戦争準備 ~その刀身はただ赤く、異界より降りし剣~
少女の呪いを解いた翌日。私は西のバラン帝国、その全貌を把握できる自然の高台に足を踏み入れていた。
道案内についてきたのは騎士アーノルド君。
ちょっと西の帝国を滅ぼしてくると言っただけで卒倒し、直ぐに復活したかと思えば絶対についていくと言い出したのだ。
手加減するのは面倒だし、どうせ敵国なんだから土地ごと消滅させちゃえばいい。
そう言ったらちょっと侵攻軍の足止めをするだけでいいなんて必死にいいだして、これまた弱腰なのである。
まあ確かに、名物料理の海産物を口にしてないから滅ぼすのはもったいないか。
きっと彼も海産物が食べたいのだろう。
◇
戦争が始まる。
その予想はあながち間違ってはいなかったようである。
オーク神が支配する大森林の西。
赤レンガの馬車道を抜けた平野には見慣れぬ駐屯地が建設されていた。
斥候にしては大掛かり過ぎる、おそらく懸念されていた侵攻軍の本隊だろう。
「こりゃ確かに戦争の準備だね」
猫の姿のまま。
報酬であるヤキトリ串とは別。黒コショウをまぶしたベーコンとしゃきしゃきレタス、二種類の具を、バターをごってりと塗ったパンで挟んだサンドウィッチを齧りながら私はいう。
「近接職が一通りと、魔道士に僧侶に支援職の吟遊詩人とダンサーまでいるじゃないか、それに、へえーあれが最近になって流行り出した竜を操る竜騎士ってやつかな。実際にみるのは初めてだよ。って、アーノルド君、どうしたんだい頭を抱えて」
「緊張感がなくて、その……ぺっちゃぺっちゃバターを零しながら敵軍のスキルを盗み見るのは、出来ればやめていただけませんか」
ずびずびずびと、凍らせたオレンジにストロー状の筒をつきさしジュースとして味わいながら私は答えた。
「仕方ないだろ、これから一仕事するんだから。腹ごしらえは大事じゃないか」
「それはまあ……そうなのですが。それで、これからどうすればよろしいのでしょうか。まもなく西が行軍を開始するのは確かなようですから……国に戻って対策を練りませんと」
「そんなことをしたらまたあのお姫様が戦地に駆り出されるよ?」
「――……」
聖騎士だけあって表情を曇らせる姿も様になっている。眉間に寄せる皺も、伏せる瞳も恋愛適齢期な奥様方なら放っておけないだろう。
たぶんこのハンサムな中にある渋めに、姫様もイチコロだったんだろうな。
にゃはははは、まあ私の方がシブくて滲み出る貫禄があるけどにゃ!
「大丈夫大丈夫、私達だけで解決しよう」
「できるのですか!?」
「にゃふふふふ、そういう契約だしね。それに私にちょっとイイ考えがあるんだ。まあ準備に時間がかかるから、今は相手に動きがないか観察しながら待機だね」
「は、はぁ……」
戦いの準備があるからとアーノルド君を待たせしばらく、私はごろごろと草原を転がりながらポカポカ陽気で猫毛を暖める。
ぽっかぽっかなお日さまに当たった毛がモフっと膨らんでいく。
にゃはははは、日光浴最高。
うとうと、眠くなってしまう。
……はっ、いかんいかん!
なんとか寝ない様に暇つぶしをしないと。
私はチラりと不安そうにしているアーノルドくんに目をやって、肉球お手々でちょいちょいと呼びつける。近づいてきた彼の目の前で、ごろーんと横に転がり。
撫でろ。
なでーろ。
はやーく、なでーろ!
そう何も言わずに目で訴える。
不安そうにしている彼の気を紛らわせてやるのだ!
別に、撫でて欲しいわけじゃないし。
「さ、触ってもよろしいので?」
「許す。存分に撫でるがよい。そして一生の誇りとして心に刻むがよかろう! そなたはかつて、大魔帝ケトスをナデナデした名誉を持っているとな!」
くわぁっと目を開き。
きりっと威厳を持った口調で言ってやる。
アーノルド君は困った様に頬を掻きながらも、一言。
「し、しつれいします……」
「うむ、ていねいに撫でるのだぞ」
おー、革手袋の感触は意外に悪くない。
なかなかどうしてテクニシャンではないか。
にゃはははは、これは将来ナディア姫とにゃんにゃんする事になったら姫様大変じゃないか、なんて下衆なことを考えながらも身体をぐでーーーーーんと伸ばす。
そろそろくるはずなのだが。
そう思っていた時。
何かが大地を揺らした。
統率された軍隊の足音だ。
お、きたきた。
「あの、この大軍団は一体」
「オーク大森林から呼んだ援軍さ」
そう。
これはあくまでも西の帝国と大森林に住まうオークの戦い。
愚かにも魔族の領地の周りに軍を配置した西への報復処置。正当防衛だ、と。
そういう筋書きを用意したのだ。
療養中のオーク神の家にめりめりっと空間を渡って侵入し、今回の西帝国の進軍の話をし、協力を仰いだのだ。さすがに大森林を穢されたくなかったのか、オーク神は快く……というか、土下座して感謝しながら要請を承諾した。
彼にとっては汚名返上のチャンスだったのだろう。
西帝国には悪いがやられ役になって貰うしかない。
まあ実際、魔族の領地である大森林を素通りしようなんて舐め腐ったことを考えていたのだ、それくらいの報復は覚悟してもらわなくては困る。
彼らとて、オーク神のいない大森林で行軍の邪魔をするオークを殺すつもりであったのだろうし。
私が介入していなければ、奇襲に気付かずにオークの死者が出ていたはずだ。あのオーク神はともかく、非戦闘員のオークや子供オークが殺されるのは看過できない。
魔王様の代わりに、私が守ってやらなくてはニャ!
「ケトス様はさすがに凄いですね、あれほどのオークを率いて戦われるのですか」
「なに他人事みたいに言ってるんだい、オークを率いて戦うのは君だよ」
「え!?」
一瞬。
ハンマーで頭を殴られたかのように目を点にした後、アーノルドくんは目を見開き叫んだ。
「ワ、ワタクシがですか!?」
「お姫様を戦わせたくないんだろ、だったら君が頑張らないと」
私はにゃはははと笑いながら答える。
「ケトス様はお戦いになられないのですか?」
「まあ私がやってもいいならやっちゃうけど」
「何か問題がおありなのでしょうか」
「いや大した問題ではないのだけれど――」
私は耳をぴんぴんと二度跳ねさせ、地平線のかなたに目をやった。
「大陸がちょっとなくなってもいいなら」
「え? いや、えぇ!? その、あの……ちょっとと仰いますと、どれくらいでしょうか……」
魔杖の先でだいたいの範囲を差してやる。
あ、倒れた。
私がそういう嘘をつかない性格だとアーノルド君も既に察しているのだろう。ぽかぽかな草原の上、精悍な顔立ちを、びしっと石仮面のように硬直させている。
冗談のように言ってるが、わりとまじめにそうなのだから仕方がない。
いかに転生前が人間とはいえ、思考も行動ベースもネコという器におさまっている。猫として獲物を追い詰める狩猟本能がウズウズと湧いてしまったら、途中で止められなくなってしまうのだ。
血と闘争心で溢れる戦場なら尚更だ。
程よく滅ぼすなんて器用な芸当を私に求めても無駄なのである。
「だから、まあ環境を壊したくないなら君に頑張って貰わないとね。にゃはははは!」
「にゃはははは! じゃありませんよ! ケトス様の指示には従いますし、方針には従うつもりなのですが、ちゃんと指揮できるかどうか――」
「あれ? 騎士なら指揮系統のスキルがあるんじゃないのかい?」
魔術。
スキル。
祈り。
祝福。
名称は色々あれど。結局のところは魔力をどう使うか、どこから魔力を引き出すかの違いでしかないようであるが、ともあれ。
転生した時から既に猫だった私は、こちらの世界の人間達が使う魔術や技術にあまり詳しくないが、そういうスキルを扱うと耳にしたことがある。
「確かに軍統率スキルは網羅しております。ただ、あれはあくまでも同じ人間族や配下の部下に指令と鼓舞を与えるスキルですので。所属していない他人の軍を対象にはできませんよ」
「大丈夫大丈夫。一時的に指揮権を君に譲渡させるし」
「え、いや、魔族に指揮スキルが効くかどうかは、どうなんでしょうか……それに、聖騎士である私が魔族の方々を指揮するとなると」
そこには葛藤があるのだろう。
「心配ないって、私を信じてみたまえよ」
「ケトス様……」
「私はね、嫌いじゃないんだよ。姫様を守る騎士の物語ってさ、少し青臭いけれど……それでも、いやだからこそ、そこには価値がある。人間としての美しさがそこにはあるんだ。少なくとも私はそう思っているよ」
成熟した大人の声音で言ってやった。
まあ、人間であるアーノルドくんが魔族を率いることを心配するのも無理ない。これでも元人間だったのだ、それくらいは理解できなくもない。
ふふん、さすが私。心が広い!
「ケトスさま、その申し上げにくいのですが、あのぅ、そのぅ……貴方様はすこしテキトーな所がおありになるようなので……」
横切ったチョウチョをぎりぎり当たらない猫パンチで遊ぶ私に向かい、彼は言う。
………はっ!
しまった!
「それにワタクシは王国の民です。自慢ではありませんが西大陸でも貌を知られておりますから、帝国相手となると少々不味い事になるかもしれませんね。あちらには帝国の他にもいくつかの国が睨み合っておりますし」
外交問題というやつだろうか。
よくわからんけど。
人間て面倒だ。
「ふむ、まあ君だと分からない様に変装させて、かつ、性質を変異させてついでに強くなれば問題ないのか」
「そんな簡単にはできないってことですよ。やはり一度国に戻り」
「まあなんとかなるさ。ちょーーーっと待っててね」
私は空に生み出した亜空間に上半身だけを突っ込み、肉球で、がさがさごそごそ、探し物を始める。
つま先立ちならぬ肉球立ちで、後ろ脚をぐぬぬと伸ばす。
夢中になったレースゲームで身体が一緒に動いてしまう現象と一緒なのか、しっぽが左右にブンブン揺れる。
モッフモッフモッフ。
ぱたぱたぱた。
たしかこの辺に。
「あー、あったあった。はい、これ装備して」
受け取った彼の貌を反射するのは、一振りの大剣。
「な……っ、なんですか! この禍々しい魔力を帯びた剣は……っ」
「紅の魔剣エキゾォチュールだよ」
「魔剣……エキゾォチュール」
アーノルドくんの瞳が魅入られたように剣を映し続ける。
騎士だけあって魔剣の力を感じるのだろう。
「紅の刀身に幾重にも細かく刻まれた魔術文字……追加効果は魅了の魔術でしょうか。聞いたことのない装備ですが、すさまじい力を感じます」
そういやこれ。
魔族の私だから魅入られないけど、人間だとどうなるんだろ。
「このちからさえ、あれば……ワタクシは、いや、おれは……、くふ、ふふふふふ……っ」
うわ、刀身に反応してめっちゃ瞳が紅くなってるし……。
一応、釘は刺しておくか。
「ナディア皇女殿下よりも剣が好きなのかい?」
「――っ……――!?」
はっとした様子で、アーノルドくんは目を見開いた。
理性を取り戻したのだろう。
「気を付けなよ? これは私が異界から取り寄せた伝説の魔剣だからね。意志の弱い人間は取り込まれてしまうかもしれない」
くくくく、と魔族らしく笑ってやる。
「そのような魔剣をいったい、どのような目的で――」
「世の中には知らないままの方が幸せな事ってけっこう多いだろう。それでも君は――本当に知りたいかい?」
アーノルドくんはごくりと息を呑んだ。
「いえ」
まあ本当はただの偶然。
転生前、まだ人間だった頃の遠い記憶の彼方。地球にあった液状の猫用おやつがどんな味なのか、どぉぉぉぉぉしても気になり、三日三晩の儀式を執り行い召喚術で取り寄せようとした結果、名前の似た他所の異世界の魔剣を取り寄せてしまっただけなのだ。
実際、あのおやつ商品、パッケージが赤かったし。
その時は紅の魔剣が召喚されるだけで済んだが、たぶん、こんな風に誤って召喚されてしまう地球人も中にはいるのだろうと思う。
自分も使っておいてなんだが、召喚術ってほんとうにめいわくだよなあ……。私の場合は転生だったから恨む対象もいなかったけど、勝手に異世界に呼ばれた人は召喚主をメチャクチャ恨むだろうね。
もし出会ったらちょっとだけ優しくしてやろ。
ともあれ。
「覚悟は決まったようだね」
「はい、ワタクシはどんな手を使ってでも必ず――姫様のために尽力します」
ご助力感謝いたします、と。
彼は膝を付き、草原を飛ぶチョウチョを「にゃはにゃは」追いかける私をジト目で見るのであった。
 




