野望と欲望
あの人が怒ります
ラウラは魔道学院の敷地の外にいた。直接乗り込んでも良かったのだが、ユーリエが情報収集をしてくれているので、その労力を無駄にしたくなかったのだ。
すると、1羽の小鳥がラウラの傍に飛んできた。それを見て、ラウラは自分の耳元に来るよう促すと、小鳥は素直に従った。耳元の小鳥の囀りに乗って、ユーリエの声が聞こえる。
「…ラウラ様…聞こえますか?」
「ああ、聞こえるぞ。そっちはどうだ?」
「はい、学院の敷地内には特に罠のようなものはありません。ただ、学院長室については、こちらの動きを気取られる可能性がありますので偵察させておりませんが…」
「いや、それでいい。こちらで新たにわかったことを伝える。ルフォイなんて人物は存在しない。天使共の誰かが化けているよう…何だ、この魔力は?」
大きな魔力を持つ何かが学院に近づきつつあった。接近してくる速度から考えて、馬車での移動らしいが…ラウラの記憶にはその魔力に該当する存在はいないが、その身体は明らかに反応している。
「ユーリエ、この魔力に覚えはないか?」
「いえ、私にも覚えがありません…」
「ただ、馬車で来てるってのがいまいち理解できん。少し様子を見た方がいいかもしれない。敵の増援だとしたら、形振り構わずに動く危険性もある」
「わかりました…こちらも静観します」
「ただ、身の危険を感じたら、手段は選ぶな。いいな」
「………わかりました」
ユーリエとの念話が切れたことを確認すると、魔力を抑え、気配を絶って少し離れた場所から学院の入口を眺める。すると、1台の馬車が学院の入口で停止した。
「ん? あれは…あの装束は巫女か? それと…猫耳の娘に寄り添ってるのは…一之瀬じゃないか。何でここでルーセントが出てくる? 何を考えてるんだ?」
一之瀬は何も考えていない。己の欲望に忠実に行動しているだけだ。だからこそ、その行動を読むことは誰にも出来ない。当然、ラウラにも出来なかった。しかし、問題はそこではない。一之瀬からダダ漏れになっている、その膨大な魔力が問題だった。
「おいおい…この魔力はどういうことだ? 天使を取り込んだにしてはデカ過ぎだろう。それに…何だろう、この感覚は…」
ラウラの身体に、これまで味わったことのない悪寒が走る。その感覚に戸惑いつつ、ラウラはユーリエに念話を送る。
「ユーリエ! あいつは何かやばい! 私は一旦戻るから、お前もそこから離脱しろ! あいつの底が見えん! このままぶつかるのは危険すぎる!」
「…駄目です! こちらからの転移ができません! 何か細工がしてあるようです!」
「…わかった、ちょっと待ってろ! お前の魔力は特定したから、こちらから迎えに行く!」
ラウラは瞬時に転移を実行した。何か結界のようなものがあったが、魔力量にものを言わせて、力技で突破した。ユーリエの研究室に転移した後は、即座にユーリエを抱き寄せると、自らがこじ開けた結界の綻び目がけて転移した。
「こ…の…野郎っ!」
閉じかける結界を再び無理矢理こじ開ける。恐らく気付かれたであろうが、それを気にしている場合では無かった。それほどまでに一之瀬の底が見えないことに焦燥感を抱いていた。
そして、ラウラとユーリエは魔道学院を離脱した。
魔道学院の学院長室、仮面の男は苛立ちを隠せなかった。
「何なんだ! あいつは! もう少しで魔王を取り込めたものを、あの結界を強引に破るなんて! 正真正銘の化け物か?」
ユーリエが見た限り、建物には何の仕掛けも無かった。建物には。
建物内部には歩哨として多数の生徒が警戒に当たっていた。ユーリエもそれは気付いていたが、警戒しているのだから当然と、気にも留めていなかった。その生徒達が特定の位置に配置されており、その表情が消えていたことも…。
そう、結界の要は生徒達だった。魔道学院全体を使用した結界は、生徒達の魔力を利用して発動し、その人数を以って強度を増すようになっていた。
結界はユーリエを狙って作られていた。ラウラの名を騙ることで、ユーリエの理性を失わせて、自分達に取り込むつもりだったのだ。唯一の誤算は、ラウラ本人が魔道連合に来てしまったことだ。
その苛立ちをぶつけるように、仮面の男は学院長の椅子に座るエルフの少女を殴りつける。少女は椅子から崩れ落ち、その鼻と口元からは血が流れている。
「それに、あいつは一之瀬か? 今さら現れてどうするつもりなんだ!」
一之瀬が何故ここにいるのかは仮面の男にはわからない。しかし、彼には一之瀬が彼の策略に気付いて潰しに来た、あるいは加担しにきたように思えた。
「仕方ない、一之瀬を取り込むか………態々バラムンドの貴族や豪商を洗脳してここまでお膳立てしたんだ、ここで台無しにするわけにはいかないからな。俺はあの方に 期待されているんだ…」
仮面の男が何かに縋るように呟く姿を、エルフの少女は虚ろな瞳で見つめる…
ラウラは強引な転移を繰り返し、メリーニがいる洞窟に辿り着いた。転移を繰り返したのは、その経路を辿られるかもしれないという不安からだった。
その甲斐あってか、追っ手がくるような気配は全く見られなかった。
「ラウラ様、どうなされましたか?」
「私の偽者なんぞより、はるかにヤバイ奴が来た。どういう訳だか知らんが悪寒が止まらない。あのまま戦っていたらどうなっていたか…」
「それほどの敵が…」
顔面蒼白で冷や汗をかくラウラに、メリーニは驚きを隠せない。まさかラウラがここまで焦る相手が存在するなど、考えたことも無かった。
ユーリエは結界を破ろうと相当に魔力を消費したのか、あるいは連続の転移で消耗したのか、それとも何か別の要因があったのか、顔を紅潮させてぐったりとしていた。
「おい、ユーリエ! 大丈夫か?」
「…あんなに強引に…でも…それもなかなか…」
会話が成立しないことに、若干の不安がラウラの頭をよぎるが、やがてユーリエが静かに寝息を立て始めたのを確認すると、自身も落ち着きを取り戻そうと、その場に横になる。
「ラウラちゃん、枕がいるでしょ?」
楓が傍に来ると、ラウラの頭を自らの太股に乗せた。所謂『膝枕』だ。
「…そんなに焦って…どうしたの?」
「…一之瀬が来た…とんでもない力を持ってた…それに、何故か悪寒が止まらない…」
ふと視線を巡らせたラウラは、心配そうに見つめるサラと目が合った。
「サラ、ルーセントの聖女って…世界戦争の頃に現れたんだよな?」
「どうしたの? いきなり…。そうよ、世界戦争の終結の後、しばらくは各地を回っていたらしいんだけど…消息は不明よ。天に還ったとも言われてるけど…」
ラウラは一つの可能性に辿り着く。それは考えたくない可能性だったが、一之瀬の持つ力を説明するにはこの可能性が一番説得力があった。
「ルーセントに降臨した聖女は…吟兄と一緒に召喚された勇者だ。吟兄は言ってたんだ、潰しあいをして残った奴を倒したって。でも、魂まで滅したとは言ってなかった。多分、その聖女の力を取り込んだんだろう」
その言葉にサラは絶句する。まさか聖女が世界戦争を引き起こした張本人だとは思ってもいなかったから、当然だろう。
「おそらく、一之瀬のほうが意志が強かったから、逆に聖女の魂を取り込んでしまったんだろう。心の強い者は極稀にそういうことが出来る場合がある。心の善し悪しは別にして」
「あの、ちょっといい?」
そこで割り込んできたのは楓だ。一同は何故楓がここで口を出してくるのか理解できなかった。
「ラウラちゃん、恵ちゃんが来たって言ってたよね?」
「ああ、一瞬だが顔を見た。間違いなく一之瀬だった。何故かネコ耳の娘と一緒だったが」
楓は少々考え込むと、露骨に顔を顰めながら、口を開いた。
「あのね、恵ちゃんが狙ってるのは…ラウラちゃんだと思う」
「は? 何で私なんだよ?」
楓の膝枕でその頭を撫でられながら、信じられない表情を浮かべるラウラ。
「実はね、恵ちゃんって男の人も女の人もいける人なんだけど…男の人はおじさんにしか興味がなくて、女の人は中学生くらいまでの小さい女の子にしか興味ないの。…それでね、ラウラちゃんの外見がね…恵ちゃんのストライクゾーンのど真ん中なの。多分、連合国にいるかもって情報を聞いて我慢できなくなっちゃったんだと思う」
「「「「「 はあ? 」」」」」
呆れたような声が洞窟内に響いた。
「ここが学院長室ね、ふざけた偽者の顔を拝んでやろうじゃないの」
一之瀬は学院に乗り込むと、生徒達の制止も軽々と振り切って学院長室に直行した。今の彼女には、シリカを虐げる偽者を排除するという思いしかなかった。煩悩の為ならどこまでも突っ走る女だった。
重厚な扉を思い切り開ける。バーン! と大きな音が響き渡る。一之瀬はそれに全く怯む事無く、室内にいる人物を睨みつけ…その表情が驚愕に染まった。
室内にいたのはラウラ=デュメリリーではない。彼女が見たラウラとは全くの別人だ。しかし、そのエルフの少女は一之瀬を満足させるだけの容姿をしていた。そして、その少女は鼻と口から血を流していた。
「…嘘…何してんのよ…」
一之瀬は少女を愛でることはあっても暴力は一切振るわない。嫌がる者を無理矢理という考えは存在しないのだ。なのに目の前の少女は血を流している。
そして、その原因を作ったであろう者は、傍らに立つ仮面の男。その拳には少女のものと思しき血がこびりついていた。
「よう、一之瀬、久しぶりだな」
仮面の男がその仮面を外した。そこには、召喚された当初、佐々木の下でつるんでいた級友、二村がいた。二村は一之瀬に笑みを向けると、大げさな身振り手振りで話し始めた。
「なあ、一之瀬? お前、俺達と組まないか? 俺は今、あるお方に仕えている。そのお方はいずれこの世界を支配されるお方だ。お前もその力で仕えてみないか? 男など選び放題だぞ?」
二村は知らない…一之瀬が両刀であり、尚且つその守備範囲が極端なことを…
「あのラウラ=デュメリリーを抹殺すれば、この世界は簡単に手に入る。どうだ? 魅力的だろう? お前と組めば、こんな偽者を祀り上げる必要も無いんだ」
そう言うと、椅子に座る少女を再び殴りつける。一之瀬の表情は蒼白だ。
「こんな拾った奴隷如きの従者役をしなきゃならないなんて、なんて屈辱だよ。でも、それももう終わるんだ。お前はもう用済みだから、今ここで楽にしてやるよ」
二村がその手に魔力を集めようとしたその時、一之瀬から凄まじいほどの魔力があふれ出した。それは二村の想像を遥かに超えるものであり、二村はその勢いに思わず後ずさる。
二村は知らない…一之瀬の目的はラウラを愛でることであり、抹殺などではないことを。そして少女を甚振る存在を許すことが出来ないことを。
「二村………あんた、覚悟はできてるんだよね?」
二村は重大なミスを犯していた。一之瀬の力は自分よりも遥かに格下だと思っていた。そして、蒼白な顔色は自分の力に怯えていると思っていた。
だが、ここで気付かされてしまった。一之瀬の力は自分より上だということ、蒼白な表情は怒りから来るものだということを。そして、犯したミスは…致命的だということを…
「この子達の痛み、きっちりとあんたに返してあげるよ…死ぬまで…ね」
二村の野望と一之瀬の欲望…二つの望みの戦いが今、始まる。
一之瀬は少女大好きです。
どのくらい好きかはいずれ…
次回は24日の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。