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エピローグ【SIDE:ファリアル】 ~血染めのファリアル編~ 3/4


 時の流れを感じさせる面立ち。

 背は縮み、顔も皺の目立つ老いぼれとなっていたが――この魔力は間違いない。

 血染めのファリアルは動揺に瞳を動かす。

 思わず、唇が動いていた。


「あなたは……、まさか――いえ、そうなのですね」

「ああ、そうじゃ。わたしだ――そなたを守り切れなかった弱く姑息な魔術師だよ。覚えていて、くれたのだな」


 西帝国を支える重鎮。

 皇帝のお付きである賢者がこれほどまでに顔を崩すのは、いつぶりだったのだろう。

 ファリアルは困惑を隠さず、苦笑する。


「そうか――そうですね。あなたほど謙虚で堅実で、魔導への精進を忘れぬ探求心があれば――長寿の術を習得し、国の重鎮へと出世をしていてもおかしくはなかったのでしょうね。まさか当時の生き残りがいるとは思っていなかったので……どうしたら、いいのでしょうかね。血染めのファリアルたるこのワタシが……少し動揺しておりますよ」


 ザザザァァァ。

 揺れる大樹が葉擦れの音を立てる。

 血染めと呼ばれた男が浮かべる苦笑は、今までに見せた事のない表情だった。


 とある黒猫と出会い、共に行動して初めて得た顔だったからだろう。

 少しだけぎこちなかったが、それでも賢者の目を奪うには十分すぎるほどの笑みだった。


 たくさんの時間が過ぎた。

 道はたがえ。既に途切れていた。

 可能性を探る未来予知でも、あり得ないとされていた再会。

 運命はもはや二人の道を繋げることはない。

 そう二人とも思っていたのに。


 宮殿の外。

 定められた運命をも捻じ曲げる気まぐれな黒き神が、くはははははは! と、二人の邂逅かいこうを知らずに笑っていた。

 笑い声が響く宮殿。その廊下。

 かつて追放された英雄に向かい――。

 賢者は言った。


「ファリアル……わたしは――」


 言葉は止まってしまった。

 嗚咽を抑える細い指は震えている。皺の目立つ手が、幅の狭くなった肩が揺れている。


「とりあえず――厨房へ案内してくれませんか、古き友よ」

「ああ、そうだな。そうであるな……しかし、しばし待って欲しい。わたしは老いたのだ、友よ。まだ友と呼んでくれるそなたの顔を見ていると、なぜだろうかのう、視界が――声が、霞んでしまうのだよ」


 賢者の弟子たちは、師匠が見せる穏やかな顔に驚きながら、ひそひそと相談。

 窓から顔を出し。

 黒猫に向かいなにやら大声をあげて意見を求める。


 並々ならぬ魔力の渦をぶつけ合いながらニワトリとからあげを奪い合う黒猫から、返答を貰い。

 頷く。

 仲間同士で目配せをし。

 一斉に、深々と錬金術師の賓客に向かい礼をする。


 再会は突然。

 まるで止まっていた運命の歯車が急に動き出したかのように、ぎしりと、錆びた時間が動き始めていた。

 壊れた時計の針が、戻ろうとしていた。


 ◇


 西帝国の厨房。

 ぐつぐつぐつと鳴る調理用錬金鍋の音だけが響くこの場所は、不思議なほどの静けさに包まれていた。


 普段ならば忙しく仕込みをしている筈の調理人たちがいないのは、避難所となっている女神の双丘、あの暗黒お菓子なネコハウスに出向しているからだ。

 炊き出しの手が足りぬだろうと、皇帝ピサロが最低限の人数だけを宮廷に残し、料理人たちを派遣したのである。

 今はまだ、宮廷に残った料理人たちは休んでいる。

 皇帝も寝ている。

 大魔帝たちへの宮廷料理も出し終えた。

 次の仕込みには時間がある。


 だからこその静寂。

 懐かしき時を過ごす二人の男は沈黙の中で少しだけ気まずい思いをしていた。何を話していいか、分からないのだ。


 大魔帝への献上品。

 焼豚を調理しながら――錬金術師は鍋の中の魔力を操作し、眉を下げた。

 一つ話題が見つかったのだ。

 大魔帝ケトスが持参した補給物資が、西帝国からの提供だとは聞いていた。

 礼は不可欠だろう。

 ファリアルはあの集落を任せられた長としての感謝を帝国に述べた。


「まずはお礼を申し上げますよ。物資の補給と救援。我が集落を救っていただき、深く感謝しております。ありがとうございます」

「なに……我ら帝国。そして人類が――そなたから受けた恩と比べれば。あれでも足りぬくらいだったであろう」


 賢者は皮肉ではなく事実として告げているのだろう。

 それを感じ取ったファリアルは、もう一度小さく、頭を下げた。

 それでも、助けられたのは事実なのだと伝えたのだ。


 礼は足りた。いや不十分だ。そういう問答は面倒だとファリアルは話題を切り替える。


「ただの人間の身でありながら、まだ――生きていたとは。正直驚きましたよ。どういうインチキを使っているのですか?」

「そなたとて、人の身でありながらまったく老いてすらいない。わたしにはその方がよほど驚きじゃよ」


 賢者の言葉に、男は首を横に振った。

 かつて英雄だった男は瞳を大きく開き、その眼光の奥で燃え上がる赤い魔力を覗かせる。

 膨大な魔力だった。

 人の器を遥かに超えた、憎悪の魔力。

 もはや人としての枠から外れた存在だと、誰の目からも分かる程に彼の心は異形と化していたのだ。


「もはやワタシは純粋な人間ではないのですよ。ケトス様の話では、憎悪の魔性としての器が既に成立しているようなのです。まあ……こうなる前から既に不老でしたが――純粋な人のまま長寿を維持するあなたとは根本が違うのです。残念ながら、延命や寿命超過といった技術は今のあなたの方が得意なのではないでしょうか。少し、悔しいですね」


 既に不老なので、寿命拡張の技術は必要ない。

 この分野においてだけは、自分はあなたに敵わないだろう。

 そんな皮肉だった。

 負けず嫌いな性格は、師匠譲りだったのだろうとファリアル自身は思っていた。

 しかし、賢者は皮肉に笑いはしなかった。

 ただ静かに、瞳を伏して……懺悔するかのように、こぶしを強く握っている。


 人の身でありながら、憎悪の魔性として転化しようとしている。

 その言葉の意味。

 重さ。

 並の魔術師だったのならば、ただ凄い事をしたのだろうと勘違いをしてしまうのかもしれないが――賢者とも呼ばれる老人にはその言葉の意味が理解できてしまった。

 それほどに人を恨み――憎悪していた。

 その結果なのだと……分かってしまったのだろう。

 賢者は口の皺を深く刻み、懺悔するように喉を震わせた。


「すまなかった。ファリアル、わたしはおまえを守ってやれなかった――わたしは、わたしはお前の才能に嫉妬していたのやもしれん」

「いえ、あなただけは……ワタシを最後まで擁護してくれたじゃありませんか」


 その言葉が老人の瞳をますます揺らした。

 後悔は潮騒のように、胸の中で膨らんでいく。

 長い時を生きる彼らの心には距離があった。

 これほど長い時を生きても、どれほどの魔導を掴んだとしても――やはり人の心は度し難く、把握するのは難しい。

 そう思っていたのはどちらの心だったのだろう。


 ファリアルは感傷に惹かれ外を見た。

 成長したあの大樹の存在感はそれなりに強い、そのおかげで少し離れたこの厨房でも見えるのだろう。

 それほどに成長するほど、時が過ぎていたのだ。

 ……。

 いや。

 明らかに成長し過ぎている。

 今、現在もなぜか尋常ではない速度で成長し、その巨木を伸ばしていたのだ。


「いったい、何の騒ぎでしょうか」

「さあ……のう」


 賢者と錬金術師。

 二人は頭を悩ませるが――すぐに答えは分かってしまった。


『ねえねえ、見てよこの樹! すごくイイ感じじゃない? クリスマスツリーにしようと思うんだけど、後でお願いすればピサロくんからレンタルできるかな?』


『さあのう。なーに、借りられないのならば複製すればいいだけのこと。どれ、ケトスよ。どちらが樹を大きく美しくできるか勝負といこうではないか』

『いいねえ! じゃあ勝った方が次の新商品開発の発言権を得るって事で、にゃーっはっは! 見よ、我が魔力!』


 あふれ出るのは世界を揺るがすほどの魔力。

 二人は顔を見合わせ、窓にはりつく。

 目線の先にあったのは、力強き獣。

 成長し続ける大樹の頂上にいるのは――黒い影。

 ドヤ顔で唐揚げを銜えて、ニワトリと競うように大樹に成長の魔術をかける黒猫だ。


『クワーックワクワ! ならば余はこの樹に実りを与えよう。ほーれ、みよ! 人間ごときには十分なほどの万能回復アイテム、干していない状態の奇跡のリンゴが実るようにしてやったぞ』

『にゃ! ずるいよ、君! 羽の力を使っただろう! それに私が大樹を古代賢樹者エルダートレントレベルにまで進化させてなかったらできなかった筈だし! 無効だよ、無効!』


 小さき人間の微妙な空気などぶち壊すように。

 彼らは大樹を改造し、本来なら手に入れる事すら困難な新鮮な状態の奇跡のリンゴを量産させている。

 あの大きな存在の前で、自分たちの悩みなど小さく軽いのだろう。

 そう思えてしまうほどの大魔術だった。


 錬金鍋がぐつぐつと鳴る。

 タレの香りが厨房に広がっていく――けれど、まだ肉は固い。

 大魔帝が所望するトロトロにはまだ早い。

 ファリアルは無言のまま、老人の言葉を待った。

 何か、伝えたいことがあるのだろう。

 そう感じていたのだ。


 料理はまだ完成しそうにはない。

 けれど。

 二匹仲良く競い合う大魔族の笑い声が、再会した二人の耳を慰め続けていた――。


 しばらくして――言葉が整理できたのだろう。

 賢者は唇を動かした。


「謝らせてはくれないだろうか」

「責めるわけではないと先に申し上げておきますが……、今更――もういいではありませんか。当時のワタシも真っ当だったとはいえない、汚れた存在だったのは確かだったのですから。当然の帰結だったと、今は理解できていますよ」


 冷静になると。

 少し、常識を学んでみると――どうして迫害されていたのか理解できていた。

 もう少し器用に生きられていたら、きっと未来は違っていたのだろうとファリアルは眉を下げる。

 穏やかな微笑だった。


「それでもわたしは……謝りたいのだよ、友よ」

「友と呼んでくれる。それだけでワタシにとっては……十分なのですがね」


 ファリアルは遠き場所から聞こえる恩人猫の笑い声を聴きながら、鍋を動かす。

 賢者もまた、ニワトリの声を聴きながら口を動かした。


「すまなかったと思っている。卑怯であったと思っている。氷雪国家シグルデンにおもむくお前を……わたしは止めきれずに行かせてしまった。死ぬかもしれぬと、危険な派遣だとわかっていながら。我が身可愛さに――その背中をただ黙って、見送ってしまったのだ」

「それはワタシが、強く希望したからでしょう」


 魔性と化した男はあくまでも客観的な事実を告げる。

 しかし。

 相手は違った。

 賢者は細い首を横に振る。

 いっそ罵倒をしてくれたらどれほど楽だっただろうか、老人はそんな表情で男の顔をまっすぐに見る。


「その時の黒い心は今でも覚えているのだ。ああこれでやっと、厄介者がいなくなった――と。口ではそなたを友と呼び、行くなと引き留めようとしていながら……心のどこかでいなくなって欲しい。その才覚に嫉妬していた愚かな魔術師は――そう思っていたのだよ」


 それも事実なのだろう。

 それが人間だ。


「しかし、分からぬことがある。教えては、くれないだろうか」


「なにをです?」

「洗脳されて帰ってきたあのお前は……いったい、なんだったのだ。今、そなたの名が刻まれた墓に眠る遺体は――何だったというのだ」


 自分のせいで死んだ。

 そう思っていたのだろう。

 だからこそ、後悔は重かったのかもしれない。



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