別たれた道の行方 ~魔狼の決意~
緊張感が戦場となりつつある外郭に広がっている。
魔王様を慕う私を暴走させるほどに膨大な力の持ち主。
冷徹なる敵意が私の猫フワ毛を突き刺している。外郭結界を破ったその鋭き眼光の正体は、かつて魔王軍に在籍していた魔狼であった。
彼の名はホワイトハウル。
百年前、私達と共に魔王様を御守りし大魔帝の位を預かった大物魔族。
公明正大な性格、そして神獣という性質故に――大魔帝の位を返還し魔王軍を離れ、今は大いなる光と呼ばれる神に仕える厳格な男である。
外見はそのまんま巨大シベリアンハスキーなのだが……その顔つきはまさに戦士のソレとなっていた。
今の彼から漂う空気は、フェンリル神といえるほどに神々しい波動。
それは私の全盛期の全力状態を彷彿とさせる姿だった。
異形と化しているのだ。
本気、ということか。
少し見ないうちにレベルアップを果たしていたのだろう。
前に再会した時よりも、強大な魔力を感じさせる。
暴走を抑えるように人型獣人モードに身を戻した私は懐かしき友の顔を瞳に捉え――。
複雑な感情を噛みしめながら呟いた。
『ああ、そうか――君だったのか』
『おまえの結界を破れるほどの使い手は、もはや、この世界にそうはおるまいて』
魔狼は霧のブレスを零しながら答えた。
『なるほどね、君なら確かに――外郭結界を破る程の力を持っている。どうして気付かなかったんだろうか』
それはおそらく。
私の心のどこかが、その真実を信じたくなかったのだろう。
結界を破られた時に感じた隠匿属性は……もしや私自身が――いや、考えても仕方がないか。
微かな苦味が、喉の奥をじりじりと焦がす。
猫ではなく獣人のようなしぐさで、私は皮肉めいた言葉で友の帰りを出迎えた。
『里帰りをしにきたのではないだろう? 何の用だい』
魔狼はすぅっと瞳を細める。
『無粋な問答は好かぬ。我が内に膨らむ魔力。この慟哭と滾る魔性。何をしに参ったか、分からぬわけでもあるまい』
『私には、君が攻め込んできたように思えるのだが、どうだろう?』
『理解が早いな魔猫。ならば我が本気であると――汝も気付いておるのであろう? 我らの道は既に違えた、もはや引き返すことなどあるまいて』
魔狼の牙が、ぎしりと鋭い魔力を放ち始める。
私の自動殺戮モードと同じく、彼もまた、暴走寸前なのだろう。
『そうか――残念だよ。とても。ね』
私は静かに、思い出の中の彼と目の前の彼を見比べていた。
かつての戦友。
彼とはつい最近、とある事件で再会した――。
あの時はまだ、友と呼び酒とご馳走を交わした仲だったが。
彼は神の眷属。
私は魔の最高幹部。
共に歩む道は違っていた。こうなる未来もあり得ると理解はしていた。
公明正大な彼は自らが信じる正義を何よりも優先するのだろう。
ホワイトハウルと知己であるサバスが何やら声をかけようとするが、私はそれを手で制止する。
危険、だからだ。
この魔狼は――おそらく既に完全に覚悟を決めている。
我らとの敵対の道を選んだのだ。
魔狼と、そして部下達が安易な行動をしないように私は滾る魔力を放出し始める。
ザアアアァアアッァアァァァアアアア――ッ!
動いたら、殺す。
そんな殺意を纏った空気を出したのである。
『格下を襲うほど君は卑劣な男ではないと信じているが、どうだろうか? それとも、私の知らない間に、公明正大な性格は歪んでしまったのかい?』
皮肉と挑発。
これくらいの戯れは許されるだろう。
『ふん、相変わらず甘い――そして同時に尋常ならざる殺意を躊躇いもなく放つ恐ろしき男よ。きさまは、いつまでも変わらぬのだな。我は……もはや変わってしまった。あの時、あの瞬間に、な』
少しだけ遠くを見て、魔狼は言葉に感傷を乗せて囁いていた。
あの時、あの瞬間?
やはり、何かがあったのだろう。私と敵対する道を選ぶほどの、何かが。
それが彼を変えてしまった。
異形と化していた魔狼は言葉を続けた。
『まあ、良かろう。部下が大切ならば下がらせればよい。我も脆弱なる小童どもを盾にし逃げるおまえなど見たくはないのだからな』
『助かるよ。そうそう、悪いのだけれど――お茶の用意はできていないんだ、できたら今日の所は帰って貰えたら猫ちゃん的には助かるのだけれど――どうかな?』
戯れに乗せていたが、言葉は本気だった。
できれば戦いたくない。
そう言っているのだが、魔狼は僅かに眉を顰めただけ。
『もはや、我は――引き下がれぬ。必要以上の戯れは戦士への侮辱であるとしれ』
彼の言葉に戯れはない。
ウサギ司書が彼のことを冷徹と断言していた理由がよく分かる。
私と戯れていた時のホワイトハウルは、まさに駄犬、遊びとご飯をなにより尊び、庭駆けまわるおバカだったのだが――。
目の前にいる獣から放たれる敵意はまさに、凍える刃。
本気、か。
『すまなかった。揶揄いたいわけじゃなかったのだけれど――仕方ないね。なら私も、魔王軍最高幹部として対応させて貰うよ』
すぅっと瞳を細め、魔杖を取り出した私は空間を遮断する。
瞬時に展開する十重の魔法陣。
結界を張ったのだ。
心配に瞳を揺らすジャハルくんが声を張り上げた。
「ケトスさま!」
『サバス、ジャハルくん――皆を頼む。これからここで神話クラスの戦いが起きるだろう。下がっていてくれ』
ジャハルくんは拳を強く握り、唇を噛むが――頭を下げて、身を引いていく。
相反するようにサバスが手を伸ばし、必死に叫んでいた。
「しかし――ホワイトハウル様とあなたは……友と戦うなど……っ」
優しさと困惑の込められたサバスの言葉に、私は尾を横に振った。
もはや……道は違えた。
振り返らず魔狼を睨み、牽制。
ダンディ人型獣人モードのまま器用にモフ尾の先だけを動かし、皆に返事をしたのだ。
悪いけれど、邪魔だ。
この戦いでは、弱き者を守る事自体が弱点となる。
――離れていておくれ。
と。
決意と覚悟を含んだ私の意図を察したのだろう、サバスはジャハル君と目くばせをし――部隊を下がらせ結界の上に彼ら自身の結界を張り始める。
これで私と魔狼は隔離され、魔王軍の皆は安全となった。
『お待たせしてすまなかったね。まあ少なくとも、私と敵対する覚悟を決めてきていることは十分に理解できたよ。それで、突然の強襲の理由は説明してくれないのかい?』
私の言葉に、獣の唸りが帰ってくる。
『ほう、貴様。気付かぬふりをするというのか?』
『何の話だい?』
『とぼけるな! 我は全てを知っているのだぞ!』
ガルルルルルと唸る声は大地を叩く。
ただ立っているだけで、魔狼は周囲を圧迫していた。敵を裂く程の物理的な破壊力を持つ威圧感が、周囲を潰しているのだ。
が。
私はそれを軽く肉球からそよがせた魔風で払う。
魔狼の瞳が揺らぐ。
そう。
彼が短時間でレベルアップしたように、私も短時間で大幅なレベルアップをしていたのだ。
『先に忠告しておくよ君は友だ。たとえ歩む肉球の先が違ってしまってもそれだけは変わらない、私はそう思っている。けれど――』
抑えていた魔力を更に解き放ち。
ギラリと敵対者を睨み、冷徹に告げた。
『私の大事な部下を傷つけるというのなら、私は君を滅ぼす』
続けて。自らの立場と決意を私は、名乗り上げる。
『我は大魔帝。魔王様より魔族の皆を預かりし異形なる魔猫ケトス。たとえかつての友といえど、我は魔王様の爪であり、牙。魔に仇なす外敵を排除する者なり!』
ゴゴォオォオゴゴゴオ!
名乗り上げ、その行為自体が私にとっては魔術詠唱に近い。
それはさながら魔王様の本気モード。
赤い魔力を胎動させながら浮かぶ私の身体は、敵となった魔狼を迎え撃とうと臨戦態勢を取っていた。
たぶん。
悪魔とかでてくるタイプのダークファンタジーな格闘ゲームの、キャラ選択画面とか、リザルト画面で、超かっこうよく決めポーズをとるイケメンダンディ魔族っぽい姿になっているだろう。
それも、今はあまり自慢にはならない。
私は――今から。
友を殺すのだから。
『これは――きさま、あれから更に魔性を増したというのか!』
膨れ上がる私の力を感じ取ったホワイトハウルの身が、毛が、瞳が――ぶるりと震える。
力強き獣である彼は察したのだろう。
私があの時よりも更に強大な存在になっていることを。
『君にも私にもそれぞれの物語がある。時の流れを歩んでいるのは君だけではないという事だよ。君が私の知らない場所で強くなっていたように、私も君の知らない場所で強くなっていた。ただそれだけの話さ』
『ぐふ、ぐふぁふぁふぁふぁふぁ! 愉快だ、愉快であるぞケトスよ! 我は汝を侮っていた。あの日、再会した時点でのきさまを既に超えた自信はあったのだ。なれどまさか、そちらも強大になっていたとは!』
暴走する魔力を抱きながら、魔狼は狂気じみた言葉を漏らす。
戦いは避けられないか。
しかし、彼が攻め込んできた理由。
それがはっきりと分からないのは、正直気に入らない。
ホワイトハウルは大いなる光を主人と仰ぐ、神獣。
神の眷属。
事情通で独自の情報網がある大物、色欲の魔性フォックスエイルの話では今、大いなる光は弱体化しているという。
それと関係した出来事か。
ならば――私は覚悟を決めて、かつての友を見た。
もう、引くことはできないのだろう。
私が魔王様のために何でもしてしまうように、大いなる光を主人と仰ぐ魔狼は……主人のために何でもしてしまうのだろう。
ならば、せめて――。
私は凛とした言葉と態度で、魔狼をまっすぐに見つめた。
ホワイトハウルは異形と化した全力状態、対する私は暴走を抑えるために、猫モードより数段も力の劣る獣人形態。けれど、それでも力の差は歴然だった。
おそらく、私が勝つだろう。
きっとホワイトハウルもそれに気付いている。
彼ほどに力のある存在ならば、相手の力量をはかる能力も鋭い。
しかし。
魔狼は引こうとはしなかった。
それは彼の矜持。
プライドという名の信念。
敗走よりも死を選んだのだろう。
私はこれから彼を滅する、その前に――どうしても知っておきたい。
『かつての友として。一つだけ、頼みを聞いてくれないだろうか』
『ふん、なんだ、言ってみろ』
『全てを捨ててでも君が攻め込んできた、その理由が私には分からない。君は魔王様には恩を感じていたはずだ。その大恩から目を背けてまで君が決意した、原因。それを知りたいんだ』
魔狼は息を呑んだ。
『本当に、わからぬというのか?』
『ああ、私には――思い当たる事が多すぎる』
瞳を伏し、様々な想いの中に意識を沈ませながら私は告げていた。
私という大きな存在が動くこと。
それだけで世界は大きく動きを変えるのだ。つい先日も、まあ数ヵ月前だが……私は死ぬべき運命だった人間の英雄と集落の人間を助けた。その英雄を追っていた大魔獣と戦い、殺し――そして、蘇生させた。
人助けだ。
紛れもない善行だ。しかし世界を捻じ曲げ、運命を捻じ曲げてしまっているのも事実。
戯れに与える私の奇跡、所業が、神のサイドにとってはどんな悪影響を与えているかは私には分からない。
『いいだろう、分からぬというならば思い出させてやる』
私は彼の言葉を待った。
もし、その因が私にあったとしたら、それを胸に抱き彼を滅する。
それが私の選んできた我儘への罰なのだろうと、思う。
君の中の重荷を全部、背負い――君を殺す。
そう私は、心に決めていたのだ。
魔風吹き荒ぶ戦場で行われた――友と私との最後の取引。
風が私の膨らむ獣毛と心を揺らす。
そして、彼は言った。
『貴様は我を裏切った! 我というモノがありながら、ニワトリごときとシグルデンへと散歩に赴き! 我を蔑ろにした。更にその上で、一番の大罪がある。我を、我を――ッ唐揚げパーティに誘ってくれなかったではないか! これは――紛れもなく、裏切りである!』
あまりにも悲しい魔狼の過去。
衝撃の事実。
決別と死を決意させた、その揺れる心が伝わってくる。
しばらく、私は固まってしまった。
……?
『え…………今、なんて?』
『聞こえなかったのか? それとも白々しくも自らの裏切りから目を背けるのか? ならばもう一度告げよう、汝は我を裏切った。なにゆえ、なにゆえに! 唐揚げパーティに我だけ誘ってくれなかったのだ!?』
からあげ。
それは全てを狂わせる魔性のごはん。
魔王城の上空。モキュモキュと結界をたのしそうに作っている黒マナティの横。
地獄から這い出てきた魔界の鴉が、アホーアホーと鳴いていた。