03 ある日森の中
門番がそのまま話を続ける。全身西洋の甲冑で顔は見えない。
「先に警告しておくが、西の森には近づかないほうがいいぞ」
「何かあるのか?」
「ルーンベアが出たらしい。この辺りじゃあまり見ないな。ともかく、初心者が一人で勝てる相手じゃない」
ほう、ランクの高い魔物の襲撃イベントみたいなもんか。
「今までも警告を無視した冒険者たちが物見遊山で見に行って、もれなく教会送りさ。そろそろ頃合いかもな」
「頃合い?」
「あぁ……あのな、魔物ってのは人を殺すと、戦闘経験を積んで上位種に変異することがある。ルーンベアみたいなのが上位種にでもなったら、誰の手にも負えないな」
そんなことを言われると、余計に気になるのだが。ただでさえ勝てない魔物の上位種か。そうしたらどうなる?
そいつがどこかに行くまでずっと西の森は閉鎖される。
リリース直後の初心者の街で、そんなのを討伐できる人がいつ現れることやら。
森からでて街に来ようものなら大惨事だ。門番がクレイゴーレムのものと思われる剣の泥をぬぐっていたところを見るに、そういうこともあるらしい。
「もし上位種になったらこの街は?」
「傭兵を呼ぶしかないな。嫌なんだよな、あいつら偉そうで」
そういった衛兵は不満そうに足元の石ころをけとばすと、持ち場に戻っていった。
傭兵? NPCか何かだろうか。口ぶりから流石にプレイヤーというわけではなさそうだ。どんな奴らが来るのか知らないが、呼び出されて来たのに狩れませんなんてことはないだろう。
だんだんとほかの冒険者らしき人も街に増え始めている。
実装直後のオープンワールドでありながら、ここまで人が少ないのにはからくりがある。
プレイヤーのログイン地域などにより、複数の同じワールドが形成されているのだ。
リリース地点で何万もの多国籍プレイヤーが同じ初期スポーン地点に現れたら、ゲームどころではない。
かといってランダムスポーンではあまりに不平等だ。先に進むにつれて、人口密度に基づいて他のワールドの初期スポーン地点から来たプレイヤーと出会う機会も出てくるらしい。
この辺の分岐と合流のシステムは複雑すぎてイマイチ分からなかったが、快適にプレイができるだけで十分だ。
最大4人パーティでしかモンスターと戦えないのもこの辺りのシステムが作用しているという。
チュートリアル風クエストを地道にをこなすのは性にあわない。
どうせ、雑魚を倒せだの、薬草を摘めだの、やったところで大した成果は得られない。
よほどのクソゲーでもなければ、チュートリアルなどせずともある程度システムは分かるくらいにはゲーム慣れしている。
どうせなら、可能な限り高難度クエストを受注し、早いうちからまともな狩場でレベリングをしなくては。
商店街で支度金1000Gをまるまる使い切り、最下級ポーション10個に変えると、ギルド前のクエストボードの端に貼られた一番難易度の高いビラをはぎ取った。
【ルーンベアの討伐】
適正レベル10~
3人以上PT推奨
───《報酬》───
帰還の呪文書
12万G
レール上のゲームプレイでは自分の実力は測れない。そもそも死んで失うもののないいまこそ、己の限界を知るチャンスなのだ。
俺は奇をてらいたいわけではない。ルーンベアとやらを今の俺の実力を測るものさしとするのだ。
勝算は薄いが、全力をぶつけられる相手がそこにいる。それだけだ。
西門を抜けると丸太を組み合わせたバリケードの設営途中だった。
ルーンベアによる街への襲撃に備えているのだろう。迂回して森の中に入ることにしよう。
「ぅうっ……これは……」
森の入口にたどり着くと、濃密な血の匂いが漂ってきた。思わず鼻を手で覆う。
これがゲームであることを忘れてしまいそうになるほど、生々しい鉄の匂い。
リアルなら、入ろうとするハナのつまったやつを見かけたら、全力でとめるだろう。
流石に進むのに抵抗はあるが、所詮はゲームだ。覚悟はできてる。
……深い森だというのに妙に静かだ。他のモンスターは殺されたか、逃げ出したようだ。
慎重に歩みを進めていると道に点々と残された血痕が濃くなってきた。
「あれが、ルーンベアか……?」
木々の隙間に黒い塊が見えた。しかしまだだいぶ距離がある。
観察しながら音を立てないようにゆっくりと近づいていくと、もぞもぞとどこまでが背中とも尻とも分からない毛玉が死肉をむさぼっているように見て取れた。
これはチャンスなのか?
遠距離攻撃手段のない俺にしてみれば、限界まで近づいてから奇襲をかけたいものだが。さらに息を殺しつつ歩を進める。
途中、なぜか毛玉が一瞬ぴくりと止まった気がして歩みを止める。
しかし、ルーンベアは振り向くこともなく再び一心不乱にもぞもぞと肉を漁る。
心臓に悪い…………音は立てていなかったはずだ。
爪を研いだと思われる木々が、こいつのなわばりであることを示しているのだろう。
恐る恐る近づくと、徐々に傷ついた樹木の割合が増えてくる。
木によって爪跡があったりなかったり、模様や高さまで様々だ。
爪跡の木々に囲まれていると、すでに敵に囲い込まれているような気分にすらなってくる。
さらに半分の距離までつめよったかというところで、後ろからミシミシと木のきしむ音がしてくる。
振り返って見ると、鋭い爪で何回も引っかかれたのだろう、削られて脆くなった幹は道を塞ぐようにズ ズン、と大きな音を立てて横倒しになった。
同時に地面が淡く光ったと思えば、横倒しになった木の向こうから、黒い柵が一帯を囲うように次々と突き出てくる。
「クソッ、やられた!」
罠だ。気づくのが遅すぎた。いまの自分は籠の中の鳥となった。
先ほどまで肉を漁っていたルーンベアの姿は……ない。
大剣を抜き、神経を集中させ、慎重に辺りを見回す。
「来るなら来やがれ。返り討ちにしてやる」