ラウラ、南へ
動きはじめます。
「ねえ、ラウラちゃん、これからどうするつもり?」
「ああ、バラムンドに行こうと思ってるんだが…佐々木が連れていった連中をどうにかしないといけない。それがどうかしたのか?」
ラウラが心配そうに楓の顔を覗きこむ。
「うん、あのね…こんなこと言っちゃいけないんだっていうことは分かってるんだけど…」
言い澱む楓に、不安げな顔をするラウラ。楓は申し訳なさそうに、小声で話す。
「あのね…私…本当のお味噌汁が飲みたい!」
「 !!! 」
ラウラの身体に衝撃が走る。ラウラが食生活の向上を目指したのは、全ては楓との生活の為だ。勿論、自分が食べるという大前提はあるが、楓に食事で不自由な思いをさせたくないという思いがあった。かつて、極貧のために生ごみを漁った辛い記憶が、ラウラを突き動かしていた。
「そうか…味噌は再現できたが…問題は『出汁』か…」
「うん、きのことかお肉の『お出汁』も美味しいんだけど…やっぱり…」
ラウラは思う、楓がこう思うのも無理もないだろうと。いきなり異世界に召喚されて、心が休まる時間はなかったはずだ。そのためにも、美味い食事と日本式の風呂でもてなしてやりたかった。
しかし、いくらラウラでも、まだ再現できていないものは多々あった。そのうちの一つである「米」は、メアリのおかげで供給の目途がたった。現在は大豆らしき豆を元に、「豆腐」を再現しようとしていた。しかし、そんなラウラでもまだ再現できていない最たるもの…それは「海産物」だった。
「鰹節の作り方は解ってるんだが、その原料の『鰹』がまだ見つかってないんだ。というか、そもそも私は『森』の住人だから、海には行ったことが無いんだ」
「海か…いいね! 海水浴とかしちゃってさ! 私、徹君に見せようと思って、可愛い水着買ってたんだよ!」
無邪気にはしゃぐ楓を見ていると、ラウラの心が緩やかに晴れていくのが感じられた。はしゃぐ姿はとても愛おしく思えた。
(私は何で楓をすぐに保護しなかったんだろう? どうして大丈夫だなんて思ったんだろう? こんなに大事な存在なのに…)
心の奥に引っ掛かっている疑問が鎌首をもたげてくる。しかし、ラウラはそのことに異常を感じていなかったのも事実だ。そのために楓を危険な目に遭わせた自分を恥じていた。その償いという訳ではないが、できるだけ楓の要望は叶えてやりたいとも思っていた。
「そういえば、『森』の南部は海に近かったな。あの辺りは紫水晶竜の縄張りだったはずだ。…よし、挨拶がてら、海産物が手に入らないかどうか確かめてみよう」
目を輝かせるラウラに、楓が確認する。
「バラムンドはどうするの?」
「別にいいだろ、奴が欲しいのは力か手駒だ。私が力を回収して預かっている以上、奴の狙いは私のはずだ。バラムンドに向かっても意味がないだろう」
「でも、ここにも誰か来るかもしれないよ?」
「それこそどうやってここまで来る? 転移は私の認めた者しか入れない上に、海路もカーナ以外のルートは無い」
「でも、空を飛んできたら…」
「ここの上空は古代竜達が護ってる。いくら天使でも古代竜軍団と戦りあうほど愚鈍じゃないだろう。以前戦った天使は下っ端だろうが、あれを底辺としても負けるとは考えられない」
自信満々で胸を張るラウラに、楓が安堵に息を吐く。
「それなら安心だね、ここにはシャーリーさんもユーリエさんもいるからね」
「そうだな…カーナの状況確認をユーリエに頼んでおくか…魔王城までは冒険者達も入ってくるから、それに紛れこんでくる奴を叩いてもらおう」
魔大陸への通行手段は、現在は船舶のみだ。しかも、月に一度の定期便しかない。不審者がいれば、カーナにて発見できる可能性が高い。召喚獣を使ったり、飛行で入ろうものなら、古代竜達の腹の中に直行となるからだ。
「ラウラちゃんはもう行くの?」
「ああ、こういうことは早いほうがいいからな。楓も来るか?」
「ううん、今は遠慮しとく。食事が美味しすぎて最近お腹が…ね?」
自分の腹をさすりながら、乾いた笑みを浮かべる楓を優しい目で見るラウラ。ラウラにとっては楓の体型の変化など大したことではないのだが、これも愛されている証拠かと納得する。
「そうか、後のことはシャーリーに頼んでおくから、好きにしててくれ。書庫も自由に使っていいぞ」
そう言い残すと、丁度シャーリーが持ってきた鞄を受け取る。
「シャーリー、楓を頼んだ。私はちょっと南へ行ってくる」
言い終えるや否や、上空高く舞い上がると、猛烈なスピードで南方に飛んで行き、すぐに見えなくなった。残されたシャーリーは苦々しい顔で楓を睨む。
「どうしてバラムンドに行かせないんですか?」
「だって、バラムンドはどう考えても罠でしょ? その間にここに襲撃してくるよ? おそらく狙いはカーナじゃないかな、カーナで暴れて、誰かを人質にでもすれば、ラウラちゃんはそれに逆らえない。だって『森』に関わる者全てが大事なんだから」
「だからって、食べ物のためにラウラ様を動かすなんて…」
「それがいいんじゃない、まさかこの後に及んで食べ物の為に動くなんて誰も思わない。イレギュラーっていうのは、誰にも想像できないからこそなんだよ? それに、カーナはユーリエさんがいるし、空は古代竜さんたちがいるから、そう簡単には突破できないよ?」
シャーリーは開いた口が塞がらなかった。ラウラの性格を読んだその行動に戦慄さえ覚えた。ラウラはここにきて、楓のことを恋人として再認識している。そんな最愛の彼女に頼まれれば、ラウラが断るはずなど無い。しかし、そうなればバラムンドはどうなってしまうのか。
「でも、それではバラムンドが…」
「そんなの知りません」
あっさりと斬って捨てる楓。
「私達はこの世界の人間じゃないので、それがどれほどのものかなんて解りません。私には徹君…ラウラちゃんがいればいいの。その為なら、どんな犠牲でも払うよ? それに、バラムンドがすぐにどうにかなるとは思わない。ラウラちゃんとの力の差は向こうでも解っているはず。そんな状態でバラムンドを滅ぼしたりしたら、その力を存分に発揮させる場を作ることになるんだから」
「確かに…それはそうですね…」
「今は向こうもこちらの戦力を憶測してるところでしょ。向こうが現在取れる戦略は、いかにして回収した力を差し出させるか、そのうえでラウラちゃんを倒せるかだよ。正面からぶつかるなんて、馬鹿としか思えない」
シャーリーは、何故吟が楓にのみメッセージを託したのか、理解できたような気がした。ここまで徹底して相手を理解するからこそ、ラウラの心も理解できると思い、吟は託したのだ…と。
「向こうは今、自由に動けない。だからこそ、こっちは自由に動ける。その動きが向こうの理解を超えれば超えるほど、こっちの勝算が見えてくる。今は負けなければいいの、無理に勝つことはないんだ。もちろん、ぶつかれば戦うし、勝ちを拾うのもいいと思う。でも、ラウラちゃんが負けることが許されない以上、ラウラちゃんに有利な状況を如何にして作るかが私達の役目なんだからね」
満面の笑みを浮かべて、さも当然といった口調で持論を展開する楓。シャーリーは改めて、楓の徹に対する、執念と呼んでも間違いではないくらいの歪んだ愛情を再認識した。普通ならば、ここでバラムンドに行くだろう。それを待ちかまえている敵側からすれば、一向にやって来ない相手を只管待ち続けることになる。これほど相手をおちょくった策はないだろう。
「本当に、あなたは何者なんですか? あの場にいた全ての存在に本性を気付かせないなんて…」
「えー? そうかな? 私はずっとこのままだよ? 今の私も、おバカな私も、徹君のことが大好きなのは一緒。それ以外は何もいらないっていうのも一緒。だから解らなかったんじゃないかな? 案外、相手も大したことないね」
けらけらと笑いながら、自分達の宿敵を小馬鹿にする楓に、背筋が凍る思いがしたシャーリー。あの時、自分の主が楓のことも壊れていると評したのは間違いではないと確信した。
「ユーリエさんには早めにカーナに行ってもらおうかな。向こうの出方も大体想像つくし、その辺の話もしておかなくちゃ」
そう言って愉しそうな表情を浮かべる楓をそのままにして、シャーリーは前島の身辺警護についていった。
ラウラが屋敷から南方にしばらく進むと、空気に仄かな潮の香りが乗り始めた。
「そろそろ海だな…さて、どんな海産物が獲れるかな? 昆布や貝もいいが、やはり鰹だろう。他にも食べられそうなものを探していこう」
高度を落とし、険しい岩山付近に近づくと、ラウラは急に飛行を停止する。その瞳には険呑な光が宿り、いつでも戦闘状態に移行できる状態だ。
「そこの岩陰にいる奴、やる気ならそのまま隠れてていいぞ、その気が無いならさっさと出てこい」
ラウラの威圧に、岩陰から巨体が現れる。その姿は透き通るような紫色の体を持ったドラゴンだった。
「御無沙汰しております、ラウラ様。御機嫌…」
「麗しいように見えるなら、その目玉のかわりに団栗でも入れておけ」
ラウラは先ほど、いきなり殺気をぶつけられていた。目の前の紫水晶竜が放ったものではないのは理解していた。恐らくその配下の若竜が、血気逸って勝手に行動したのだろうが、いつ天使の襲撃があるか分からないラウラにとっては、神経を逆撫でするようなその行動を許せなかった。
「今殺気ぶつけたのはどいつだ? ああ?」
紫水晶竜の背後に隠れるように、数体の若竜が怯えながらこちらを覗いている。
「びびるくらいなら喧嘩なぞ売るんじゃない。もし私がその喧嘩を買っていたら、お前達は殺されても文句言えないんだぞ?」
「うちの若いのがすみません。若気の至りというやつでして…あとで厳しく叱っておきますから、この場は私に免じて引いてもらえませんか?」
既に若竜たちは戦意喪失している。
「大方、私の外見で判断したんだろう? そんなことは日常茶飯事だから気にするな。ただし、『森』以外の場所でこんなことしたら、その時はお前らの死体が素材として売りさばかれることになるぞ」
最早、若竜たちは涙目だ。見た目は可憐なエルフの少女だが、その中身がとんでもない化け物だとは思っていなかった。噂は聞いてはいたが、若竜たちがラウラに接する機会など無く、その実力を理解できていないのも仕方の無いことではあった。
「ところで、私に何の用だ? 私は海産物を探すんで忙しいんだ」
「はあ、海産物ですか…それなら、我々の用件は無関係とは言えませんな」
「…どういうことだ?」
ラウラは紫水晶竜を睥睨する。今は一刻も早く海産物を手に入れたいのに、こんなことで時間を浪費したくなかった。だが、一応はこの辺りを任せている古代竜なので、とりあえずは話を聞くことにした。
「実は…ラウラ様の庇護に加えていただきたい種族がおります…その種族は、水中を生息域にしております。その種族は…人魚族と水竜族です」
ラウラは鰹を入手できるのか?
次回更新は19日の予定です。
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