6. 一筋の光
母親の前といいアキラとの電話といい、言葉を伝えられる程度の冷静さは何とか取り繕った。が、冷静でいられる訳がない。太陽が今にも沈みきりそうな公園で一人、ベンチに座ってため息を一つ。これからどうしたらいいんだろう?
一人になってみると、どんどん心細くなる。そのまま夜になり、空には星一つ見えない曇り空が広がった。
「おーい?」
聞き慣れた声がする。顔を上げると、軽く息を切らしているアキラの姿があった。改めてほっとした。アキラのことが、今見える唯一の光に見えた。何もするつもりはなかった。なのに私の体はふらっと勝手に立ち上がり、アキラにそっと抱きついた。
「ふぇっ!?」
予想だにしない展開に驚くアキラ。そんなアキラが発した変な声なんて気にも止めずに抱きつき続けた。温もりが心地よい。温もりというより、熱いよアキラ。汗かいてるじゃん。きっと駅から走ってきてくれたんだよね。
「しーちゃん、頑張ったね。」
私の精神状態を察したように、アキラがぽつりと言った。そして私の背中に手を回し、ぽんぽんと撫でてくれた、その瞬間。私が抑えていたありとあらゆる感情が一気に溢れ出た。外に出ないようにガチガチに固めていた感情が、温かい何かに溶かされていく。
「うぅっ……うっ……うぐっ…………」
言葉にしきれない様々なことが、言葉の代わりに次々と涙に変わる。
「え、なっ、泣いてんの?」
今までは私のこんな姿を見せることがなかったから、また驚かせたのだろう。けれど私もまた、こんなことは初めてで制御が利かなくなっていた。アキラはそっとハンカチを渡してくれた。
「ほれ。目こすらないように拭きな。」
ありがとう、と言いたかったが、声が詰まって出てこない。ただ頷いてハンカチを受け取った。
「しーちゃん、良かったらそろそろ話聴かせてくれる?」
私が落ち着いた頃を見計らって、話を切り出してくれた。近くのベンチに二人で座った。泣いたせいでまだ息が整わなかったが、詰まりながらも何とか全ての経緯を説明した。
「やっぱり服は、アキラに預けておけばよかった……。選択ミスった……。」
「そうかもね。だけど過去のことを言ってもしゃあない。この次どうするかを考えないと。」
「うん……。」
この次かあ。さっきからどれだけ考えても良い案が思いつかない。2年前くらいに家族にカムはしたけれど、それ以降は私の性別に触れることをタブー視するように、会話に全くそういう話が出てこない。まるで腫れ物扱いだ。そのくせ言葉の節々に私を男扱いしているのが見えて、正直とても嫌だ。感情的になってしまい上手くいかなかった2年前のカムを、この際やり直したい。でも、あの頭の堅い親に通じるとも思えない。家庭崩壊が起きてもおかしくない。どうしたら良いんだろう?
力無く唸りながら考え込んでいる私を、アキラはじっと、優しい眼差しを向けて待ってくれていた。
気のせいか?母親の声がする。俯いたまま耳を澄ます。いや、気のせいではなかった。だんだん大きくなる「翔平!」という声。パタパタと近づく足音。間違いない。とっさに逃げなくてはならないような気もしたが、動く気力もなかった。アキラに「もしかしてお母さん?」と聞かれたので黙って頷いた。このままじっとしておこう。
「ここにいたの。心配して探しに来ちゃったじゃない。」
俯いている私の眼に、母親の足元が映った。しかし顔をあげる気にはなれない。“探しに来ちゃったじゃない”じゃないよ。探しに来なくてもいいじゃない。
すると母親は、私の隣にいる人に気づいたらしい。突然上機嫌な口調になり、アキラに向かって話しかける。
「あら、もしかしてあなた、翔平の彼女さん? なーんだ、心配することなかったわー。」
「いや、彼女ではないのですが……。」
「そうなの? もしかして、友達以上恋人未満ってやつかしら?」
「いや、その……」
うちの母親の的外れな弾丸トークにたじろいでいるアキラの心情が伝わってくる。
「何がともあれ良かったわ。じゃあ翔平、帰ろっか?」
やたら子ども扱いされているようなのが気になるが、とりあえず母親の機嫌は良くなっているようだった。なので帰ろうかと思った。……が、一瞬で思い直した。
「帰らない。こうやってまた、話をうやむやにするんでしょ。」
やっぱり今は譲れない。ここで話さなきゃ、今度話せるのはいつになるかわからない。上手くいく保証はなくても、今やるしかないんだ。
「服の件は確かに驚かせたかもしれない。だけどせめて、男扱いだけは止めてほしい。どうしたってこの体に耐えられなくて、それでも今は耐えるしかなくて、気持ちが折れそうになるギリギリだったから服だって買ったんだ。体は簡単に変わらないけど、せめて変えられるところから変えていかなきゃ耐え切れないんだって!」
勢いよく言い切って、すぐに落ち込んだ。ああ、また失敗した。自分の感情が高まって、自分でも何を言っているのかわからない。母親も私の言葉を聞いて何かわめいている。オカマが不純だの何だのって聞こえた。それに反応して私も、何でそうなるの!などと言った。何だろう?どこか遠いところで事が起こっているようなこの感覚。何もかも、わけがわからない。
「ストップ! お二人とも、ストップ!」
突然、アキラの声が耳に響いた。わけがわからなくなったぐちゃぐちゃの空気が、しいんと静かになった。
一呼吸置いて、アキラはうちの母親にゆっくりと話し始めた。
「お母さん。お母さんはつまり、し、翔平さんのことが心配でいらっしゃるんですよね?」
いつも“しーちゃん”と呼んでいるクセが抜けていなくて、明らかに話し方がどもっている。呼ばれている私も強い違和感がある。
「そりゃもちろんよ。何といっても自分の息子だもの。」
「そうですよね。安心しました。」
“息子”という言葉はひとまずスルーして、アキラはにこやかに言った。他人と話しているからかもしれないが、母親のほうも落ちついて受け答えしている。
だがよく見ると、アキラの目が全然笑っていない。思えば今の話し声のトーンも心なしか低かった。これはもしや……スイッチが入ったのか? あのスイッチが入ってしまったのか!?