勇者の影 ~清らか女神のメロンパン~中編
迷宮奥へと進むダイアナに続き、おそらく彼女の目的であろう聖者ケトスの書を片手に、私は悠々と道を行く。
言われるままについて行ったのだが。
これ、校舎裏に呼び出してカツアゲするパターンじゃん。
絶対、力尽くでくるパターンじゃん。
今日日、力と暴力に飢えた低級魔獣だってこんな原始的なことしないのに。神の眷属が、下々のモノから追剥だなんて……呆れちゃうよね。
女神の末裔の戦乙女。
勇者の関係である槍戦士ダイアナ。
彼女はまず間違いなく、私を殺すつもりなのだろう。
私を勧誘したり改宗をさせようというのなら、こんな結界の死角に連れ込む必要もないだろうし――なにより、わざわざ不可視で獣人殺しな聖槍を装備してはこなかった筈だ。
まあ、この聖者ケトスの書。
使いこなせるなら、軽く世界征服できそうなぐらい力があるみたいだし。
奪いたくなる気持ちは分からないでもない。
しかしさあ。
知らないとはいえ。
大魔帝ケトスの所持品を奪おうとするなんて、ものすっごい自滅行為だよね。
ライオンが口に銜えているお肉を、横から取ろうとするぐらいの地雷行為だよね。
本を寄越せと言われたら、まあそのままぶっ飛ばせばいいか。
たぶんだが。
ホワイトハウルの肉球スタンプ付きの書を私が手放したら、あのワンコ、悲しむだろうし。
ワンコが……悲しむ。
悲しむ……か。
ながーい足で歩きながら。
ふと賢く美しい私は考える。
……。
あいつが……悲しむって、ヤバクね?
足を止める私に、女神微笑なダイアナが歩みを促すようにチラリと振り返る。
「どうかなさったの? わたくし、急いでいるのですけれど」
『いや、すまない。ちょっと昔のことを思い出して――ね』
私は歩みを再開しながら、顎に手を当て考えに耽る。
「そう、ですか。でもごめんなさい、どんな事を思い出したかなんてわたくし、興味がございませんの。本当に、ごめんなさい。けれどわたくしの方が大事な用なので――仕方ありませんわよね? 感傷は後にして、ちゃんと――ついて来て下さいね」
メロンパンを揺らしながら女はカツリカツリと歩き出す。
彼女の武装の一つなのだろう。
祝福された珠状のアンクレットからも、微量な音と魔力が零れていた。
笛吹き悪魔の角を用いて作られた、催眠や誘惑効果のある装備らしい。
本来なら、この足音を追ってしまうような呪力が含まれているのだが。
私、大魔帝だからね。
、もちろん、そんな効果は私には通用しない。
ちょっと……。
ジャレたくなってしまうが、我慢しよう。
ウズウズと尻尾を揺らし釣られた私が、トコトコと歩き出した事に満足したのだろう。
清らかな微笑をぐしゃぁぁぁぁっと軋ませながら、女神の末裔は、ぎゅっと不可視の聖槍を握る。
続かなければ、この場で開始するつもりだったのだろう。
そんな。
小生意気な女の反応など、今の私にはどうでもよかった。
その時――私の猫しっぽにビビっとした電流が走っていたのだ。
ちょっとした未来予知が脳を過ったのである。
ワンコが悲しむ。
それが問題なのだ。
いや、まあ悲しむだけならまだいいのだが……。
尻尾をガジガジ、足をガジガジ。我、すんごい怒ったのだ! と騒ぐだけならウザいだけで済むから構わない。
そう、それだけならいいのだ。
なんというか、その。
うん……。
悲しんだ勢いで、世界を滅ぼさないか――ちょっと心配なのである。
あのワンコ。
実はすっごい嫉妬深いんだよね。
ああ見えて本物の神族ナンバーツー、私やロックウェル卿と並ぶほどの大物魔族なのである。
私もたまーに。
極まれに、ほんの数回程度だけ、世界を滅ぼしそうになったこともあるが。
あいつもあいつで結構そういう可能性があるのだ。
昔、一回だけだが。
私、あいつが世界を滅ぼそうとしたのを止めた事があったから――簡単に想像できてしまうのである。
たしかあれは。
まだ百年前の戦争が始まる以前……ワンコが遠征で魔王城を出ていた時。
ちょっと気分の乗った私が、異界召喚でバターたっぷりのフィレステーキの鉄板焼きを取り寄せて、城の皆に振る舞い食べ終わった時の話である。
予定よりも早く遠征から戻ってきたホワイトハウルが蕩けるバターとお肉の香りに反応。我の分もあるのか! としっぽをフリフリ、ご機嫌で私の所にやってきたのだが――当然、遠征中のワンコの分のフィレ肉は召喚していなくて――今は無理と謝ったのだが――。
ワンコ、大暴走しちゃったんだよね。
食べ損ねて、嫉妬で狂い哭き、唸った果てに暴走しちゃったんだよね。
まあ、あんなご馳走を食べ損ねたら嫉妬で世界を滅ぼそうとしてしまう気持ちは十分に分かる。
痛いほどに伝わってくる。
逆の立場だったら、私もとりあえず天変地異を起こしていただろうし。
うん、フィレステーキなら仕方ないよね。
ガーン! とショックを受けたワンコは――。
まずブチ切れて嫉妬の魔性としての本性を覚醒。
世界そのものに嫉妬をし、世界を個体と認識して魔術の対象範囲内に無理やり捕捉。
裁定を開始。
奴専用の審判魔術、対象者の罪を判定する秤に世界そのものをかけやがったのである。
むろん、世界には穢れがある。
私の力の源である憎悪がいつまでもなくならないように、この世界は罪で溢れているのだ。
嫉妬に狂った果てに冥府魔狼の最終審判という終局魔術をその場で開発構築、有罪判定しようとしちゃったのである。
世界に罪ありき、我はフィレステーキを喰えぬ世界を認めないのだぞ! と。
そのまま、マジで滅ぼしかけたんだよね、あいつ。
まあようするに、世界から魔力と生命力を奪う大規模儀式魔術となるのだが――んなことされたら、さすがにこの世界は滅ぶ。
あの時は必殺ネコキックで正気に戻させたんだけど、いやあ危なかった。
世界を個体認識できたってことは、やはり世界生物論が正しいのではないかとちょっと話題にもなったんだけど、それはまた別のお話かな。
ともあれ。
今は神の眷属だから普段ならばそういう事はしないだろうけど。
あのワンコ、私が絡むと途端にブレーキを失って暴走するからなあ。
洒落とか冗談じゃなくヤバイのである。
ようするに。
ワンコ印のこの書は渡せないのだ。
世界を救うためだし。ここダンジョンだし。このダイアナとかいうメロンパン女、吹っ飛ばしてもいいよね?
勇者の関係者だし。
ウサギ司書と違って反省してないみたいだし。
まだホワイトハウルも干渉するつもりはないみたいだし
それで全部が解決なのだが。
解決できない問題が一つ。
尾を揺らしながらダイアナに続く私の背後。
姿を隠匿状態にした聖女騎士カトレイヤが何の気まぐれか、私を心配したようで、武装した取り巻きを引き連れてこっそりついてきてしまっているのである。
私にだけ聞こえる声で、彼女は言った。
「ちょっと……戻りなさい! 何考えてるのよ! これ、ぜったいに罠じゃない!」
『そうだろうね』
「そうだろうね――じゃありませんわよ! あなたねえ! 言っておくけど、わたしじゃあの女には勝てないから、守れないわ」
たぶん、私の試練を突破した今の彼女なら、相手が女神の血筋だろうと圧倒できるほどの差があるはずなのだが。
ネタとか誇張ではなく、マジで。
別に、魔狼が私にしてみせた修行を真似したかったわけじゃないよ?
私にだってそれくらいできるしー、とか対抗心燃やしたわけじゃないよ?
負けず嫌いで嫉妬深いのはあのワンコだけだし、私は普通だし。
うん。
まあ、聖女騎士としての職業レベルが上がったわけじゃないから、まだ気づいていないのかな。
『大丈夫、大丈夫。まさか神の使徒が協力者にいきなり襲い掛かってきたりはしないだろう?』
「う……っ、そ、それは」
『はははは、ごめんごめん。そういえば君、悪心増強の罠にかかっておもいっきし襲い掛かってきたんだっけ』
「悪かったとは思っているわ」
それでもその理由は明確だった。
結局のところは仲間を守りたいのだ、彼女は。
今もこうしてついてきて心配しているということは、もうだいぶまともに戻りつつあるのかな?
未来はおそらく、変わりつつある。
さて、問題は――聖女カトレイヤはともかく後ろの取り巻き達だ。
たぶん、ダイアナの力を浴びたらタダでは済まないだろう。
『それよりも、後ろの君達。危ないから離れて――って、言っても無駄か。護衛をつけとくから、ちゃんと隠れててね。いいって言うまで出てきちゃ駄目だよ?』
言って私は聖者ケトスの書をこっそりと、パラパラパラ。
十重の魔法陣を一瞬だけ解放。
聖書から「うんしょ、うんしょ」と這い出てきた聖騎士猫達が、祝福と組み合わせた護衛陣形を形成、周りを警護し始める。
聖騎士の格好をした白ニャンコ。
いわゆる神話に登場する高位の猫魔獣なのだが、まあ野良の魔竜ぐらいなら軽く捻れるほどのレベルがあるので、取り巻きくん達の護衛としては十分だろう。
実際。
彼等の握る剣も盾も神話の武具、放つ祝福は現存していない幻の防御魔術。今も隠匿状態を維持しながら、最上位の肉球強化魔術で筋力を倍増させているしね。
いやあ、聖書魔術って神話の面白生物も召喚できるみたいだから結構面白いね。
魔王城に帰ったらもっと試してみよう。
思ったら、これも禁術。
神話再現魔術になるんじゃないかと思うのだが……まあ、私オリジナルだからノーカウントだよね?
さて。
こっちはいいんだけど。
残る問題は。
私は前を進むダイアナをちらり。
こいつをどうするか、だよね。