鎮魂の鐘
己の身体に施された、無慈悲な改造に全く気付いていない蓼沼。
だが裏腹に、その身体は着実に生者のものから変貌を始めていた。
その両手の肉はこそげ落ち、一部白骨が露見している。
眼窩は落ち窪み、その奥にあるはずの眼球からは全く光が見られない。
胴は神父服のため、どうなっているのかわからないが、ズボンの裾からは赤黒い肉片がぼたぼたと粘着質の落下音をたてていた。
そして、天使の象徴ともいえる純白の翼は、その全ての羽根が抜け落ち、さらには残った肉すら完全に溶け落ちて、骨の翼へと変化した。
「な、何だよ、これは! どういうことなんだよ! 何で僕がこんな目に遭うんだよ!」
漸く異変に気付いた蓼沼が喚く。
その間も肉は腐り落ち、もう既に全身が白骨化していた。
やがてその姿は、いびつな骨の翼を背負った骸骨になっていった。
『こ…こん…な…こと…が…』
もう自由に言葉を発することもできないのか、ラジオのノイズのような声しか聞こえない。
しかし、それも途切れがちになり、やがては何も発さなくなった。
髑髏の眼窩の奥からは蠢くような赤い光が見え隠れしている。
最早、神に選ばれたと言われても、ほぼ全員がそれは死神だろうと推測できる容貌だ。
「結局はこいつも手駒にしか過ぎなかったってことか?」
ラウラは蝋燭の炎に照らされる女神像を見上げて言う。
傍から見れば、石像に話しかけるあぶない人のようだが、ラウラの目は一層の鋭さを増す。
『やはりお前は今までのラウラの中でも飛びぬけているな』
石像が動かないはずのその口を動かして…喋った。
『一体いつから気付いていた?』
「私もそれなりに蓼沼の精神構造は理解したつもりだ。蓼沼がこんな如何にもな女神を崇拝するはずがない。あいつならこんな綺麗な女神像は…破壊して悦ぶはずだ」
『ははははは! 流石だな! その通りだよ!』
無表情で口だけ動かす石像と、その声が表現する感情とのギャップが凄まじい。
しかし、ラウラは無表情でそれを見つめている。
『何時から俺が見ていると解った?』
「そんなもの、ここに入った時に確信したよ。村に来たときは半信半疑だったが」
『ほう? それはどうしてだ?』
「あんな自分勝手に暴走する馬鹿を、首輪もつけずに好き勝手させる奴がここまで生き残っているはずがないだろう? それに、この石像は私も記憶に残ってる」
それはラウラが徹だった頃、一度だけ雑誌で見た古いゲームに出てきたキャラクター。
女神の力を持った女戦士そのものだった。
「まさかこっちでコレを見るとは思わなかったからな。もう少しヒネリがあってもいいんじゃないか?」
『ふっ、それは俺も思ったよ。ま、お前を倒せればそれでも良かったんだがな』
「で、どうするんだ? こいつを連れて帰ってくれると嬉しいんだが」
『そうはいかないな。お前が単独でここに来るとは思っていなかったんでな、こっちも計画が台無しだ。せめてお前の首でもとらなければ気がすまない』
「やはり…『森』に攻め込むつもりだったのか…」
ラウラは自身の懸念が的中したことに内心ほっとしていた。
当初、この村の噂を聞いた時、ある程度の戦力を集中させるつもりだった。
しかし、魔道連合での一件以来、あまりにも派手に動く敵に違和感を感じていた。
それ故、ここには単身乗り込んできたのだ。
残った者には防衛に専念させている。
『お前らがこっちに出てきてくれれば、残った奴等に攻め込ませるつもりだったんだが…』
「…それで、どうするんだ?」
『アレの枷を外して残す。お前の力も見たいからな』
「…ふざけたことを…」
ラウラが物音に振り向くと、骨の翼を拡げた骸骨がその手に持った剣を振りかぶる。
振り下ろされた剣の速度は、これまでとは比べ物にならないほどに速かった。
半身をずらして避けたつもりが、その頬に一筋の赤い線が走り、そこから少量の出血も見られた。
『言ったはずだ、枷を外すと。もうそいつは力の限り暴れることしかできない魔物だ。お前がどれだけ出来る奴なのか、しっかり見せてもらう』
その声に呼応するように、骸骨が攻撃を重ねてくる。
無手のラウラは、その剣を何とか捌いて応戦する。
剣を逸らし、その関節部分を蹴り砕く。
だが、骸骨はバランスを崩すのみに留まり、砕かれた関節もあっという間に修復されてしまう。
しかも、それをきっかけに縦横無尽に剣を振るう骸骨。
人間の可動範囲を遥かに超えた場所からの剣撃に、思わず防戦一方となってしまった。
『どうした? その程度なのか?』
煽るような石像の言葉に軽く顔を顰めながらも、ラウラは最善の一手を模索する。
もし、ここに誰もいなければ、広範囲の魔法を連発して、欠片も残さず消し尽くす自信はある。
だが、敵ではない人間を巻き込むつもりは毛頭なかった。
何とかしてこの骸骨だけを倒さなければならない。
それも、復活などさせないように。
もし自分のいない間に復活でもされれば同じことの繰り返しだ。
だからこそ、攻撃を避けながら無力化の方法を考えていた。
自動修復する骨というのは厄介だった。
応戦しながら、その呪式を分析していくうちに、あることが判明したからだ。
「修復の際に使われているのは周囲の魔力…ということは、下手な魔法では破壊することすら出来ないか」
『ほう、よくそこまで解ったな。そうだ、そいつは魔力で修復される。攻撃してくる魔法を構成する魔力すら吸い取ってな』
これはラウラにとっても不利な状況だった。
瞬時に骨を消滅させるような魔法では村ごと消滅してしまう。
だからといって、ちまちまと攻撃していたのでは修復され続けてしまう。
もし、こちらの魔力が尽きてしまえば終わりだ。
ここが『森』であれば、魔力切れの心配などないが、それは向こうにも言えることなので、その点はここで戦ってよかったと思えていた。
(何とかして弱体化させてしまえば…くそ、たかがカルシウムの塊のくせに)
横薙ぎの剣をしゃがんでかわし、そのまま水面蹴りで踝を蹴り砕く。
バランスを崩したところに、腰椎へ拳を打ち込む。
だが、その骨に強度があるのか、粉々にはならずに大きな破片となっているため、修復も早かった。
(魔法は駄目、物理も効果は薄い…でも物理が完全に無効ってことでもない)
なおも分析を続けるラウラ。
と、その時、ある光景が目についた。
それは、骸骨がバランスを崩した際、祭壇の蝋燭の炎に骨が触れた。
その焦げ痕が…修復されていなかった。
いや、その後に修復されていたが、修復の対応が明らかに遅れていた。
(何故あの炎だけ…もしかして…)
ラウラはあることに気付き、すかさずそれを実行に移した。
とはいっても、大したことではない。
剣を避けざまに、足元に落ちていた床石の欠片を手に取り、ただ殴った。
ただ、それだけ。
そして、その結果はラウラに光明をもたらすきっかけとなった。
(物理攻撃は修復が遅い…きっとすぐそばに修復に使える魔力がないからだろう)
だが、それをわかったところで、弱体化させなければ意味がない。
(骨なんて犬にでも食わせてしまえばいいのに…いや、こんなの食ったら絶対に腹を壊すだろう)
そんなことを考え、その内容に思わず馬鹿馬鹿しさを感じたその時、あるアイディアが浮かんだ。
(そうだ、食べる…だ。これなら上手くいくかもしれない)
ラウラはある術式を組み上げる。
それは、ラウラが色々な農作物を育てているときに創ったものだ。
攻撃力などは皆無の魔法だ。
『轟雨』
発動した術式は即座に教会の上空にぶ厚い雨雲を形成した。
雨雲は周囲の水分を吸収し、どんどん大きくなっていく。
やがて、まるで堰を切ったかのような豪雨が教会だけを襲った。
それを確認したラウラは、即座に『振動の息吹』で屋根を吹き飛ばした。
そして土魔法で床と周囲の壁をコーティングした。
コーティングを施されたそれは、まるで何かの金属のようだった。
『ふっ、血迷ったか?』
「うるさい、外野は黙って見ていろ」
豪雨に打たれながらも、戦い続けるラウラと骸骨。
バケツどころか、浴槽をひっくり返したかのような豪雨の中で、その足は水によって動きを制限されている。
骸骨は無理矢理動こうとして、自らの関節を水の抵抗で破壊されていく。
それを確認すると、自分は屋根の端に飛び移り、さらに降雨の勢いを増加させた。
もはや雨というよりも、滝と表現するほうが納得できるような量の水が流れ込む。
『まさか溺死させるつもりか? 呼吸の必要のない骸骨をか?』
呆れたような石像の声を相手にせず、さらに術式を展開させる。
次に発生させたのは再び土魔法、それもかなり高度のものだ。
その術式により、骸骨の床とその周囲に分厚い金属の板が生み出され、骸骨の足元と四方を囲む。
水に沈んだままの骸骨を確認すると、最後に蓋を閉じるように金属の覆いをかけて骸骨を密封してしまった。
『おいおい、それで何とかしたつもりか?』
「いや、何とかするのはこれからだよ」
漸く口を開いたラウラは雨雲を消すと、そのまま金属の周りに術式を展開する。
それはただの火属性魔法だった。
しかも、その金属に触れていない。
周囲で発動しているだけだ。
「あの骸骨は、今魔力を持ったものに触れていない。これで傷つけられても修復はできない」
『だからどうした?』
石像がやや苛立った声を上げる。
「お前、缶詰を食べたことはあるのか?」
『それがどうした? そのくらいあるに決まってるだろう!』
「なら、【サバの水煮】ってどうやって作るか知ってるか?」
いきなりの場違いな質問に、石像は言葉を返すことができない。
しかしラウラはそのまま言葉を続ける。
「あれは生のサバと塩を缶に入れて密封して、その状態で加熱するんだ。そうすることで缶の中が高圧になって、骨まで柔らかくなるんだよ」
『お前…まさか!』
先ほどまでは内側から叩くような音が聞こえていたが、今はそれも聞こえない。
「しかも…だ、今骸骨の周りにあるのはただの水だ。魔力なぞ存在しない。魔力がなければ、修復が出来ないんだよな? 骨が柔らかくなって砕けたとしても」
ラウラは即座に金属の表面にある術式を刻み込む。
それは態と術式を間違えた不完全なもの。
ただ魔力を無駄に吸収して、吸収した魔力を反射させるだけの機能しかない。
だが、これを刻み込まれたことで、この金属の箱には一切の魔力が効かない。
つまりは、骸骨は自身を修復させることができない、半永久的に。
「どうせお前が倒れればこいつも滅びるんだろう? ここまでのふざけた性能、制御なしでできるものじゃないからな」
『くっ、知っていたのか…』
「当然だろう? もし私が敗れたとき、こんな面倒な奴を処分できないなんてお前にとってマイナス要素しかない」
魔力を使って修復されてしまうのであれば、結界等も無意味なのだ。
結界を破壊しようとして壊れても、結界自体の魔力で修復してしまう。
そのうちに結界が弱まってしまうだけだ。
『あははははは! 流石だな! どうだ? 俺の右腕にならないか? 歓迎するぞ?』
「寝言は寝て言え。お前がふざけたことをしなければ私たちが召喚されることもなかった。そんな奴の片棒を担ぐつもりはない」
『…なら、徹底抗戦ということだな?』
「ああ、私は『森』の最深部で待ってる。今のお前なら来るのも苦じゃないんだろう?」
ラウラが不敵に笑うと、石像の身体に無数の皹が入っていく。
『いいだろう、最後の勝負といこうじゃないか』
「ああ、私の全てで迎え撃ってやるよ」
そして女神像は砕け散った。
その衝撃で内部機構が壊れたのか、刻を刻む鐘が動き出す。
ごーん…、ごーん…、ごーん…
突如鳴り響く鐘の音に、ハンス達は朦朧としていた意識を覚醒させた。
「な、何だ! 何が起こった!」
見回せば、窓からは朝陽が差し込んでいる。
あれだけいたゾンビ共は全く見当たらず、宿の外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
「お、おい、ハンス! 出て大丈夫なのか?」
「外に出ないと確認できないだろう?」
バリケードをどかそうとしたハンスを仲間が止めようとするが、ハンスは意に介さずに外に出てしまう。
「な、何だよ…これは…」
ハンスは周囲を確認して驚いた。
村はほとんどが焼き払われており、動くものは何もない。
自分達がいた宿だけがほぼ無傷だった。
そして、半壊した教会からこちらに歩いてくるのは、濃緑のローブを纏い、フードを被った少女。
その光景は、朝陽を反射しながら鳴る鐘の煌きと相まって、神々しくさえ思えた。
「おい、大丈夫か? 神父は?」
「ああ、あいつが元凶だったから倒した」
こともなげに言う少女。
「で、これまで何してたんだ?」
「ちょっと後始末」
事実、彼女は色々と事後処理をしていた。
女神像が砕けたことにより、制御を放棄された骸骨は何の反応もなくなった。
ただ、万が一を考えて、金属の箱を、魔法で掘った深さ数千メートルの穴の底に埋めた。
既に滅びているが、何かあっても簡単には復活しないだろう。
もちろん、封印も施してある。
「お前はどうするんだ?」
ハンスはつい聞いてしまう。
これから自分がどうすればいいのかすらわからない状況だが、この少女となら何とかなるのでは…と思えたからだ。
だが…
「私には戻る場所もあるし、大事なことも残ってるからな」
そう応える少女を見て、やはり…と思ってしまう。
これだけの腕を持つ少女がフリーなはずがない。
だが、そんな魔法使いを抱えている領主など聞いたことがない。
特に、魔法技術に疎いこの大陸では魔法使いは貴重なのだ。
あからさまに落ち込むハンスに、少女は暫し考え込む。
「南部の海岸沿いにアドニス男爵の領地がある。そこにコレを持っていけ。濃緑のローブの女に渡されたといえば理解してくれるはずだ」
小さな魔石を手渡されたハンスは、少女を見つめる。
と、その時、一陣の風がローブのフードを揺らした。
揺れたフードから、一瞬ではあるが、細長い耳が見えた。
「お前…一体…」
「知らないほうが幸せなこともあるぞ?」
楽しげに微笑む少女は、そのまま村を出て行った。
ハンスは思う。
あれは人ではない何かだ。
だが、決して邪悪ではない。
もしあれが邪悪ならば、この世界には邪悪しか存在しないだろう…と。
「よーし、お前ら! ここから出るぞ! 馬車と馬は無事だろうな!」
「ああ、こんなものが落ちてたけど、大丈夫だった」
仲間が持ってきたのは小さな魔石。
少女が自分達を護るために置いていったものと同じだった。
(ここまでお見通しか…)
少女が脱出手段を守り通してくれたことは明らかだった。
ハンスはもう姿の見えなくなった少女に心の中で礼を言うと、仲間に発破をかけた。
「俺たちはこれから南部に向かう。こんなところとはおさらばだ!」
「「「「「「 おう! 」」」」」」
冒険者達はやっとその声に力が籠る。
鳴り響く鐘の音は驚くほどに透き通り、彼らの心を洗い流していく。
ふと、ハンスは誰かに呼ばれたような気がした。
その方向を見ると、そこはかつての広場だったところだ。
子供たちが無邪気に遊んでいた光景を思い出す。
「そうか…お前達も…礼がいいたかったのか…」
その時吹いた風によって生じた木々のざわめきが、野草のざわめきが、それを肯定しているように聞こえた。
そして冒険者達は村を旅立っていった。
その姿を見送るかのように、鐘はずっと鳴り続いていた。
彼らの姿が見えなくなるまでずっと。
その後、その村の跡地を発見する者は誰もいなかった。
これで残すは…
この章はこれで終わりです。
次回は2月1日あたりを予定しています。
読んでいただいてありがとうございます。