04 くまさんにであった
奇襲をかけるつもりが、逆に完全にルーンベアの居場所を見失ってしまった。
背後の物音に反応して振り返り、茂みから飛び出してきたルーンベアの鋭い爪の一撃をとっさに大剣でガードする。
直撃は避けられたものの、俺は若木をなぎ倒しながら大きく後ろに吹き飛び、後ろの大木に叩きつけられた。
「ぐはっ!」
感覚精度を限界まで引き出すため、痛覚を上限値であるリアルの50%にしているが、思った以上に生々しい痛みである。
車でひかれたかのような衝撃だ。
傷ついた内臓から血がこみ上げ、血反吐を吐き捨てた。
ダメージ判定のあった部位によって怯み、出血を伴うことがあるが一時的なものである。
手足の欠損や、身体の機能不全に繋がることはないとはいえ、ガードしてこのダメージ。
開幕から結構な体力を削られたが、戦闘を続行する。
いきなり死んだら無理をしてここに来た意味がない。
態勢を立て直し身構えたところで、ようやくルーンベアの姿をはっきりと見据えることができた。
二本の足で立ち上がったその体長はおよそ4m。
黒い毛皮に紛れて目の位置が分かりづらく、額と両手の甲にそれぞれ紅い紋章が赤黒く浮かび上がっている。
「まさにバケモノって感じだな……。勝てる気がしない」
あまりの威容に絶望と恐怖が湧きあがったが、感情を押し殺しすかさずポーションを飲みつつ状況を整理する。
似たような紋章を見た覚えがある。
ウィザードのデモムービーだ。
ウィザードは杖の先に展開した紋章で行う遠距離攻撃と、場を支配する『陣』を活用する。
あの鳥籠のような柵は陣によるものだろう。マーキングと思われた木の掻き傷はおそらく魔法陣の標。
この空間は、獲物を逃がさない、ヤツの狩場だ。
ただしウィザードは全職一の紙装甲であるはず。
このパワーと体躯で魔法まで駆使してしまうのは序盤の敵としては明らかに場違いな存在であった。
さらには狩場深くまで侵入に気づかぬフリをすることで誘い込み、退路までふさがれた。
力でも知恵でも先をいかれ、正直勝てる見込みは感じられない。できるならば勝ちたいが、当初からの目標は情報収集だ。
敵と、自分の。互いの全力を引き出してみせよう。
再び突進するルーンベアに相対し、タイミングをあわせ、正面に踏み込む。
衝突直前に斜めに飛びつつカウンターで黒い背中を斬りつけたが、ザリッとした感触とともに大剣は毛皮をなめり、数本の体毛がはらりと舞った。
────硬すぎる。
そのまま後ろへ駆け抜け再びポーションを飲みながら逃げるが、巨体ゆえさほど速くない。
バーサーカーはどちらかといえば鈍足な部類だが、木々の隙間を縫った逃走はルーンベアよりはるかに小さな冒険者にとって有利に働く。
しかしルーンベアも馬鹿ではない。
距離を離すために背を向け全力で逃げていた俺は突然背中に衝撃と鋭い痛みを感じた。 足がもつれる。
振り返るとルーンベアが紋章を光らせた右腕を振るい、ウィンドカッターを発射してきていた。こいつ、遠距離攻撃まで持ってるのか!
『スキル:ブラッディカッターを習得しました』
視界にメッセージが表示されたが、いま気をそらしたら死ぬ。詳細を確認する余裕がない。
再び右の紋章が光った。
追撃がくる。
俺は地を蹴り、ルーンベアの懐に潜り込みつつ大剣で腹を切り裂いた。
どの動物も大抵は腹の皮膚は薄い。ウィンドカッターはあらぬ方向へ暴発し、ルーンベアの腹から血がにじんだ。
「グオッ!?」
「クソッ、まだ浅いか! 毛皮で滑る!」
ひるんだルーンベアが立て直すまで少しの猶予があると踏んだ俺は大剣を強く握り直し、腹の傷口めがけて深々と突き立てた。
ずぶり、と水気を感じさせる嫌な感触だ。
ここで、押し切る。
突き立てた大剣をそのまま捻りながら押し込むと鮮血が降り注ぎ、ルーンベアは苦悶に満ちた咆哮で空気を震わせのけぞらせた。
「ゴォオオオオオオ!」
『スキル:ガードブレイクを習得しました』
スキル名さえわかればなんとなくイメージはつく。このままトドメを──!
いや、……おかしい。
あれだけ吠えていたのに突然静かになった。死んだのか?
傷口を抉る手を止め、見上げると、太陽の光をルーンベアの頭が遮った。
逆光で浮かび上がった頭の輪郭に、額の紋章が強く発光し、目は真っ赤に充血している。
凄まじい形相に血の気が引いた。これはヤバい。
後ろにステップを踏み、全速力で距離をとる。
赤いオーラをまとったルーンベアの胸が膨れ上がった。
この感じ、分かるぞ。
俺はしゃがみこみ耳をふさいだ。
来る。
「グォオオオオオオオオオ!!!」
拘束する咆哮だ!
ビリビリと大気が震えている。これだけ距離をとって耳を塞いでいてもこの音量、寒気。
あのまま近くで悠長に攻撃でもしていたら鼓膜がブチ破れて失神していたかもしれない。
しかしあの傷で死なないとはどういう体力をしてるんだ、コイツは。
手は使えないが、この隙にスキルの確認だ。
・ブラッディカッター
HPが残り少ないほど威力が上がる中距離攻撃。HPを少量消費して発動する
・ガードブレイク
敵のガード状態を打ち砕き、ダメージを与える。また、防御力の高い相手ほど威力が上がる
・バーサク
戦闘時HP30%以下で自動発動。攻撃力・俊敏上昇、防御低下
バーサクは窮地にこそ活路を見出すロマンスキルだ。このアツさに心を打たれ、バーサーカーを選んだ。
そしていま対峙しているルーンベアが発動したと思われるスキル。
体力が半分を切っているいまの状況でヤツの直撃を食らえば間違いなく即死だろう。
俺のほうはまだ発動はしていないが、わざわざ攻撃を食らってHP調整などをしている余裕はない。
ヤツはいま、赤いオーラを纏い俊敏上昇で動ける巨体となったバーサク魔法戦士だ。
モタモタしていれば逃げる間もなく殺される。
ダメだ、考えがまとまらない。仕留めきれる可能性は低いがやるしかない。
死ぬ覚悟で挑んだつもりが、ここまでアツくなってしまうとは。
この強敵と戦うことが、怖くて、楽しくて仕方がない。
もはや大木すらも薙ぎ倒し、猛進するルーンベアを小細工で止める手段はなかった。
知性は失っていないらしく、懐に潜られることを警戒して姿勢は低い。
ルーンベアの最も強固な部位は頭蓋骨だろう。ヒグマですら猟師のライフルを頭蓋骨ではじくこともあるという。
体長4mの化けグマの頭蓋骨装甲はどれほどになるだろうか。
それが仇となるのだ。
最も頑丈ゆえに最も無警戒なポイントに、強烈な一撃を叩き込む。
この技は対象が硬いほど威力が増すらしいぞ。
「くたばれ!」
『ガードブレイク』
「ゴオッ!」
とびかかるように正面から打ち付けた大剣が、凄まじい手ごたえとともにルーンベアの頭蓋骨にめり込んだ。
しかし、死ぬどころかひるんだだけだ。
バーサク状態の防御低下が裏目に出たか。だが結構深くいったはずだ。
俺はそのまま緩んだ突進の勢いを受け流そうとしたが、この奇襲にすべてを賭けていた俺は態勢を崩し無様に地面に転がり落ちた。
ヤツのタフネスが尋常じゃない。
この距離だと逃げるより先にウィンドカッターがくる、下手すりゃ死ぬが、最期まであがいてやる。
『ブラッディカッター』
お互いが復帰と同時に腕を振るい、相手に向かって斬撃を放つ。
自らの血液を集めたかのようなブラッディカッターはルーンベアの脇腹を抉ったが、ウィンドカッターは俺の胸に直撃。
意識が飛びそうになるような痛みだったが、即死は免れる。
それと同時に自分に狂気の力が沸き上がってくるのを感じる。
血の如く赤黒く燃え盛るオーラが自身を包み込んだ。
俺のHPは現在22%。
HP30%以下の発動条件を満たし、バーサクが発動したのだ。
この時を待っていた。
俊敏の差によって差し込めなかった攻撃の可能性が復活したことにより、ルーンベアの優位性に揺らぎが生じた。
しかし、狡猾なヤツのことだ。また、何をしでかすか分からない。
俺の様子の異様な変化に警戒し、距離をとっている。
目ざといやつめ。近距離にいれば、発動直後に緩急を生かした奇襲の選択肢ができたものを。
興味本位でルーンベアに挑む冒険者は後を絶えない。
経験値を吸って上位種とやらになれば、今の俺には手も足もでない存在となり、どこぞのNPC傭兵に狩られる。
メタ的に考えればルーンベアは期間限定イベントみたいなものなのだろう。
「ここまで来たら引き下がれん! テメェは俺の獲物だ!」
『スキル:狂気の裁断を習得しました』
性能を流し読みする。なんだよ、俺は主人公かよ。
浮かれている暇はない。ルーンベアの『左手』が強く輝き始めた。ウィンドカッターを放っていたのはいつも右手だった。
この溜め、明らかに様子が違う。
何をしようとしているが分からないが、どうせロクなことにならないに決まっている。
今すぐ殺さなければ、殺される。
バーサーカーの煮え詰まったように凝縮された生命力を大剣に注ぎ込み、
『狂気の裁断』
ルーンベアめがけて一閃した。
一帯に禍々しい黒の旋風が荒れ狂い、周囲の木々を巻き込んでルーンベアを八つ裂きにする。
それは、全てを蹂躙する斬撃の嵐。
それが収まると同時に、肉片となったルーンベアがボタボタと降り注ぎ、間もなく地面に溶けていった。
「やっと終わった……」
戦闘の終了と共に身体からオーラが消え、途端に精神と肉体的負担が押し寄せる。
・狂気の裁断
バーサク状態でのみ発動可能。HP20%を消費して、中範囲高火力攻撃
スキルの発動に、残されたHPの大半を注ぎ込んだ俺には、クレイゴーレムのワンパンで殺される体力しか残っていない。
膨大な経験値が体に流れ込んでくる感覚と共に、どっと疲労が押し寄せてくる。
地面に溶けずに残った、20cmを超えるルーンベアの鋭爪と、聖銀の指輪が今回のドロップ品だ。
しかし、今日は疲労と眠気が限界。
体調検知で強制ログアウトしてしまう前に、このへんで終わりにしておこう。
「朝までやるつもりだったんだけどなぁ」
視界が暗くなったところでVRヘッドギアを外し、時計を見る。
時刻は午前4時。
昨日は寝だめして今日に備えようとはしたが、実際には興奮して一睡もしていなかった。
そのまま俺はベッドに倒れこむように眠りについた。