皇女の涙 ~ヤキトリは命並みに重い~
戦いのせいか。既に夜は更けていた。
姫は安堵の表情を浮かべている。アーノルドが無事で、私の動いている理由が彼からの依頼だと知って安心したようである。
私も姿をあの時の猫に戻していた。だって人型は動きにくいしね。
「と、いうわけさ。ちゃんと彼は無事だよ」
だいたいの事情を説明すると、彼女は、ふふふと口元をおさえ嬉しそうに笑いだした。自分で自分に死の呪いをかけておいて、なかなかの根性である。
まあ変わり者だっていうのは戦闘で理解したが。
ともあれ。
「まあ。じゃああなた、本当にあのおで……猫ちゃんだったのですね」
「あの時は世話になったな。にゃはははは、しかし運のいい娘だ」
「あたしの運がいい?」
「ぐふふふふ、もしヤキトリを貰っていなければうっかり殺していたかもしれんのだからニャ!」
ヤキトリに助けられたあたしって、と彼女は複雑そうだ。
「ヤキトリといえば……あたしの分が残っているから、召し上がります?」
「うむ、まあ、どうしてもというのなら貰ってやらんでもないぞ」
尻尾がもっふもっふと膨らんで喉がゴロゴロと鳴りだしてしまう。
彼女は胸の谷間から新しい扇を取り出すと、バサリ。
空間を捻じ曲げ、亜空間から袋入りのヤキトリを貢ぎ物として差し出してきた。ついでに自分用の紅茶セットもだすあたり、なかなかちゃっかりしている。
「あら、あまり驚きにならないのですね」
「なにがであるか?」
焦らさず早くよこせと肉球でぺしぺし。
「何もない場所からとりだした魔術の事ですわ。これをするとみんな、あたしを変な目で見るの」
「亜空間収納なんて誰でもふつうにできるだろ?」
「そうですわよね! やっぱりあなたもそう思いますわよね、まあ、ふふふ! さあ、どうぞもっと召し上がってくださいな」
肉球で串をおさえて、むっしゃむっしゃ。
あー、やっぱヤキトリは神だね、神。
どっかで祀られてるらしい私よりも神。
「それにしても。あんなに強いだなんて、よっぽどいいご主人様に飼われていらっしゃるのね」
「その通り、魔王様はよっぽどいいご主人様だよ」
さて、そろそろ話をしないと暗黒空間に残してきたアーノルドくんが心配するだろう。
私は人型の姿に変身した。
この姿の方が猫の思考に意識を奪われにくい。
少々シリアスをしなくてはならないのなら、こちらのほうがいいだろう。
私は口いっぱいに頬張ったヤキトリをムッチャムッチャしながら、彼女の貌を真剣に覗き込んだ。
「どうして自分に呪いなんかをかけたんだい」
意識した声は、教会懺悔室の神父様である。
彼女は紅茶を注ぎながら、ぽつりぽつりと語り出した。
「意識して、したわけではないのです。自分でも呪いを掛けている自覚は……ええ、なかったはずだと思いますわ。でも――」
ぽとり、ぽとりとミルクを垂らし、彼女はそのまま続けた。
「あたしは大事な家族を壊してしまいましたの……このプロイセン王宮にはもう、家族としてのあたしの場所はなくなってしまった。聖女と呼ばれあたしが強くなればなるほど……お兄さまは野心的で、傲慢になり……歪んでしまったわ」
なんか儀式やってるあのバカ皇子か。
あ……そういやこの辺の魔力くっちゃったからあの儀式、遅延するか壊れてるかしてるなたぶん。
……まあどうせ、ろくでもない儀式ぽかったから別にいいか。
「あたしなんかがいなければ、兄さまはきっとご立派になっていたはず……そう思っていました。幼い頃のお兄様は本当に……優しく、聡明で、輝いていらっしゃいましたから……今でも、あの日に帰りたいと夢に見ることがあります」
あの日に帰りたい、か。
「時間逆行は人の身で届く領域じゃないだろうね」
「ふふ、そういう意味ではないのですけれど、あなたならできるのかしら? 可能ならば何度でも同じヤキトリを楽しめますものね」
彼女は困った様に、しかし少しだけ微笑んだ。
答えをはぐらかすように、私は肩を竦めて見せた。
「こんなに楽しい日々が続くのならいいのですけれど。現実は違う。あたしは皇女で聖女。そして、お兄様にとっては王権を奪う嫌な妹。いっそ……あたしなんて生まれてこなければ良かったのに。消えてしまいたい、そう考える瞬間が何度もありましたわ」
生まれを呪う、か。
たしかに彼女ほどの魔力があれば……しかし、それだけではどうも腑に落ちない。
「なるほど、それで無意識のうちに自分自身を呪っていたのか。でもおかしいな、その程度の感情だと自分で気づかないうちに自身を呪い殺す力なんてでないはずだけど」
「それは……」
呪いというのはそれなりに強力な儀式なのだ。
人間への憎悪と怨嗟から猫魔獣に転化した私なら、ちょっと本気で殺したいと睨むだけでドラゴンぐらいなら殺す事も可能だが、並の人間ならそうもいかないだろう。
「まだ心当たりがあるんだね」
膝の上で自らの手をぎゅっと握り、彼女はこくりと頷いた。
「もう、戦いたくないの」
「戦う? なにと? 君、お姫様なんでしょ」
「相手は人間。戦争ですわ」
彼女の瞳は遠くを眺めていた。
「聖女と持て囃されておりますけれど、所詮あたしはただの人殺し。敵国とはいえあたしの手で何人もの命を絶ちました、そう、もう顔も名前も数さえも覚えていないくらい、多くの命を摘んでしまいましたわ」
「そりゃあ戦争なら、そうなるだろうね」
「ええ、仕方のない事だとはわかっておりますわ……」
でも。
心は割り切れないのだろう。
「もう戦わなくていいといってくれたのは、一人の騎士様……アーノルドだけでしたの」
懐かしむようにそう呟いた後。
揺れる紅茶を口にしながら彼女はつづけた。
「女って駄目ね。ちょっと優しくされたくらいで、聖女という名の化け物ではなく、ちょっと人間扱いされたぐらいで直ぐに心を奪われてしまって。それでもあたしにとってあの方だけは――心弱いあたしを守ってくれる、そう信じておりますの」
その横顔は無垢な少女だ。
揺れる紅茶の表面を眺める彼女の瞳には何が映っているのだろうか。
戦争の記憶だろうか。
騎士の貌だろうか。
私には分からない。
魔術で心を読んでしまってもいいが、私はそれをしなかった。
私はもはや人間ではない。猫でもない。純粋な魔族ともおそらく在り方が違っているだろう。しかし踏み込んではいけない領域というものはあるだろう。そう思っていた。そこまで無神経ではなかったのだ。
けれど私は知っていた。
人間は残酷だ。
時に闇に生きる魔族よりも酷く、醜い生き物だとも知っていた。
事実、彼女の兄は我々の価値観からみても非道と思える儀式を行っていた。
「けれど。お父様も兄さまも、まだあたしに国のために戦えと言うの……あたし、もう疲れちゃったわ」
まあ人間としてはかなり強い方らしいのだ。
戦力として数えられてしまうのは仕方のない事だろう。それに、兄としてみればもし戦争で妹が戦死すれば全てが丸く収まる。王位継承権を奪われる恐怖から解放されるだろう。
それが彼女を戒める鎖。呪いか。
「しかし変だね。今この国の治安は安定している。野良猫に扮していた私にご飯をくれるほどの余裕もあった。荒れている国だとそうはならないんだ。戦争なんて起こりそうもないけど、君に何と戦わせるつもりなんだい」
「西のバラン帝国の事はご存知?」
「ああ、たしか……海産物が名産になっていると耳にしたことがあるよ。でもこの王国からはだいぶ西にあるんだろ? それに。こことあそこの間には大森林がある、人間と敵対している亜人族が棲んでいる筈だから簡単には通れない、攻めてくることはないと思うのだが」
「そう、昔は確かにそうでしたの。けれどあの日から変わってしまった」
あの日。
そう呟いて。
彼女は恨みがましく天を仰いだ。
「あの地域の亜人族を束ねる長。オークの神と謳われるジェネラルゴットオーキストが謎の重傷を負い、隠れてしまったのよ。あのオーク神は確かに人間との共存を拒んだ亜人族でしたが、西と東を阻む防波堤の役割も担ってくださっていました。けれど傷が癒えるまであのオーク神はいない。無法地帯となってしまった今、行軍も可能となってしまったのでしょう。力ある魔族が健在だからこそ人間同士が平和だったなんて、皮肉な話ですわね」
「あー……、オークね、オーク……」
オーク神。
最近重傷を負った、オーク神……。
会議のときのあの豚君はたしかぁ……。
……。
あー、やっぱ。
これめっちゃ私のせいじゃん。
タラタラタラと冷や汗が浮かぶ。
「魔族の貴方ならばオーク神になにがあったのかご存じなのでしょうか?」
「ふぇ? し、しらないよ」
よし。
なんの違和感もなく返せた。
「それにしても。あたし自身に、呪い……か」
私の動揺を知らず、彼女は自嘲する乙女の貌で続けた。
「きっと。もう人間と闘いたくない。人間を殺めたくない……そんなあたしの弱い心も、自分を呪う原因となっていたのでしょうね。悲劇のヒロインでも気取っていたのかしら。ほんとあたしったら、こんな自分勝手で卑怯な自己満足でアーノルドにもあなたにも迷惑をかけてしまうなんて、嫌な女」
すんません。
めっちゃ私のせいです。
汗がじとじとと伝う。
私自身のために、話題を変えるべきだろう。
それに。
彼女の呪いはまだ解けていない。
少しまじめな話になってしまうが、今無理やりに私がこの呪縛を解除したとしてもいつかまた、同じ呪いを自分にかけてしまうだろう。
私は窓の外を眺めた。
満月だった。
この月は地球から見えた月とは少し違う。
それでも美しいと思った。
月を美しいと思う心は、まだ私の中に残っている。
それが少しだけ、嬉しい。
私は言った。
「まあ自分を呪い殺しそうになるほど悩んでいる君には悪いけどさ、嫌ならもう戦わなければいいじゃないか」
「え?」
「だって君、私ごときに負けただろ? もしこれが本当の戦場だったら君はもう死んでいる。違うかい?」
「それは、そうですけれど――」
私は魔力を少しずつ解き放ち始めた。
彼女の持つ心的魔術結界を破り近づきながら、
「そりゃ並の人間よりは強いけど、所詮は脆弱な人間なんだ。君一人が戦わなくなったところで何も変わらないさ」
私は言った。
今の彼女は無防備だった。
大魔帝としての私の力が、彼女から全ての動作を奪っているのだ。
「それにだ。何度も戦争し、何度も人を殺し――この細い手を血に染めて、国民を守り続けたならさ、もう義務は十分果たしたんじゃないかな」
「それでもあたしは……」
体温を伝えるように、手を重ねた。
「争いを嫌う普通の女の子を無理やり戦わせる国なんて、どうでもいいじゃないか」
魔族としての魔性を隠すことなく私は囁いた。
それはおそらく。
皇族としてはけして思ってはいけない言葉。
けれど、心の奥底で燻り続けていた言葉なのだと思う。
私は魔族だ。
人間の心の弱さを暴く術を知っていた。
「君は、もう十分頑張ったんだよ」
彼女の頬が微かに赤く染まる。
きっと。
人間ならば誰もが言って欲しい言葉なのだと、私は思う。
人間を捨てさり、猫の魔性として生まれ変わった今でもそう思うのだ。
「お願いがありますの」
「なんだい」
「あの猫ちゃんの姿になっていただけないでしょうか」
「どうして?」
「ちょっと今の貴方の姿だと、その……恥ずかしいから」
少女の動揺する表情をからかうように、肩を竦めて見せて、そのまま私はいつもの猫の姿へと身を変形させる。
「これでいいかい?」
少女はネコに戻った私を抱きしめ、
「ありがとう……」
小さな声で唇を震わせた。
「あたしのことを普通の女の子といってくれて」
ありがとうございます、と。
彼女はもう一度小さく喉を震わせた。
表情は見えない。
なにしろ私の貌は胸の中に押し付けられているのだから。
きっと泣き顔を見られたくないのだろう。
今の彼女は普通の女の子だった。
聖女でも戦士でも皇女でもない、女の子。
彼女の中から呪いが消えていく。
自身を蝕んでいた死の呪縛が、ようやく解き放たれたのだ。
空間を叩く音がする。
バンバンバンバンッバババン!
暗黒空間の中でアーノルドくんがめっちゃ凄い形相で叫んでいるけど、まあ呪いが解けたんだからいいじゃないか。
 




