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エピローグ【SIDE:ファリアル】 ~血染めのファリアル編~ 4/4


 今更になって、ファリアルは少し後悔をしていた。

 もし、彼を心配する人間が少なからずいたのならば――あれは非道な行いと言えなくもないと感じたのだ。

 だから素直に種を明かした。


「ワタシはこれでも天才と言われていましたからね――オートマタに疑似的な魂を打ち込み、幻術と合わせて錯覚させるくらい……できてしまうのですよ」


 言ってファリアルは、カップに紅茶を注ぎ――魔力を流す。

 カップの中身は紅茶の筈なのに、そこにはただ透明な水が映っているように見えた。

 シグルデンに亡命したファリアルは、自らの死を偽装するために一つの芝居を打っていたのである。


「お分かりいただけましたか? 幻術の腕は隠していたので、気付かれないと自信はありました。あなたの目さえ欺いてしまえば……後はただの木偶の某しかいませんでしたからね」


 賢者は納得した様子で、頷いた。

 自らの積年の想いを整理するように、老人の唇は淡々と呟いた。


「やはり幻術……だったのか。それも幻影を実体として維持するほどに高度な、ああ、そうか。そなたが簡単に洗脳され、壊れて帰ってくることなどないと思っていた。どこかで生きていると思う瞬間が何度もあった……やはりそうか。なるほどな――そなたは、まごう事なき天才だったのだからな」


「あの頃のワタシは全てがどうでもよくなっていた。いっそ消えていなくなりたかった。憎悪で全てを破壊してしまう前に……人間という怪物から逃げたかったんです」

「ファリアル……」

「ワタシはね……。畏れ多い事は重々承知しておりますが――ケトス様の御心が理解できてしまうのですよ」


 憎悪を胸に抱く男は、そっと厨房の窓から外を見る。


「荒れ狂うほどの絶望。張り裂けそうな程の憎悪。全てを恨み、全てを壊し――何もない無、平穏を手に入れたい。そんな破壊衝動が……心のどこかに存在しているのです。それでもワタシは破壊を拒絶した。だって、負けたみたいで嫌じゃないですか――だから、いっそ……当てつけるように人間達に見せつけてやりたかった。お前たちが捨てた男は、遠き雪国で洗脳され、壊れた兵士として帰って殺され死ぬ。そんな喜劇を――見せつけてやりたかったのです。それがあの幻影、ワタシのささやかな復讐だったのです」


 今思えば、卑怯な置き土産だったかもしれない。

 ファリアルは大人びた静かな顔つきで、そう詫びた。

 穏やかな貌だった。

 おそらく、彼自身でも驚くほどに――血染めのファリアルの顔は平穏だったのである。


「その復讐に、わたしたちはまんまと騙されたわけじゃな。あの後、お前の死を知らされた者たちの顔を、お前にも見せてやりたかったな」

「おや、それは……すこし悪趣味でしょう」


 当時の人々はどんな顔をしていたのだろうか。

 ファリアルには分からなかった。

 分かりたいとも……思わなかった。

 もはや全てが終わった事。詮無い事なのだと心は納得していた。


「平和は人を変えるからのう……それに、魔と人との戦争が終わり、時代は、そなたも知っているように人と人との戦争の時代に変化している。英雄を求める心というモノは我儘で恥知らずなのだろうな――人間たちは人間との長きに渡る戦争の途中、そなたのような絶対的な強者の存在を求め始めていたのだよ」


 賢者は言った。


「人を救ってくれてありがとう」


 ずっと言いたくて、言えなかったその言葉。

 言えずにいたまま、機会を失ってしまった後悔の言葉。

 横たわる友の遺体を抱き、後悔に咽び泣いたあの日の嗚咽。あの時の慟哭は、賢者の心にいつまでも刻み付けられていた。

 人間のため、全てを犠牲にし戦った者へのせめてもの償いに――人と魔との戦争を回避するべく賢者は正しくあり続けたのだ。

 ファリアルの死が、賢者を聖人へと成長させていたのだろう。

 だから無駄ではなかった。

 彼のささやかな復讐。悪趣味な置き土産は――無駄ではなかったのだ。


 賢者は言った。


「守ってやれずに――すまなかった。そなたに救われた人間の代表として、当時のおぬしを口汚く罵った者たちに代わり、どうか謝罪をさせてくだされ。ファリアル。あなたこそが英雄だ」


 ファリアルは何も答えられなかった。

 答えなかったのではなく、答えられない――それが賢者にも伝わっていたのだろう。

 首を横に振り、何も言わなくていいと目で語る。

 二人は友だった、だから伝わったのだろう。


「今のファリアルの名には、それほどの汚名はついておらん。血染めという名も、この帝国の中ではなくなりつつあるのだ……そなたがいなくなってから、そなたが死んだと広がってから……次々と証言が上がってな。そなたを謗る民衆の空気、同調という名の狂気に囚われて誰も言えなかった真実が……皆の口から上がったのだよ」


 多くを救ったのだ。

 確かに、そういう証言をする変わり者もいたのだろう。

 証明するように。

 老人は老いた手を伸ばし、亜空間から書を取り出した。


「これは――?」

「そなたの名誉を回復するために、そなたに救われた人々が残した署名じゃよ。人間のために心を殺し、弱きものを救い続けるために……手を血で染めた英雄ファリアル。血染めは血染めでも……救うための血であったと、歴史に名を残すことにしたのだ。それが、我ら人間がそなたに返せるせめての償い、詫びだったのだよ。あれから――長い時が過ぎた。この署名をしてくれた皆は老いて朽ちて眠ってしまった、もう――この世にはわたし一人しか残っていない」


 書を受け取り、ファリアルはわずかに眉を顰めた。


「これは……生命保存の契約書……ですか? 特殊な魔導契約ですね」

「その通りだ。この署名をしてくれた者たちから許可を得て、その寿命を僅かながらも受け取り続けた、それがわたしがいまだに生きている理由とカラクリ。魔術師の言葉で言えばインチキなのだよ。彼らが残した言葉をそなたに伝えるために――わたしはこのような恥を晒す齢まで生き続けた」


 書が開き始める。

 著名を残した人々の言葉が、魔力ある言葉となって紡ぎ出された。

 そこには、人々がいた。

 かつて英雄を追い出した事を恥じ、悔いる人々の言葉が残されていた。

 その残影を代表するように。

 賢者は言った。


「ありがとう、そしてすまなかった。英雄よ」


 それは友としてではなく。

 人間の代表としての言葉だったのだろう。

 賢者はその言葉を漏らした直後に、糸が切れた人形のように静かに身体を崩し。

 椅子に、深く腰掛けた。


「やっと伝えられた。やっと……」


 賢者は黙り込んでしまった友に向かい、声を出した。


「これから、どうするつもりなのだ」


「シグルデンの人々が落ち着いたら――ワタシはケトス様の場所、魔王軍に入ろうかと思っています。もはやこの身体も真っ当な人間とは、言えませんから」

「そうか、それもいい――だが……この帝国はいつまでもそなたの帰りを待っている。疲れたのならば、たまにでいい。帰ってこい。頭の片隅でいい、どうかその事を覚えておいておくれ」


 ファリアルはスッと立ち上がり。

 賢者に背を向けたまま、言った。


「しばらく、鍋の様子を見ていただいても構いませんか?」

「構わぬが――どうしたのだ?」


 賢者は貌を上げて、小さく震わせた声をあげていた。

 そんな友に、苦笑し。

 ファリアルは眉を下げた。


「外に空気を吸いに行きたいのです」

「このタイミングでか?」


 気を遣ったつもりなのだが。

 そこでファリアルはようやく気が付いた、友は気が付いていないのだ――と。


「友の泣き顔を無粋に見続ける程――ワタシも空気の読めない男ではなくなりましたから」


 老人はやはり。

 自らが涙を流していると気が付かなかったのだろう。

 はっと自らの頬を指でなぞり――。

 涙を拭い、気まずそうに微笑み言った。


「ああ、そうか――安心せよ。大魔帝ケトス様への献上品だ、焦がしたりはせぬから行ってくるといい」

「頼みますよ。あなたは穏やかで誠実そうでしたが、すこし抜けている所もありましたからね」

「空気の読めない所は――変わっておらんではないか……」


 言葉を背中に受けて――ファリアルは道を歩く。

 役目を果たし。

 静かに泣く賢者を残し――。

 ファリアルは、無礼を承知で牡鹿の骨兜を取り出し被り。

 外に出た。


 ◇


 大樹改造の魔術を直接目にしようと歩くファリアル。

 中庭に向かうその途中。

 あの時、ファリアルに壁の傷の件で話をしたおっとりとした女性修道士が目に入った。

 なにやら祈りを捧げているようだが。

 どうも様子が変なのだ。

 まったく、祈りの波動を感じないのである。

 祈りの奇跡を発動させるだけの魔力は十分に備わっている筈なのに。


 彼女は気配に気が付いたのだろう。

 振り向くとファリアルに礼をして見せた。


「あら、どうも。今日はよくお会いになりますね。神様がなにか伝えたい事でもあるのでしょうか……なんて、ただの偶然でしょうけどね」


 聖職者なのに奇跡を信じない。

 ずいぶんと変わった人だとファリアルは妙な親近感が湧いていた。

 まじめな女性修道士ならばきっと、彼は足を止めなかったし、ましてや声を掛けようとは思わなかっただろう。

 偶然という名の奇跡のまま、男は問いかけた。


「何を祈っていたのですか?」

「特に何も。お仕事だから祈っているだけ――格好だけのお祈りですわ」


 悪びれもせずに彼女は言う。

 聖職者なのに随分と素直な女性だとファリアルは思った。

 祈っていたのは墓になのだろう。

 その石碑に刻まれた名は――ファリアル。

 ああ、あの擬態として動いていた幻術のオートマタだと気付き……男は気まずそうに頬を掻いた。

 男の苦笑の意味を知らずに、空の祈りに目を瞑りながら女は言う。


「血染めのファリアルの名をご存知ですか?」


 賢者の話ではその名も消え始めているとのことだったが。

 きっと慰めだったのだろう。

 ファリアルは澄ました顔で応じた。


「ええ、童話の中にでていた愚かな英雄の名でしょう」

「いえ、実在したらしいのですよ。ここの偉い方から何度かお話を聞いたことがありましたし。嘘を見抜く奇跡を使ってみたりもしましたが、本当のようでしたので」


 聖職者が他人の嘘を暴く奇跡を使うのは禁忌の筈なのだが。

 同じく大いなる光を信仰するファリアルは、呆れと共に妙な関心が生まれていた。

 だから、まだ立っていた。

 それは――やはり、奇跡だったのだと事情を知る者からすれば思うのだろうか。

 彼女は、言った。


「本当に実在し、本当に迫害された英雄だったからこそ……あたくしは思うのです。どれほど今更に祈りを捧げたとしても、その方の憎悪は癒されない。もはや一度崩れて壊れてしまった心が、見知らぬ他人の祈りなどで癒される筈がないと――そう思っておりますの。だからこの祈りも、ただの偽善。自らが犯した罪から逃げようと、人間が勝手に祈り続けているだけなのではないかしら、そう感じてしまうのですわ」


 お仕事ですからこうして時間通りに祈りを捧げますが、と。

 女性修道士は偽物の遺骸が眠る墓の前に跪き続ける。

 言葉こそ辛辣だが。

 その心が伝わってきた。

 どのような境遇なのかは分からないが、おそらく、彼女も何らかの事件や裏切りにあい、聖職者として生きているのではないだろうか。

 彼女は人間たちに呆れ、微かな怒りを浮かべていたのだろう。

 心底、ファリアルという英雄に同情した結果がこの祈り。

 だからこその空の祈り。

 祈らない事こそが、彼女の最大の祈りだったのだ。

 本当に無意味な祈り。

 その筈だったのに。

 ファリアルの口は勝手に言葉を紡いでいた。


「確かに、癒されはしないでしょう。憎悪もけして消えないでしょう。きっと、いつの日までも恨み続け、許せる日など訪れないのでしょう。けれど――あなたの祈りは無意味ではなかった。ワタシはそう思いますよ、レディ」


 無意味ではない。

 そう、なぜかそんな確信が男の胸を撫でていた。

 もし彼女がここで空の祈りを捧げていなければ、自分はこの墓の前に足を止めなかったのだろう。

 と。

 そう思ったのだ。


 女はただ茫然と男の顔を覗いていた。

 それは美貌に目を奪われる瞳の色とはまったく違う種類の色。

 揺れる心の色だった。


「どうかなさいましたか?」


 問いかけに、女性修道士は言葉を選ぶように、言った。


「驚きましたわ……まるで聞いて欲しかった、言って欲しかった言葉をそのまま……仰るんですもの。あたくしの迷う心を覗かせてしまったみたいで。すみません」

「不躾でしたね、申し訳ありません」


「いーえ、いえ。同じ感想を抱いてくださった方がいて……とても、嬉しく思いますわ。無意味な祈りではない、ですか。ありがとうございます、優しいのですね」

「そんなことはありませんよ。ワタシはただ事実を告げただけですから」


 女の瞳は微かに揺れていた。

 気を遣い、直視を避けるようにファリアルは目線を移す。


 男は静かに墓を見た。

 血染めの名を与えられた英雄には、もったいない程の墓だった。

 おそらく、この墓を作らせたのは――今も厨房で静かに瞳を濡らす、友。


 あの後、彼は。

 どのような人生を歩んだのだろうか。

 ファリアルは思いに耽るように、小さく、一度だけ息を吐いた。


 雨だろうか。

 ぽつりぽつりと墓が濡れていく。

 その雨に気付いた女性修道士が振り向き――そして濡れた頬を揺らした。


「あら、どうして――あなたも泣かれているのですか?」

「ワタシは、泣いているのですか?」


 大粒の涙を瞳から零しながら、冷たい美貌を呆然と濡らす男はそう呟いていた。


 誰がどう見ても、泣いているのに――。

 問い返されて、修道士は困惑した。

 そして何か心のどこかを揺さぶってしまったと悟ったのだろう。

 おっとり飄々としていた表情を引き締めた彼女は、凛とした聖職者の顔を見せ、詫びるように頭を下げた。


「申し訳ありません、あたくし無神経でしたわね」

「いえ……、いいのですよ。ワタシもこの男が嫌いでしたから」


 辛辣に呟きながらも、男は瞳を光らせる。

 無機質な涙を流し続ける男は、それだけで人の目を引いた。

 誰か一人が立ち止まり。

 その立ち止まった人を見た誰かが、さらに足を止めその視線の先を追う。

 そこで見たものは……。

 歴史に名を残す、貶められた英雄と同じ人物像。


 宮殿の人間がざわめき始める。

 英雄の帰還に気が付いたのだろう。

 女性修道士が開いた唇を驚愕に動かした。


「あなたは……まさか」


 その言葉に、反応はない。


 人々の目線の先。

 瞳の奥の赤い魔力を揺るがしながら、ファリアルはただ静かに佇んでいた。

 血染めのファリアルと蔑まれた男の目は、宮殿の庭に作られた偽物の墓を眺めていたのだ。


 天才たる彼の瞳には……その墓が受けてきた想いが見えていた。

 何度も補強されたその魔力の残滓が――見えていたのだ。

 あの老人は何度この墓の前で詫びたのだろう。

 何度この墓の前で絶望したのだろう。

 何度。

 何度……頭を下げて泣いたのだろう。


 友よ――。








 ▽▽▽








 ▽▽







 ▽




 

 その後のファリアルがどう動いたのか。

 歴史の中に名が刻まれることはなかった。

 大魔帝の部下として動いていたとも、名前を変え暗躍していたとも、遂に寿命が尽きたとも言われているが真相は闇の中。

 ただ一つ。

 分かっている真実だけがある。

 血染めのファリアル。

 その名の行方だ。

 多くの命を救ったその功績が認められ。

 皇帝の名の下。

 正式に血染めの汚名が雪がれたと帝国史には記されている。





 第七章

 エピローグ【SIDE:ファリアル】 ~血染めのファリアル編~ ―終―


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