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序章

「調子に乗って買いすぎたかな。すっかり遅くなっちゃった」

 夕方の路地を歩く俺の右手には学生鞄。

 左手にはスーパーのビニール袋。


 俺の名前は日比野陽介。

 近所の小中高一貫校の中等部の3年だ。

 本来なら高校受験でてんてこ舞いな学年だが、俺の学校はよほどのことがない限り自動的に高校部に編入できる。


 だから俺は、下校途中のスーパーで夕食の材料を買って帰るところだ。


 日の落ちかけた通りを歩いているのは俺ひとり。

 近くの家から漂ってくるシチューの匂いが鼻孔をくすぐる。

 このあたりには民家しかないから、どこかの夕食の匂いだろう。


「千佳の奴、お腹すかせて待ってるだろうな」

 ふと初等部に通う妹を想って、笑みがこぼれる。


 俺の家は共稼ぎで、両親ともに留守がちだ。

 だから毎日の食事は俺が作っている。

 でもって、その食材は左手に提げた袋の中だ。


 だから千佳がお腹を空かせないうちに帰って食事の支度をしないと。


 そう思った途端、向かいから2人連れの少女が歩いてきた。

 ひとりは、ピンク色のジャケットを羽織った、小さなツインテールの少女。

 もうひとりは、ぐんじょう色のワンピースを身にまとった、長い黒髪の少女。


 長髪がこちらに気づいて会釈した。

 なので俺も会釈を返す。

 そして、すれ違いざまに横目で2人を見送る。

 気になったのは、彼女たちが妹と同じ初等部の名札をつけていたからだ。


 こんな時間に子どもだけで外出だなんて、不用心だなあ。

 他人事ながら心配になった。

 すると訳もなく不安になって、早く千佳の顔が見たくなる。そのとき、


「……うわっ、臭っ」

 何処からか異臭がした。

 糞尿が焦げるような悪臭だ。

 どこかに歩き煙草でもいるのだろうか?


 俺は顔をしかめ、足を速める。

 だが次の瞬間、


「……え?」

 不意に腕をつかまれた。


 衝撃!

 激痛!


「な、何だ……!?」

 よろめきながら立ち上がる。


 何が起きたんだ!?

 痛みと恐怖とともに、頭の中を疑問が渦巻く。


 狭い裏路地に引きずりこまれ、ブロック塀に叩きつけられたみたいだ。


 何で俺が!?


 気がつくとスーパーの袋がない。

 落としたらしい。

 どうしよう!? あの中身は夕食の材料なのに。


 でも、今はそれどころじゃない!

 なぜなら目の前に男が立ちはだかっていたからだ。

 薄汚いドブネズミ色の背広を着こんだ団塊男だ。

 くわえた煙草から、排水のような悪臭が漂う。


「何するんですか……!?」

 抗議する。


 だが男は無言のまま、ヤニ色に濁った双眸で俺を睨む。

 何の感情もない、焦点の合わない不気味な瞳。


 こいつ、まともじゃない!


 俺は男の脇をすり抜けて逃げようとする。


 だが男はつかみかかってきた。

 口元から糞尿のような異臭が吹きだす。

 臭い!


 俺は成す術もなく腕をつかまれ、押し倒される。

 背中と後ろ頭に激痛!


「何だ! 何だよ!? あんた!」

 俺は振り払おうともがく。

 だが男の腕はびくともしない。

 それどころか、男の両手が首にかかる。


「ぐあぁ……」

 俺はうめく。

 男の力は万力のように強い。

 人間のそれとは思えないほど。


 俺は男の手首をつかんで抵抗する。

 けど、男はそのまま俺の首を締め上げる。


 苦しい。

 臭い。

 怖い。

 ヤニで歪んだ男の口元が、殺意に歪む。


――ロセ。


 えっ?

 声が聞こえた。

 気のせいだと思った。だが、


――コロセ。


 もう一度聞こえた。

 誰だ!?

 見てるんなら何とかしてくれ!?


――我ハ汝ノ内ニ在ル。


 目の前の男と同じように無機質な声は、必死に抵抗を続ける俺に語り続ける。

 まるで頭の中に直接話しかけてくるような、不可思議な声だ。


――主ヨ、殺セ。汝ノ敵ヲ殺セ。


 殺すだって!?

 俺が!?

 できるわけないだろう!?


 声なき声で俺が叫ぶと、それっきり謎の声は止んだ。

 その代わりに、


「やっぱり脂虫……いや屍虫か。相変わらず臭いな。まるで焦げた糞だ」

「とか言いながら通り過ぎてたじゃないの。誰の鼻がいいんですって?」

 今度は頭上から幼い声。


「でも、ちゃんと気がついて引き返したろ?」

 まさか……!?


 頭を無理やりに動かして見やる。


 路地の入口に、2人の少女が立っていた。

 小さなツインテールをなびかせた、とらえどころのない雰囲気の少女。

 長い黒髪の、青い下フレームの眼鏡をかけた真面目そうな少女。


 先ほどすれ違った2人だ。


 最悪だ!

 最悪の中の最悪だ!


 こんなわけのわからない奴に、俺が襲われてるだけでも最悪なのに、妹と同じ年ごろの少女たちまで巻きこまれるなんて!


 だが目撃者に気を取られたか、男の手がゆるむ。

 不幸中の幸い!


「に……逃げろ、君たち!」

 喉が痛むのも気にならないまま全力で叫ぶ。

 2人の少女は一瞬、押し黙る。そして……


 ……笑った。


 俺は絶望した。


 何かの遊びだと思っているのか?

 俺だって冗談だと思いたい。


 けど実際に、このイカれた男は俺を害そうとしている。

 俺にこいつを止める力はない。

 このままでは俺だけじゃなく、妹と変わらぬ年ごろの彼女たちまで……。


 だが不意に、ツインテールの屈託のない笑みが鮫のような獰猛なそれに変わる。


「――そういう痩せ我慢、キライじゃないよ」

 そう聞こえた瞬間、目の前を風が走った。

 それは子供っぽいデザインのスニーカー。


 次の瞬間、男はブロック塀に叩きつけられていた。


「……!?」

 目の前で見たものが信じられなかった。

 高校生の力でもビクともしなかった男を、小学生が容易く蹴り飛ばしたのだ。


 その隙に黒髪が俺を見やり、


「そこの貴方、今のうちに安全なところへ――」

「――逃げる必要なんてないよ」

 その言葉を、ツインテールが遮る。


「ここはすぐに安全になる。それに、晩飯をばら撒きっぱなしってのも気の毒だろ?」

 不敵な笑みを浮かべたまま、言い放つ。


 そんな彼女の背後に、ヤニで歪んだ顔を怒りでさらに歪めた男が迫る。


「何だ……あれ……!?」

 先ほどから、この男は普通じゃないと思っていた。

 だが、今の様子は明らかに人間のそれではない。


 男の指の先に、ナイフほどの長さのカギ爪が生えていた。

 いつの間に生えたんだ!?


 だが、そんなことを気にしてる場合じゃない。

 男は鋭いカギ爪を、少女の背中めがけて振り上げたのだ。


 異形の凶刃が、星明かりを浴びてギラリと光る。

 そのカギ爪の長さと鋭さは、並べた出刃包丁に等しい。

 そんな代物で斬りつけられたら――


「き、君、後ろ!」

「わかってるって」

 だが背後から迫る凶刃を、ツインテールは重心をずらして難なく避ける。

 まるで見えていたかのように。


 渾身の斬撃を避けられた男はたたらを踏む。

 その背後に回りこみ、少女は男の尻に鋭い蹴りを見舞う。


 その動きに思わず見惚れる。

 彼女が負けるわけがないと訳もなく確信できる、力強く的確な動き。


 だから少しばかり不謹慎な思いが脳裏をよぎる。

 格好いい。

 まるで映画の殺陣のようだ、と。


 だが黒髪の少女は退屈そうに、見なれたように眺めている。


「屍虫まで進行したら、もう人間じゃないって聞いたでしょ? なに遊んでるのよ」

「もうもなにも、脂虫の時点で人間じゃないだろ」

 黒髪の文句と、屍虫(進行した脂虫?)と呼ばれた男の殺意と、矢継ぎ早に繰り出される斬撃をのらりくらりと避けながら、ツインテールは眠たげなほど穏やかに、笑う。


「そうじゃなくて、金欠だから雑魚を相手に弾薬(タマ)使いたくないんだ。今回は頼む」

「別に蜂の巣にしなくても死ぬわよ」

「1発だって大出費だ。40口径って結構、高いんだぞ」

「はいはい」

 黒髪の少女はやれやれと肩をすくめる。


 口径?

 拳銃や鉄砲の弾の話をしてる!?


 だが黒髪は平然と、鈴の音のような声色で何かをつぶやく。

 両手を動かして何かを形作る。

 それは昔どこかで見た魔法使いの仕草のようだった。

 そして少女は屍虫に向かって掌をかざし、力強く一語を叫ぶ。


 次の瞬間、俺は拳銃なんかより信じられないものを見た。

 信じられない出来事の連続で感覚が麻痺しかけた中、それでも、目の前で起きたそれが現実のものだと思えなかった。


 少女の掌から、放電する光の奔流が放たれたのだ。

 まばゆい閃光。

 とどろく雷鳴。

 オゾンの匂いがヤニの異臭を駆逐する。


 稲妻の束は屍虫の胴を飲みこんで裏路地を駆け、小道の向かいの垣根までのびる。

 稲妻に焼き貫かれた屍虫は、四肢を残して消し炭になって路面に散らばる。


 半ば炭化した手足を見やり、俺は思わず悲鳴をあげかけた。

 だが少女たちは残骸など気にならぬ様子で、稲妻に焼かれたレンガの垣根を見やる。


「あーあ、壁がススだらけじゃないか。おまえのそれ、加減とかできないのか?」

「やれって言ったのはそっちじゃない」

「やり過ぎだっつてんだよ」

 軽口を叩きあう。

 そんな2人の様子に、当面の危機は去ったのだと訳もなく思った。だから、


「お……終わったのか……?」

 常識を逸した攻防におののきながら、それでも少女たちが無事なのを見てほっとしながら、問いかける。


「あんたにとってはな」

 ツインテールは俺を見やり、こんなの普通だと言わんばかりにニヤリと笑う。


「あたしたちは後始末をして金を受け取るまでが仕事さ」

「ちょっと、喋りすぎ!」

 黒髪はツインテールを睨む。


「それに終わってないわよ。一般人に怪異を見られたんだから諜報部に報告しなきゃ」

「ああ、兄ちゃんの記憶を消すのか」

 言いつつ俺を見やる。

 何でもない口調だけれど、記憶を……消す!?


「……っと、こっちもヒドイな。グチャグチャだ」

 だがツインテールは、へたりこんだままの俺に代わって裏路地に散らばった食材を拾い集める。


「ま、この時間なら、急いで戻ればスーパーが閉まる前に買いなおせるはずだ」

 薄汚れた財布から札束を雑につかんで差し出す。

 思わず受け取る。


「このお金、君の……?」

 俺は問う。

 だがそれをはぐらかすように、ツインテールは財布を捨てて黒髪を見やる。


「このまま帰すつもり!? そんなこと、あなたが勝手に決めていいわけ――」

 ないでしょ! という黒髪の台詞を遮って、


「――もちろんあたしひとりで決めたりしないさ。……内緒にできるよな?」

「あ、ああ……」

 不意に俺を見やった。

 俺は思わずうなずく。


「でも、どうして……?」

「諜報部のアレ、時間がかかるんだよ。スーパーが閉まっちまう」

 そう言って、ツインテールは笑う。


「あんた、妹か弟がいるだろう? その甘口カレー、昔はあたしも好きだったんだ」

 だから彼女たちのルールを曲げて、俺を行かせてくれるってことなのか。


 そんなんでいいのか!? と正直なところ、思う。


 けど、そんな彼女の気持ちが有難かった。

 千佳が楽しみにしてたカレー、ダメにしちゃったなんてとても言えない。

 それに俺に何かあったら、俺が災難なのはもちろん、千佳が悲しむ。


 黒髪は、やれやれと肩をすくめる。

 なんだか真面目そうな彼女には申し訳ないことをしたなあ。


「じゃ、後も魔法でパパッと頼むよ。さっきみたいさ」

「まったく、自分の弾薬(タマ)はケチるクセに、他人の魔法はタダみたいに」

「え? 魔法って……魔法!?」

「実際タダだろ? それに、ほら、使わないと腕だって鈍るぞ」

「タダでできるようになるために、お金と時間を費やしたのよ」

 再び問いを無視してツインテールは笑い、黒髪は愚痴る。


 だが何となく、わかった。

 問うまでもなく魔法なのだ。

 信じるしかない。

 でなければ、先ほど黒髪の少女が放った光の奔流は何だったって言うんだ?


 俺の心臓はバクバクしっぱなしだ。


 だが彼女らはこれが普段通りなのだろう。

 黒髪の少女は再び呪文を唱えて印を組み、一語で締める。

 すると屍虫と呼ばれていた暴徒の欠片がゆっくりと燃え上がり、やがて完全に焼き尽くされて消滅する。


 その様子を、俺は呆気にとられて見ていた。


 ツインテールは何事もなかったかのように笑いかける。


「それじゃ、あんたも気をつけて帰りなよ」

「申しわけないですけど、この事は他言無用でお願いします」

 言い残して、2人は俺に背を向ける。


「ま、待ってくれ……!!」

 思わず俺は声をかける。

 2人は振り返る。


「あ、ありがとう! その、君たちはいったい……?」

 その問いに、2人は顔を見合わせる。


「ヒーローだよ」

 ツインテールがとらえどころのない笑みを浮かべたまま、言った。


 そして2人は去って行った。


 俺は彼女らがいた場所を見つめる。

 一体、今のはなんだったんだ?


 俺の災難は、終わったのか……?


 そのとき、ふと足元に何かが落ちているのが見えた。

 くしゃくしゃに丸まった布製のそれを、思わず俺は拾いあげる。


 ハンカチのようだ。

 たぶん、彼女らのどちらかが落としていったのだろう。


 俺と幼いヒーローの物語は、もう少し続きそうだ。


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