魔術戦 ~魔猫と聖女 その1~
アーノルドくんを暗黒空間に残したまま、とりあえず私はナディア皇女に事情説明を求めるべく、彼女を探そうとしたのだが。
王宮内を探さずとも、すぐに見つかった。
空間を抜け出た先。
異次元と現実との出入り口。王宮への隠し通路になっていたあの女神像が佇む教会跡。既にナディア皇女が戦闘用扇を片手に待ち構えていたのである。
暗黒空間にいたせいか時間は既に夕方を過ぎていた。私としては先にちょっとした軽食に豚の丸焼きでもお腹に入れたいところなのだが。
殺意と敵意が剥き出しである。
たぶん。
これ。
戦闘になるパターンだよね。
五百年も魔族をやってればその辺の空気はすぐに分かってしまう。
確かに。
それなりに力のある術者ならば私があの騎士君を傀儡の術で操り、暗黒空間に連れ去ったと察することもできるだろう。
どうやらこのナディア皇女、聖女と呼ばれるだけあってそこそこ戦えるのだろうか。
騎士アーノルドの惚れた欲目の可能性もゼロではないが、はてさて。
しかし参った。この展開は予想していない。彼女が戦ってくるなど想定外だ。むろん魔族幹部たる私が負けることはまずないが。
人間の力量をよむのが苦手なのである、私は。
考えても見て欲しい。
庭で巣をつくった蟻んこの中で誰が最強の兵士か、簡単に判断できるだろうか? それと同じだ。
そして蟻相手に手加減して戦えるかどうかも考えた時、その答えは。
「ほう、我の気配を察するとはな。娘よ、貴様、何者だ」
とりあえず私は人型の姿のまま、ギラっと睨んでみる。
皇女殿下は紅のドレスの裾をお上品に摘まみ上げ、優雅にぺこり、映画でしかみたことのない女性貴族の挨拶を寄越してきた。
「お待ちしておりましたわ。お初にお目にかかります、ナディア=メローラ=プロイセンと申します」
ふむ。
「我の名は――」
「申し訳ないのですけれど、あなたの御名前には興味ありませんの。アーノルドを……彼を返していただきますわ!」
目線だけをキッとこちらに向けて。
ドレス挨拶の姿勢のままに三重の魔法陣を展開する。即座に、軽い大爆炎魔術を放出してきた。
ドドドド、シャアアアアアアアアアーーーーーーーーッ!
問答無用の不意打ちである。
魔法陣の数はそのまま魔術の強度、レベルといってもいい。人間の器で三重の魔法陣を即効発動となると……まあそこそこ強いのか。たぶん。
龍の形を借りた魔術の業火。
大爆炎が女神像と講堂の表面をごってり溶かしながらつっこんでくる。
こ、これは!
ぜったいにぬくいヤツじゃあああああ!
とりあえず荒れ狂う大爆炎の渦をまともに正面から受け、
「さすがは皇族の娘よ。これは丁寧なご挨拶だ。なかなかどうしてポカポカではないか」
「き、効いてない……ですって!」
業火に焼かれて不敵にニヤリ。
魔術攻撃を受けて無傷でドヤ顔!
これぞ魔族! これぞ魔王様の部下、大魔帝!
にゃははははは、こういうのを一度やってみたかったのだ! ポカポカだし一石二鳥!
あー、ぬくいぬくい。こりゃ良い暖房だ。
今度うちでもコタツがわりにやってみよ。
「当然であろう。この火力ではモモハム程度しか焼けんぞ。魔族である我を滅したくばせめて六重以上の魔法陣で攻めるべきであったな」
暖房ぽかぽかな私の言葉に姫は、っく、と息を呑む。
「魔族……っ、ですって! あなた、獣人ではないの!?」
「なに!? 人間の娘よ、きさまその程度の見破り能力もないというのか。魔力の性質を読めばすぐに分かるであろう!?」
ちょっと魔力の波動を探ればすぐに分かると思うのだが。
人間だと難しいのだろうか。
「まぞくが……どうして、彼を」
お、なんかそれっぽい言葉だ。
「くふふふ、くふははははは! 案ずるな未熟なる人間の娘よ、あの男はまだ生きている、今のところはな。愛しき騎士を救いたいのならば遊んでいないで全力でかかってくるがよい!」
バシっとマントを靡かせ、魔杖を片手に決めポーズ。
ふっ、決まった!
魔王様っぽいノリも一度やってみたかったのである。
けれど。
皇女はますますアーノルドを取り戻す決意をしたのか、私に向かいバシリと扇を向ける。護身用の扇なのか、その表面からは僅かな魔力の波を感じる。
ふよふよと揺れる扇の装飾。
ながぁぁぁぁあい紐。
めっちゃジャレ付きたいけど、ここはぐっと我慢しよう。
「あたしはもう、この世に未練はない。けれどアーノルドだけは渡さないわ! 本気で行かせていただきます」
「良かろう、その覚悟だけは認めてやるとしよう!」
「覚悟なさい!」
どれ。
「まずは小手調べ。受けきって見せるがいい!」
五重の魔法陣を指先に展開し。
小指の先で、ちょんと触る程度の出力。
シャボン玉を壊さないイメージでほんの僅かに魔力弾を指の先から放つ。
瞬間。
世界から一瞬、音が消え。
刹那。
ズガガガガガガガアガガガガガガガガ!!!!!
……あ。
数十もの閃光の弾丸がお姫様に向かって飛び出した。
「な……っ――魔弾の射手を一瞬で……!」
驚愕に、彼女の片眉がびくりと跳ねた。
……。
うん、これやばい。
思ったよりも出力でちゃってる。
断続的にしばらく撃ち続けるし……んーむ。
殺しちゃうかも。
「くぅ……っ!」
彼女は意外にも素早い動作で後ろに跳ぶと、無数の閃光を紙一重で回避し、扇を地に向かい振る。
「大地よ、我を守りたまえ!」
呪力を孕んだ彼女の言霊が、世界の法則を捻じ曲げる。
揺れる大地。
力強く顕現した無数の巨大な石櫃が、大地の結界となって彼女の身体を覆い隠すが――。
いやいやいやいや、その程度の守りじゃ軽くバターみたいに溶けちゃうぞ。
お姫様の串刺しいっちょあがっちゃうよ!
降り注ぐ魔弾の雨をギリギリで防ぐ大地の壁の中。
新たな魔力波動が発生する。
彼女は凄まじい早さで続けざまに祈りを捧げた。
「我が信仰は偽りなき誓い、慈悲深き御名において祈りを捧げます。ああ、主よ、どうか弱き我らをお救いください」
今度は神の祝福。僧侶系の魔術である。
大地の守りに神の祝福を与え強度を増すつもりなのだろう。
へえ、これはなかなか。
「ほう! 全く性質の異なる二重の結界を作り出し、相乗効果で強靭な盾を顕現させようというのか。しかし。はたして間に合うかな?」
「……早く、早く……早くしなさいっていってるのよ! 神! ちょっと聞いていらっしゃるの! 寄付減らしますわよ!」
刹那。
ずずずずずず、ぐぐぐ、ぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃん!!
硝煙に似た魔力煙が周囲に巻き起こる。
「くぅ……っ、なんとか、間に合いましたわね」
なんと。
彼女。
並の人間では防ぎようもない魔弾の雨を防ぎきってしまった。
あっぶねえ……。
「まあ魔術としては成功したようだが。聖女よ。いいのか、これで……」
「術なんて成功すれば過程なんてどうだっていいのよ!」
気が合いそうな意見ではある。
魔術戦は嫌いじゃない。
ちょっと楽しくなってきたぞ。
尻尾がむふむふと膨らんでしまう。
美味しそうな魔力が周囲に満ちている。ぶわぶわっと猫毛が滾る。
思わず舌なめずりをしてしまった。
おっと、やばいやばい。さすがに姫を食べるのはまずい。ちょっと表面の魔力を齧るのも……たぶん駄目か、舐めるのも……。
駄目だろうなあ。舐めない様に我慢しとこ。
「脆弱なる皇族の娘よ、次はなにをみせてくれるのかな?」
「舐めるんじゃないわよ!」
「???? まだ舐めていないのだが?」
この娘、心を読む能力でもあるのか?
侮れんと尻尾を膨らませた私に彼女が向けたのは。
彼女自身の魔力を込めた扇。
「深淵の底。奈落の果て。我らが祖よ、我は汝ら憎悪の魂に呼びかけし生者ナディア=メローラ=プロイセン也。主よ、我は汝の信徒なり、汝の慈悲、偉大なる奇跡をどうか我らにお与えください!」
「ほう、またしても多重魔術か」
聖と魔。二種類の性質の異なる魔術の同時詠唱は魔族でさえそこそこむずかしいのに、この領域に届く人間を見たのは久々だ。
扇の切っ先で複雑な文様を宙に描き、同時に空いたもう一方の指で印を結び始めた。
またまた二つの魔術を同時に構成しているのである。
どうやら召喚系統の魔術のようだが、さて。
この兄妹、兄もなんか召喚儀式してたしそういう魔術系統の家系なのか。
魔術の波動が王国全体の空を覆う。
だいぶ大掛かりな儀式のようだ。
……。
しっかし人間て魔術を発動させるのがおっそいよなあ。
あのバカそうなお兄さん、わざわざ生贄使ってたし。
しっぽがゆれる……。
これ遊んでるからいいけど、実戦だったらそのままドンで終わってるぞ。
まあたぶん人間としては神速詠唱の域なのだろうが。
みみがぴんぴんする……。
こっそり、こちらも神速でチーズスティックを齧って、むしゃむしゃしながら、しばらく。
「おいでなさい! あたしの愛しいお友達」
雷鳴が大地を裂いた。
宣言と共に現れたのは無数の死霊たち。
大地と虚無の底に眠る霊を大量にあやつる大規模死霊魔術である。
こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ。
怨霊たちの怨嗟の声が周囲を昏く包んでいく。




