祈り火の行方 ~大いなる猫魔獣の光~
ダンジョンに湧く魔物にはそれぞれ傾向がある。
以前私の作った静かな図書館ダンジョンでは、その静寂の性質にあった闇に潜む暗殺タイプのダンジョン猫がポップしたのだが。
この地で湧いたのは死霊タイプの猫。
その意味はやはり……私の思い過ごしではないのだろう。
死にかけた大陸領域の影響を少なからず受けたのだ。
吹雪の暴走の件もある。
もはやこの大陸は、死にかけている。生きている命は少ないのではないだろうかと私は推測していた。
『先に一つ、聞きたいんだが――この周囲の集落の人間はどうしたんだい……? まさか集落がここだけの筈もないだろう。しかし、どういうわけか。救助しようにも……既に、何もなかったんだが』
「ワタシが知っている限りの範囲の村は、もはや……既に――子供や身体の弱った者は、事前に、この集落の錬金術による防寒施設に移動してきたのですが、他の者は……」
男は悲しそうに首を横に振った。
そして、ギリっと小さく一度だけ……音を鳴らす。
食いしばる歯には……深い後悔が滲んでいた。
『そうか――すまない、思い出させてしまったようだね』
私達の魔性を覗けるほどの人間ならば――この大陸を覆う死の気配も、既に察していたのだろう。だから、暗く沈んでいるのだろうと思う。
人の死を見るのは……悲しいものだ。
この集落にもきっと、何度もその悲しみが襲ったのだろう。
だから私は。
心からの言葉を漏らした。
『それにしてもこの魔力の極寒の中。よく、頑張っていたね。あくまでも人間としてはだが、まあ褒めてあげるよ』
「いえ……ワタシは……命を、救いきれませんでしたので」
んーむ、この私が褒めてやっているのだ。
もっと喜べばいいのに。
魔王様に愛されし御ニャンコ様であるこの私が、誉めたんだから。
へへー、ありがとうございます。魔王様とケトス様にはなんとお礼を申しあげてよいか……このチーズスティックをお受け取り下さいませー。
とかいって、素直に平伏すればいいのに。
うん。
ともあれ。
今はこの男との対話が先か。
さて、どうも昏い男であるが――ま、なんとか交渉するしかないか。
「本当に、あなたがたは……いったい、何者なんですか?」
『だから、魔族だって言っただろ』
男は慎重に。
言葉を選ぶように言った。
「ワタシは魔族を知っています。その強さも、恐ろしさも。けれどあなた方から感じる闇は……それよりも、もっと……」
魔を見通す彼の瞳には、私たちがどんな存在に見えているのだろうか。
闇だろうか、獣だろうか。
それとも……。
私の頭に浮かんでいたのは、あの黒マナティだ。
彼らのように私も――かつて人間だったモノのなれの果てとして、世界を憎んでいるのだろうか?
いつか出会った鑑定娘が私の底を覗き気を失ってしまったように、人間が見てはいけないナニかがあるのだろう。
愛らしい生物なのは間違いないが……。
たぶん、きっと。
それだけではない常闇を感じ取っているのだろうとは――思う。
それにしても。
心の奥。魔力の底に見てはいけない闇が眠っているなんてさ。
私って、なんかイイ感じにカッコウイイ猫なんじゃないだろうか。闇の影があるニャンコって、なんか、すっごく可愛くないかな?
男は翳がある方が、色気とか凄味が増すっていうしね。
うん。
私の横で、ロックウェル卿がなんか意味もなくドヤっているが、きっと私とは違って唐揚げの事でも考えているんだろうね。
たぶん。
ともあれ。
何者か――か。
魔族なのか猫魔獣なのか、人間の残滓なのか、はたまた神か。それは私にも分からない。
きっとロックウェル卿も分からないのだろうと思う。
『私達は――魔王様に愛される獣だ。それ以上でも、それ以下でもない』
敵意はない。
そう伝えるように私は微笑していた。
猫の慈悲というヤツだ。
『ま、世界に新たなダンジョンを生成できるほどの存在だって思ってくれて構わないよ。魔王様の方針に従い、女子供や民間人はなるべく救おうとしているだけの話さ。無駄な戦いもしたくないし、素直に話を聞かせてくれることを願っているよ』
そんなおニャン子様な私の、モフっと膨らんだ猫毛を見て。
錬金術で集落を守り続けていただろう男は戸惑っていた。
擦れて漏れる息は――重い迷いを感じさせる。
「異界召喚に……尋常ならざる魔力。この魔力なら確かに……不可能ではない、ですよね。本当に……集落の子供たちを助けてくださったのです、ね。本当に、ああ、本当に……よかった」
気が抜けてしまったのだろうか、男はただまっすぐに何もない闇を見ていた。
遭難していた人が諦めかけていた時に助けられると、こういった自失状態になってしまうと聞いたことがある。
しっぽをくるりと巻いて、座り直した私は男の目をじっと見た。
苦笑するようにネコ眉を下げて。
私は男を落ち着けるように、穏やかな息を漏らした。
『ああ、私達が来る前にどうにかなってしまった人たちは無理だったけど――今、いる人間たちは無事さ。健康状態も含めてね。魔王様に誓って、それは保証しよう』
「ワタシ達を救っていただき、本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか……!」
男は、薄らと瞳を揺らした。
偉大なる魔族である私達の前に平伏し、感謝する男は――深々と頭を下げる。
心からの平伏だ。
ようやく、ドヤ顔ができそうだ。
『うむ、その心。ゆめゆめ忘れるでないぞ。我を崇めよ、猫を崇めよ! 猫魔獣こそが、魔王様に最も愛されし最高に可愛い存在なのじゃ!』
くわっと大胆に宣言し。
ドドドド、ドヤァァアアアア!
『我こそがケトス。我こそが魔王様に愛されし魔猫! もっと、もぉおおおおっと褒め称えよ! ニャーッハッハ!』
私はご満悦なのだが。
その横で、ロックウェル卿はニワトリもかわいいんだがのう、とぶつぶつ呟いている。
尖った鳥目は、ちょっと可愛かったりもするが。
「一つ、お聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
『うむ、よろしい。今の我はポカポカぬくぬくでご機嫌なのじゃ!』
「これほどの御業。あなたさまは――ワタシたちが崇めている大いなる光……神さま、なのでしょうか?」
いや、まあそりゃ神といわれるほどに可愛いのは確かだが。
うーむ、そうきたか。
魔猫が神……っ、ぷぷー、と。ロックウェル卿が腹を抱えて笑いながらも、声を出さないように、くわわと翼を揺らしている。
ドヤタイムを終了し、今一度、私は座り直す。
ソファーの上でニヒィと悪い顔を作り、魔族として微笑した。
『昨日も言っただろ、私は魔族。大魔帝ケトスさ――そりゃ、あまりにも偉大だから中には私を神と崇める人間もいるけれどね。神を自称する、大いなる光とは無関係さ』
「では、ワタシたちの祈りは届いていなかったという事なのでしょう、ね……」
んーむ。
やはりどうも悲壮感あることばかりを口にする男である。
色々と追い詰められていたせいだろうが。
私はこっそりとため息をついた。
仕方ない、少し光とか希望を与えてやるか。
『一応、フォローしてあげるけど。ここは吹雪の宝珠の結界内だったんだ。祈りは天に届かなかったんだろう。神が見捨てたって意味ではなく、魔術儀式的な意味でね』
続けて私は言う。
『それに、私がここに来たのは君達が最後の祈りで灯した焚き木の煙に引き寄せられたわけだからね。それが神の導き、奇跡だったって可能性もゼロじゃないよ。実際、私は大いなる光に仕える神獣の友人だし』
「神に仕える獣のご友人!」
『うん、ホワイトハウルっていう魔狼さ。聞いたことないかな?』
大いなる光繋がりではなく、魔王軍時代からの関係だが。
まあ、嘘は言っていない。
「裁定の神獣、白銀さま――の御名! じゃあ、本当に」
あいつ。
モフモフわんこで魔族のくせに、一般人に信仰される神獣になってるんかい。
ちょっと生意気である。
まあ私も一部の地域で神として、ロックウェル卿も神鶏として崇められているっぽいが。
「では、我らの祈りは……無駄ではなかったのですね」
『結果的に、そうなるね。君たちが最後だと思って込めた祈りが、魔力を伴った煙となり、偶然この上空を通りかかった私を引き寄せたのは事実だ。祈りが届いたかはともかく、無駄じゃなかったってのは確かだよ』
まあ本当は、煙に魔力などこもっていなかったが。
そこはそれ、リップサービスも必要だろう。
空気を読まないロックウェル卿が突っ込んで来たらどうしようかと思ったが、このニワトリ……、人の顔をニヤニヤ見てやがるな。
あとで猫キックでも決めてやろう。
『君達は自分たちの手で奇跡を握りしめたんだ。失ってしまった命達は残念だと感じるが……それでも、君たちは生き残ったことを誇っていいだろう、少なくとも私はそう思うよ』
私の口は自然に動いていた。
せめて、私だけでもその努力を認めてやりたくなったのだ。
そして。
それ以上に、すこし厳しい一面も語る必要があると感じていた。
『君達は――十分、頑張ったんだよ。辛かっただろうが、よくやったね。けれど――まだ親を失った子供たちも何人か生きている。いつまでも項垂れていたら、彼らは路頭に迷うことになる……厳しい事をいうようだけど、そろそろこれからの道、次の世代を生かし、生きることも考えるんだね。私は魔族で猫魔獣だ、この気まぐれがいつまで続くか――悪いけれど自分でも分からないんだ』
厳しいようだが、これは事実なのだ。
頑張ったことを認めていることも、救いの手がいつ途切れてしまってもおかしくないことも。
私は包み隠さず心をぶつけたのだ。
それが男にも伝わったのだろう。
男は黙り込んでしまった。
これで少しは気力を取り戻してくれるといいのだが。
俯く男。
その頭にかぶる骨兜と、大きな肩は僅かに揺れていた。
「我らは大いなる光を信仰する者。なれど……いま、この瞬間だけは……大魔帝ケトス様、そしてあなたの主である魔王様に感謝を捧げさせていただきます」
『魔王様に感謝を述べるとは! すばらしい! 実に素晴らしい! いやあ、私もこの村だか町だか集落だかしらないけど、君たちを救ってよかったよ』
肉球でパチパチと男の感謝を讃える私。
んーむ! 実にいい心がけだ!
その後ろで、余に対する感謝も忘れるな! と、ニワトリが騒いでいるが気にしない。
「ロックウェル卿様にも、もちろん……感謝を!」
『クワックワ! よい、よいぞ人間よ! 余を讃えよ! 許す、存分に讃えるがよい!』
あ……。
ちっ、人間め。ちゃんとあのニワトリにも平伏を示し始めやがった。
まあ、いいけれどね。
とりあえず。
この国の事情説明などの前に、交流をはかっておくか。
その方がたぶん、円滑に情報を聞けるだろうし。
それにたぶん、こういう思いつめそうなタイプには、何か仕事を与えた方が気も休まるだろう。
さて。
私は悪事を企む猫の顔でニャハリ!
さっきこちらを嗤った仕返しに、
『ちょーっとごめんね、ロックウェル卿!』
『コ、コケッカ! コケケー!』
ニワトリ頭を軽い猫キックで押し退けて――。
男に助力を願うように、ネコの顔を愛らしく向ける。
『さて、少し遅いが朝食にしよう――材料は揃っているから安心したまえ。たぶん、そろそろ他の皆も起きてくるだろうからね。この辺りの調理の風習はわからないし、禁忌とされている食材とかあったら困るし――君も手伝っておくれよ』
私の言葉に。
涙を拭いながら、男は「はい」と力強く頷いた。
彼が泣いているから、卿は空気を読んだのだろう。
ロックウェル卿はぐぬぬと鳥目を尖らせながらも、私に仕返しをできずに歩き出す。
そして。
やっぱりいつものように、何で怒っているのかすっかり忘れた様子で――私に追加の唐揚げ召喚を要求してきた。
思い出されて、仕返しをされるのも面白くない。
私は素直に、次々と唐揚げを召喚していくが。
『ふむ……なにやら後ろ頭が痛いのだが、ケトスよ。何か知らぬか?』
『ふぇ? し、しらないよ。いま追加の唐揚げだすから、ちょっと待っててねえ』
……あれ。
これ、もしかしたらロックウェル卿に、逆に利用されている可能性もある?
いやいやいや、まさか。
このニワトリにそんな知恵があるわけ、ないね。
うん。
ロックウェル卿はなぜか勝ち誇った笑みを浮かべて、こちらをチラリ。
それはもう美味しそうに。
ホクホク唐揚げをムッシャムッシャと嘴で千切り、モコモコ羽毛を震わせむさぼり食っていた。