ハイエルフさん激怒する
ついに封印が解かれます…
ムラサキはその光景を、信じられないものを見るような目で見ていた。心苦しいながらも若竜に引導を渡し終えた時、ラウラはレヴィアタンを真っ二つに分割していた。ムラサキはラウラの戦いをその目で見たことは無かった。それ故に、多少見くびっていたのだが、自身でも引き分けるのが関の山と思っていたレヴィアタンをあっさりと倒したラウラが恐ろしかった。
「まさか…これほどとは…あの方々の仰っていたことは本当だったのか…」
ムラサキは上位の古代竜から、煩わしいほどに言われ続けていた。
『ラウラ=デュメリリーに敵意を以って相対してはならない』
当初はそれを、年寄りが臆病風に吹かれたせいで弱気になっていると思っていたのだが、目の前で起きた、ほぼ一方的な殺戮はその言葉が事実を元に言われたことだと漸く理解した。だが、彼の衝撃はまだ続く。
ラウラを包む巨大な雷撃。古代竜ですら、その直撃を受ければ無傷では済まないそれを、ラウラは何故か全身で受けた。エルフの少女の小さな身体を貫いた雷撃は、そのまま海面に突き刺さっていく。その様子もムラサキは呆然と見ていた。
「ラ、ラウラ様、ぶ、無事なのか?」
慌ててラウラを確認するが、ムラサキの心配を余所に、全くの無傷で空中に浮かぶラウラがいた。ほっと一息つこうとした途端、今までとは比べ物にならない殺気がラウラから放たれる。今の殺気に比べれば、これまでの殺気は児戯にも等しいとしか思えないほどに濃密で鋭利な殺気だ。離れた場所で見ているムラサキですら、恐怖で身体が動かない。そんなムラサキの心を貫くかのように、ラウラの怒号が轟いた。
『何てことしやがんだ、このヤロー!』
巫女の雷撃への対処を考えていたラウラは、出来るだけ周囲に影響が出ないようにしようと、辺りを見回して確認していた。ここは魔大陸の沿岸海域で、言うなればラウラの庇護する海域でもあると言えた。ならば自らが率先して環境破壊する訳にはいかないという配慮をする必要があったのだ。…尤も、ラウラにそのことを抗議する豪気な者はいないのだが、そんなことは本人には解らない。
周囲の安全を確認し終えたラウラが、最初に見た辺りにもう一度視線を巡らせると、その視界の片隅に、ある光景が映った。ラウラの体に電流が走る。その光景は、ラウラが待ち望んだ光景であり、今この場においては最も見つけてはならない光景でもあった。それは………海鳥の乱舞。
(あれは…『鳥山』か! よりによって、何でこのタイミングで!)
魚に詳しい方ならば御存知かと思うが、ラウラの言う『鳥山』は、カツオドリなどの海鳥たちが起こす現象だ。だが、ラウラが欲しいのは鰹であり、鳥ではない。では何故、『鳥山』に反応したのか…それは、『鳥山』が、複数の現象が重なって発生することに起因する。
海鳥達の主食は、当然ながら魚だ、しかもイワシなどの小魚を狙う。だが、イワシは通常海水面付近を泳ぐことはない。海鳥から狙われるのがわかっているのだから。そんなイワシが、海水面付近を泳がなければならない…そんな現象を『ナブラ』という。水面ぎりぎりを必死に泳ぐため、水面が波立つ現象を指す。海鳥はこの『ナブラ』に集まってくるのだが、何故『ナブラ』が起きるのか…それは、イワシが海中にいる捕食者達から集団で逃げるために、海面近くを移動するからだ。その捕食者の一種が…鰹だ。
ラウラは一瞬だが、海中に煌くイワシの集団を切り裂く、鮮やかなブルーの弾丸を見た。あまり知られていないが、鰹の背中は鮮やかなブルーをしている。魚屋で売られている鰹の背中は黒いが、これは鰹が死ぬとこんな色になってしまう。生きた鰹の背中は、鮮やかなブルーをしている為、『青い砲弾』とよぶ者もいるくらいだ。
(ついに見つけた!)
ラウラが喜びの感情を見せようとした瞬間、巫女の雷撃がラウラを包み込む。咄嗟に魔力を纏い、避雷針の如く体を避けるように流していくが、流した雷撃の行き先は…海面。
ラウラは雷撃による影響が魚に及ぶことはないと考えていた。実は海面に落ちた雷は、急速に海水に拡散してしまい、よほどの至近距離に居なければ感電しない。もし感電するのなら、嵐が通過した海は魚が死滅しているはずである。だが、大事なことを忘れていた。
それは…「音」だ。超巨大な雷撃が直撃する轟音は、びりびりと空気を震わせる。そんな衝撃が襲えばどうなるかなどは解りきったことで、当然、海鳥は飛び去り、イワシの群れも散ってしまった。もちろん、イワシを追ってきた鰹も…どこかに逃げ去ってしまった。後に残るのは、数匹の死んだ鰹が白い腹を見せて海面に漂うのみ…。
あと少しだった、あともうちょっとで探し求めていたものが手に入るはずが…その手から零れ落ちてしまった…。運悪く雷撃の直撃を受けた鰹など、その身は生焼けになっており、とてもじゃないが鰹節に使える代物ではない。ラウラの失望は絶望に変わり、絶望はこの事態を引き起こした者への怒りに変換されていく。あまりにも強大な怒りは最早抑えることも出来ないほどに膨れ上がる。
『何てことしやがんだ、このヤロー!』
思わず怒声が口から飛び出す。振動体は既に消えていたが、喉に留めた魔力体により増幅された怒声が、思いのほか増幅されてしまい、途轍もない大音量の怒号が轟いた。辺りの空気はその振動でびりびりと震え、若竜はそのほとんどが失神して砂浜で横たわっている。ムラサキも飛ぶことができなくなり、砂浜からその様子を見上げることくらいしか出来なくなっていた。
ラウラは巫女を睥睨すると、その怒りを言葉に変えて吐き出した。
「お前…よくも私の鰹を台無しにしてくれたな! 新鮮な鰹が手に入る所だったのに…あんな生焼けの鰹なんか持って帰って何が出来ると思うんだ! せいぜい塩焼きにして食べるか生利節にするか、煮て食べるしかないだろう? そのあたりを理解しているのか?」
「…その鰹に所有権は存在しないかと…」
思わず素で返してしまう巫女。ラウラの怒りの原因が鰹だという事実を受け入れられないようだ。しかし、そんなことは全く意に介さずにラウラは続ける。
「お前は日本人のくせに、鰹節の偉大さを理解していないのか? 新鮮な鰹でなければいい鰹節は出来ないんだぞ? もしかしてアレか? 鰹節は真空パックに入ってるやつしか知らない世代か? まさか材木削ってできてるとか思ってないよな?」
「いえ…そんなことは…」
「鰹節は世界一堅い食材としてギネスにも認定されてるんだぞ? 『出汁』の国でもある日本出身として恥ずかしくないのか? そのくせに『不知火』とか名乗るなんて、お前の頭の中はどうなっているんだ? 調べてやるからちょっと頭割って見せてみろ、きっとプリンでも入ってるんじゃないのか? もしそうなら、髪の毛をプチッと抜いたら口から出てくるように改造してやるよ!」
さらりと恐ろしい言葉で締めるラウラ。巫女はまだ再起動できていないようで、理解不能な珍生物を見るような表情だ。
「…鰹節など…食べられれば味など問題ないかと…」
「…なん…だと…」
うっかり漏らした巫女の一言がラウラの怒りに油を注ぐ。否、ラウラの怒りの炎に注がれたものは油などではなく、爆弾と言っても過言ではなかった。食事の質に拘るラウラにとって、味など問題ではないなどとほざく目の前の愚者をそのままにしておくなど、全ての食材に対しての冒涜としか考えられなかった。
「お前…本気で言ってるのか?…そうだ、お前に味がどれだけ大事かという『真実』を理解させてやろう」
ラウラは怒りの表情を解いて、何かを含んだような笑みを見せると、瞬時に前進して巫女の懐に潜り込む。
「くっ、鬱陶しいかと…」
振り払おうと振り回される杖を巧みに避けつつ、さらに肉迫する。顔面目掛けて突き出された杖の一撃をヘッドスリップで躱すと、そのまま体を沈めて、鳩尾付近に抉りこむような拳の一撃を捩じ込む。
「うぐ…ぐぇ…」
「天使の体ってのはなかなか頑丈だな…今のは腹をぶち抜いてもいいくらいには力を込めたんだが」
赤色がかった吐瀉物を撒き散らしながら、腹部を押さえてのたうちまわる巫女を冷めた目で見ながら、感想を呟く。しかし、それは驚きではなく、どこか安堵感を滲ませていた。
「そのくらい頑丈なら、すぐにくたばることはないだろう。これからお前にいいものをご馳走してやるから、感想を聞かせてくれ」
「…一体…何を…」
反論しかける巫女の顔を掴むと、強引に口を開けさせる。下手に動かれないように、拘束魔法を掛けておくことも忘れない。全身をミイラのようにぐるぐる巻きにされた巫女に向けて、至極楽しそうな微笑を浮かべながら、ラウラは語りかける。
「これから、うちの『天使』が作った『シチュー』をご馳走してやろう。その味に昇天してしまうかもしれんぞ、天使だけに」
魔力で手を保護すると、封印しておいた『シチュー』を取り出す。封印を解かれた『シチュー』は、熟成されたのか、より一層禍々しい暗黒色になっており、それを見ているだけでも心の色々なものが削り取られていく。
「#&?$!&>?”?」
その禍々しさに、巫女は最早理解できる言葉すら話せなくなっていた。それを『シチュー』と呼ぶ以上、それがどうなるのかを理解してしまったために思考を放棄したのかもしれない。
「さあ………召し上がれ」
巫女の口に『シチュー』を放り込むと、すぐにその口を拘束魔法で封じる。念のために少し距離を取ると、巫女に変化が現れた。
何か叫んでいるようだが、当然口はふさがれているし、距離を取ったので、何が言いたいのかは解らないが、味を褒めているわけではなさそうだ。ラウラは興味深い顔で経過を見守る。
すると、巫女は数回、ビクッと大きく痙攣したあと、小さな痙攣を繰り返していた。その目は既に空虚に支配されており、意志があるとは思えなかった。やがて目、鼻、耳から暗黒の液体を流し始め、その液体が巫女の体を包み込むと大きな球体になった。そして徐々に小さくなっていくと、当初のような小さな球体に戻った。そこには一つの暗黒の球体が残り、より一層の禍々しさを放っていた。
「シャーリー…お前には絶対に料理は作らせないようにするよ…」
冷や汗を流しながら、再度封印を施して鞄に仕舞いこむと、ラウラはふと、あることに気付く。
「そういえば、シャーリーにはお仕置きでこれを食べさせたんだよな…ちょっと悪いことをしたかもしれない。…でも、これを食べて無事ってことは、シャーリーってやっぱり凄い天使なんだな…性格さえ除けば…」
そんなことを考えつつ、人魚達のいる場所に戻っていった。
屋敷に戻ったラウラの表情は複雑だった。結局、人魚達からは海産物を定期的に提供して貰えることになり、魚介類は勿論、何と昆布まで手に入ることになった。それはとても嬉しいことなのだが、鰹を取り逃がしたことが気分を滅入らせた。一応、生焼けの鰹は持って帰ってきたが、こんなもので鰹節を作るわけにもいかなかった。ラウラが落ち込んでいるところに楓がやってきた。
「ラウラちゃん、おかえり。どうだった?」
「ルーセントの巫女が天使だった。でも、佐々木のところの奴とは別口っぽい。とりあえず倒したけど…鰹が…」
楓に生焼けの鰹を見せると、がっくりと肩を落とすラウラ。
「だ、大丈夫だよ、こんなこともあるから。それに、鰹も煮たり焼いたりできるから…あまり気にしないで? また今度探せばいいんだよ」
「楓…」
涙目で楓を見つめるラウラ。思わず抱きしめようとする楓だったが、人の気配がしたために何とか自分を押し留めた。その気配の正体は…サラ(仮)だった。
「あら、おかえり…ってどうしたの? 楓もそんなに私のことを睨んで?」
「別に…いいところを邪魔されただけですー」
「いいところって何よ…ってラウラの持ってるの、『ツオ』じゃない? 『ブシ』の原料になるのよね。私、『ブシ』で作ったスープ、結構好きよ」
「なあ、この魚…知ってるのか? それに『ブシ』って…」
ラウラの様子を訝しがりながらも、その問いに答えるサラ(仮)。
「ルーセントの南の沿岸地域の特産品よ、『ツオ』を態とカビさせて、凄く堅くしちゃうのよ。薄く削ってスープを作ると、いい味が出るのよ…ってどうしたのよ、いきなり跪いて」
サラ(仮)の答えに、膝から崩れ落ちるラウラ。まさかすでに鰹節が存在していたなんて思わなかったからだが、疑問に思う部分もある。
「…なあ、どうして作られるようになったんだ?」
「何でも、世界戦争の最中に立ち寄った女の子が、『自分の故郷にはこんな食べ物がある』って言い残していったらしいわよ?それまでは『ツオ』なんて誰も食べなかったらしいけど、その女の子の言い残した形にするまで、かなりの年月かかったみたい」
その言葉に顔を見合わせるラウラと楓。
「なあ、今の『女の子』って…」
「多分…吟さんだね…」
そのまま楓に倒れこむと、滂沱の涙を流すラウラ。サラ(仮)はいきなりの展開についていけなかった。
「ねえ、どうしちゃったの?」
「えっと…かなりショックなことがあったみたいだよ?」
苦笑いしながら、倒れこんだラウラを抱きかかえると、そのままラウラの部屋に向かう楓。サラ(仮)は何が起こったのか理解できずに、ただ立ち尽くしていた。
まさかの『シチュー』再登場。
次回更新は25日の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。