりなのだろう、神は。


 果実の詰まったダンボールから腐ったミカンを取り除くように。

 まだ表面がカビただけなら拭えば間に合う、中まで腐っているのなら廃棄する。

 それと同じことをしようとしているのだ。


 まだ食べられるミカンを廃棄しちゃうのは、もったいにゃいしにゃ……うん。


 だから、大いなる光はホワイトハウルに言ったのだ。

 彼等に干渉する必要はないと。

 理由を知ったらきっと心優しいホワイトハウルは大いなる光の計画を止める。部下たちの改心を信じ、改心できない者まで公平に拾い救おうとする。


 ならば。

 迷宮の入り口。

 第一領域で私に語り掛けた、心優しい魔狼を解放してあげてというあの言葉の主は――、この迷宮の主は、大いなる光自身。

 そう考えるのが妥当か。


 力ある者の占いの結果が全てここに集中していた理由は単純だ。

 大いなる光が自身を餌にし、何も知らない部下たちを誘き寄せたのだろう。

 ここに彼の者を回復させるアイテムがあると。

 そして、私もまんまと騙された。


 私の介入は神の計算に含まれているのか、それは分からないが――。

 ごめんね。

 全部、台無しにしちゃったね……。

 ワンコとニャンコで、大暴れしちゃったね。


 まあ、私は私なりの試練と行動をとった。

 滅びの未来を読み解き、別の道を無理やり建設した。

 神の眷属の未来を変えるきっかけを与えたのだから、問題ないだろう。

 もし大いなる光がそこまで計算に入れていたのなら、ちょっと癪だが。


 それにしてもだ。

 私は霊獣の襲撃で破壊された神殿を目にし、心を痛める。


 神の利権や思想の争いを否定するつもりはない。違う神を信仰するのならば、こういう争いもあって当然なのだ。

 だから、これはただ私が気に入らないだけ。

 大魔帝ケトス個人が、私的な感情を荒立てているだけだ。

 そして、なにより。

 太陽が入る神殿の中心に私は目をやった。


 あそこは何よりも神聖な場所。

 けして侵してはならない聖域。

 ケトスさまと書かれた座布団が置かれた、ポカポカな場所。

 私のお昼寝のベストスポットなのだ。

 それが、潰れてしまっている。

 ……。

 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? こいつ、私の縄張りの一つになにしてくれちゃったの!


 あそこ! 失敬した神酒を飲みながら、木陰で眠るの最高に気持ち良かったんですけど!

 ブドウをくっちゃくっちゃして、だらーんとお腹を出して眠るの、最高に良い気分だったんですけど!


 フシャー! フシャー! と膨らみそうになる尻尾。

 そんな激情を隠し、私はゆったりと落胆を表情に浮かべる。

 神からも見捨てられようとしている信徒。

 ダイアナに向かい――言葉を告げた。


『そうか。残念だよ、君たちはそこまで落ちていないと思っていたのだが』

「あらあら、まあまあ。もしかして、お知り合いでしたの? まあ、それは悪い事をしてしまいましたわね。けれど、大丈夫。あの方々はもう少ししたら死に至ります。さすれば我等天界の新たな神兵としての道を進むことが出来る。これはとても名誉な事なのですよ」


 いや、あんたの霊獣。

 もう高級素材になっちゃってるけど……。

 しかもどうしよう。

 神酒ネクタルをバッチャバッチャ注いで。

 めっちゃ舞って、めっちゃバフしてるけど――その神酒、たぶん消費期限……この場合は祝福か、加護もなくなった、ただの賞味期限切れのブドウジュースだよ、きっと。


 黒の女神教だっけ? あの大司祭アイラと、護衛の影。

 これ。

 わざと劣悪品を盗ませたな。


 劣悪品の神酒と引きかえに霊獣の素材を手に入れるなんて、そりゃ宴会もしたくなるよね。

 なーんか、私と関わった人間って、妙にセコくなるというか卑怯な戦法が得意になるんだよなあ……。

 あー、追加のピザが届いてるし。


 いいなぁ……。

 熱々チーズと照り焼きチキンのパリパリなピザ――じゅるり。

 にゃは!

 私は一瞬だけ世界の法則を捻じ曲げ、亜空間と亜空間を接続。


 次元を割って、我が魂の本体であるネコちゃんのお手々を、大司祭アイラの神殿に出して。

 ニャニャニャ!

 と、十重の魔法陣を展開。

 猫目石の魔杖を一振りして、怪我人を完治。

 崩れた神殿を一瞬で再構築して、元通り。

 目的はもちろん。


 大司祭アイラの肩をトントンと叩く。


 気付いた彼女は一瞬で状況を理解したのだろう。

 心配して遠見してくれたのですね――と、感謝を述べて、私の手にピザを渡してくれたのだ。


 私の目当てを理解するとはさすが大司祭。

 これほどのご馳走を、たかが怪我人の全回復と神殿の全修理で提供してくれるとは――。

 しかも一ピースではなく、なんと驚くべきことに――。

 丸々一枚である。

 私はごくりと息を呑んだ。

 この娘。

 器が違う。

 さすがは一つの宗教を束ねるほどの度量があるということか。


 私なら、こーんなに美味しいピザ、絶対に渡さないし。

 熱々ピザを神速で口に頬張りむしゃむしゃむしゃ。


 うむ、うまい!


 これ、どこの誰かは知らないが……。

 転移魔術、おそらく設置された魔道具によるピザ転送サービスを考えた料理職人がいるみたいだな。

 魔道具の上に代金を置くと、引き換えにピザが転送される配達サービス的な事を始めたモノがいるようなのだ。

 凄いな。

 並の魔導技術ではないが――そういや、このピザっていったい、誰が作ってるんだろう。

 魔帝クラスの魔力を感じるが、そんな強者が魔王軍に属さず野良で活動しているってのも珍しい。

 聖女騎士カトレイヤを助けた謎の猫といい、このピザ職人といい、まだ私の知らない場所で強者は存在しているという事だ。

 しかし。

 ピザ職人、誰なんだろう。

 正体を突き止めて、交渉。

 魔王城にも魔道具を設置して、毎日ピザを食べたりなんかできたら最高なのだが……。

 ……。

 はっ! こんなことをしている場合じゃなかった!


 刹那の超神速だったから誰も気づいていないようだが、聖女騎士カトレイヤだけはパン? を食べたのかしらと眉を顰めている。

 ピザを知らないのだろう。

 ともあれ。


 話を戻そう。


『失礼、君たちと言ってしまったことは訂正しよう。落ちてしまったのは……君一人、なのかもしれないのだからね』

「落ちる? 何のことで御座いましょうか? わたくしは天に昇っているのですよ?」


 あくまでも善行だと信じ切っている。


『分からないならいいよ。これは君一人の行動だって再確認しただけさ。個人の腐敗を全員に押し付けるのは、好きじゃないんだ。だから、勝手に訂正させて貰った。ただそれだけの話だよ、レディ』

「よく、わかりませんが――そうして下さると助かりますわ。これは、わたくし一人の功績なのですから。勇者様のように、美しく、世界のために戦うための準備。わたくしはあの方に代わり、世界のために働きましょう」


 哀れな人形だ。

 死後の世界で戦う戦乙女。その自己強化能力は人間としても女神としても、神族としても優れている――が。


 庭の蟻んこがどれほど強化しても、神話の巨人に勝てないのと同じ。

 彼女がどれほどに優れた自己強化をし続けても、私にはまるで届かない。

 それに気付かず、彼女は勝利の未来を勝手に望み、酔いしれながら槍を回し舞う。

 消費期限の切れたお酒を振りかけながら……。


 んーむ。

 想像してみて欲しい。

 女神の血筋を引いたらしい由緒正しい美人戦乙女が、なんの効果もない水を、ばっちゃばっちゃとバラ撒きながら華麗に舞う場面を。

 なんか可哀そうになってきた。


 早く殺してあげるか。


『殺す前に一応確認しておくけれど、君は今の行いを正しいモノだと本当に思っているのかい?』

「当然ですわ。逆にお聞きいたします、どこが間違っているというのですか?」


 もはや、更正の芽はない、か。


『そうか、残念だ。それが幸せな事なのか不幸な事なのかどうか、私には分からないよレディダイアナ。悪意があったのなら、そこには救いがあったんだ。悪いと思っているのなら、君が心を変えることもあったのだろうからね』


 けれど。

 それがないというのなら。


『君をいまここで消去しなければ――いつかまた、非戦闘員である民間人の女子供を罪の意識なく、殺すだろう。それは、きっと勇者も悲しむことになるだろう。だから――私が、君の終わらない悪夢を終わらせてあげるよ』

「勇者様の名、軽々しく口にしないでいただきましょう!」


 鼓舞の自己強化を終えた彼女は槍を構えて。

 ギッと私を睨む。

 瞳を伏せて――私は告げた。


『そうか――なら、おいでお嬢ちゃん。現実ってものを教えてあげてから、殺してあげるよ』


 静かに告げた私は、クール格好いいイケてる紳士に見えるだろうが。

 内心ではこう思っていた。

 我が聖地を荒らした報い、きっちりと受けて貰うニャ!

 と。

 我が愛しの昼寝スポットを潰した罪は重いのじゃ!

 転生すらもできないほどに崩壊させてくれるわ!

 と。

 そんな私のドヤ顔を見ていたのは、やはり一人の聖女。


 神に仕えし騎士カトレイヤ。

 闇をも捉える彼女の視線だけが――私の魔力をじっと、眺め続けていた。



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