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勇者の影 ~清らか女神のメロンパン~後編2/2



 最も見られたくない心の隙間を見透かされ。

 女神の末裔は悲鳴に近い声を上げていた。


「わたくしの心を覗いて――、なんて下劣な!」


 効果てきめん、か。


『下劣なのはどっちだろうね。弱者の私をこんな場所に追い込んで、惨殺するつもりだったんだろう? 君の大好きな勇者様がそれを知ったら、どう思うんだろうね。だって君の心の中にいる勇者様、世界のための卑劣は容認するけれど――理由なく弱者を殺すの、嫌いだったんだろ?』


 私は魔族で魔猫。

 精神攻撃は得意中の得意なのだ。

 ぶにゃーっはっは! 性格が悪いとは言うなかれ、魔王様に愛されたこの美貌。この我のモフモフ耳を切り落とすとか抜かす奴など、許せるはずがないのだ!

 ざまあみろ! ざまあみろ! バーカ! バーカ!

 おしりペンペン、アッカンベー!

 と、心の中でだけ罵倒をし、表向きは冷徹な微笑を送ってやる。


『教えてあげようか』


「なにを……ですか」

『君が心の奥で抱いている疑問、それに答えをあげようじゃないか』


 心の中。

 狭く繊細な穴に邪悪を捻じ込むように。

 真実を探るように。

 悪意を以って――私は魔猫の瞳を輝かせる。


『おや、へえ、なるほどね――』

「なにを……みたの」


 私は彼女がもっとも隠したがっている秘密を、無遠慮に暴いていく。


『ごめんなさい、勇者様。かな』

「そ……んな……待って、それ以上は――」

『なにを隠しているのかな? ねえ、私にも見せてよ――』


 低く囁く私の声音が――女の肌を濡らしていた。

 汗だ。

 動揺が、肌を赤く湿らせていく。


「わたくしの心から出てお行きなさい!」


 叫びは魔力となって私に襲い掛かるが、所詮は脆弱な存在。

 私の自慢なモフモフ耳をそっと靡かせただけ。


 心を隠す様に衣服を掻き寄せるダイアナ。

 敵を討つはずの武装。

 精神を守る女神のローブも――私の前では、触れれば裂ける薄切りロースハムのようなモノ。

 丸見えなのだ。

 その繊細な指が、爪が――強く握ったせいだろう。爪は白く、指は赤くなっていく。

 隠そうとすればするほど、ほら、やはり浮かび上がってきた。


『勘違いしてはいけないよ。世界を平和にしたら帰れると勇者を騙していたのは君達だ。あの者が君たちを見捨てたんじゃない、君たちがあの者を先に見捨てたんだ』

「やめて――……見ないで」


 魔猫としての私の口が、軽快に動き続ける。


『心当たりはあるんだろう? 勇者の輝きの裏にあった、絶望も、失望も――よく見ていた君には見えていたはずだ。ただ君は、それから目を逸らしていただけ。ほら、また浮かんできた。おっと、君。ちょっとは悪いとは思っていたんだ――けれど、見捨てた。ただ自分が、勇者様と一緒にいたいから、あの者が帰れる手段を絶った』

「ちがう……ちがうの、勇者様。わたくしはただ、あなたと一緒に……居たかっただけ」


 ダイアナの瞳にはその日の光景が映っている筈だ。

 揺れる瞳と心を更に追い詰めるように、私は事実を口にした。


『だから――唯一の帰還手段だった、召喚者を殺した』


 女の心が、跳ねた。


「ちがう、わたくしは……殺してなど、いませんわ」

『そうだね。ただ――助けなかっただけだ。助けられるのに、ただ見ていただけ。責めたりはしないよ、私はね。それも君の選んだ答えだ。何が正しくて、何が間違っているかなど――誰にも決められない。けれど、勇者ほどの力のある者なら、きっと――その真実にも気付いていただろうね』


 ひぃっと、女神の末裔の瞳が軋む。

 そう。

 彼女は、勇者の関係者ダイアナは――あの勇者を召喚した術者を見殺しにしたのだ。

 召喚主を失った存在は――帰路の手段を失う。

 世界のためにと言い訳し、襲われる術者を助けなかった。

 それだけだ。

 けれど、それは――。


 殺したのと、同意だ。


 私の目にはその日の過去が映っていた。

 ダイアナの心から、過去を覗いているのだ。


 助けられなくてごめんなさい勇者様と、項垂れ泣くフリをするダイアナ。

 彼女は知っていたのだ、美しい自分が後悔を表に出し惨めに泣き続ければ、皆が許してくれると。むしろ同情してくれると。

 結果。

 その通りになった。

 勇者の仲間達はダイアナを許し、むしろ慰め。守れなかったのは仕方がない、そう彼女の言い訳を拾い上げる。

 ただ一人、勇者だけが気付いていた。

 見殺しにしたのだろう――と。

 仕方ないと、言葉を掛ける勇者。

 彼女を見るその勇者の瞳には、既に失望と諦めの哀愁が漂っていた。


 勇者は気付いていたのだ。

 この女が、術者を見捨てたのだと。

 そして、その理由も。


 勇者を慕い、見続けた女だ。

 きっと、ダイアナもそれに気付いていた。

 だから。

 私はそれを拾い上げる。

 勇者の代わりに、言ってやる必要があると思ったのだ。

 それが、あの者を殺し元の世界に帰した私の責任だとも思ったのだ。


『そう、君が内心で怯えている通りさ。あの勇者は――この世界にうんざりしていたんだよ』

「いやぁぁぁあああああああああ!」


 おっと、自身に精神強化の祝福を掛けて自制心を保ったか。

 いや、これは――忘却。

 自身の記憶を消したか。

 他者の記憶を消して、悲しみそのものを奪い救済していたように、自分で自分の心の一部を操作したのだろう。見たくない記憶を消す、それもまた一つの選択ではあるのだろうが……。

 なんだ。

 つまらないの。

 このまま精神から壊してやろうと思ったのに。


 おそらく、今の私はかなり昔の状態に近い、邪悪で可愛い悪猫ちゃんの貌をしている筈だ。

 勘違いして貰っては困るが、私は魔猫で魔族。

 そういう残酷な一面も存在するのだ。

 クールでダークなおとなの魅力というやつである。


「あら、わたくしは――」

『おや、忘却から戻ってきたのか』


 ま、あんまり虐めたら可哀そうか。


「そうわたくしは――思い出しましたわ。あなたから書を貰い受けるのでしたね――さあ、その力は危険なものですわ。あなたのような獣人には勿体ない力でありましょう? わたくしが預かります。さあ、神のため、世界のため――その書をお渡しください。それがあなたの使命。あなたが天の役に立つための唯一の道なのですから」


『これは特殊な聖書だからね。君程度の聖職者に扱えるとは思えないのだけれど』

「わたくしが、あなたよりも劣っていると?」


 私の言葉に釣られたのか、ダイアナは美貌を僅かに崩してこちらをギッとにらんだ。

 あからさまな敵意を向けてきたか。


『悪いね。君にこの書を渡すくらいなら――私はあの聖女騎士カトレイヤに譲渡するよ。彼女なら、この書も扱えるだろうしね』

「どこにでもいそうなあの元人間に? 御冗談を」


『彼女は神の試練をクリアしたよ。おそらく、第一の試練を突破した君よりも、既に上位の存在となっている』


 そう、それは神属性のある私の試練。

 この迷宮の主が作り出した試練とは異なる、私だけの試練。


「あの娘がわたくしよりも上位? あら、そう――いやですわ、おかしな冗談を仰るのですね。少しだけ、そうほんの少しだけ不快ですわ」


 それが気に入らなかったのか、ダイアナはこめかみを僅かに軋ませる。

 おうおう。後光まで輝かせちゃって、一見すると聖なる女神でやんの。

 さっきも言ったけど。

 やってることは追剥だよね?


 戦乙女は私に向かい細い手を伸ばす。


「さあさあ、お渡しください。いますぐに、迷うことなどないでしょう? だってわたくしは、正しいのですから。わたくしはその書を手にし、更なる救済を皆に与えるのですから」


 その瞳は、既に力に溺れていた。

 私の行使した奇跡を、自分のモノにしたいのだろう。

 私はその光の裏で広がっていく闇を見ながら、瞳を細める。


『本当に、世界のためかい?』

「ええ、わたくしたちは神の御使い。嘘などつくはずがありませんでしょう?」


『神話級の奇跡を使用できるこの書を用いて、勇者復活を果たす。そんな……ありもしない幻想を抱いているんじゃないかと、そう思ったんだけど――違ったのかな』

「まあ――やはりお分かりになるのですね。勇者様の再臨は世界のためになることですもの。問題、ありませんでしょう?」


 勇者の関係者ダイアナ。

 この娘には――あの勇者の心が分からないのだろう。

 やっと世界の呪縛から解放されて、ありがとうと頬を濡らして噛み殺されたあのモノの心が――。

 魔王様は自らを犠牲にし、あの者の魂を元の世界に帰したのだ。


 あの者はおそらく。

 辛いこの世界のことを文字通り忘れて、普通の人間として転生している筈だ。

 それを今一度、この世界に召喚しようなど不粋が過ぎる。


 それは。

 とてもいけないことだ。

 魔王様の意志を否定することは罪だ。

 私の中で最も忌むべき、大罪だ。

 私にとっても、不愉快だ。

 それにしても。

 哀れな女だ。

 彼女の心の中には、勇者への思慕しか残されていなかった。


 大いなる光も惨いことをする。

 あのまま、死なせてあげればよかったのに――。

 あり得ない希望に縋り続ける哀れさを――神は知らないのだろうか。


 しばし瞑目し。

 私は案外に優しい言葉をかけていた。


『勇者の魂は二度とこの世界には戻らない。もはや満足して、心穏やかに帰っていったんだ……ウサギ司書から聞いていないのかい?』


「あら、あなた――あの首刎ね鬼畜ウサギをご存じなのですね。まああの方も所詮は獣人、そういう勘違いを仰っていましたが……わたくしはそんな戯言、信じておりませんから」

『あの勇者を想うのならば、少しだけ――あの者の幸せを考えてみたらどうだい? もう一度連れ戻したらきっと……悲しむよ』


「あなたごときに勇者様の何が分かるというのです!」


 声に湿気にも似たジトリとした色が含まれていく。


「勇者様こそが、この世界にふさわしい救世主。わたくしが唯一望んだ、認めた輝き。わたくしは今一度、あの輝きに触れたい。あの輝きに救われたい。ああ、勇者様……あの方にもう一度出会えるのなら、わたくしは、わたくしは……何度でもこの手を穢しましょう」


 救いを求めるように天へと手を伸ばし。

 見えない輝きをなぞるように瞳を揺らし。

 女の心は悲痛な叫びをあげていた。


 やはり、手遅れか。

 まるで壊れた人形。

 もはやこの女は、勇者の魂を取り戻すという妄執に囚われている。

 心を縛られている。

 呪いにも似た自らの心に魂を支配されているのだ。


 それほどに、勇者の輝きは眩しいのだろう。

 私が――魔王様をお慕いするように……彼女にとっては勇者こそが全てなのだろう。

 妙な同情と共感が、私の胸を撫でていた。

 けれど、手心は加えない。

 たとえ心を理解できたとしても、彼女が私の魔王様の意志を愚弄している事実に変わりはないのだから。


 それにしても。

 元仲間にも首刎ね鬼畜ウサギって認識されてるって、あのウサギ司書……本当にどんなことしてたんだろ。

 ホワイトハウルもロックウェル卿も妙に敵視していたが――。

 まあいいや。


『そうかい。残念だ――』

「そろそろよろしくて? わたくし、申し訳ないけど獣人の方って好きじゃありませんの」

『知っているよ』


 獣人嫌いじゃなけりゃ獣人特効のあるそんな物騒な槍、わざわざ使わんよね。


「もうお喋りは結構ですわ。本題に戻りましょう。その聖書をわたくしに提供なさい。素直に渡してくださるのでしたら、楽に死なせてさしあげます。あなた程度の魔力でも、勇者様再臨の足しにはなりますでしょうから」


 こいつ、私を生贄にするつもりなのか。


『渡さないとしたらどうなってしまうんだろうね』

「早く死にたいと願い祈る程にたっぷり苦しめてから――殺して差し上げますわ」


 輝くリップをペロリと舐めて、女は血に飢えた瞳を輝かせる。

 戦意高揚で汗ばむ肉体は、神聖な魔力波動で照っていた。


 はい、言質とった!

 これで正当防衛!

 もう、なにをしても私のせいじゃない! うっかり勢いで世界を半分ぐらい吹っ飛ばしちゃっても、ぜーんぶ、相手のせいになるよね!

 さてさて、どうしてくれようか。

 とりあえず。

 ちょっと偉そうに説教でもしてやろうかと思った。

 次の瞬間。

 女神の微笑を浮かべたまま、


「ああ。ごめんなさいね、もう待てそうにありませんわ」


 彼女は獣人殺しの聖槍を傾け――駆けた。

 ズジャァァァァ!


 鈍い感触が――私の胸を貫いていた。

 ……。

 いや、まあぜんぜんダメージ受けてないんですけどね。




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