想定外の動き
想定外の方向から暴かれます
魔道学院の道を進む馬車の中では、一之瀬が至福の時間を堪能していた。
「へー、あなた魔道学院の生徒さんなんだ? これから学院に帰るの?」
「は、はい…寮に戻らないといけないので…」
一之瀬に纏わりつかれているのは学院の制服でもあるローブを纏ったネコ耳の獣人少女だ。年は12~3歳といったところだろうか、両手に大量の荷物を持っている。
「どうしてそんなに重そうな荷物を一人で持ってるの? お友達は?」
「あの…友達に…頼まれて…」
「酷いわね…これだけの荷物をあなた一人に持たせるなんて…ん? 何これ?」
一之瀬は少女の前髪の生え際に小さな傷跡があるのに気付いた。それはそんなに古いものではなかったのだが、よく見ると顔中に痣のようなものが見られた。治癒魔法で治した痕はあったが、それでも完全に消せていなかったようだ。
「あなた…もしかして…虐められてるの?」
「……………」
少女は俯いて何も話さない。だが、問われた瞬間、ほんの僅かだがびくっと体を強張らせ、今も小さく震えている。それが一之瀬の疑問が正しいことを物語っていた。
「…いつからなの? その痣だと…最近始まったんじゃないの?」
「……………」
少女は未だに何も話さない。それどころか、まるで何かに怯えるように頭を抱えてがたがたと大きく震えだした。
「…大丈夫よ、任せて…」
一之瀬の手に柔らかな光が集まる。その光は粒子となって少女の体に降り注ぐと、少女の体が光り始める。
「…暖かい…」
思わずその光が齎す温もりに少女が呟く。その表情に先ほどまでの怯えは見られなくなっていた。
「ほら…見てごらん、もう痕は残ってないわ」
「嘘…綺麗に治ってる…」
一之瀬は懐から手鏡を取り出すと、少女に手渡す。そこに映ったかつての自分と同じ顔に少女は驚きを隠せない。
「ね、私はこの国の者じゃないから…話してくれるかな?」
「…うん…」
少女は小さく頷くと、これまでの経緯を話し始めた。
少女の名はシリカ=テフェール、連合国で大多数を占める小国家群の一つ、テフェールの第2王女だ。猫獣人族の国家であるテフェールの国民は、他の獣人族と同じく、魔法への素養が皆無だった。それ故に連合国でも立場は弱かったが、ラウラの庇護下ということで、特に差別なども受けずにいた。
シリカが生まれた時、テフェールはその扱いに困っていた。何故なら、シリカは獣人なのに魔法の素養があり、しかもかなりの潜在能力を持っていると予想されたからだ。
これまでそのようなことの前例が無かったため、国王は評議会に相談を持ちかけた。そして評議会は魔道学院への入学を勧めたのだ。治癒魔法を覚えれば国の為にもなる上、指導者として成長すれば、獣人でも魔法の素養を伸ばすことが出来るかもしれないからだ。
そして、シリカ=テフェールは魔道学院に入学した。
「私は獣人ですが、まわりの皆は差別することなく仲良くしてくれました。ここはラウラ様の庇護下なので、差別が許されていないんです」
「ふーん、それはいいことね。さすがラウラ、ますます好きになっちゃうわ」
シリカの生活が一変したのは、1ヶ月くらい前からだろうか。一人の男がエルフらしき少女を従えてやってきたところから始まった。
「この方はラウラ=デュメリリー様だ。この学院に尽力していただいた方だ」
その男は白い仮面を被っており、その表情は窺えなかったが、言葉には今まで自分達には向けられたことのない感情が籠っているように感じた。
すると、男は少女に何かを促した。少女は男の前に立つと、生徒達に向けてその小さな手を向けて何かを呟く。
嫌な予感がしたシリカは、自分が選択している講義で教わった呪式を自分に使った。それはその講義担当の講師が話してくれたことを思い出したからだ。
『予感や直感は自身の防衛本能です。魔力のある者ほどその感覚は鋭くなります。その感覚を信じられるか否かで命の有無が決まることもあります』
彼女が使ったのは防御呪式、それも精神的なものだ。何故それを選んだのかはわからない。ただ、自身の予感に従って選択した。
見た感じでは特に変わったことは無いように思えた。しかし、その日を境にシリカを取り巻く環境は激変してしまった。
「連合国にはいないはずの、ガニア大陸出身の人族がやってきました。彼等は生徒達をまるで奴隷のように扱っています。なのに誰もそれを不思議に思っていないんです。私がいくら話しても…」
シリカは変わってしまった友人達を必死に説得したが、状況は全く好転しなかった。それどころか、シリカに対して冷淡な態度を取ったり、虐げるようになってしまった。
毎日繰り返される生徒からの言動や暴力は、シリカからまともな思考を奪った。彼等に逆らえばまた虐められる…従順になれば何とか無事でいられる…
シリカは彼等の奴隷のような存在に成り下がっていた。
「何なの、それ! ラウラってそんなふざけたエルフだったの? がっかり!」
「いえ、あれは偽者です。仮面の男の正体はわかりませんが…」
「どうしてわかるの?」
一之瀬は怪訝な表情でシリカに問う。シリカが判るのに何故他の者は判らないのかが理解出来なかったからだ。
「ラウラ様はなかなか魔大陸から出てこないので、連合国でもその顔を知る者はごく僅かなんですが、私は幼い頃に見たことがあるんです」
それはシリカの処遇に困った国王が評議長のアドルフに相談を持ちかけた時だった。一緒に来ていたシリカが総督府の応接室に入ると、そこにはエルフの男性と少女がいた。
シリカはその少女に見蕩れてしまった。まるで精巧な作り物のような美貌の少女からは、底知れない程の何かが溢れていた。しかしそれは決して不快なものではなく、むしろシリカを包み込む柔らかな毛布のように心地良かった。
『お、かなりの潜在魔力だな? きちんと勉強すればかなりの使い手になるぞ』
『ほ、本当ですか、ラウラ様!』
そう父に話すその少女こそ、魔大陸の覇者ラウラ=デュメリリーだった。
ラウラはシリカの頭を優しく撫でると、しゃがみ込んで目線を合わせて話しかける。
『獣人だろうが魔族だろうが、連合国では皆平等だ。差別なんてふざけたことをする奴はこの私がきっちり始末してやるから安心しろ』
そう言って微笑むラウラの持つ雰囲気に、シリカは学院でたった一人の獣人の学院生になる決意をしたのだった。
「それじゃ、あれは完全に偽者ってわけね…」
「はい、あのエルフからはラウラ様のような雰囲気はありませんでしたから、間違いありません」
「よかった! やっぱりラウラは私の思ったとおりの子ね!」
満面の笑みを浮かべる一之瀬はシリカを抱きよせると、耳元で囁く。
「私に任せておいて、悪いようにはしないから」
その光景を、少し離れた場所から見つめる巫女2人。その表情には呆れ以外は窺えない。
「全く…あの趣味だけは理解出来ないわね…」
「…良い雰囲気だけど、最後の台詞は悪役だろう…」
そんな実情はどこ吹く風といった感じで、馬車は魔道学院への道を進む。
ラウラ達は洞窟の中で、メリーニからの情報とユーリエからの現状報告を基に行動方針を考えていた。
「メリーニ、お前は動かないほうがいいだろう。顔も知られているし」
「そうですね…何も出来ない自分が残念でなりません」
「そう落ち込むな。お前にはこいつらを護衛してほしいんだが、任せても大丈夫か?」
ラウラの後ろには楓やサラ、そして数人の勇者達がいる。いくら屋敷で鍛錬しているとはいえ、実戦で使えるまでには至っていない。現状ではラウラの足手まといにしかならないのは明白だった。
「俺達もいるから大丈夫だ」
「こっちは任せて」
マークとスージーが力強く頷く。
「この3人なら大丈夫だろう。…メリーニ、一つ聞きたいんだが、ルフォイってのはどんな奴なんだ? これからパロットに乗り込むが、私はそいつの顔を知らないんだ」
「ルフォイについては…わからないんです…」
「…どういうことだ?」
「確かに私はルフォイという人物に会いました。でも、会ったということは覚えているんですが、どういう人物かは…思い出せないんです…」
申し訳なさそうに俯くメリーニ。ラウラの表情は険しさを増す。
「認識阻害か…かなりの高等技術だぞ…。そのルフォイとかいう奴はそれなりの力を持った奴らしいな、それも精神操作に長けてるようだ」
精神操作自体は使い手は結構な数存在する。問題なのはその難易度だ。
完全に忘却させたりするのはそんなに難しくない。洗脳も同じだ。ただ、今回のような複雑な認識阻害はかなりの高難度だ。それに阻害されているのはかなりの人数に及んでいるはずだ。それを実現させるには相当な魔力量が必要になってしまう。
「あの…一つ気になることがあるのですが…」
ラウラが思案にふけっていると、メリーニが声をかけてきた。
「ルフォイについてですが、その姿は思い出せませんが、匂いはわかります」
この世界のエルフは、大変鼻がいい。産まれた森を匂いで認識するために匂いに敏感になったらしいが、その鼻は人族の数千~数万倍に及ぶという。特に目立った匂いがあればはっきりと認識できる。
「ルフォイと会った時、初めて嗅ぐ匂いだったのを覚えています。とても不思議な匂いだったので。でも、その時ははっきりとわかりませんでしたが、今ははっきりと何の匂いかわかります」
メリーニはラウラの後ろにいる勇者たちを見ると、はっきりと言い切った。
「ルフォイは、あの方々と同じ匂いでした。間違いありません」
ラウラは苦々しい顔を崩さない。これで天使共がバラムンドを利用して連合国に手を出してきていることがはっきりしてしまったのだ。
ラウラとしても、実際に『世界戦争』まで引き起こすとは考えていなかった。しかし、それは認識が甘かったと思い知らされてしまった。奴等はそこまでやるつもりなのだ…と。
「いいだろう…そこまでやるつもりなら…手加減する必要はないな…」
ラウラはその身の内から濃密な殺気を漂わせる。それは力の弱い者ならば触れるだけでその命を刈り取られてしまうと思われた。
そして、ゆらりと立ち上がると、洞窟の外に向かって歩を進める。
「さて…どいつが私の相手をしてくれるのか…楽しみだよ」
そう言い残して、光とともに消えていった。
一之瀬の行動原理は欲望(煩悩)第一です。
次回更新は21日の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。