10. “重さ”の違い
これほどフリーズしている人を、私は見たことがない。
「生きてる?死んでる?」
冗談っぽく聞くとようやく、「生きてる……はず。」と口が動いた。どうした、こいつ。何が起きてるんだ?
待てども待てども、私が目の前を歩き回ってみても、アキラはいっこうに動かない。たまにため息をついて、ボーっとどこか遠いところを見つめているだけだ。
もう日が落ち、辺りが暗くなった。あと30分もしたらここを出て帰路につかないと。しびれを切らした私は、意を決して言った。
「キス、する気あるの?ないの?」
少し怒りっぽい言い方になってしまったかもしれない。やっと私の方を見たアキラの目は涙目になっていた。
「……わからない。して……いいのかな。」
やっとアキラから聞けた言葉はそれだった。淡々とした口調で言われた。……していいに決まってるじゃん。むしろ、するためにここに私を連れてきたんじゃないの? 私にはアキラの思考がわからなかった。
「あのさ……汚しちゃう気がするんだ。キスしたら。しーちゃんを。していいのかな……。」
ますます意味が分からない。していいよ。むしろしてよ。
しかし、アキラはキスがしたくないわけではないらしい。雰囲気からすると。ならば仕方がない……私から動くとしよう。
「しょうがないなぁー。」
私はそう言って、アキラの両肩に手を掛けた。そうして素早く唇と唇を重ね、肩に掛けた手をアキラの背中に回した。顔を近づける時に一瞬、肩に手を掛けられて固まっているアキラの顔が見えた。顔が赤くなっていた。言っちゃいけない気がするけど、とても可愛らしかった。試しに舌をちょっと差し込んでみると、反応が返ってきた。柔らかい舌が口の中に入ってくる。今までのじれったい間は何だったのかと思うほど積極的だ。ならばと再び舌を入れ返し、口の中のあちこちを撫で回した。
長い間、続けていた。満足してそっと舌を引っ込めると、アキラは少し下を向いて微笑んだ。私も満足して、それからハッと時計を見た。
「……よし、帰ろっか?」
帰宅後、アキラから長い長い謝罪文が届いた。LINEに添付された2枚の写真に写る紙には、筆ペンで縦書きの細かい字がびっしり。筆ペンで縦書きって……正直重すぎ。内容に目を通すと、書いてあったのは大体こんな内容だった。
しーちゃんは、ゆくゆくは男の人と付き合いたいと思ってるんでしょ? なのに初めてのキスを俺が奪っていいのか迷った。第一、自分から行かなきゃと分かってるのに、度胸がなくて動けなかった。しーちゃんがキスを求めてるだろうってことは分かったんだけど、本当にしていいのかは分からなくて。
あと、あの状況になったときすごく「男」と「女」を感じて、それが頭のなかでぐるぐるしてた。“キスをするのは男から”って暗黙の了解みたいになってるところあるけど、それってジェンダーだよね。それに乗っとるとして、じゃあどっちからキスすればいいのか。自分達の性別ってどっちなの?とか考えると、見た目的にはまだ俺は女でしーちゃんは男。中身は逆。ややこしすぎる。ただ、しーちゃんを「女の子」にするためには俺からするべきなんだろうなとは思った。多分しーちゃんもそれを望んでて、思わせぶりな行動してたでしょ? でもジェンダー規範に乗っかるなんてしゃくだし、第一、一歩踏み出す勇気もないし。
はっきり「キスするの?」って聞いてくれたおかげで、していいんだなってようやく確信した。でも、それでも踏ん切りがつかないんだから、意気地無しにも程があるね。不甲斐ない。
よくこんな大量に書けるなぁ、というのが素直な感想だった。あのときそのくらい悩んでいたということなのだろう。……私、プレッシャーをかけすぎたんだろうな。今更ながら反省。
キスって簡単に出来るものだと思ってた。大切なものに違いはないけれど、そんなに重くは考えていなかった。したいと思える相手とならば「したいからする」つもりでいた私と、「簡単にするものではない」と考えていたアキラでは、認識が違いすぎたようだ。うーん……。
『ごめんね。もうしないほうがいいかな……?』
何と言うか、それ以上の感情は言葉にできなかった。送信ボタンを押して、ため息をついた。
脱力した左手に握るスマホが、すぐに振動した。
『いや、するのはいいんだけど、むしろしたいくらいなんだけど……自分からは、いけないかもしれない。よっぽどちゃんと意思表示してもらわないと。』
『そっか、わかった』
私にとってはかなり重い言葉のつもりで返信した。文字には乗せられない、LINEでは送れないこの重さは相手に届くのだろうか。今、相手もきっと、同じもどかしさを抱いているのだろう。
それにしても、キスのときのアキラは可愛かった。自分の中に“男”を感じた気がした。
時は過ぎ、まもなく12月。
家の近所の本屋にやってきた。いつもより身だしなみに気を配って、履歴書を持って。
そう、私はバイトの面接を受けに来たのだ。いままでなかなか踏ん切りがつかなかったのだが、少々おせっかいな岩田さんに自分のことを深く話してから、改めて前向きに自分を見つめ直せるようになった。それからようやくバイトを探すようになった。これでバイトの面接を受けるのは4回目。楽器屋2件と、CDショップと、そして今回の本屋。
今までの3件の結果はどの店も同じだった。「その髪の毛を切ったらまた来てよ。」この一言で撃沈する。バイトの募集要綱には“髪型自由”と書いてあるのに、どうして髪型を理由に落とされるのか。今でもさっぱり納得がいかない。
髪の毛は胸の上くらいまでの長さだが、ちゃんと後ろでひとまとめにして結んでいる。清潔感はあるはずだ。つまりどうしたって、「男が長髪にしている」から落とされているとしか考えられない。そんなことがあっていいものか、と思うと同時に、髪を切るしかないのか、という諦めに似た感情もわいてきた。
でも今日こそは。これで落ちたら、時間をかけて伸ばしたこの髪の毛も切るほかないのだろう。一縷の望みに賭けて、面接に挑む。




