貴族が終わる間際の事
アーバイン王国の王都。繁栄を究めるこの場所にも、繁栄についていけず、貧困、没落などで豊かな暮らしができない者たちが住む場所、貧民街が存在する。
その貧民街の中ではだが、比較的治安の良い場所を、一組の親子が歩いている。
母と幼い娘は、頭を見せないようフードをかぶり、緑がかった黒髪の父親と幼い息子は、目の色がわからないように黒い眼鏡をかけている。幼い息子はタッタッタと先に走って行っているようだ。
「にぃに、走ると危ないよ……」
そう幼い娘――マスカットは心配そうに兄を見つめながら歩く。
「大丈夫だって。俺は最強だからな!」
そう、少年――コークは笑いながら走り、コケかけて。すると、少年の背に、爬虫類じみた質感の翼が生え、ふわりと浮く。
「おっと。ほら、大丈夫だろ?」
だが、笑いながらコークが地面に足を着ければ、父親――ベルファのげんこつがその頭に落ちる。
「痛い!」
「ばぁか。王都で翼出すんじゃねぇって何度言ったらわかるんだ」
「うぅ……パパのケチ」
そして、そのやり取りを微笑ましく眺めていた母親――ノークも、口を挟む。
「コーク。ドラゴンの翼は、みんなを怖がらせてしまうの。あなたが目指す最強は、みんなを怖がらせるものじゃないでしょ?」
「うー。ママまで」
「ほら、もうカルトゥ様の家に着くわ。二人とも、お行儀よくね」
そして、彼ら親子は壁が剥がれ落ち、扉しかまともに無い家と呼ぶのもおこがましい建物の前に来て、その鍵穴に、鍵を差し込む。そして――
扉の向こう側は、赤ワインで塗ったかのように赤い壁と絨毯の、貴族の屋敷そのものの場所。奥には、2階へ続く階段と、白く長い、フワフワの髪と紅の目が特徴的な少女の絵が飾ってある。
親子はその屋敷内に何事もなさそうに入ると、母と娘はフードを脱ぐ。すると、二人とも人の耳と一緒に、ネコのような立ち上がった獣耳が頭についていて、長く艶やかな黒髪をしている。
そして、親子が屋敷の奥へと進めば、年の頃、15か16歳の、幼さと大人っぽさの両方の雰囲気を持った、茶髪にネコのような耳を持った女性が、ワイングラスとパンの入った籠を持って廊下を歩いている。もしかしたら、髪の毛を白くして、猫耳が無ければ、絵の女性に似ているかもしれない。そして、幼い二人が彼女に気が付いたようだ。
「アーファねーちゃん!」
「ねぇねー」
そう幼い二人が駆け寄り、女性――アーファもふわりと笑んで、籠を片腕にかけ、二人の頭を撫でる。
「コークにマスカットちゃん。久しぶりだね~。少し大きくなったかな?」
「うん、少しだけ背がおっきくなったよ」
「わ、私も……少し、背が伸びたの」
そして、幼い二人の後ろから、父母のほうが近づいてきて、胸に手を当て、礼をする。
「アーファ様、今日は子供達と妻を招いていたいただき、ありがとうございます」
「お久しぶりです。アーファ様」
「あ、ベルファにノークお姉様。ううん、この子達に会えれば、お父様も元気になると思うから……」
そう、少し表情を暗くして言いつつも、幼い二人のおでこに、軽いキスを落とす。
「アーファ様。夫から聞いてはいますが、それほどまでにカルトゥ様は……」
「うん。私やベルファの前では元気をふるまってるけど……やっぱり、日に日に、辛そうな表情をする事が増えてる」
「アーファ様、やはり、カルトゥ様のお食事に、薬を混ぜるしか方法は……」
その言葉に、首を振るアーファ。
「ダメだよ。お父様は、薬には敏感だもの。すぐに気づかれちゃう」
「……何とか、考え直してはいただけないものでしょうか」
「私が頼んでもダメだった。あなたが頼んでも、ダメだった。なら、この子達に会って、もう少し生きたいって思ってもらうくらいしか、私には……」
「アーファ様……」
そう話しているうちに、研究室と上に書かれた部屋に到着し、その扉をアーファが開ける。すると、部屋からむせかえるような薬草臭があふれてくる。
その室内には、一人の青年が薬草を磨り潰していた。
「……」
「お父様」
そう、アーファが声をかければ、黒い長髪に、赤い蛇の様な瞳をした男——カルトゥ=ヴェルントは、此方に顔を向ける。
「む、アーファ。どうかしたか?」
「もう、お父様。ご飯の時間ですよ。それに……」
アーファが言い切る前に、コークとマスカットはカルトゥに駆け寄る。
「爺ちゃん。遊びに来たぞ!」
「じぃじ。今日も昔話してほしいの」
そう二人が言うと、カルトゥはしかめっ面気味だった表情を緩めて、優しく二人の頭を撫でる。
「おぉ。二人とも、よく来たな。ちょうど実験もひと段落着いた。さ、食堂へ行こうか」
「カルトゥ様。お久しぶりです」
「む、ノークもよく来たな。そなたの料理はベルファの料理とはまた一味違う。久しぶりに味わいたいものだ。さ、ベルファ。二人で食事の用意をしてくれるか?」
「はい、かしこまりました。さ、ノーク」
「……」
「ノーク?」
「……カルトゥ様。失礼します」
そういうと、カルトゥの頬を、ノークがそっと触れる。そして、しばらくして手を放す。
「やはり、カルトゥ様。あなたは……」
「……ふ、ノーク。そなたは騙せないか」
そう言うと、カルトゥはポンポンと傍にいる幼い二人の背を叩き、自分の傍から離す。
「どうしたの?爺ちゃん」
「じぃじ?」
そして、ベルファとアーファも、何かただならぬ雰囲気に、カルトゥの傍に行こうとするが……その前に、カルトゥの体が、ぐらり――崩れ落ちた。
「っ、お父様!」
「カルトゥ様!おい、ノーク。カルトゥ様は、一体」
二人は駆け寄り、カルトゥの体を抱きかかえる。カルトゥの息は荒く、目は濁った色になっている。
そして、ノークは辛そうに、不安そうにする幼い二人を抱きよせ、口を開く。
「……カルトゥ様の体は、もうすぐ崩壊してしまうわ。多分……長期間、薬を飲まなかったから」
「そんな!ベルファ。薬を急いで!」
「はい!」
だが、薬を取りに行こうとするベルファの腕を、カルトゥがつかむ。
「行くな」
「……っ。なぜですか」
「っふ、今更、薬などではどうにもならんさ。それに……最後は、家族と一緒に迎えたい……老人のわがままだ」
「……カルトゥ様!そんな、悲しいことを言わないでください」
「お父様、お願い、生きてください!まだ、貴方に返したい恩があるの、貴方に……教えてもらいたいことも、一杯…一杯あるの」
「じいじ……どうしたの?苦しいの?」
「ママ、パパ、爺ちゃん……どうしたの?」
ノークは、何も答えず――ただ、ぎゅっと幼い子供を抱きしめている。
カルトゥは、家族を傍に、体は苦しいが……思った以上に、穏やかな気分に驚いていた。
――今から、死ぬというのに……まったく、俺は自分勝手だな。家族に囲まれて最後を迎えられるのが、ここまで嬉しいとは……
そして、青年の見た目をした老貴族、カルトゥは視線を、部屋に飾ってある、フワフワの白髪に紅い目をした少女――自分の妹が描かれた絵に、目を向けた。