ラストダンジョンの床はつめたい その1
生まれ変わったら猫になりたい。
一日中ゴロゴロしてちょっとご機嫌取りにニャーと鳴いたら山ほどのご飯が貰える。犬のように働くこともなく、馬のように走らされるわけでもなく、ネズミのように実験に使われるようなこともない。
ただカワイイが仕事なだけの最強生物。
そんな猫になりたい。
なんて。
くわぁぁぁっとノンキに欠伸している猫を眺めてそんな阿呆な冗談を言った経験があるだろうか。少なくとも私はそうだった。
けれどだ。
結論から言うと、やめとけ。猫転生は本当にきつい。無理ゲー、クソゲー、即売却レベルの運ゲー。
かつて日本と呼ばれる場所で人間だった私は、自慢の尻尾と髯をピンピンと震わせながら、漆黒石の柱が並ぶ大講堂を、ペタペタぷにぷに。
肉球で踏みしめながら歩いていた。
ご主人様の城、我が家である。
たぶん東京ドーム三十個分はあるんじゃないかってほど広い大迷宮、いわゆるラストダンジョンだ。
私が歩いているだけでイケメン悪魔お兄さんや妖艶アラクネーなお姉さんがにっこり微笑んで敬礼してくれる。まあ私が最強にかわいい猫様だからって理由もあるが、それだけじゃラストダンジョンの力ある魔族である彼らが敬礼なんてしてくれるはずがない。
私が修行して力をつけたから?
ないない、それはない。
修行なんてたったの五百年しかしていない。
もちろん最弱クラスの魔獣ではないが、おそらく、全異世界からみたら中堅程度の実力しかない、かわいい魔獣に見えるだろう。
もっとも、この世界の中だけでなら最上位の魔獣。
世界の安定を脅かす強大な存在なのだろうが。
そう今の私はただの猫じゃない。
廊下ですれちがったサキュバスお姉ちゃんに呼ばれ、胸の中にダイブしながら。
ふと過去を思い出す。
辛い日々も明るい日々もあった。
安定した平和なゴロゴロにゃんこ暮らしを手に入れるまで、猫の魔獣に転生してから五百と五年もかかってしまった。
特に大変だったのは最初の五年。
まだ猫魔獣になる前の猫の話。
転生したばかりの惨めな記憶が脳裏を過る。
もう本当に大変な五年だった。
せめて人型の亜人である虎人間や狼に化ける人狼に生まれていれば良かったのだが、私が生まれ変わったのは本当に四足歩行の獣。
ただの猫。
モッフモッフなにゃんこである。
しかもだ。
お猫様ともてはやされる現代日本に転生していたらいざ知らず、生まれた場所は科学の科の字もない世界。剣も魔法も存在するが人権なんて希薄でほとんど認められていないファンタジーな場所。
余裕のない暮らしを送っている人間ばかりで、猫に対する態度も酷く辛辣でさ。
こっちがせっかく可愛くゴロニャンってエサをねだっても、返ってくるのは蹴りか拳か魔法の矢。
いや、転生してからたった一か月で人間を嫌いになったね。
転生した当初は正真正銘のただの猫だったのに、人間への恨みだけで魔獣化したぐらいだもん。まあ魔獣と言ってもちょっと丈夫な猫ぐらいだから何ができるってわけじゃなかったけどさ。
こっちが人間の言葉を話せたならまだよかったけど、そんなチートもない。
ニャーニャーとしか声は出ず、ジェスチャーで交渉しようとしても知恵ある魔獣と間違えられて人間の剣士に片腕を切り飛ばされるし……ああ、あの頃のことはあんまり思い出したくないな。
まあ中にはそんな私にもご飯を恵んでくれる人間もいたけど、それはほんの一握り。
ともかく。
そんな私がどうしてこんな豪華な城に住んでいるかって?
にゃははははは!
よくぞ聞いてくれたね。
文字通り泥水まで啜って、人間のゴミ場を漁ってなんとか生き抜いてきた私だったんだけど、やりすぎてとうとう指名手配されちゃったんだよ。
どうせ捨ててるゴミなんだからいいじゃねえかって思うけど、まあ一応魔獣だったし、討伐されちゃうのは人間の常識としては間違ってなかったのかもね。
とにかく私は街の冒険者に深手を負わされた。
もうバッサリいかれた。
剣と槍と斧でさ。
内臓も骨も見えるくらいドバ、ずしゅ、バシュ! だよ、ほんと酷いよね。
あー、もう死ぬんだな。
次に転生するなら元の世界に帰してくれ!
って願いながら逃げたよ、逃げた。
逃げて、逃げて逃げて。
這って、逃げて、また這って。
死ぬ気で逃げた。
裂けた喉からはひゅーひゅー息が漏れるし、潰れた目は赤も黒もわからないほど歪んじゃったし、焦げた尻尾は骨が剥き出しで石の道に刺さって痛いこと。
もう怨霊とか悪霊になる一歩手前だね。呪いのビデオ一歩手前だね。恨みだけで相手を呪える呪術師だったらたぶんそいつらにダメージ与えてたってくらいの恨みだったね。
それがいけなかったのかな。
恨みを探知する僧侶が相手にいたからさ。逆に居場所をサーチされてとうとう追い詰められた。
途中であきらめたよ。
だって超痛いんだもん。
死ぬほど痛い。
なんで私がこんなめに……って思ったら、なんかすごくどうでもよくなった。
千切れかけた脚なんかもう動きそうにないし、一般的な日本人だった私からすればただのグロ画像。でも猫だから気持ち悪くても吐かなかったんだよね。
なんだかそれがとても虚しく感じた。
あー、人間じゃないんだって嫌でも自覚させられたし。
たぶんどっかで区切りがついちゃったんだろうな。
哀しいのに泣けないんだ。
『もう疲れた……』
そう言ったつもりなのに、声から出たのはニャーニャ……だもんギャグだよね。
命乞いなんて聞いてくれなかった。
だって言葉になってないんだから仕方ないよね。もし言葉が通じていたら少しは違ったのかな。今となってはどうでもいいか。
ともあれ。
私は魔法で焼かれた。
生きたまま業火に焼かれた。
でもさ。
人間から転生したせいかなかなか死ねなくてね。
もしかしたら転生特典ってやつだったのかな?
私を殺してた冒険者たちもなんでこんなに丈夫なのかって、死なねえのかってキレてた。
それでももう終わりかなって思った時に。
来たんですよ、これ。
私の今のご主人様。
いわゆる魔王様。
ふらっと宙から飛んできて、ドン!
ほんと間抜けなくらい単調なドン!
ドンよ、ドン! バンじゃなくてドン!
当時は本当にただの通りすがりの魔王様だったんだけど、一応魔獣のはしくれである私を哀れに想ってくれたのかな。私を虐める人間を指先から飛ばしたただの魔力の塊で一撃なんだもん、魔王マジやっべえ!
神キタこれ! って思ったね!
いやまあ実際には魔王様だけどさ。遠くの神様より近くの魔王様って言わない? 言わないか、にゃははは、まあいいや。
んで、私は魔王様に拾われた。
ボロボロだった私を治療してくれて、魂の色? 的な何かで私の事情を察してくれて同情までしてくれちゃってさ、もうマジ神、神以上に神。
即忠誠を誓ったね。
もうマジもんの忠誠。
まあ魔王様も異界から転生した私の話を聞きたいって打算もあったみたいだけど。ともあれ私は魔王様の愛猫になった。
ここからは私の勘でしかないけど、たぶん魔王様、私と同じ転生者だったんじゃないかな。
本人に聞けばいいだろうと、そう思うかもしれない。
けれど。
今の魔王様にはどうしても聞くことができない。
私は魔王様の寝室。
厳重に封印された扉を魔力で開けて、小さく息を吐いた。
「あれから百年経ちましたよ、魔王様。いつまでもお眠りになっていないでそろそろ目を覚ましていただけないでしょうか」
返事はない。
返事は……できないのだ。
だって私は――。
魔王様を、守り切れなかったのだから。