魔王VS天使
前島が駆け寄ろうとすると、袖を引かれて止められた。止めたのはユーリエだ。
「放してください! 皇女には聞きたいことがあります! それに手当てをしないと!」
「どう考えても罠でしょう? 少し冷静になってください」
静かに、しかし威圧の籠ったユーリエに射竦められて、思わず黙る前島。彼女にとって、皇女は親友の仇である蓼沼のことを知るための手がかりだ。今このチャンスを逃すつもりは無かったのだが、罠だと言われてしまっては何も出来なくなってしまう。
「でも…罠だと決まったわけじゃ…」
「それじゃ、そちらの方に伺ってみましょうか?」
皇女の後から歩いてきたのは、蓼沼と一緒に消えた勇者の1人、名前は覚えていないが、眼鏡に三つ編みという、いかにもな格好だったので記憶に残っていた。
「助けてください! 私達、逃げてきたんです! バラムンドに行ったんですけど…もうついていけません!」
「待ってて! 今何とかするから! って何するんですか? 放してください!」
慌てて駆け寄ろうとする前島を、なおも袖を掴んで放さないユーリエ。
「罠かどうかを確認しますから、少々お待ちください」
「…確認?」
ユーリエは魔力を極力抑えて勇者に近づく。その表情は冷静そのものだ。
「大変でしたね、バラムンドからカーナまでは遠いですし、ディアを系由しなければ辿り着けませんから」
「ええ、大変でした。皇女様もこんなですし…」
「それに、船旅もなかなか大変だったでしょう?」
「は、はい、私は船が苦手ですし…」
ユーリエは前島に向き直ると、微笑みを浮かべて語りかける。
「これで彼女があなたを罠にかけようとしたことが判明しました。あなたを罠にかけるということは…」
ユーリエの魔力が膨れ上がる。皇女は虚ろな瞳でこちらを見ているが、三つ編み眼鏡の勇者は若干呑まれている。
「…彼女はラウラ様の敵ということです」
ユーリエは笑みを崩さない。彼女はラウラに心酔している。ラウラに仇為す者は彼女にとっても敵だ。彼女が神と崇めるラウラに敵対する者は神敵だ。自らの手で神敵を滅することができる喜びがユーリエを支配していた。
「ちょっと待って! どうしてさっきの会話だけで罠だってわかるの?」
「そうよ! 何で私が罠にかけなきゃいけないのよ!」
そんな声を聞いて、ユーリエは面倒臭そうな表情で説明を始める。
「いいですか? そちらの勇者はディアからここに船で来たと言いました。でも、カーナとディアの間に船は出ていないんですよ? ではどうやってここまで来たんでしょうか? 独自に船を出すなんてことも有り得ません。魔大陸周辺の海域には海棲の魔物がたくさんいますので、ラウラ様の処置した術式を施した船舶のみ航行可能なんですよ?」
それを聞いて、前島は黙ってしまう。だが、三つ編み眼鏡の勇者はしつこく食い下がる。
「の、乗った場所はわからないけど、その船に乗ったのよ!」
「では聞きます、あなたはどこの国から船に乗ったんですか? バラムンドですよね?」
「え、ええ、そうだけど…」
ユーリエは帽子の縁をくいっと上げると、つまらなそうに言った。
「現在、カーナとの定期便が出ているのは魔道連合国のみです。バラムンドではありませんよ? それでもまだ嘘をつきますか?」
「そ、そうよ! その魔道連合から…」
「それこそ有り得ません、魔道連合国は3大国のいずれとも国交を開いていません。国籍を捨てた冒険者なら入国させて貰えるようですが、貴女方がそこまで出来る筈がありません」
前島はそのやり取りを見ていることしかできなかった。すると、三つ編み眼鏡がいきなり笑い出した。
「あははは、なかなかやるね、おねーさん。確かに私達は船でなんか来てないわ、だって…『これ』があるからね」
そう言うと、背中から1対の白い翼を出した。それを見て驚愕する前島に対し、全く表情を変えないユーリエ。目の前の天使を見て、即座にある存在に念話を送る。
(カーナに羽虫が現れました、そちらにも別働隊が向かう可能性がありますから御注意を)
(わかったわ…こちらは任せて)
望んだ相手に念話が通じたことに安心すると、楓への認識を改めるユーリエ。カーナに来たのも楓からの依頼だったからだ。
(それにしても…楓さんは素晴らしいですね…ラウラ様を理解して、その上敵の出方まで理解できている…彼女を絶対に守りきることが勝負の分かれ目になりそうです。…ですが、今は目の前の羽虫の駆除が最優先ですね)
「それじゃ、大人しくしててくれると嬉しいんだけどな」
「え? 一体何を?」
いきなり声をかけられて動揺する前島。正直なところ、自分が狙われていると聞かされてはいたが、半信半疑だった。しかし、こうして現実を突きつけられると、どうしたらいいのか判らなくなってしまった。
「その力、私が貰おうかなって。大丈夫、終わったらちゃんと殺してあげるからさ」
「…殺す? …何を言ってるの?」
「だって、力を貰ったら用済みでしょ? 無力で惨めに生きるくらいなら、死んだほうがマシでしょ? 私って優しい!」
あまりにも自己中心的な考え方に絶句する前島。その前島を庇うように立つユーリエ。
「前島、あなたは下がっていてください。アレは私の獲物です。貴女はラウラ様の庇護下にあります。そんな貴女を害する者は、ラウラ様に敵対する意志を持つ者です。そんな不届き者を始末するのが私の役目ですから。…そこの羽虫、貴女にも感謝します。その無礼な振る舞いのおかげで、あなたの断末魔をラウラ様に捧げることができるんですから」
ユーリエは笑顔でそう言い放つ。その背には漆黒の蝙蝠のような翼が生まれ、空に舞い上がる。三つ編み眼鏡もそれを追って空へと移動する。
「おねーさん、何者ですかー? 邪魔すると…殺しちゃいますよー?」
小馬鹿にするような口調の三つ編み眼鏡の挑発にも、全く動じないユーリエ。それを見た三つ編み眼鏡は小さく舌打ちすると、詠唱を開始する…が、それは叶わなかった。
「むぐぐぐ…」
「どうしました? 魔法を使うんじゃなかったんですか? まさか詠唱しなければ使えない…なんてことあるわけありませんよね? さあ、私はあなたの邪魔をしましたよ? 殺さないんですか? こんなにすぐ傍にいるのに。こんなチャンス、そうありませんよ?」
ユーリエは問いかける。彼女は三つ編み眼鏡が詠唱を開始したと同時に接近し、その右手で口を押さえつけていた。当然ながら、魔法の発動に詠唱を必要とする者は、口を使わせなければ全くの無力だ。強化魔法すら使っていないユーリエは、その右手を振りほどくことすら出来ない羽虫を、半ば呆れた表情で見る。
「なんて無様なんですか? その程度でラウラ様に挑むつもりだったんですか? その無礼さは万死に値します。思い切り苦しめて差し上げますから、己の浅はかさと無力さをしっかりと味わってくださいね?」
ユーリエは無造作に三つ編み眼鏡を投げ捨てる。かろうじて体勢を立て直したようだが、戦闘の組み立てすら出来ていない様子だ。ユーリエは無詠唱で複数の魔法を起動させると、それを組み立てた戦闘パターンに沿って配置する。
「来ないんですか? それでは…こちらから行きます!」
初めてユーリエが先手を取る。上級の火属性魔法を中心に展開しながら、常に移動して照準を絞らせない。しかも、火属性魔法の合間に、水や氷、それに風や雷など、様々な属性を織り交ぜることで三つ編み眼鏡を翻弄していく。相手が防戦に追われているのを確認すると、配置しておいた魔法をメインにしたパターンに当て嵌めていく。
「そろそろ終わりにしましょう、貴女には大した価値も無さそうですから」
「…冗談じゃない! 私が負ける筈ないんだ!」
三つ編み眼鏡がその両手に光を集めると、それは大きな剣になった。その迸る魔力は今までに無いほどに膨れ上がっている。しかし…
「なかなか面白い玩具ですね、でも、面白いだけで大したことありませんね」
つまらなそうな表情ではき捨てるユーリエ。
「貴女はどれだけ剣に自信があるんですか? 慣れない武器を使うなんて、勝負を捨てるにも等しいです」
三つ編み眼鏡めがけ、複数の魔法が発動されるが、それを剣で無効化しながら進んでくるのは、さすが天使の力を上乗せされただけのことはある。ユーリエへ一直線に向かってくるが、ユーリエは避ける素振りも見せない。
「舐めるなあああああぁぁぁぁぁ!」
全力の一撃はユーリエには届かなかった。ユーリエ目掛けて剣を振りかぶったままの姿勢で石像になりつつあったからだ。ユーリエは自分の前の空間に、石化魔法を仕込んでいた。挑発も、数々の魔法も全て、この罠に突っ込ませるために使った。
「私を倒しても、別の奴が空から攻撃を仕掛けることになってるのよ! あんたたちはもう終わりよ!」
『別の奴っていうのは…この羽虫のことかしら』
突如、頭の中に響く声。声からも感じられる、有り得ないほどの威圧。すると、上空を大きな真紅の竜が飛び回る。その顎には、牙をつき立てられて瀕死の勇者…いや、天使がいた。それを見て、三つ編み眼鏡が青褪める。最早、勝負はついてしまった。
「お、お願い…殺さないで…」
「今更命乞いとは…まあいいでしょう、私はあなた達を「駆除」するつもりでしたが、少々趣向を変えましょう。あなた達は生きたままラウラ様のところに連れていきます。ラウラ様の拷問はかなり厳しいですからね…私に殺されていたほうが良かったって思うようになりますよ」
ユーリエの言葉が終わるよりも早く、三つ編み眼鏡の天使は物言わぬ彫像になった。
ユーリエは強いんです。特にラウラを害する者には容赦しません。
次回は28日の予定です。
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