4. 服を買おう
満開の桜にはまだ早めな4月1日、めでたく大学生になった。
高校に引き続き大学でも軽音サークルに入り、授業も含めて毎日それなりに楽しい。それなりに。
『女の子になって学校行きたいよー!』
ついにアキラにLINEでそう漏らしてしまったのは、入学して1か月が過ぎた頃。大学生になってから二人ともLINEを使いはじめたので、メールの時よりも随分と気軽にやり取りするようになった。
『なれないの?』
呑気な返信が来た。なれるならとっくになってるよ。
『女の子になろうとしても、女装したらネタにしかならない。』
『女装自体は普通に似合うと思うよ。結構しーちゃん女顔だもん。』
『そんなことない。てか、間違いなく変な目で見られる。』
私が一番怖いのは他人の目だ。女装したら間違いなく“オカマ”扱い。女の輪はおろか、男の輪にも入れない。蔑まれて嫌われるのがオチだ。
『じゃあさ、とりあえず一緒にレディースの服買いに行かない? やってみてから考えようよ。』
気分が沈んでいるところへ来た、アキラの突然の提案。私はたじろいだ。もちろんいつかはレディース物が欲しかったし、その時が来たらアキラの力を借りようと考えていた。だが、その時がこんなに早く訪れるなんて思わなかった。不安と緊張、そして少しの希望を胸に抱く。
『うーん…。行きたい。』
ここでチャンスを逃すわけにはいかない。そう直感した。
というわけで、数日後。二人とも大学の授業が早く終わったある日。私は初めてアキラの大学の前まで歩いた。アキラの大学の近くに安い服屋があるらしいので、二人で行くことにしたのだ。たった30分ほど歩くだけで、こんなに多くの店が立ち並ぶ街にたどり着くとは思わなかった。程よい静けさもあって落ち着く。
「よし、行くぞ。」
「何卒よろしくお願い致します。」
私はアキラのあとに続き、戦地に赴けそうなテンションで、服屋へと乗り込んだ。平日の夕方だからだろう、店内には女性のお客さんがぱらぱらといる程度で、男性客は見当たらない。
「ところでしーちゃん、どうしてそんなに堅苦しいテンションなのさ?」
「いや、緊張が……。」
だってやっぱり、明らかに見た目が男の自分がレディースの服を選んでいたら、端からはただの変態にしか見えないじゃないか。女が男物を見るのはできても、男が女物を見るのはあまりにもハードルが高い。そういうものなのだ。
とりあえず一通り服を見て回る。歩きながらふとアキラを見ると、アキラはなぜか、真顔でまっすぐ前を向き、深呼吸をしている。どうしたんだろう?と思っていると、アキラは姿勢を崩さないまま呟くように言った。
「よし、拒否反応出てない。」
「……は?」
なんじゃい、拒否反応って。
「いや、俺さ、レディース服の売場に来ると吐き気するときがあるんだよ。」
「レディース服を着たくないから?」
「そういうこと。でも今日は平気で良かったわー。」
良かったわーって笑い飛ばされても、こっちは笑えんよ。ついて来てもらっちゃったのが申し訳ないじゃないか。
「しーちゃん。もしかして、俺に対して申し訳ないとか思ってんの?だとしたら申し訳ないとか思わないでほしい。こっちはちゃんと、来たいと思って来たんだし。」
「うん……。ごめん。」
どうしても申し訳なさを感じてしまう。
「『ごめん』って言うくらいなら、『ありがとう』って言ってくれない?」
さらりとアキラに言われた。
その後は、二人で何だかんだと話しながら服を選んだ。レディースとメンズのサイズの違いに戸惑ったけれど、今時は便利だ。“スマホでググる”と、男性がレディース服を買うときのサイズについて書かれたサイトが出てくる。最終的には経験を積んでサイズを把握するしかなくても、おおよその見当をつけて服を選べるから重宝する。
「しーちゃんの服選ぶの楽しいわ。服選びが楽しいと思ったの初めて。」
「へぇー。」
私としても、ありがたい。すごくありがたい。だがしかし。今アキラが手にしているヒラヒラのミニスカートはさすがに履けないぞ。
そうこうしているうちに、全身コーデが出来上がった。
「これでどうよ?しーちゃん。」
「うん、いける。」
自分に似合う自信はないけれど、素晴らしい。ここまで来たら、全身コーデだろうが何だろうが買うしかない。これは今しか買えない。そう確信したから思いきって、ジャケットにブラウス、そしてスカートを購入した。しかしいくら安物の服とはいえ、バイトをしていない身としては痛い出費だ。早くバイトを探そうと心に誓った。
服を選び終わった頃には、だいぶ外が薄暗くなってきた。
「アキラ、夕飯どっかで一緒に食べる?」
そういえばまだ、二人っきりで食事をしたことはない。誘うのも少しハードルが高いような気がした。
「いいよ。この辺なら食べる場所も選び放題だし。」
ありゃ、あっさりOKなんだね。心なしか自分のテンションが上がっている。今は少しでも長い時間、二人でいたいのかもしれない。不思議なことに、心臓がバクバクするような興奮はない。ただ、一緒にいると妙に落ち着く気がするのだ。
近くのファミレスに入った。私は明太子スパゲッティを、アキラはカルボナーラの大盛りを注文した。
「大盛り? 細身なのに意外と大食いなんだね。」
少し驚きながら、私は笑って言った。
「こう見えて腹は出てるからー。」
アキラも笑いながら言う。そして、服のことを聞いてきた。
「その服、あれだったら預かっておこうか? うちなら女物が置いてあっても平気だから。」
そうだった。アキラには話したことがあった。うちの母親はすぐ私の部屋のものを物色するのである。かつてカムをしたら泣き出した母親だから、迂闊に女物を置いておけばどうなるか分かったものではない。
「とりあえず押し入れの奥にスペースを作っておいたから、そこにぶちこんでおけば大丈夫だと思う。万が一ヤバそうになったときは頼んでいい?」
きっと大丈夫。いくら何でも、押し入れの奥のあんなところまでは見られないだろう。
「ん、わかった。じゃあヤバそうになったら遠慮なく言ってよ。」
注文したスパゲッティが運ばれてきた。2、3口ほど食べたところでアキラが言った。
「ちょっとスパゲッティ交換しない? 潔癖とかじゃなければでいいんだけど。」
「お、おう。別にいいよー。」
思いがけない展開にちょっとたじろいでしまったが、私もカルボナーラは好きだし、特に潔癖でもないから問題ない。
「あ、俺のフォークを明太子につっこむとカルボナーラついちゃうかも。」
「それでも構わないけど……こっちのフォーク使う?」
「じゃあ貸してもらおっと。センキュー。」
「じゃあカルボナーラもそっちのフォークつかって貰うよ。」
なかなか楽しい食事だった。私は人と食べ物を交換することが滅多にないし、しようとも思わない。でも案外、やってみると悪くないね。アキラとだったから良かったのかな。