誕生せしモノ
もう1話!もう1話だけ幕間を…
これだけはここでいれておかないと…
その日、ラウラはもちろん、勇者たちもどことなくそわそわしていた。その様子をシャーリーやサラ達は不思議そうな目で見ていた。
「一体何があるっていうの? みんな変なんだけど」
「今まで私が欲しくて欲しくて堪らなかったものが…ついに来るんだ!」
サラの問いに応えるラウラ。その瞳には期待の色を湛えている。暫くして、屋敷の上空を巨大な影が横切る。
「来た! 」
ラウラは弾かれるように屋敷を飛び出すと、表の広場に向かう。そこには巨大な手提げ袋のようなものを咥えた紅玉竜がいた。その背には緑髪の少女が乗っている。
「メアリ! 待っていたぞ!」
ラウラは待ちきれないとばかりに出迎える。その表情は喜びに満ち溢れている。
「ラウラ様、『米』をお持ちいたしました」
「ああ、待ちかねたぞ! これで食生活がより一層充実する!」
そう、ラウラは『米』を待っていた。待ち焦がれていた。メアリが持ってきた試食用の『米』を食べてから、毎晩夢にまで見るようになった。それくらい待ち焦がれていた。もしこの場に天使共が攻め込んで来ても、瞬殺することも辞さないつもりだった。
しかし、その様子を見ていたシャーリーは、そんなことをする敵がいれば、ラウラは瞬殺などしないと確信していた。むしろできるだけ苦しめて、その行動の愚かさを思い知らせるくらいは確実にするだろうと思えた。
「やっと…やっとだ…ついに『米』の料理が作れる…思う存分食べられる」
最早ラウラの頭の中は『米』のことしか無い。おそらく、今ラウラの脳内はたくさんの『米』に合う料理のレシピが駆け巡っていることだろう。だが…
「お米だね、ラウラちゃん。私は卵かけご飯が好きだな」
楓が何気なく零した一言がラウラに衝撃を与える。
(…何てことだ! こんな大事なことを忘れていたなんて!)
ラウラは卵かけご飯が嫌いな訳ではない。むしろ大好きと言ってもいいほどだ。しかし、魔大陸には生卵を食べるという習慣はない。何故なら、鶏のような家禽がいないのだ。
卵といえば、竜や蛇がメインで、鳥の卵は危険な場所にしか無いので採取する者がいない。ラウラが作る卵料理も基本は蛇や亀などの爬虫類だった。
「今日はカレーにしようと思ったんだが…卵を探しに行く!」
そう言い残し、ラウラは『森』に消えていった。
「あれ、ラウラちゃんは何処に行ったの?」
「ラウラ様は卵を探しに行きました」
楓の問いにシャーリーは不満げに答える。何故楓のことをこんなに優遇するのか? もう少し自分を優遇してくれてもいいのではないか? そんな不満がはっきりと見てとれた。
はっきり言ってシャーリーの言い分を支持する者はいないだろう。ラウラの行動原理は楓を守ることであり、優遇するのは当然だ。シャーリーもそれは理解しているのだが、納得できているわけではない。
「この材料は…カレーかな? お米が手に入ったからね」
「カレー…という料理なんですね。どんな料理ですか?」
「えっと…お米に合うシチューみたいなものかな」
「シチュー! それなら私も得意です!」
「それなら、一緒に作ろうか。疲れて帰ってくるラウラちゃんにご馳走してあげよう!」
「それは…素晴らしい考えです!」
ラウラの不在の間に、屋敷に不穏な空気が漂い始めた。これから起こるであろうことを予感するかのように…。
「生で食べられる卵…やはり鳥になるか…」
ラウラは独り呟く。その周辺には無数の魔物が戦闘不能状態で横たわっている。
「卵くらい分けてくれてもいいじゃないか…」
ラウラは卵を分けてもらう為、魔物達のところに行って頭を下げた。卵は子孫を残すための大事なものということは解っていたので、誠意を見せるべく頭を下げたのだ。
しかし、頭を下げて誠意を見せるという行動を理解できない魔物達は、ラウラが自分たちよりも下位の存在になったと間違った認識を持ってしまった。今まで自分達を押さえつけていた存在が下位の存在になった…それを知った魔物達は競ってラウラに攻撃を仕掛けた。
「何だよ…そんなに私に卵を分けるのが嫌なのか?」
魔物の間違いに気付かないラウラは、卵を分けたくないのかと勘違いする。何故ここまで頼んでいるのに拒絶されるのか、これまで庇護を与えていたのに、その恩を仇で返すような仕打ちをするのか…と。
「いいだろう…そっちがその気なら…相手になってやるよ…」
「!&?$#&?」
いきなり本気の殺気を放つラウラに、魔物達は騒然となる。自分達よりも下位の存在が放っていい殺気ではない。もしかすると、自分達はとんでもない間違いを犯しているのではないか? そんな考えに漸く辿り着いた時、魔物達は皆、その意識を放棄した。その結果、ラウラの周りに魔物達が横たわることになったのだ。
「卵…どこにあるんだよ…」
ラウラは卵を探し続ける。美味しい卵かけご飯を楓に食べさせるために…
屋敷のキッチンに立つエプロン姿の楓とシャーリー。
「それじゃ、シャーリーさんは野菜を切ってください。私は肉に下味をつけます」
「はい、任せてください」
楓は料理をほとんどしたことが無かったが、様々な本を読んでいたためにカレーの作り方は頭に入っていた。尤も、知識があっても実技が伴うとは限らないのだが…
「楓さん、ラウラ様は私の料理を食べてくださらないんです…」
「それはきっと、シャーリーさんの気持ちが足りないんだと思うよ」
「私は…食べていただきたくて…」
「それがいけないんじゃないかな? それはシャーリーさんが嬉しいだけでしょ? 私は料理を食べて喜んでもらいたいの。喜ぶラウラちゃんを見たいの」
「楓さん…私は間違っていたんでしょうか…」
「間違いじゃないと思うよ、ただ、方向が少しずれてるだけだよ」
そんなことを話しながら、2人はカレーを仕上げていく。
「えっと、スパイスはこれとこれと…これもかな。あとは塩で味つけして…」
「素晴らしいですね、楓さん。私も見習わなくては」
2人の料理は進む。料理が少しでもできる人間がその光景を見たなら、料理という概念を崩壊させてしまうであろう事態が発生していることにも気付かずに…
「やっと…やっと見つけた…」
ラウラは『森』の中域で目的のものを見つけた。それは破壊鶏と呼ばれる、強いんだか弱いんだかよくわからない名前の鶏の卵だ。ちなみに破壊鶏は日本の鶏より2回りほど大きく、その嘴と蹴爪で熊さえ倒すほどの強さの魔物だ。
ラウラは破壊鶏の大集団と会い、交渉を行った。
「滅ぼされたくなければ卵と肉を寄越せ」
それは交渉ではなく恫喝だった。殺気を振り撒くラウラに、破壊鶏達はなす術もない。
破壊鶏のボスはラウラに、卵と、運悪く死んでしまった仲間の肉を差し出してきた。
「これは有難く受け取っておく。…少し弱ってる個体がいるな…よし、これだけのものを貰ったんだ、少し魔力を分けてやろう」
流石に罪悪感を感じたラウラは破壊鶏に魔力を分け与えると、屋敷に戻った。鞄の中には沢山の卵と鶏肉があるので自然と笑みが零れてしまう。
「これだけあれば親子丼もできるな。唐揚げも楽しみだ」
ちなみに、魔力を貰った破壊鶏は、異常なまでの繁殖を見せるようになり、後に魔大陸産の卵として売り出されることになった。食べ続けると魔力が上がるという評判で、一大ブームを巻き起こすことになるのだったが、それはまた別の話。
ラウラは屋敷に近づくが、屋敷の手前で何故かその歩みが止まってしまう。飛行しようにも、先に進もうという意志が働かない。まるで本能が危機を感じて、その先に進ませないようにしているようだった。そして仄かに漂ってくるカレーのスパイシーな香り。
「一体誰が作ってるんだ? まさかシャーリーが? いや、あいつはお仕置きしてからは私の許可無しにキッチンには立てないはずだが…ま、まさか…もしかして…」
ラウラの表情が凍りつく。1人だけ、こういう状況を作り出せる者の存在を思い出した。
かつて味わった恐怖は、その心の奥底にしっかりと残っていた。その人物は…楓だ。
昔、楓が味噌汁を作ってくれたことがあった。それを飲んだ徹は3日間眠り続ける羽目になった。今考えれば、味噌汁が蛍光イエローな色をしている時点でおかしかった。しかし、楓が作ってくれた料理を食べないわけにはいかなかったのだ。
だが、今この場のプレッシャーはその時の比ではない。しかし、ラウラは卵を屋敷に持ち帰らなければならない。意を決して屋敷に踏み込むと、そこには想像を絶する光景があった。
一心不乱に踊り続ける者、ただ笑い続ける者、自作の歌を熱唱する者…皆の表情は一様に笑顔だ。それもとびきりの…
「あ、ラウラちゃん、おかえり。カレー作っておいたよ?」
「私も手伝いました」
自信に満ちた表情の2人。やりきった感を存分に匂わせながら、ラウラをテーブルにつかせようとする。
「おかわりは沢山あるからね」
この香りからするとカレーなのは間違いないんだろうが…それはラウラのカレーのデータベースには全く存在しない物体だった。
皿に盛られたのはショッキングピンクの立方体。
「この四角いのは…何だ?」
「もちろん『カレー』だよ? きっと美味しいよ?」
ラウラは泣きたくなった。何故にカレーが立方体なのか? そしてピンクなのか? しかし、その香りは間違いなくカレーだ。 理解不能なイリュージョンに思考が停止してしまう。
「これは…美味いのか?」
おそるおそるスプーンで掬って口に入れる。
次の瞬間、ラウラはお花畑にいた。色とりどりの花が咲き乱れ、極彩色の蝶が乱れ飛ぶ。そんな中をラウラはスキップしている。無性にスキップがしたくなったのだ。何故だろう、とても気分が高揚してくる。楽しくて仕方ない。すると、目の前に楓が現れた。それも数十人だ。そんなこと絶対に有り得ないはずなのに、何故かラウラは受け入れてしまう。
「あー、楓がいっぱいいるー」
大勢の楓にもみくちゃにされているところで我に返ったラウラ。目の前にあるショッキングピンクの物体は、その圧倒的なまでの存在感をこれでもかと見せ付けている。
「どうしてこれがカレーなんだよ…このピンクは食べ物の色じゃないだろう? それに、一瞬だけど意識が飛んだ…」
シャーリーの『シチュー』は形あるものを侵食したが、楓の『カレー』は精神を侵食するようだ。しかも、強制的にハッピーな気分にさせられてしまうらしい。さっきの不可解な動きを見せていた者は…
「酷いんだよ、ラウラちゃん。私はラウラちゃんのために作ったのに、みんな摘み食いするんだよ」
彼らは哀れな実験台のようだ。もう少し多く食べていたら、ラウラも仲間入りしていたかもしれない。
「…2人とも…ここに座りなさい…」
「どうしたの?」
「そうですよ、ラウラ様。どうかなさいましたか?」
自分達のしたことを理解していない2人は戸惑いつつラウラの前に座る。ラウラは心を鬼にして宣告する。
『お前達2人は料理禁止』
ラウラは再び料理に封印を施す日が来るとは思ってもいなかった。こうして、精神を蝕む料理『カレー』は誕生した。何故、普通のカレーの材料であんな物体が誕生するのか、最早ラウラは知りたいとも思わなかった。
ラウラは『カレー』を鞄に仕舞いこむ。『シチュー』のとなりに仕舞われたそれは、まるで終生の友を得たかのようにピンク色を輝かせていた。
ちなみにその日の夕食は卵かけご飯に塩唐揚げというメニューに落ち着いた。何故かその味は塩気がきつかったらしい。
翌日、『カレー』の恐怖を体感した者達も徐々に元に戻っていった。つまみ食い程度で済ませたからこそ戻れたのであって、大量に摂取していれば二度と戻ってこれないかもしれなかった。そんな時、楓は平然と言う。
「2日目のカレーも美味しいよね」
ラウラはもう触れたくなかった。1日経って熟成したようなものを見たくもなかった。事実、鞄の中で熟成された『カレー』はより一層の破壊力を有していたが、誰も気付くことはなかった。
隣に仕舞われていた『シチュー』が何故か熟成を促進され、より凶悪な破壊力を有するようになっていたことも、誰も気付かなかった。
ついに『シチュー』と対を成す『カレー』の誕生です。ちなみに、楓が『シチュー』を作ればシャーリー作のより遥かに破壊力があります。勿論ラウラが作らせませんが…。
次回は11日の予定です。新章スタートです。
読んでいただいてありがとうございます。