呪いと絶命の魔女 ~女魔術師の服は無駄に露出度が高い~後編
「おや、あなたは……」
ファリアルくんの知り合いなのだろうか。
彼はふーむと腕を組み、目線を逸らす。
妖艶な女魔術師の姿にちょっと目のやりどころに困っているようだが。
女は細い指の先端を唇に当て、ルージュを纏わせると――自らの胸の谷間に滑らせ、くすりと微笑む。
「あら、あまりに久々過ぎてアタシの事を直視できないのかしら。猛々しい二つ名のわりに意外に初心なのね。ずっと、ずっと探していたけれど――ふふふ、外道さとその力――変わっていないようで安心したわ」
「ワタシを探して……? どういう意味ですか」
私をぎゅっと抱いたまま首を傾げ、眉をひそめるファリアル君。
謎の触手生物もギシシと唸りを上げている。
「うふふ、分からないフリなんて。狡い男ね」
女は微かに魔術波動を放ちながら、瞳を紅く光らせる。
先ほどから魔女は誘うように肌を濡らした指でなぞっているが、ちょっと残念な人だったり、痴女なのではない。あれは自らの肌に魔術結界を張っているのである。
まあ、誘惑という古典的なオールドマジックの意味も多少は含まれているだろうが。
レジストされまくっているのが、ちょっと可哀そう。
ファリアル君があからさまに、不機嫌そうに唸った。
「下品なチャームは不愉快ですよ、レディウィッチ」
「さすがね。ここの王族達はこれで簡単に虜になったのに――あなたの心は冷えて固いまま。その氷を溶かすのは、きっと……ふふふ、あらいやだ。ちょっと昂っちゃうじゃない」
誘惑に失敗し、眉を下げながらも女は唇を濡らしていた。
女は色香を魔力に乗せて送ってくるが。
私は肉球でペチりと叩き落とし、ファリアルくんは触手生物に振り払わせる。
「ワタシが腑抜けていた間に王族を洗脳ですか。あの自動殺戮石人形を改造したのも……なるほど、つまり……あなたが黒幕だったのですね」
「その通りよ? そんな事にすら気が付かないだなんて……。あなた、アタシが見失っている間……本当に穏やかに暮らしていたのね」
言われて、血染めのファリアルは自らの手を……。
ぶにゃんと鳴く、私を抱いたままの手を眺め――感情を確認するように囁いた。
「ええ、己を捨て血に染まった手を捨て……集落の維持のため、ワタシを受け入れてくれた人々のために我が叡智を使った。日々の糧と寒さを凌ぐことに心血を注ぎ、この手を雪と埃で濡らした……。そう、ですね……この暮らしに名をつけるとしたら――レディ、それは確かにあなたが言うように穏やかな暮らし――だったのでしょうね」
男は穏やかな、しかし少し照れたようなぎこちない笑みを浮かべていた。
女は瞳を伏せて……複雑な表情を作っていた。
「まあ、いいわ。あなたを探している理由、だったかしら。そのままの意味に決まっているじゃない。アタシは百年も前からあなたの虜。その魔力も、外道も、そしてなにより美しい顔立ちも。ぜんぶ、ぜーんぶアタシのものだって言ったでしょう? もしかして、忘れたフリをしているの?」
「ふむ、確かにワタシは優れていますが――この御方に比べればミジンコ以下のゴミですよ」
言って、彼は穏やかな視線を私に送り。
猫ちゃん、猫ちゃん。強いし、モフモフだし優しいし、神だし、かわいいなあと小さく呟いた。
あ、さわさわさわと頭を撫でている。
ついゴロゴロ言ってしまうが……。
なんか、私に対する評価高くない?
普段なら嬉しいのだが、女の視線がちょっぴり怖い。
「ファリアル。そんな得体のしれない猫魔獣よりもこっちを見なさいよ。あー、なるほど……もしかして照れているの? いいわ、本気で虜にしてあげるから」
赤く濡れた胸の谷間をわざと覗かせ女は微笑む。
呪印を刻んだ、かなり強力な魅了の魔術だ。
これをレジストするのはさすがに、人間には無理か。と思いきや。
「いえ、正直に申し上げますと――あなたのような痴女っぽい人って、苦手なんですよね」
「な……っ!」
「それに――あなたの無駄に膨らみ淀んだ魔力と肉体よりも、この御方の純然たる憎悪の魔力と愛らしいモフ御身体の方が、何倍も魅力的ですし」
言って、彼は私のモフモフ猫毛をさわさわ~と撫でて。
穏やかなイケメンスマイル。
猫ちゃんと外道くん。
ちょっとダークな美貌と相まって、これは実際イケていると思うのだ。
愛らしい猫と翳あるイケメンのコンビネーション写真って、元の世界でも人気あったしね!
ここで。
ふと、賢くかわいい私は思い至る。
あー、そういや私も魅了の魔術が得意なのだ。
これ、オバさんの強力なチャームが効かないのって、ファリアル君を事前に魅了しちゃってるせいもあるだろうな。
まあ魔術による魅了ではなく、行動による魅了なので倫理的には問題ないけど。
私、大魔帝だし。
因果律まで捻じ曲げて、彼と彼が心から大事にしていた集落の人間を救ったし。
そりゃ天然の魅了状態にもなるよね。
先に掛けられたネコちゃんによる魅了状態を打ち破る程の魅力が、オバさんにはなかったのだろう。
つまり。
ニャーッハッハ! 我の勝ちである!
ドヤァァァアアア! と勝ち誇ってやったのだが。
「ああ、そう。少し、いえかなり――気に入らないわね。この猫魔獣風情が!」
いや、猫に本気で嫉妬するなよ……。
ともあれ。
猫的にはちょっと分からないが。まあ確かにこの男。マイナス思考なのがけっこうウザ……玉に瑕だったが、外見なら私の人間モードよりも若干劣るが端整だ。
今は全盛期の冷徹な姿に戻って、更にクールな男になってるっぽいし。
うーみゅ……これは。
女ストーカーというやつだろうか。
魔女マチルダもちょっとそんな感じだったが。
この世界、魔女っぽい女ってそこそこイケてる男をストーキングする習性でもあるのだろうか?
ファリアル君は私の頭を撫で天むすのお代わりを差し出しながら。
錬金術製の紙パックで包まれたピクニック用イチゴミルクパックを取り出し。
丁寧にストローを刺して、そっと私に握らせ。
真剣に――女を睨み言った。
「まあいいでしょう。黒幕と分かったら消し炭にするだけですが。その前に、レディ。一つだけ――どうしても分からないことがある。血に飢えた狂気の戦いを開始する前に、確認させていただいても、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。あなたの頼みですもの。なんだって聞いてあげるわ」
狂気すら混じった女の瞳にあるのは濃い執着。
ファリアル君も既に戦う気満々だ。
よほどの因縁か。
私には分からないが――ただならぬ関係なのだろう。
男女の仲とか。そういうの、猫的によくわからないから、やるならよその異世界でやって欲しいのだが。ともあれ。
私はごくりと息を呑む。
喉の奥にごっきゅんと天むすを飲み込んで――チペチペチペと肉球についた美味しいエビの脂を舐めて、緊張に猫毛をぶにゃーんと揺らす。
くわぁぁぁっと食事の後の欠伸を一つ。
いわゆるシリアスな展開になるかもしれない。
戦いの気配を察し、私は男の腕からびにょーんと身体を伸ばし草原に降りる。
ちゅー~、じゅるじゅる、べっこんべっこん。
イチゴミルクの紙パックをストローで啜る私の咀嚼音が響く中。
女をまっすぐに睨み。
ファリアルくんは案外に冷たい声を出して、女に問う。
「すみませんが。あなた、どちらさまでしょうか?」
「え?」
『え?』
私も彼女も、思わず口を三角にして一言漏らしていた。
……。
女は目を点にして、妖艶な唇をぐぎぎと軋ませる。
追い打ちをかけるように彼は一言。
「おや、聞こえませんでしたか? あなた、誰です?」
相手をおちょくる作戦。
ではないなあ……これ、マジで聞いてるよ。この人。
それが女にも伝わったのだろう――露出の多い肌に、ギャグ属性のジト汗が滲み始めた。
「え? うそでしょ? 冗談でしょうね? アタシ、呪いと絶命の魔女エイルなんだけど。百年前の大戦に参加していたのなら当然、知っているわよね?」
「えーと……その……。すみません。ちょっと……存じ上げませんね」
ファリアル君はそれはもう真顔で、頬をポリポリポリ。
その瞳にあるのは――昏い色。
昏いといっても、シリアスとは真逆。
面倒くさいから帰って欲しい、そんな侮蔑と呆れの滲んだ視線だった。
この男。
敵にはかなり容赦ないなあ……。
私には結構甘々で、なんだかんだでデレーっとしているのだが。
頭にかぶる牡鹿の骨兜だけが、申し訳なさそうに空洞の目線を逸らしていた。
ともあれ。
こんな因縁の再会みたいな登場シーンだったのに、マジで知らないようである。
これ、私と彼で既に似たパターンやったよね?
ちなみに、呪いと絶命の魔女エイルについてだが……私も知らん。
こんなやばい血染めのファリアル君すら知らなかったのだ、当然と言えば当然だが。
ロックウェル卿なら何か知っているかもしれないが、彼はいまだに涎を垂らして爆睡中である。
あ……ファリアルくんがロックウェル卿の涎を素材にしようと試験管を持って近づいている……。
えぇ……目の前のこの可哀そうな女の人、かなりインパクトがあるのに。
よく無視できるなあ……。
ちょっと涙目になって、魔女エイルが縋るように男に言う。
「ね、ねえ……ちょっと、血染めのファリアル? ア……アタシがいるんだから、こっちを見たらどうかしら? 錬金術の素材なら、ほら、十年かけて手に入れた……竜の心臓とか巨人の肝とか色々あるわよ?」
震える指を伸ばし――縋っている。
その姿はさながらホスト男に貢ぐ、ちょっと残念な水商売のお姉さん……。
「そんな日常で手に入れられるものに興味はありませんよ」
「に、日常!? 王族でさえ所有を許されない竜の心臓に、戦う事すら困難な巨人種の肝なのよ!」
女の手に握られているのは確かに竜の心臓に巨人の肝だが。
はて?
そんなに貴重なアイテムだったっけ……。
そんなもん錬金術師ではない私ですら、山ほど持っているが……。
「とりあえず静かにして貰えますか? ロックウェル卿様が目覚めてしまいますので」
「あ、ごめんなさい……」
「まあ、後で相手をして差し上げますよ」
女性だとしても関係ないのか。
魔術に関することを邪魔されるとめっちゃきっつくなるみたいだね、この人。
まあ確かに。
日常の中。散歩していれば簡単に手に入れられる魔竜の心臓とか巨人の肝なんかよりも、この世界でトップクラスの神鶏、ロックウェル卿の涎の方が何百倍も価値がある。
魔術師としては正しいが、人間としては……うーん、どうなんだろう。
あ、同情しちゃったから女がこっちを見始めた。
えー、やだなあ……こういうの、関わり合いになりたくないんですけど……。
「ね、ねえ猫ちゃん……あなたなら、アタシを知っているわよね?」
魔女が助けを求めるようにこちらを見るが。
ニヘェと勝ち誇った笑みを送り返してやり。
『ニャーッハッハハ! 偉大なるこの我が、人間の個体なんて知っているはずないのだ!』
ものすごく、気まずい空気が流れる。
が、私をおデブといった罰じゃああああああ!




