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交渉決裂 ~戦禍を生きた猫と狐~



 八尾の狐、フォックスエイル。

 忌まわしきその名は百年前の、あの大戦時に耳にしたことがある。


 強大な存在でありながらも魔族にも人間にも亜人類にも属さず、それら全ての軍に金や、価値ある対価と引きかえに武器や商品を販売していた、商人ギツネの名である。

 異界召喚を活用し商品を集めていた豪商。

 いわゆる死の商人だ。


 販売する商品は様々。

 食料品や物資であったり伝説の武器、魔導書であったり――捕えた妖精や精霊。魔物や洗脳人間奴隷を兵士として売買したりと、まあ色々やらかしていたのだが。

 彼女の消息が途絶えたのは戦争の途中。

 我らが魔王軍でもその行動の是非を問い、討伐するか放逐するか議論を交わしている、さなかの出来事だった。

 彼女は突如。

 何の前触れもなく表舞台から去ったのだ。


 噂はさまざまにあった。

 ある日、彼女は人間の軍との商売に出向き、そのまま姿を消した。

 娘を人質に取られ討伐されたやら、この世界での商売に飽き異世界に向かったか、果ては大いなる光に浄化され存在を消された。

 魔王を馬鹿にされた魔帝ケトスが、慈悲なく呪殺したなんて話まであったのだが。

 噂は数多くあれど、真相は分からないまま。

 彼女が戦場で商売をすることは以降、なかったと史実では残されている。


 死の商人フォックスエイル――彼女は歴史の中にだけ名を残し、姿を潜ませていたのだが。

 まさかこんなところでお目にかかるとは。



 ◇



 氷雪に佇む主を失った玉座の間。

 かつて世界に名を轟かせた猫と狐が対峙する。

 一匹は憎悪の魔性。

 もう一匹は色欲の魔性。


 私は魔王軍最高幹部ケトスとしての冷淡な顔を作り――結界を張る。

 目の前の魔性に目線をくれてやる。


『初めましてフォックスエイル。なるほど――呪いと絶命の魔女エイルとして人間に化け、別名義で活動をしていたってわけか』


 背徳的な黙示録の中に封印していた力は、彼女自身の力。

 その実力は本物だろう。

 麗しい私のモフ毛が、ビリビリとした魔力の刺激を受けて膨らんでいる。


 女狐は神々しい白き獣毛を淫靡な魔力で靡かせ。

 焦げたパン色の前脚の先を、くすりと獣化した口にあてる。


「あまり思い出したくないのだけれど、ちょっと――ミスをしちゃってね。アタシは魔力の大半を奪われ弱体化していた……力を取り戻すまでは人間の商人として活動していたのよ。結構有名だったのだけれど、本当に知らないの? 呪い~、呪い~、呪いと絶命、魔女の店~♪ って、テーマソングもあったんだけど、ご存じない?」


『まったく知らないけれど、何を売っていたんだい?』

「呪術の道具よ。主に恋愛系のね。相手を呪って恋の虜にしたり、その誘惑に失敗したら、今度は恋しないと呪殺するわよって脅しの二重呪いを掛けられる、大ヒット商品もだしたくらいだし。あなた達って、……まあファリアルは今ここにいないけれど、よほど恋愛に興味なかったのね」


『恋愛グッズって。私、ネコだし……当時、忙しかったしね』


 そりゃ知らんわな。

 猫に恋愛って……いや、まあ……懐かしい記憶もあるか。


 一瞬。

 揺れた私の猫の鼻に、一筋の痛みが射した。

 思い出が過ったのだ。

 色褪せない。

 綺麗な記憶と怖くて暗くて悲しい記憶が同時に……ツンと鼻を襲ったのだ。


 この猫の手では救えなかった……小さき獣と、温かい感情。

 転生したばかりの頃。

 ただの猫として生きたあの五年間。

 猫として猫を愛した生涯唯一の……番。

 共に歩いてゴミを漁ったあの記憶。

 手に入れたゴチソウを口に銜えて、敵だらけの人間の街を駆けた野良猫の暮らしを。

 思い出していた。


 あの日、私は一人で狩りに出た。

 番だった猫と、ちょっと喧嘩をしたのだ。

 ほんの些細なことだったと思う。

 でも喧嘩は喧嘩だ。

 だから仲直りをしたくて、少しだけ遠出をしてゴチソウを漁る事にしたのだ。


 その日の狩りは上手くいった。

 見事な鶏肉をゲットしたのである。

 私は歩いた。

 何も知らずに、ピョコピョコと駆け足で歩んでいた。

 ああ、きっとあの子はこれを喜んでくれる。

 私を待っている。

 これで仲直りなのだ。

 私は昔人間だった。けれど今はもう、ただの猫でいいではないか。

 そう思えた暮らし。

 確かな幸せが――そこにはあったのだ。


 温かく出迎えてくれる私達の隠れ家。

 ボロっちい布切れで作られた私たちの巣。

 そこで――いつものように自慢げにエサを取ってきたぞ! とヒゲを揺らしてフフンとする筈だったのに。

 私は――口に銜えたゴチソウを牙から零れ落とし。

 冷たくなっていたあの子を見た。

 人間に殺された……あの子を見た。

 駆け寄り。

 鳴いた。

 あの日の憎悪を一生忘れない。

 何度生まれ変わろうと。

 何度死のうと。何度生き返ろうと。

 おそらく、きっと。

 猫としての安寧を壊された私という魂は、憎悪の魔性として人を恨み続けるだろう。

 体温を失った獣毛を舐め続けた、あの時の悲しみも。

 動かぬ躯を温め続けた、あの路地裏の寒さも。

 恨みも……。

 けして忘れない。

 どれだけ心が変わりつつあっても。

 どれだけ心を通わせる機会が増えても――……。


 私は遠い過去に思いを馳せて、静かに瞳を伏していた。

 人と魔の戦争が始まれば、また人間は猫に冷たくなる。

 それは――また悲劇を生むだろう。

 今の人間たちが猫に優しいのは……それなりに世界が平和だからなのだ。


 私は、戦争を望む魔女を睨み付けた。


『それに、忘れられない相手への想いは……いつまでも心を縛り付けるものさ。死の商人である君には、分からないかな』

「あら、あなた暴走極悪猫なのに……その表情だけは、妙に翳があってセクシーなのね」


 女の言葉には答えず、私は瞳を開く。


『人間と魔族の戦いを再演させようという企み。それは君がまた、商売を始めるためのきっかけ作りだったわけか。戦争が始まれば、異界召喚で商品を取り寄せられる君の店の需要はウナギのぼりだからね』

「まあおおむね、そういう事よ。どう? いっそ手を組まないかしら。アタシが取り寄せた商品の数々、あなたも見てくれたでしょう? グルメ魔獣だなんて可愛らしい二つ名まで頂いているあなたなら、興味があるんじゃなくって?」


 確かに。

 彼女が魔物たちに与えていた食料は、こちらではなかなか手に入らないものばかり。

 興味がないと言えばウソになる。

 だが――。

 亜空間から大魔帝の証である王冠を取り出し、装備――ぶぉぉぉぉと暖房魔術を発生させていた紅蓮のマントをにゃはっと靡かせ。

 私は魔杖を掴んで敵を睨む。


『残念だよ、フォックスエイル。君が戦争を望み、魔王城を人間に襲わせるだなんて愚行を企まなければ、私と君とは良いビジネスパートナーになれたかもしれないのに。あのモモハムもアイスも実に美味しかった』


「あら、交渉決裂ね。まあ期待はしていなかったけれど……って、あなた! アタシの商売品を勝手に食べちゃったの!?」

『うん、食べたし。全部貰っちゃったよ?』


「う、ウソでしょう……? あれだけ揃えるのに、アタシ……けっこう、苦労したのだけれど?」

『にゃはははは! 我は大魔帝、我が通り過ぎた道にある食料はぜーんぶぜーんぶ我のモノなのじゃ!』


 ででーん!

 と、決めポーズ!

 魔杖を翳した先にある亜空間には、接収した食料品の数々が人質のように眠っている。

 ま、お互い様である。

 実は、玉座の間で化粧を待っている間にかなり食べちゃってるけど。

 美味しい食べ物を思い出した私の感情は、ちょっと明るさを取り戻す。


「まあ……いいわ。もとをただせば魔王城に兵を派遣したアタシが原因なんだし。そう、損失をいつまでもクヨクヨ悩んでも仕方ないわよね。がんばれーエイル。アタシはやればできる狐なんだから!」


 キツネの肉球をぎゅっとして、死の商人エイルは自分にエールを送り出した。

 接収にはこれ以上触れる気はないようだ。

 まあ。

 ちょっと怒りマークを浮かべているが。

 ココンと狐の咳ばらいをし、彼女は言う。


「戦いを始める前に一つ確認させてもらってもいいかしら?」

『ああ、どうぞ。一応君はレディだからね』


 銀ぎつねはモコモコの身体を妖しく輝かせ、紅い瞳をすぅっと細める。


「あの集落の件の後。助力を願おうとアタシの顧客……協力者であった魔竜にメッセージを送ったのだけれど……なぜか連絡が取れなくなっていたわ。ここ数十年はずっと連絡がとれていたのにおかしいでしょ? 彼は大魔帝ケトス、あなたを恨んでいた。そしてあなたは最近になって動きを活発化させている。これが偶然とは思えないわ。彼の消失はあなたの仕業なのかしら」


 声のトーンからすると、魔竜に対しての想いは薄そうである。

 商売人として、顧客がいなくなったことを不思議に思っているだけなのだろう。

 ふむ。

 まあ別に答えてあげてもいいのだが……どうしよう。


 ジト汗が、肉球を伝う。


「あら、答えてくれないの? 案外に心が狭いのね。それとも、色欲の魔性であるアタシを焦らして喜んでいるのかしら」


 魔竜……ねえ、魔竜……。

 ちょっと目をそらしてしまう……。

 まあ変な誤解されるのは、なんか、すっごい気持ち悪いし。


『えーと、そういうわけじゃないんだが。魔竜っていうと……どれのことだい?』

「どれって……魔竜といったら魔竜しかないでしょ?」


 怪訝な顔を浮かべる狐。

 エイルは八尾をぐねんぐねんと混乱に動かしながらそう、呟いていた。

 チッチッチと器用に一本立てた肉球とお爪を振って私は言う。


『いやいやいや、ここ一年以内だけでも私、数えきれない数の魔竜を退治してるんだよね。正直、魔竜って種族だけで言われてもどれがどれだか……』


「はぁ? あの強大で稀少レアな種族を数えきれないほど退治しているですって?」

『うん。いやあ、ほらさあ。竜ってプライドだけは無駄にあるじゃん? 各地でなんか悪さやらかしてるしさあ。いられると人間たちが委縮しちゃうし、グルメが滞って迷惑しちゃうんだよ。ついでにいうと――なんか偉そうで生意気だし、よく私に喧嘩をふっかけてくるし……財宝とかも抱え込んでるから、すぐ返り討ちにしちゃうんだよね。だからさあ、いちいち個体なんて覚えてないんだよ』


 これは仕方ないよね。

 ほらよくあるじゃん、朝食に食べたパンの枚数をおぼえてるか、うんちゃらって話。

 うん、覚えてなくても私、悪くないね。


「え……? 人間の心の闇の中、暗躍する彼らをすぐに返り討ち? どうやって正体を見破っているのよ。魔竜は感知能力の高いアタシでもなかなか正体を見破れないのに」


『えー、正体を見破るも何も――なんか向こうから喧嘩を売ってくるんだよね。で、ちょっかい掛けられたら反撃するよね? だって私、女子供や民間人ならともかく、偉そうなトカゲにかける情けはもってないし。そのままドーンさ。あいつら、たいていなんか企んでいるからかな。人の顔を見ると悪事が露見したのかって発狂して襲ってくるパターンも多いんだよ』


 キツネは頭を抱えて。

 しばし沈黙。

 彼女は亜空間から取り出した魔導書……顧客名簿をキツネの黒いお手々で捲りながら言う。


「えーと……ちょっと待って頂戴ね。あの魔竜の名はたしか……あれ、なまえ……なんだったかしら。アタシもそういえば知らないような……と、とにかく! 何百年か前にあなたと魔帝ホワイトハウルに退治された恨みとかいっていたわ! ……苺の樹がなんとか、とか……! それで思い出してちょうだい!」


 私は亜空間に肉球を突っこみ。

 記憶クリスタルをぐいぐいと動かして。


『あー、あー! アレか、苺の樹を踏みつぶそうとしたバカ竜だ! 西帝国の宗教乗っ取って暗躍してたアレだ! いやあ、なつかしいねえ! あの件でイチゴパフェと唐揚げに出会うことができたんだから、ちょっと感謝してるんだよねえ。そうそう、あれなら、うん、確かに私がもう一回やっちゃったね。人間のみんなと一緒に退治して、宴会用のドラゴンステーキにして食べちゃったよ』


 ヒクっと彼女の牙の光る口が、ひきつる。


「えーと、アタシ。あの魔竜に魔道具や呪符を貸していたのだけれど……それがどうなったのかとかは……」


 あー、なるほどあの魔竜に商売でアイテムをレンタルしていたのか。

 かわいらしく首をかしげて、私はうにゃん。


『知らないよ?』

「いやあぁぁあああああああ!? 死に逃げされたああああ!」


 商売人としての女の悲鳴が、私のモフ耳をぶひゅ~と揺らしていた。

 たぶんそのレンタル品が現存していたとしてももう遅い。西帝国に既に回収されて、公費となっていることだろう。

 いや、まあ間接的には私のせいかもしれないが――今回はあんまり私のせいではないぞ。


 狐のおててで頭を抱えて絶叫していた彼女は、何かを思い出したのだろう。

 ふとこちらを振り返り。

 貌を青ざめさせて彼女は言った。


「えーと、あなたさっき。ドラゴンステーキを人間にも食べさせたみたいな表現してなかったかしら」


『うん、一緒に食べたよ?』

「人間にも、与えてしまったの!?」


 その通りだけど。

 何をそんなにマジな顔をしているんだろ?



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