全知
「斬り刻め! 羽毛ある蛇!」
風が唸り、大屍虫の胴を斬り裂く。
カギ爪を振り上げた腕を斬り飛ばし、両足を切断する。
斬り刻まれた大屍虫は塵と化して消える。
それは異能力者3人と互角と言われる大屍虫を一撃で打ち倒す、ナワリの呪術。
俺はぼんやりした意識の中、本隊の皆が戦う様子を俯瞰するように見ていた。
俺たちが必死に駆け抜けたエントランスを、皆は屍虫を蹴散らしながら進む。
その先頭に立っているのは、作戦の中核を成すデスメーカーこと如月小夜子だ。
そんな小夜子の顔には、だが焦りの色が浮かぶ。
「デスメーカー! 援護を!」
別の大屍虫と相対していた【氷霊武器】が悲痛な叫びをあげる。
槍の先に氷の盾を作ってカギ爪を防ぐ少年の頭には、学ランには不似合いな猫耳。
彼がひとりで大屍虫を抑えていられるのは小夜子の魔法のおかげだ。
ジャガーの姿を模した異能力者たち全員が魔法で強化されている。
だから彼らの肉体は【虎爪気功】すら及ばないほど強固に、逞しく変化している。
やはり小夜子抜きで、この作戦の成功はなかった。
だが小夜子に従う異能力者たちは、その数を予定よりいくらか減らしていた。
俺たちが命令を無視して先行したからだ。
そして小夜子は先行した異能力者を――俺たちを探してくれていた。
『我ガ主ヨ、前方カラノ強襲ニ注意セヨ!』
声が小夜子に警告する。
小夜子も俺と同じように、何者かの声を聞いていた。
しかも、おぼろげな声を聞くのみだった俺とは違い、小夜子は明確な言葉による示唆や啓示を受け取ることができた。
だが焦りが隙を生んだか、声の警告も虚しく1匹の屍虫に引き倒された。
屍虫はそのまま小夜子に馬乗りになる。
その顔を見やり、小夜子は驚愕に目を見開く。
「武道者ソード!? そんな、まさか……!?」
今回の作戦に、脂虫が参加していた事実を知って驚愕する。
かつて執行人だった屍虫は、魔道士の顔面めがけてカギ爪を振りかざし――
銃声。
頭を吹き飛ばされた屍虫が床を転がる。
「――ったく。女の子は、もうちょっと丁寧に扱えよ」
見上げた小夜子に向かって、小さなツインテールの少女が手を差し伸べる。
初等部くらいの彼女は小夜子を見やり、
「……って、小夜子さん!?」
拳銃を手にしたまま驚く。
彼女は舞奈だった。
「――魔弾!」
紫電がほとばしる。
大屍虫の上半身が蒸発し、残された下半身が塵と化して消える。
明日香の小型拳銃を構えていない左の手に、放電の余韻がまとわりつく。
「舞奈ちゃん……!? それに明日香ちゃんまで!?」
小夜子は叫ぶ。
それが執行人如月小夜子と、仕事人舞奈、明日香との初めての邂逅だった。
「あたしたちは【掃除屋】。仕事人だ」
「魔道士からの救援要請により、貴方たちを援護します」
その言葉に、異能力者たちの間に驚きと、そして安堵の笑みが広がる。
最強の仕事人である【掃除屋】の噂は、執行人たちの間にも広がっていたのだ。
新開発区に君臨するデスクロスと、【機関】でも名を知らしめた魔道士の2人組。
舞奈は異能力者たちを一瞥し、舌打ちする。
……おそらくそこに、俺の姿がなかったから。
「あ、あの……!!」
小夜子は立ち上がり、舞奈たちに向き直る。
振り返った2人は小夜子を見やってうなずく。
2人の表情は幼馴染の妹の友人ではなく、百戦錬磨の仕事人のそれだった。
彼女たちが【掃除屋】だというのなら、【機関】内部でも名の知れた仕事人なのだとしたら、陽介を救えるかもしれない。
小夜子はそう判断した。だから、
「あの、一部の執行人が先行し、現在戦闘中と思われます。彼らをの援護を……お願いしても構いませんか?」
「まかせとけ!」
言って舞奈は不敵と笑う。
「報酬は後ほど【機関】に請求させていただきます」
明日香の言葉に小夜子は安堵し、儀式用の拳銃を抜抜いて足元に撃つ。
ナワリ呪術師の拳銃には、生贄を屠るための黒曜石の弾丸が装填されている。
放たれた3発の弾丸が、屍虫と化して死んだかつての同僚の肉体を侵食し分解する。
「彼女らの身体に宿れ! 恐怖のとばりで包め! 冥府の王!」
小夜子の叫びとともに、残されたソードの心臓が破裂して黒いもやとなる。
そして舞奈と明日香の身体にまとわりつく。
「うぉ!? なんだこりゃ!?」
「援護に感謝します」
そして2人は大屍虫どもの間を縫って走り出した。
(陽介君、無事でいて……)
小夜子はその背を見送りながら、そう思ってくれていた。
「我々も早急に屍虫を殲滅し、仕事人に続きます!」
そして異能力者たちを鼓舞して自分たちも進もうとする。
だが小夜子たちの前に、新たにあらわれた屍虫たちが立ちふさがった。
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
叫びとともに、屍虫たちの中心が空間ごと爆発する。
大気を爆発させるナワリの魔法。
異能力者たちは小夜子の強化を受けながら屍虫たちを1匹づつ仕留める。
だが、それでも敵の数は減らない。
小夜子は歯噛みする。
その次の瞬間、
「ここにも屍虫がいっぱいデース!」
叫びともに、巨大な回転ノコギリが飛んできて大屍虫を両断した。
見やると、小夜子の側に抜けるように白い肌の美女がいた。
布地は身に着けていなくて、全身に巻きつけたベルトに提げられた無数のドリル刃がグラマラスな身体を隠している。
執行人プロートニク。超精神工学を操るロシアの超能力者。
彼女は超能力によって結界の中に転移してきたのだ。
「プロートニク!? でも、どうして……?」
「エリコから援護要請で来まシタ!」
ロシア美女は小夜子を安心させるように笑いかける。
「例の彼がピンチだって聞いたデス! デスメーカー! 早く行くデス!」
「でも……」
背後の仲間を見やって迷う小夜子の側の壁が、いきなり砕けた。
「よう! 遅れてスマン」
壁をぶち抜いてあらわれた屈強な大女。
支部で俺に腹筋を見せてくれた彼女もまた、執行人だ。
彼女の流派は仏術。身体強化を得手とする魔法。
鋼鉄の如き巨躯をさらに魔法で強化し、屍虫の頭をむんずとつかむ。
そして呪文を唱えると、掌から火が出て屍虫の頭を吹き飛ばす。
「あんたの彼氏がピンチなんだろ? ここはあたしらにまかせて、先に行きな!」
思いがけずにあらわれた魔道士2人の増援。
小夜子の瞳が驚きに見開かれ、次いで瞳に希望が宿る。
「あの……後はお願いします!」
言いつつ脂虫の群を突破し、奥へ向かって駆けだした。
そして小夜子は暗い廊下を走る。
執行人たちとの激戦区を抜けると、屍虫はぱったりとあらわれなくなった。
舞奈と明日香が片づけていったのだろう。
壁には生々しい銃撃の跡が残り、屍虫の汚らしい体液がこびりついている。
そんな廊下を駆け抜けるうち、戦闘の音が大きくなっていく。
そして小夜子は突き当りにたどり着いた。
奥には両開きの扉が鎮座している。
表札はかかっていない。
開け放たれた扉の中は激戦の最中だった。
日本刀を構えた着流しの男と、西洋剣を持った甲冑が舞奈と対峙している。
一方、明日香はそびえるような巨漢と向かい合っていた。
飛び退って距離を取る。
巨漢は明日香に跳びかかろうと狙いを定める。
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
小夜子は魔法を使って巨漢の周囲を爆発させる。
そして部屋に踊りこむ。
戦況は拮抗していたのであろう。
新たにあらわれた増援に、男たちの顔に焦りが浮かぶ。
小夜子は周囲を見渡す。
だが彼らと舞奈たち以外に人影はない……。
小夜子は小さく舌打ちする。
次の瞬間、部屋が白煙に包まれた。
「スモークか!?」
「――仙術よ! 敵にも魔道士がいる!」
明日香が叫ぶ。
奥にあった扉に向かって舞奈が撃つ。
だが中口径弾は虚しく壁を穿つ。
「皆様方、最後の儀式が終わりました!」
「お前たち、一旦、退くのだ!」
声に従い霧にまぎれた5つの影が窓に向かって動く。
小夜子は一瞬、それが俺なのかもと逡巡し、
『其ハ敵デアル!』
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
声に示唆され、再び大気を爆発させる。
呪炎は最後尾の1人を包む。
人影がのけぞり、手にした何かを取り落す。
「キム……君!?」
吹き散らされた煙の切れ目から見えた人物を見やり、小夜子は驚く。
「賢者の石が!」
「放っておけ! 中身は知っておるのだろう!」
「あの野郎……!!」
キムを連れて逃げた男を見やって舞奈も驚く。
それが以前にシロネンの前でひと悶着した2人だと気づいたからだ。
舞奈は拳銃を構える。
だが、それより早く建物の結界化が解除された。
5人は窓から身を投げ出して夜の街へと消える。
舞奈は追おうと身を乗り出す。
だが、ここがビルの高層階だと気づいて思い止まり、代りに悪態をついた。
窓の外は土砂降りの雨だ。
舞奈と明日香は隣の部屋へと向かう。
小夜子も追いついてきた異能力者たちに指示をだし、舞奈たちに続く。
「なんだこりゃ……?」
薄暗い部屋の壁には符が貼られ、天井と床には巨大な文様が描かれていた。
「彼らは儀式をしていたみたいね」
明日香が冷静な声色で分析する。
まるで知識という命綱に理性を繋ぎ止めるように。
「仙術……それも台湾のちゃんとした術じゃなくて、怪異が使う外道の儀式よ」
その言葉に言い知れぬ不安を掻き立てられながら、小夜子は部屋を見渡す。
文様の中心に、仰向けに倒れている少年たちを見つけた。
小夜子の口元が安堵でゆるむ。
「あんたたち、無事か?」
舞奈が駆け寄る。
「陽介君? いるの……?」
小夜子も続く。
奥にいた少年の側にしゃがみこむ。
そして、明日香が掌に灯した魔法の明かりが少年たちを照らた。
「……畜生!!」
舞奈が叫んだ。
少年たちは戦闘学ランの前をはだけていた。
ベルトも外され、ズボンは太もものあたりまで引き下げられていた。
「何てこと……」
普段は冷静な明日香も、呆然と少年たちを見下ろす。
少年たちの身体は胸から腹にかけて斬り裂かれ、魚の干物のように開かれて、
「内臓がない……」
「そんな……どうして……!? こんな……こんなのって……!!」
小夜子は悲鳴をあげて、泣き崩れた。
なぜなら臓物を抜き取られた少年たちの中に、恐怖と絶望に顔を歪め、両目を見開いた俺――日比野陽介もいたからだ。
同じ頃、俺も舞奈もいない日比野邸で。
「あれ……? マイ……?」
夜中に目を覚ました千佳は、隣で寝ているはずの舞奈がいないことに気づいた。
寝ぼけ眼で部屋を見わたす。
夜風にひゃっと身をすくめると、窓ガラスが開けっ放しになっていた。
「マイ、トイレに行ったの……?」
階段を降りて台所に向かう。
誰もいない。
「お兄ちゃん……?」
トイレを、居間を探す。
そして玄関に向かう。
俺がいつも戸締りしている扉の鍵ははずれていて、靴がなかった。
俺の靴も、舞奈の靴もなかった。
千佳自身の靴しかなかった。
千佳の瞳が見開かれる。
動機が早くなる。
そして不意に、胸を押えて倒れた。




