『シチュー』
『シチュー』についての話です。
ラウラがシャーリーの作った『シチュー』に遭遇し、お仕置きとしてシャーリーに完食させた翌日、屋敷のキッチンで頭を抱えるラウラの姿があった。
「何でだ! シャーリーの作り方を真似したのに! 」
ラウラの前には鍋に入ったシチューがあった。とても美味しそうなクリームシチューだ。隣ではシャーリーが涎を垂らしそうな勢いで眺めている。
ラウラはどうしても納得出来なかった。シャーリーの使った材料にも、作り方にも特に問題は無かった。事実、目の前のシチューはこれまで作ったシチューの中でも上位に入る出来映えだ。
「やっぱりラウラ様の手料理に敵うものはありませんね」
シチューを全て平らげたシャーリーが満足気に言うのを複雑な表情で見るラウラ。
「シャーリー、私が見てるからもう一度作ってくれ」
「え? はあ、かまいませんが………成程、そういうことですか。ついにラウラ様が私の手料理の虜に…」
「なってない! なってないぞ! ただ、すごく興味があるだけだ!」
「わかりました、作りましょう。…そうですか、ついにデレ期が来ましたか…」
「デレてないよ…お前はそういう知識をどこから入手してるんだよ」
独自の道を往くシャーリーに呆れつつ、2人並んでキッチンに立つ。
「まるで新婚のようですね…いっそこのまま…」
「しないよ! 何でお前と結婚しなきゃいけないんだよ!」
「…もう少しで言質が取れそうだったのに…残念です」
懐から小さな魔石を取り出すシャーリー。それを見たラウラが顔を青ざめさせる。
「お前…それ、記憶石じゃないか! 何しようとしてるんだよ!」
記憶石とは、魔力を通すとその周囲の映像と音を記録するという、ラウラが開発した魔石だ。まだまだ改良の余地はあるが、録画・録音したものを水晶にて再生させるくらいは出来るまでにはなっていた。しかし、研究室に保管してあったはずだが…
「お前…勝手に持ち出したな…」
「そ、それは…何かの役に立つかと思いまして…」
しどろもどろになるシャーリーを見て、深い溜息をつく。
「はぁ…まあいい、今は料理を進めよう。まずは材料からだ。肉に人参、玉ねぎに馬鈴薯…それに小麦粉にバターにミルクか…問題ないな」
材料には問題ないようだ。むしろ、この材料であの物体が生み出されることが理解できない。
「次は…これはスープストックか…ベースは鶏ガラに人参・玉ねぎにハーブ…これも問題なし…か」
シャーリーは肉と野菜を鍋に入れて炒めると、スープを入れて煮込む。その間にフライパンで小麦粉をバターで炒めてから鍋に投入する。そこにミルクを入れてから塩で味をつけて、蓋をして少し煮込む。
「おかしい…作り方に全く問題が見られない。いったいどこであんな変化が起こるんだ?」
ラウラが首を傾げながら蓋を取ると…そこには「ヤツ」がいた。黒い球体がふてぶてしく鍋を占領するその姿は以前よりも禍々しさが増しており、見ているだけで精神がごりごりと削られていく。ラウラだからこそ耐えきれるが、一般人ならば、至近距離で直視しようものなら即死も否めない。
「どんなイリュージョンだよ! 蓋して数分でこれかよ! その数分に何があったのか教えてくれ!」
「でも、味はいいはずですよ?」
しれっと言うシャーリー。美味いのが当然と言わんばかりだ。ラウラは改めて『シチュー』を見るが、これを食べるという行為を心も身体も全力で拒否している。しかし…
「もしかして…本当に美味いのか…?」
ラウラの心に好奇心という名の悪魔がささやく。もしやこれは今までの概念を全て覆す美食なのでは…と。
食を追求するラウラにとって、そのささやきは抗い難いものだった。それなら…と、スプーンを入れるが…やはりスプーンが溶けた。改めて魔力でスプーンを覆って保護してから、一掬いしてそのまま口に運ぶ。
「!!!!!!!!!!」
最初は…何も味がしなかった。次に来たのは…混沌だった。甘味、辛味、酸味、塩味、苦味…ありとあらゆる味覚が舌を蹂躙する。
鼻に抜ける香りはシチューだが、それは全ての香りが奇跡的な比率で混ざったための結果であり、香り単体では、鼻がもげてしまうのではと思うほどの悪臭だ。。
舌触りと喉越しは、中年管理職のセクハラの如き粘着質で、不快という言葉ではその感触を表すことなど出来なかった。
とどのつまりは…ものすごく…不味かった。
のたうち回って悶絶するラウラを、シャーリーは「その表情、レアです!」などと言っていた。
治癒魔法で何とかしようとするも、何故か魔法を受け付けない。仕方なく、水を大量に飲んでは吐いてを繰り返して、ようやく気分が治まった。吐瀉物が黒く変色しているのを見て、改めて自分のしたことの恐ろしさに震えが止まらない。
「これは…封印しよう」
ラウラは魔力で封印すると、鞄の奥底へと仕舞いこんだ。それを見ていたシャーリーがぼそりと呟く。
「残った『シチュー』はラウラ様がおいしく…」
「食べないよ!」
こうして、謎の暗黒物質『シチュー』は再び誕生し、すぐさま封印された。
「ふーん、そんなことがあったのね、この『シチュー』は」
サラ(仮)は極力視界に入れないようにしながらも、事の顛末に納得する。
「でも、これってたくさん作ればすごい攻撃アイテムになるんじゃないの?」
その言葉に、ラウラは遠い目をしながら、言い聞かせるように話す。
「私もな…そう思ったことがあったんだよ…でもな…単体であれだけの破壊力の『シチュー』が無数にある光景…想像しただけで失神しそうになったよ」
それを聞いて顔を青褪めさせるサラ(仮)。おそらく想像してしまったのか、ほどなく失神してしまった。
実は『シチュー』をばら撒けば嫌がらせくらいにはなるかと思っていたラウラだったが、その取り扱いにかなりの魔力を必要とするだけでなく、直視することすら危険とあっては、一体誰が取り扱えるか…という壁にぶつかった。そして、行き着いた結論が…一つだけならラウラが所持できるということだった。
そして、『シチュー』はラウラの持つ魔法の鞄の中で熟成しながら解放の時を待つことになる。誰かに食べてもらう時を…。
だが、近い未来、『シチュー』と双璧を為す料理が産声を上げることになる。その未来を予測できたものはいない。
『シチュー』が量産できないのは、ラウラ以外扱えないからです。しかも、ラウラでも1つが限界です。…シチューの数え方じゃないですね。
「あんなもの、1つだけで勘弁してくれ」(某ハイエルフさん談)
次話から新章です。