もうひとつの戦い
すみません、遅くなりました。
デュメリリーの森に聳える岩山は、上位古代竜達が棲家にしている場所だ。その麓から少し離れた場所に、ぽっかりと穴を空けたように平原が広がっている。その平原は一面の黄金色で、近寄ってみればそれは実った麦の色であることがわかる。そこからやや離れた場所で湿地のようになっている場所があり、そこには1人の女性が佇んでいた。グレーのシャツに焦げ茶色のオーバーオールという、ごくありふれた農夫スタイルだが、その鮮やかな緑色の髪が人族ではないことを証明していた。
その女性は、湿地で実る作物を手に取ると、その実を口に含む。
「うん、これなら合格ね。ラウラ様に喜んでいただけるわ!」
それは農作業中のメアリだった。樹妖精の彼女はラウラにこの地を与えられ、ラウラの食への拘りを実現させるために農業をしていた。元々、木々を操るより草花を操ることに長けていた彼女は、まさに楽園のようなこの場所で、伸び伸びと作業に勤しんでいた。今はラウラの要請で、湿地に生える作物を栽培していたところだった。
湿地に生える作物…そう、「米」だ。ラウラが米を求めていると聞き、最優先でとりかかった。さらには大豆のような豆や、各種ハーブに香辛料、もちろん野菜も育てている。とりわけ、今は米の品種改良に余念が無かった。そしてようやく、納得のいく出来映えの米が実った。メアリの能力は魔大陸の魔素により飛躍的な向上を見せており、どの作物も1日で収穫できるようになっていた。それにはどれほどの試行錯誤があったか想像もできないが、メアリは全く意に介していない。
「ラウラ様の為なら、全く苦になりません」
そう言って、額に汗しながら、農作業に精を出す毎日だ。
「それじゃ、収穫した米を試食してもらいましょう」
ラウラの屋敷へ向かうべく、平原の端に建てられた家に向かうメアリ。この家もラウラに作ってもらったものだ。2階建ての4LDK、風呂水洗トイレ完備(トイレは当然温水洗浄便座)で隣に大きな納屋まであるというから、どれほどラウラがメアリの作物に期待しているかが分かるだろう。扉を開けると、そこには見知った女性がいた。
「あら、いらっしゃい、ルビーさん」
「お邪魔してるわ、…鍵くらいかけなさいよ?」
「ここにそんな狼藉を働く者がいるとは思えませんが…」
「まあ…それはそうなんだけど…」
苦笑いしながら、ソファで寛ぐ真紅の髪の女性。すらりとした長身を、煌びやかな深紅のドレスで着飾っている。思わず同性のメアリですら溜息をつきたくなる美しさだった。しかし、口のまわりについたクッキーの食べカスが全てを台無しにしていた。
「ルビーさん、お菓子を食べるのはいいですけど…もう少し綺麗に食べてくださいね?」
メアリが口を指差すと、慌てて袖で拭うルビー。
「いつもはこんな格好じゃないから、わからないのよ」
「…まあそういうことにしておきましょう。私はこれからラウラ様のお屋敷に向かいますが、ルビーさんはどうしますか?」
「そうね、私はもう少しお菓子を………何か来るわ」
突然、表情を変えたルビーを見て、メアリも異常に気付く。何かが森に近づきつつあるのを感じ取っていた。
「これは…海からでしょうか? 少なくとも味方ということはありませんね」
「………わかったわ…こちらは任せて」
ルビーは誰かと念話をしているようだ。何か情報を得たようで、その瞳に殺意が漲る。
「カーナにも現れたそうよ。おそらく陽動でしょうけど、そちらは魔王が何とかしてくれるそうだから、私はこっちをいただくわ」
「敵…ですか?」
「ラウラ様を害する羽虫だそうよ。ちょっと行ってくるわ」
ルビーは立ち上がると、外に出てメアリの家から距離を取る。すると、その身体が深紅の光に包まれる。その光は巨大化し、透き通る紅い鱗を持つ巨大な竜へと変化した。
「それでは、私も…」
『あなたはここを護りなさい、ここが害されれば、あの方が悲しむわ』
ついてこようとするメアリを優しく制するルビー。しかし、その言葉はメアリを案じたものではなく、もしここの作物を荒らされたり、メアリが害されたりしようものなら、護衛を任されている自分達にラウラの怒りが向いてしまうことを恐れてのものだった。
『サファイアにも伝わってるみたいだから、ここの護りはあいつに任せていいわ』
「わかりました、お気をつけて」
メアリに見送られて空高く舞い上がると、ルビーは気配のある方向へと急いだ。その時、カーナの方角から強烈な魔力を感じ取った。
『魔王も本気のようね…無理もないわ、彼女にとってはあの方は神だから。…さて、そろそろ見えてくる頃かしら』
魔大陸の海岸線、『森』の外側にて、空中で立ち往生している天使の存在があった。白銀の鎧を身に着けて、純白の一対の翼を広げている。その手には光り輝く剣が握られており、その剣で『森』の結界を攻撃しているようだ。
「くそ! なんて強力な結界だ! このままではあいつに先を越されちまう!」
あいつとは、カーナで魔王を相手にしている三つ編み眼鏡のことだ。この天使も佐々木と共に姿を消した生徒の1人だが、どうやら仲はよくないらしい。その様子を遠視で見ていたルビーは、あることを思いつく。再び人化すると、姿を消して天使に近づく。
「この! いい加減に壊れろ! この!」
「何かお困りでも?」
まるで癇癪を起こした子供のように、輝く剣を結界に打ち付ける天使に、道端で困っている老人を見かけた時のように、ごく平然と話しかけるルビー。天使の姿をよく見てみると、その容姿は少年だ。おそらくラウラの言っていた「召喚された勇者」が天使を取り込んだ姿なのだろう。天使は結界の内側から話しかけられて驚いているようだ。
「君はいったい…いや、そんなことより、この結界を破る方法を知らないか? 俺はどうしても中に入らなきゃいけないんだ。この中にいる『悪い奴』を倒さなきゃいけないんだ」
「そうなの? 『悪い奴』って? そんなのがここにいるの?」
しれっと平凡な森の住人を演じるルビー。空を飛んでいる時点でツッコミ所満載なのだが、そんなことにすら気付かないところを見ると、その容姿相応の年齢なのだろうか、あまりにも幼い思考にルビーは内心、舌打ちする。
(こいつをラウラ様にぶつけようと思ったんだけど…馬鹿っぽいし、幼稚だから絶対に勝てないわね)
ルビーは天使を利用して、刺客としてラウラにぶつけるつもりでいた。勝てないまでも、弱体化させてくれればそこを突いて倒すことが出来るかも…なんて考えていた。
シャーリーやユーリエが聞けば激怒しそうな内容だが、ルビーはそんなことは一切気にしていない。何故なら、それはラウラが自ら認めた権利だからだ。
『森』の掟は、強い者が君臨するというただ一つだ。ラウラはその掟に従い、自らの力を示し、覇者として君臨している。もし、自分よりも強い者が現れれば、覇者の座を明け渡すつもりでいる。だから、『森』の住人が自分の寝首を掻こうとするのを一切禁止していない。もちろん、実際にそれを実行した者は全て返り討ちに遭い、魔物素材として売り捌かれているのだが…。
だから、ルビーはチャンスがあれば狙っているのだが、いかんせん相手が強すぎるため、実行に移せてはいない。そして、ラウラに従うことも嫌ではない。矛盾しているようだが、これも『森』の掟に従っているからだ。覇者に従うのは『森』に生きる者の絶対のルールだ。
「ここには『悪いエルフ』がいるんだ。召喚された勇者を攫って、その力を我が物にしようとしてるんだ。俺はそれを止めなきゃいけない。だから、ここに入る方法を教えてほしい」
ルビーの思惑など全く気付かずに、天使は言う。『悪いエルフ』というのはラウラのことを言っているのだろう。
「でも…その人って…すごく強いって聞いてるけど…それに、たくさんの魔物を従えているって聞くわ」
「でも、所詮エルフだろう、多少精霊魔法が使えるくらいじゃ俺の敵じゃない」
ルビーは段々面倒くさくなってきた。この天使がラウラ目当てじゃないことは明白だ。何故なら、この『森』には数多くのエルフが住んでいる。一体その誰が『悪いエルフ』と判るんだろうか? それに、ルビーが知る限り、ラウラが精霊魔法を使ったことは一度も無い。
「それに、従う魔物の中にはドラゴンもいるみたいだけど、俺はレッドドラゴンも倒せるんだ。ここのドラゴンなんか楽勝だ」
「…何ですって?」
その一言だけは、ルビーにとって聞き捨てならないものだった。
ガニア大陸にレッドドラゴンが存在していることは知っていた。しかし、ルビーは上位古代竜であり、レッドドラゴンなど格下もいいところで、彼女にとっては雑魚以下の認識だ。むしろ、『森』の魔物の方が遥かに強いと思っている。そんな「雑魚」を倒して勝ち誇るような愚か者に、自分を楽勝で倒せるなどと思われているなど、許し難いことだ。
(はあ…ラウラ様が『羽虫』と毛嫌いする理由が解りますわ…力を得て有頂天になる屑…むしろ『羽虫』呼ばわりは『虫』に失礼ですね)
そんなルビーの怒りは、次の天使の一言で一気に限界を超えてしまった。
「ここにいるドラゴンはすごく綺麗らしい。そうだ、戦って屈服させて、俺の下僕にしてやろう!」
嬉々とした表情でのたまう天使。ルビーは自ら結界の外に出た。
「この結界は、『森』の住人なら誰でも通過可能なの…あなたは認められていないから、ここを通るのはご遠慮願いたいの」
「え? 一体何を言って…」
天使の言葉は途切れた。目の前の女性が紅い光に包まれると、その姿を深紅の巨大な竜へと変えたからだ。その姿、そして放たれる威圧はレッドドラゴンが万単位でかかっても勝てるかどうかという猛烈なものだった。
『私を屈服させる? 冗談にしては全く面白くありません。しかも下等なレッドドラゴン如きと私を比べるなど、なんという屈辱ですか。その身を以って、己の愚かさを知りなさい』
言い終わると同時に、焔の息吹を放つルビー。天使は防御障壁を展開して防ごうとする。障壁越しに天使のにやけた顔が見えてルビーの怒りはさらに高まる。流石に天使の張る障壁だけあって、息吹は防御される。ルビーは怒りに燃えながらも、思考を冷却させていく。
ルビーはここであることを思い出す。サラ救出の際にラウラが見せたものだが、それを自分にできるように応用してみようと考えていたことを。
それはラウラがレヴィアタン相手に使った息吹なのだが、ラウラが振動を集束させたのに対し、ルビーが集束させたのは焔…ではなく、焔が発する「熱」だ。息吹の器官にて熱を凝縮すると、数千度にも及ぶ高熱が生まれた。その高熱を体内の竜気に乗せるとともに、熱の減衰を防ぐために、拡散式ではなく、集束式で放つ。それはまさに熱線だった。
放たれた熱線は天使が剣を握っていた右腕を容易く斬りおとす。その断面は見事に焼き切れており、全く出血していない。斬りおとした右腕は既に消し炭と化していた。
「ああああぁぁぁぁぁーーーーー! 俺の腕がああぁぁぁぁーーーー! い、痛い!痛いよう! た、助けて! お願いします! 謝りますから! し、死にたく―――ー」
天使の聞き苦しい命乞いを遮るかのように、続けて放たれた熱線が天使の左腕と左翼を同時に焼き切る。天使は既に白目を剥いて失神している。
『…無様ね…』
ルビーはそう呟くと、片翼を失ったためか、それとも失神したためか知らないが、落下し始めた天使をその顎に捕らえる。
『この羽虫はラウラ様に献上すれば私への心象は良くなるでしょうね。危うく噛み砕いて飲み込むところだったから、早く気付いてよかったわ』
そんな独り言を残して、ルビーはもう1人の天使と戦っているはずのユーリエの元へと飛び去った。
次回更新は30日の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。