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結末 ~ぎんぎつねの願い~



 無人の国家。誰もいなくなった玉座の間。

 戦闘の余波で焦げた絨毯、そのわずかに残された赤い布の上。

 そこに倒れていたのは――。

 一匹の大きな狐。

 ぎんぎつね。

 呪いと絶命の魔女、エイルの正体はやはり魔術師としての力をつけた化け狐だったのだろう。


 ただの狐魔獣だ。

 私と同じく、感情を暴走させ魔性と化した大いなる闇。

 狐魔獣がこれほどの、十重の魔法陣を編めるほどに異常成長したなど、普通ならば考えられない。

 どれほどの研鑽。

 どれほどの辛酸をなめて生きていたのか、私には想像することしかできない。

 気付いたら。

 猫の手を伸ばしていた。

 人ではなく、黒い獣の腕。


 私は死にゆく女に声をかけた。


『どうして、君はファリアル君に固執していたんだい。確かに彼は優秀だ。あの錬金術の腕があれば君の商売の助けになっただろう。けれど、それだけが理由とは思えない』

「聞いて、どうするの?」


 横たわったまま、狐は声を出していた。

 その魔力構造は既に崩壊している。

 死からは……逃れられない。


『誰か一人くらい、君がなぜこんな悲しい戦争を起こそうとしていたのか知っていても、いいだろう。そうは思わないかい』

「優しいの……ね」


 狐は困った様に、けれど嬉しそうに……そう呟いた。

 焦げたパン色の足が、わずかに絨毯を掻く。


「ファリアル。あの人は……まだただの狐だったアタシを……救ってくれたの。人間の王族に遊びで狩りの対象にされ、矢に撃たれて死にかけていたアタシを……救ってくれたのよ。ただそれだけ……それだけの理由よ」


 十分な理由だ。

 私には――その心が理解、できてしまった。


『そうか――てっきり君の方が年上だと思っていたけれど。ファリアル君、今、何歳なんだろう』

「さあ、あの人……本当に長く生きているみたいだったから」


 思い出を辿るように魔女の瞳は揺らぐ。

 魔性としての赤い瞳は、まるで天の星のように輝いていた。


「あの人に助けられて以来、ずっと……ずっとアタシはあの人を見ていた」


 狐の瞳は遠くを眺めていた。


「英雄と祭り上げられたあの人も。人々のためにその手を血に染めたあの人も。戦争の怖さに……一人、影で怯えていた彼も……そう、ずっと見ていたの。救った人間からあの人が裏切られ絶望する姿も……もはや裏切られても絶望しなくなったあの人のつらそうな顔も……笑う事すらできなくなったあの人の冷たい顔も、ずっと……」


 空を辿る獣の指。

 恩人を語るその瞳と口。

 美しい横顔だと、そう思った。


『なるほど……。ファリアルくんをずっと眺めていた君は、その憎悪を吸い続けていたのか――憎悪は力となり、その身を魔性へと転化させる。ファリアル君ほどの力ある人間の傍にいたからこそ、君はそれほどの力を手にすることができたのか』


 猫耳を揺らしながら考える私は、続けた。


『洗脳兵を使い魔王城を襲ったのも、目的は魔族と人間の大戦を再び起こすため。そういっていたね、その理由は……ファリアル君のためだったのかな』

「ええ、だって……人と魔の戦いになれば、人間は彼を必要としてくれるでしょう? アタシを救ってくれた優しい彼を血染めと蔑み、追いやったあいつら人間が……こうべを垂れてお願いするのよ」


 魔狐は腕を伸ばし。

 肉球を広げ――崩れたシャンデリアを人に見立てて口を動かす。


「常勝無敗の魔術師ファリアルさま、どうか人間をお救いくださいって……。惨めに縋って、懇願するの。それって、とても……素敵じゃない? 追放した相手に泣いて縋るのよ? ああ見えて、彼は優しいから……、きっとそれを受け入れた。そうすれば、彼もきっと……今度こそ人間の群れに、戻れるじゃない」


 群れに戻す。

 それは獣の発想なのだろうが。私も間違っていないと思っていた。


『群れに戻す、か。確かに、人間はああみえて群れでこそ力を発揮する種族だからね。人と人とで争い続ける今では信じられないけれど……集団で生きる動物。群れに戻れるのなら、戻った方が良い』

「そうよ。群れに戻れないのは、辛いわ……」


 呟く瞳は、濡れていた。

 狐魔獣と化した彼女は、ただの狐の群れには……戻れなかったのだろう。

 彼女にも彼女の物語があるのだ。

 たとえ死の商人として生きていた狐にも……。

 思い出を抱き寄せるように、彼女は焦げたパン色の脚を数度……揺らした。


 弱っていく焦げたパン色を眺め、私は呟いた。


『あの集落じゃ、駄目だったのかい? 彼は既にあの群れの長だった。少なくとも、あの場所での彼は血染めではなく平穏に暮らしていた』

「だってアタシ……知らなかったんですもの。吹雪の宝珠の中に隠れてしまったあの人が、あそこで幸せに暮らしていただなんて……しらなかったの。バカでしょ……アタシ」


 なるほど。

 人間に絶望し、シグルデンまで流れ着いた彼。

 それを追っていた彼女はまだ、力を失っていた状態だったのだろう。

 となると、彼女が王族に近づいた理由は……、まあファリアル君が理由か。


『王族を魅了したのは……彼を守るため、だったのかな』

「そうよ――あなた、なんでもお見通しなのね。あの王族達、あの人を洗脳して戦争の道具にしようとしていたんですもの。それに、戦争の準備をし世界征服しようとしていたのも本当。アタシがいうのも変な話だけれど……シグルデンの王族は腐っていた。それを見抜いていたからこそ、あなたも今回の騒ぎに乗じて王族を皆殺しにした。そうなんでしょう?」


 え!?

 ……。

 思わず上げそうになった声をぐっと堪える私。

 偉いね?

 そんな一瞬の私の動揺には気付かず、魔狐エイルは苦笑を浮かべていた。

 知っているわよ?

 そんなしたり顔。

 うん、そういう事にしておこう。


『そ、その通りだよ……私は、無駄な戦争は嫌いなんだ。だから、仕方なく、心苦しいとは思いながらもここの王族を抹消した。禍の種は――早めに摘んでおくべきだとも思ったからね。全て君の、想像通りだ』

「やっぱり。手柄まで取っちゃうなんて、あなた本当に盗むのが得意なのね。本当は、あの人に退治させて株をあげさせる予定だったのだけれど。まあ、仕方ないわよね……ふふ」


 セーフ。

 どうやら信じてくれたようである。

 まあ……普通、王族をうっかりで深淵の底に沈めないもんね……。


 恩人のために、身を犠牲にしてでも。

 自分が悪者になったとしても――恩に報いる。

 それが彼女の真の目的だったのだろう。

 商売はそのついで。

 建前だったのだろうと、私は感じていた。


『お疲れ様……君の願いは叶わなかったが、私は……彼が人間の群れに戻れるように動くと約束しよう』


 猫の手が――横たわる獣の頭を撫でる。

 なんて綺麗な魂なのだろう。

 そう思ったのだ。


「大魔帝ケトス。あなたに……お願いがあるの。自分から仕掛けて、負けて。それでもお願いする厚かましい女だと思ってくれていいわ」

『まあ、聞くだけは聞いてあげるよ。それを実現できるかは保証できないけれどね』


 狐はそれでもいいと、瞳を伏せて息を吐く。


「血染めのファリアル。いえ、ファリアルさまに……アタシを救ってくれて、ありがとうございましたって、伝えてくれないかしら」


 願うその身体が崩れ始める。

 魔力が欠損し始めたのだろう。


「彼にとっては……気に入らない貴族を殺しただけだったのだと思う。弱い者を遊びで狩る貴族たちが、目障りだっただけなのだと分かっている。それでもアタシは……助けて貰えて、嬉しかった。ほんとうに……嬉しかったのよ……ファ……リア……ルさま」


 狐の細い腕が何もない宙を掻いた。

 伸ばす肉球。

 その先に掴もうとしたモノがなんだったのか、それは私には分からなかった。


 やがてその細い手は床に落ち。

 焦げた絨毯の上で動かなくなった。

 割れたシャンデリアの破片が、眠るように目を瞑る狐の顔を照らしていた。


 呪いと絶命の魔女エイルは死んだ。

 人と魔の戦争を再び起こそうとしていた死の商人、フォックスエイルは……滅んだ。

 これで――全てが終わったのだ。


 私は空に手を伸ばし吹雪の宝珠の暴走を止める。

 以前ダンジョン報酬で手にいれた嵐の宝珠。

 それを土台に錬金術で強化し、吹雪を吸収する宝珠へと進化させていたのだ。

 これでもう、暴走することなく適度な吹雪で国を守ってくれるはずだ。

 もっとも。

 この大陸にはもう王族は居ない。

 世界征服のために力を得ようと安定を壊し、暴走した王族によって歪められた宝珠。

 愚かな欲さえかかなければ。

 この宝珠はただ平穏に、シグルデンを守り続けていた筈だったのに。


 焦げた絨毯で銀ぎつねの遺体を包み――私は王城を抜ける。

 誰もいない王城は、まるで死んだみたいに静かだった。

 魔王様がお眠りになられたあの日を思い出してしまう。

 魔王様はお眠りになられているだけだが。

 もし。

 勇者に滅ぼされていたら。

 私は――きっと泣くことも忘れて暴走していたのだろうと思う。

 外に出ると、風が私の頬を撫でた。

 暖かい風だった。

 空は眩し過ぎるくらいに晴れている。

 爽やかな風が、私の紅蓮のマントを靡かせた。


 本当に嫌味なくらいに明るい太陽だった。

 なぜか私にはそれが気に入らなくて。

 私のネコ眉は少しだけ下がっていた。

 この太陽がこのシグルデンを温めたのは、いつぶりなのだろう。

 感傷に垂れ下がるネコの尾が、溶けた氷のドロに浸かり汚れてしまう。


 構わず。

 ネコのモフ耳を数度揺らした私は、伝言魔術でロックウェル卿とメッセージを繋ぐ。


『終わったよ、ロックウェル卿――魔女は滅んだ』


 何故だろうか。

 彼はしばらく、何も返事をしなかった。

 ズズっと私がネコ鼻を啜った、その後にようやく。

 彼は伝言魔術で私にメッセージを返してきた。


『そうか……よく分からんのだが、ケトスよ。何故、そんなに寂しそうな声を出しているのだ? 魔王城を襲い、人と魔の戦争を起こそうとしていた敵を倒し、勝利したのだろう?』

『そうだね。その筈なんだけど……』


 私はしばらく言葉を止めて、焦げた絨毯に包まれた銀ぎつねに目をやった。


『ねえロックウェル卿。もし魔王様が、人と魔の戦争を起こすことでお目覚めになり、幸せになるんだったら……君はどうしていたと思う?』

『すまぬがケトスよ。余はそなたと違って合理的な考えを望む。あり得ない仮定で、モノを考えるのは是とせぬ。魔王様は……そのような方法でお目覚めになるわけではないのだからな』


 その通りだと思った。

 けれど、私は――どうしても……この焦げたパンの色が頭にこびりついて。


『ねえ、ロックウェル卿。私は思うんだ』


 吹雪の止んだ、誰もいない氷雪国家シグルデンを眺め。

 私はネコのヒゲを揺らしていた。


『もし私が彼女と同じ立場だったら……魔王様が幸せになるんだったら。きっと……何を犠牲にしてでも、たとえ後世の歴史書に大悪人と記されようと……きっと、同じことをしたんだろうなって。そう思ってしまうんだよ』

『そうか。そうであろうな――魔猫よ。そなたならば、そうしていたのであろうな』


 そう呟くロックウェル卿の声は温かかった。


『ケトスよ。この場は余がなんとかしておこう。そなたは少し休んでから帰るといい。その場はまだ神や世界の観察対象の外。きっと……お前が腹を出して眠っていても、世界が混乱するほどの悪戯を起こそうとも、誰も咎めはしないだろう』


 続けて。

 彼は言った。


『そなたのしたいようにすればいい。余は――その選択を責めたりはせぬ。気持ちが落ち着いたら、また連絡を寄越せ。余が直々に迎えに行ってやろう。では、ピサロとやらに唐揚げ量産化計画を持ち掛けておるから、後でな』


 とても、優しい……まるで魔王様みたいな声だった。

 きっとわざと、真似たのだろう。


 余の唐揚げさんにはニンニクいっぱいで黒コショウも多めのデリシャスなモノに仕上げるのだぞ! さもなくば、この帝国を余の石化ミュージアム二号にしてやるのだ、クワーーックワ! と、魔術通話を切る直前の声が響き。

 以降、メッセージは止まってしまった。

 これが卿の優しさなのだろう。

 ……。

 いや、あのニワトリ。

 私がいない間になにしてるの?

 ふよふよと天に浮かび、私はこのシグルデンを空中から眺めた。


 街は各地に存在している。

 今はもう、誰もいない街並み。

 ここを守ったのは……。

 そう、私ではないのだ。

 魔女エイルが、人間を冷凍保存していなければ――全ての人が滅んでいたのだから。


 ここなら神も世界もまだ、私のする悪戯に気が付かない、か。


『まあ、国一つ分の人間を救ったんだ。これくらいの見返りがあったとしても――罰はあたらないだろう。ねえ、魔王様。そうですよね』


 猫目石の魔杖を取り出し。

 魔力の濃い大気圏のエネルギーを吸収させ――私はニィっと紅い瞳を輝かせる。


 氷雪国家シグルデンの空。

 かつて猛吹雪で覆われていたその上空に――膨大な量の魔力が荒れ狂い始める。

 十重の魔法陣が大魔帝ケトスの魔力に導かれ、天一面に広がり始めた。


 世界の法則を捻じ曲げるほどの魔力をコントロールしながら。

 私はくははははは! とモフ毛を揺らす。

 そう!

 我こそが大魔帝。私こそが魔王様に愛されし魔猫ケトス!

 時には迷ったりもするけれど、やりたいようにやるんじゃああああああい!

 魔術の構成は時間逆行と魔力再生。

 対象は勿論。


『君には悪いけれど――約束は守れそうにないね! 君の願いは君自身で叶えるべきなのさ!』


 焦げたパン色だったその手足に、感謝するべきだと私は魔杖を振りかざした!

 あとでなんか色んな問題が起きるだろうけど。

 んなもん、私の知ったことではないのである!


 だって私はネコなのだから!




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