絶望的な差 ~聖女だけが届く領域~前編
女神の血を引きし神の眷属、ダイアナ。
狂信的な独善に巻き込まれた私は哀れ、女の強襲を受け負傷。
その胸には鋭く輝くセントランスが突き刺さっていた。
ま、ぜんぜん大丈夫なんだけどね。
獣人殺しの聖槍。
不可視の殺し屋、サイレントキラー。
かつて魔族を苦しめた忌まわしき槍を胸に受けたまま、肩を竦め、気取った仕草をしてみせてやり。
ニヒィと口角をつり上げる。
『おや、これは――私に献上してくれるのかな?』
「う、そ……っ」
刺客となったダイアナは掴んだ槍を押し込もうとするも、その軸は、動かない。
私という闇に包まれた武器はもはや私の所有物。
既にこの女の装備から外されていたのだ。
まあ平たく言うと、いつものように盗んだだけである。
聖騎士猫に守られている取り巻き達も、聖女騎士カトレイヤも無傷の私を見て驚愕に瞳を揺らす。
目の前の失礼な女も、むろん同様だ。
これはとっても貴重なドヤチャンス!
一切の動揺を見せず。
翳を鼻梁に乗せ、女の耳元で低く囁いてやった。
『なかなかどうして、辛辣な挨拶じゃないか――』
女は狼狽に開いた瞳孔をそのまま。
酸素の足りない魚が呼吸するかのような、間抜けな口の開き方をして、息を漏らした。
「え……うそ、なんで。どうしてかしら、どうして、あなた――死んでいないの?」
『そりゃあ私じゃなかったら、滅んでいたよ。けれど私だから滅ばない。単純な答えさ。でも、いきなりこういうのは、良くないんじゃないかな』
「そんな……っ!? そんなはずはありません! 神に祝福されたわたくしの一撃が効いていないなんて、絶対に、ありえない!?」
ガタガタと揺れる戦乙女のその細い手。
祝福で強化された良い腕だ。
並以上の魔族ですらもその一撃で再生不能なほどに滅んでいただろう。
けれど、現実は違う。
掴んだ聖槍は完全に私を貫いていたが――ダメージは皆無。
『格上と戦ったことがなかったのだろうね、可哀そうに。いつも弱い者虐めをしていたのかな? 聖女カトレイヤの趣味も弱い者虐めだったけれど、同じ趣味でも彼女の場合は違うんだ。アレは弱い者を虐めて鍛える、そういう意味だったんだろうね。おや、どうした? どうして震えているんだい? まさか、いまさら怖くなったのかな?』
「ちが……っ、わた……わたくしは――」
そりゃ動揺もするよね。
普通なら死ぬし。
まあ。
たかが百年ちょっとしか存在していない小娘相手に、こういっちゃなんだが、格が違い過ぎてお話にならないのである。
しかし、これじゃあ話が進まないなあ。
だから。
ちょっと喰らったフリをしてあげるのは、私が慈悲深い紳士だからだろう。
槍を掴んで、私は魔術を発動させる。
『魔力――解放。影渡りの猫』
五重の魔法陣が、闇を這い。
刹那――。
槍を手にしたまま闇に溶ける私の身体が、無数の黒猫となって影に散っていく。
迷宮の壁一面に広がるのは、光を覆い隠すほどの影。
飛び回り遊ぶ影の猫を目で追って、戦乙女ダイアナが驚愕の声を上げる。
「影猫魔術!? 自らを影の猫へと転身させ闇に溶ける、消失魔術! まさか、使い手が存在していただなんて……っ」
『おや、知っていたのかい。自慢したいわけじゃないが、結構レアだろう?』
無傷だったのを魔術の効果だと勘違いしたのだろう。
汗ばんでいたダイアナの肌から発汗が治まり、瞳に勢いが戻りつつある。
「ええ、驚きましたわ――ただ普通に影魔術で移動すればいいだけなのに、猫の形を作る過程を加えただけの無駄魔術。こんな意味もないカテゴリーの魔術の使い手なんて、普通はおりませんもの」
跳ねまわる影猫のままで、私は応じる。
『ご説明どうも、レディダイアナ。それにしても突然酷いじゃないか。何か君の機嫌を損ねる事でもしてしまったかい?』
「わたくし、ちゃんとご用件をお伝え致しましたわよね? その聖書をこちらに、素直にお渡しいただけなかったからに決まっているじゃありませんか」
んーむ、傲慢な女である。
好きじゃないなあ、こういう人。
「とりあえず、わたくしの槍を返していただけませんか? それは選ばれた者にしか使えぬ神器。持っていると身を滅ぼしますわよ」
影を跳ねまわる黒猫を目で追って、女は苛立ちを隠さず吠えていた。
『あー、そうそう。これだね――手にしたままになっていたからすっかり忘れていたよ。こんな所で百年前の心残りを回収できるなんて、思ってもみなかった。感謝するよ、女神の血を引きし狂信者ダイアナ』
「どうするおつもりなのかしら」
『どうもこうもないさ。勇者の影は気に入らないんだ』
「……ッ!」
私は闇の中から肉球を出し、槍を落とす。
カランカランカラン……じゅわぁ……。
地に落ちた聖槍が、私の瘴気に包まれて消えていく。
酸で溶かした――!
のではなく、私の暗黒空間に収納させて貰ったのだ。
ネコちゃんの専門用語で壊した振りをして盗む、ともいう。
武器回収に失敗した後のダイアナの反応は――わりと早いかな。
槍戦士ダイアナは消失した神器をすぐに諦め、亜空間から二又の槍を取りだし、ぐるんぐるんと器用に回して見せる。
これはただの演出や格好つけ。
ではなく、演舞による鼓舞。いわゆる自己強化スキルである。
戦意を取り戻したのだろう。
「ちょっと驚きましたけれど、わたくしの慈悲を予測していたのですね? そう、だから事前に影猫魔術で幻影を張っていた、だからわたくしの槍も効かなかった」
『へえ、よく分かったね』
侮蔑の肯定で、私はそれに返答してやった。
「やっぱり、そう。そうですわよね――このわたくしが神の血筋でもない獣人の方に後れを取るはずがありませんもの。よく防いだと、称賛を贈らせていただきますわ」
遠くの方で――。
――違うわ……と、聖女騎士カトレイヤの漏らす否定の声が私の耳には届いていた。
――そんな域じゃない。彼はもっと高みの……いえ、比べることも恥となるほどの……差。次元が、違い過ぎる。
心の声を盗み聞きする私の猫耳がぶわぁぁぁっと膨らむ。
レベルアップを果たした彼女にだけは見えているのだろう。
私の領域が。
……。
ドヤァァァァ! いまのすっごいカッコウイイ!
こういうの、一度やってみたかったんだよねえ!
「悪く思わないでくださいましね。初手を防いだあなたのせいで、わたくし、少し本気を出さなくてはならなくなりましたの。この聖戦のために手に入れた力を、解放させていただきますわ」
言って。
彼女は亜空間から注ぐ神酒の衣を身に纏う。
聖なる酒を武装として使う、とっても勿体ない支援スキルである。
食べ物を粗末にするにゃ!
と、いつもの黒猫モードだったらその腹に跳び蹴りを決めていただろう。
それよりも、気になるのは。
影に散った黒猫たちが集い、私は元の獣人姿に身を戻す。
『その神酒の香りには覚えがある。どこで手に入れたんだい?』
「さあ、どこでしたかしら。あー、そうそう。確か黒の女神像を崇める女司祭から徴収したモノですわね。大神である大いなる光ではなく偶像を崇拝するだなんて、すこし、お仕置きが必要でしょう?」
私は遠見の魔術で心当たりのある大司祭アイラの神殿を覗く。
やはり。
襲われていた。
神の使いである霊獣による強襲を受けたのだ。
神の名の下に、力の源となる神酒を狙われたのだろう。おそらく、ここの迷宮を攻略するための資材を集めるために。
『こんなことをしているから、君たちは人間からの信仰を失ったんだね。よく、分かったよ』
存外、冷めた言葉が漏れていた。
「異教徒からの信仰など、不要でしょう?」
『それが分からないから、君たちは大いなる光から見捨てられようとしているんだね。勇者に見捨てられた君のように。もう一度、君は見捨てられるんだね。可哀そうに』
女は私の言葉の意味が分からないのか。
それとも理解する気がないのか。
ただ氷の笑みを浮かべているだけだ。
「戯言はお止めなさいな――、勇者様がわたくしを見捨てるはず、ないのですもの」
『そうか――君は、そうだったね。たぶん、どう変わったとしても……分からないんだね』
どうして分からない?
私にはそれが理解できなかった。
それに気付けない一部の眷属達は、おそらくこの迷宮で朽ちるのだろう。
ここはおそらく、大いなる光が生み出した最終試練。
試練であり、選定なのだ。
不要な者を、切るための――そして、腐りきって不要になってしまった者たちが生き残るための最後のチャンス。
私は意識を大司祭アイラへと戻す。
安否を確認したかったのだ。
だ、大魔帝たるこの私が? べ、別に? 心配とか、そ、そういうのじゃないけれど――。
今ならまだ死者がいたとしても蘇生ができるし。
怪我人も我にかかれば一瞬で、全治だし。
時間が経つと無理になるから、急いだ方が良いだけだし。
……。
勘違いはしないで欲しい。
あくまでもこれは……大魔帝のきまぐれであって、一個人の人間に対し、この我が? 大魔帝ケトスが? そんな慈悲を持つはずないんだからね!
なんか。
あの魔狼のツンデレが頭に浮かんでしまったが、私はそういうんじゃないし。
うん。
あくまでもあそこは私の縄張りの一つってだけだし。
土足で踏み込まれたのが気に入らないだけだし。
まあいいや。
私は急ぎ、大司祭アイラの居る神殿全体を把握しようと魔力を張り巡らせた。
のだが……。
あれ?
なんか――意外に、大丈夫っぽい?