第三領域と聖女達 ~猫の与えし試練~その4
昔を想う心は猫も人間も、元人間の聖女騎士も同じなのだろう。
彼女は案外に穏やかな貌で、見上げていた。
その澄んだ瞳は記憶をなぞるように、暗黒色の空を見上げているのだ。
これで星座でも映っていれば結構、絵になるのだが。
なんもないね。
だって、私が作り出した闇だからね、ここ。
……。
ちょっと昏いから魔力でそれっぽい星でも作っておくか。
猫座に、ちくわ座に、からあげ座。
猫魔術によるイルミネーションである。
そんな私の小細工に気付かず、彼女は浮かび上がってきた星を見ながら瞳を揺らす。
「あれはまだ子供の頃の話。きっと胸も成長するだろうって夢いっぱいだったかわいい子供の話よ。当時の私は、人間としては信じられない程の力を持っていて――まあちょっと忌み子みたいな扱いを受けていてね。いろんな事があったの。そう色々なことが――ちょっと辛かったかな」
清楚な口調をしているが。
私には彼女の心が読めている。
こいつ、忌み子だからと近所の子供に揶揄われたら喧嘩をうって張り倒し、頂点に立つ。ガキ大将みたいなことをしていたようである。
取り巻きを引き連れて、顔をぐじゃぁぁぁっと悪の貌に染めて子供ギャング団みたいなことをしていたようだが――それ以上、記憶を読むのはやめておこう。
迫害される美しい聖女さま……なーんてものを想像していると、真逆だったから、びっくりしていただろう。
「それでも、わたしはまあなんとか育ってきたのだけれど……十四になったその日。暴れ魔竜の首を刈っていたわたしは国の偉い人に呼び出されて、こう言い渡されたの。『汝は強い、強すぎて人としての器から外れている。汝は神の許へ贈られ――天で生きるべきだろう』って。まあようするに、生贄ね」
どーでもいいけど、なんで人間って生贄が好きなんだろうね。
私なんか、生娘を送られてきたって全然うれしくないし。
まあ、高級メロンとかなら嬉しいけど。
「勿論わたしは断ったわ。けれど力持つ存在だったとしても所詮はかよわい乙女――下僕、じゃない……部下! とも違うか……仲間、そう! 仲間を人質に取られたわたしは……国の騎士達には抗えなかった」
『無抵抗で捕まったって言うのかい? 君みたいな性格の子供が?』
「だって、まだ十四よ。大人の男の人が一斉に襲ってきたら……足が竦んでしまうわ」
嘘だと確信していた私は、じぃぃぃぃっと過去視の魔術を展開する。
こいつ。
生贄なんてまっぴらごめんよ! あんたら王族だって生贄には適した血筋なんだから、あんたたちが生贄になりなさいよ! と反抗。小規模な戦争となって、城の半分ぶっこわしてるじゃん。
一人で、半壊させてるじゃん。
ま、本当に仲間を人質にされて……降伏したようだが。
「まあ生贄だったっていうのは幸いだったかもしれないわね。価値が下がるから、そういう辱めはうけなかったし――わたしは仲間たちの将来と引きかえに、生贄を承諾した。もし仲間が一人でも不当な扱いを受けたら、天から呪い殺してやるわよってね!」
『ねえ……それ、聖女のセリフじゃないよね?』
つっこみを気にせず、彼女は言う。
「そんな時だったわ。本当に最後。祭壇で捧げられそうになっていた私を見ていたのは、黒い猫だった。初めは気のせいだと思ったのだけれど、紅い光が空の方でじっと輝いていて――わたしはどうしてかしらね、その光に向かって手を伸ばし――口を動かしていたのよ。助けてって……」
告げる彼女の瞳はまるで今も光を見つめるように、暗黒に輝く空の星を見つめていた。
「そしたら、ふふふおかしいのだけれど。空が暗黒に包まれて、ぶにゃんぶにゃんって――黒猫がね、チーズスティックを齧りながら空から降ってきて、得意げな貌をして言ったの。なんかムカムカするから助けてあげるね~って。幻覚かとも思ったのだけれど、黒猫は十重の魔法陣を自在に操り大暴れ――海を割って、大地を割って――生贄の祭壇を再起不能になるまで破壊尽くしてくれたの」
ん? なんかどっかで聞いたような話だが。
「国の皆は、神が生贄に御怒りになったって大騒ぎ。生贄の文化自体の是非が問われて、結果的に廃止。元は、神に力ある子供を捧げ預ける儀式だったらしいのだけれど――実際はどうだったのかしらね。わたしの時は、まあ邪悪な魔炎で人々を焦がしていたから……厄介払いの意味もあったみたいだけれど」
『厄介払い、か』
いつか西帝国の賢者も言っていたが、特異な力を持って生まれてきた人間はとかく差別されがちで、他のモノとの隔たりも生まれやすい。
それを憂う賢者くんは、そんな子供たちを引き取り育て、道を間違えないように指導していたようだが。
あれ実は世界を救ってたりもするんだよね。
あの賢者が過去の過ち――見捨ててしまった錬金術師ファリアル君の死を悔いて、正しく生きるために心を強くした。
その結果。
将来、世界を滅ぼすかもしれなかった子供たちを救い、その歩む道を変えたのだ。
人間という存在は様々に、複雑に繋がっている。
ともあれ。
聖少女カトレイヤ、彼女も人間の間では疎まれて育ったのではないだろうか。
その横顔に浮かんだ微笑。
苦い笑顔には、どこか諦めにも似た寂しさが滲んでいた。
『なるほど、それで人格が歪んだのか』
「あ……あのねえ、真顔で納得しないでいただけるかしら?」
『ははは、ごめんごめん』
茶化す私に彼女は言う。
「とにかく、わたしは、生贄にされることなく、生まれ持った偉大な力で冒険者になれた。自分の道を進むことが出来たのよ――あなたには負けてしまうけれど、それなりのランクにまで上がっていたのよ? 懐かしいわね。仲間ができて、友達が出来て、恋も知って……生まれて初めて、人を守る事を覚えて――聖女として生きる道を選ぶことができた。私は大事な人を最後まで守りきることはできなかった……けれど、この力であの人が好きだった国を命と引き換えに守ることが出来た。救国の聖女騎士カトレイヤとして歴史に名前を残せる程の功績も作れた。全部、あの黒猫様のおかげなのよ」
大事な人を守り切れなかった。
過去視の魔術で見たその光景は――真実だった。
彼女はその日初めて、涙を知ったのだ。
冷たく朽ちていく愛しいモノの遺体を抱き、ただ静かに頬を濡らしたのである。
それが――。
気丈に生きた聖女カトレイヤ、その生涯、唯一流した涙だった。
それを許可なく見てしまったとはさすがに口にできなくて、私はちょっとだけ話題をずらした。
『ねえねえ、その黒猫ってどんな感じだったか覚えているかい? キリっとしてスマートイケメンな黒猫だったりする?』
「いえ、太々しい顔をしたデ……ふくよかな猫だったと思うけれど。それがどうかしたの?」
『いや、だったらいいんだ』
てっきり嘆きの海峡事件の事なのかと思ったのだが、彼女の口にする黒猫の特徴は私とは一致しない。
別猫なのだろう。
私以外にも強力な力を持つ猫っているんだね。
正体がバレるからそれは口にできないけれど。
腕の中の黒猫を撫でながら、彼女は続ける。
「だからかしら、この子も救ってあげたいと思っただけよ。あれは、きっと異界の神様だったのね。大いなる光様に召し上げられてから、あの黒猫様を探したけれど――見つからなかったのだもの」
『その黒猫って何て名前なんだい? 魔族だったら探してあげることもできるけど』
彼女は首を横に振った。
名も分からない。本当にただの通りすがりだったのだろう。
「これで分かったでしょ。少なくともわたしは余裕があったら弱き者を守るために動く。守り切れないならせめて安全な場所まで逃がしてあげたいと、願う。それがわたしの嘘偽りのない感情、行動理念よ」
だから。
悪心に囚われた第一領域で、私を追い出そうとしていた。
その言葉も本当だったのだろう。
私を弱者だと思い込んでいたせいか、危険な迷宮探索のメンバーから外すため、自らを悪にしてでも行動したのだ。
弱き者を守り切れなかった、あの日の涙を教訓にして。
悪心増長ですこしやり過ぎていたが、彼女はあくまでも私を守るために剣を握り襲い掛かってきたという事である。
なんだ、この娘。
実はイイ子属性を持ってるツンデレなの?
『君がその黒猫を救った理由は理解できたよ。だったら、確かに納得もできる。なるほどね、恩返しだったってわけか。もし過去のこの黒猫が君に出会っていたら――世界も色々と変わっていたのかもね』
「この黒猫、本当に危険な存在なの?」
『まあ、少なくとも二回以上は世界を滅ぼしかけているね』
「それでも――世界は滅んでいない。つまり、この子はもう二回以上も我慢をしていたんでしょうね。世界を滅ぼすほどの恨みを持ちながらも……今もどこかで耐えている。少し、可哀そうね」
『可哀そう?』
「だって、ずっと恨んでいるなんて――辛いわ」
軽く動かした唇とは裏腹。
その言葉には重みがあった。
きっと、彼女も内心のどこかで世界を恨んでいるのだろう。
特異な力を持って生まれ、迫害された過去。強く生きた彼女の人生はさほど昏くは見えなかったが、それはあくまでもカトレイヤ嬢が気丈だっただけであり――普通の乙女であったのなら、辛い境遇だった事に変わりはない。
強く生きなくては、生き残れなかったのだろう。
もし普通の子供として生まれていたら、ここまで強くなる必要などなかったのだから。
そんな彼女が死後、どうして神のために働こうと思ったのか私には分からないが。
まあ、嫌いじゃない。
私はかつて聖女と謳われただろう元人間。
カトレイヤの見せる純粋さを見据えながら、言葉を告げた。
『いいよ、私の負けさ。合格だよ。君がその心を失わない限り、私は君に協力しよう』
「え……?」
『魔狼のためにも、君たちのためにも。どうか――その心を忘れないでおくれ』
「あの、その……」
闇の中で誓う私に、彼女は戸惑いを隠せないでいる。
『どうしたんだい?』
「か、顔が近いのよ! あなたねえ、ご自分の貌をもう少し意識して貰わないと、困りますわ!」
フンと腕を胸の前で組んで、彼女は怒りを示している。
ふむ。
やっぱり人間の心ってよく分からないな。
元人間だけど。
そして、もっと分からないのは。
私はちょっと離れた場所にいる女をちらり。
今、目の前にやってこようとしている槍戦士様。
私を勧誘しようと企む、女神のような微笑を放つ聖職者ダイアナの心だった。
カツリ、カツリ。
足音が響く。
「あら――なにかしらって……うげぇ、あの子、また来てるわよ」
『んー……そう、みたいだねえ』
戦乙女風の美女、槍戦士ダイアナが近づいてきたからだろう。
聖女の腕の中にいた猫が、ぶにゃーんと鳴いて闇の中へと消えていく。
あの黒猫は光が嫌いだから、まあ仕方ないね。
それにしても、他者を排除する私の結界に侵入してくるとは――なかなかどうして、生意気ではないか。
さて、私もあの黒猫のように退散しよう。
「な、ちょっと! 引っ付かないでくださいます!?」
『いいからいいから、ちょっと隠れさせてよ』
ネコの試練を解除して、サササと聖女カトレイヤの後ろに隠れたのだが――。
ダイアナ嬢はぐるーりと回って、カツカツカツ。
清楚な顔立ちに作り笑顔を乗せた戦乙女が、生意気にも図々しく私の前に立つ。
「まあ! 偶然ですわね! 白銀様のお連れ様。こちらにいらっしゃったのですね。探してしまいましたわ」
偶然なのに、探していたって、なんやねん。
私はじぃぃぃぃっと女をジト目で睨み、つい嫌がらせを言ってみてしまう。
『えーと、君は、だれだっけ?』
「あら、御冗談。わたくし、あなたを助けて差し上げたのですけれど。まさか、忘れてしまわれたのですか?」
他人の記憶を勝手に消去して、神の下僕に変えてしまう狂信者を忘れるはずがない。
こいつ。
ホワイトハウルに忠告されていたのに、ぜんぜん懲りてないでやんの。