届く叫び
バラムンドとの国境に近い小さな村に、ティングレイ勇者軍が滞在していた。佐々木一派がバラムンドに抜ける最短ルートにある村であり、おそらくは最後の補給拠点になるであろう村だった。村人の家は勇者達の宿泊所に当てられ、食料は接収されて軍の胃袋を満たす。そんな戦時中では当たり前のような事が、平和な国生まれの勇者達の戦争への恐怖を煽り、心を蝕んでいた。
そんな中、楓は前島の姿を探していた。この村に入った翌日から、その姿が見えなくなっていた。血は繋がっていなくても遠い異世界で姉妹として生きることを決めた彼女にとっては、姉の存在は心の支えでもあり、希望でもあった。楓はこの軍の大将である参田に相談しに行くことにした。
「参田君、おね…前島先生を見なかった? 昨日はいたんだけど、見当たらないの。何か知らない?」
「西川、俺は将軍なんだから気安く話しかけるなよ。前島先生? …ああ、前島先生なら、村人への対応を頼んでいる。こんなことは年長者で教育者の前島先生にしか頼めないから、お願いして面倒見てもらってるんだ。村はずれの家で対応してもらってるから、邪魔にならないようなら会いに行ってもいいぞ」
「そうだったんだ、先生も頑張ってるんだね、私も頑張らないと!」
そう言って何とか笑顔を作って応えると、楓は割り当てられた家に戻っていった。その後ろ姿を見送る参田はどこか乾いた笑いをその顔に貼り付けていた。
村はずれの小さな家にて、前島は村人への治癒を行っていた。いきなり駐留して食事や宿泊所を用意してもらったため、村人からは不満が出始めていた。最初こそ歓迎されていたが、この村は裕福ではない。いつ始まるか分からない戦いのために大切な備蓄を使うわけにはいかないからだ。
幸いにも前島は楓との自主訓練や、治癒術師との訓練でかなりの上達を見せていた。それこそ他の勇者が驚くほどで、重傷者や重病人ですら回復させられるほどになっていた。さらに防御魔法も習得し、磨きをかけていた。
(戦うのにはまだ抵抗あるけれど、護ることならできる)
その一心で、この村でも修練を積む彼女に、村人の不満も徐々に和らいでいった。
村に滞在して5日目、楓は魔法の自主訓練に勤しんでいた。その様子を2人の勇者が見守る。矢島律子と日下部有紀だ。彼女らは元々楓と比較的仲が良く、他の勇者とは違い、今まで通りに接してくれていた。
「楓はがんばるね、随分上達したんじゃない? 私達は治癒魔法とか使えないから、怪我したときはお願いね?」
「そのかわり、楓のことは守るからね」
そう言ってそれぞれ剣を掲げて見せる2人。それを見て微笑む楓だが、どことなく違和感を感じていた。
(何か…嫌な予感がする…何なのかはわからないけど、ものすごく嫌な予感…)
自分でもそれが何なのかを理解できていない。矢島と日下部は何も感じていないようだ。
楓は自分では気付いていないが、騎士達と城で訓練を重ねたおかげで、一般の兵士以上に感覚が鋭くなっていた。真剣に訓練しなくても強い他の勇者達には身についていない、経験からくる予感だった。その予感は、悲しいことに的中してしまう。
昼下がり、突然の悲鳴が響き渡る。その声は女性のもの、しかもまだ若い。皆が駆けつけると、そこには返り血を浴びて立ちふさがる巨大な蟷螂の魔物と、既に息絶えた村人がいた。
「魔物だ! 全員戦闘態勢!」
勇者を守るように兵士が配置につく。しかし魔物との戦力差は明らかだ。
「大鬼蟷螂…こんな村に出る魔物じゃない! 山岳地帯の魔物のはずだ!」
兵士は勇者を守るために絶望の待つ戦いに身を投じる。まるで木の葉を切り裂くかのように、魔物はその大鎌で兵士を切り裂きいていく。勇者達も加勢しようとするが…
「何で! 何で出来ないんだよ! どうして『スキル』が発動しないんだよ!」
勇敢にも立ち向かおうとする勇者もいたが、どういう訳か訓練で出来ていた事が全く出来ない。まるで出来ていた事が夢だったのかのように。
最早兵士達は全滅に近かった。残っているのは勇者と僅かな兵士と村人、それ以外は皆、魔物の餌食だった。そこへ参田が楓らと合流しようと近寄ってくるが、楓はそこに猛烈な恐怖を感じた。矢島と日下部は安心しきった表情で参田に歩み寄る。
「矢島さん! 近づいちゃ駄目!」
「ふぇ?」
楓の叫びも虚しく、参田に近寄っていった矢島に剣が振るわれる。思わず発した間抜けな声、だが小柄な矢島に対して剣筋を誤ったのか、その剣は矢島の左腕を落とすに留まった。
「あれ? 私の腕?」
呆然とする矢島に向けて走り寄る楓は、すぐさま治癒と精神安定を行う。失血と精神的なショックを防ぐためだ。
「日下部さんは腕を! 早く!」
呆けていた日下部も楓の指示で我に返ると、矢島の腕を拾い、楓の元に辿り着いた。
「頑張って! 矢島さん!」
声をかけつづけながら、懸命に治癒を行う。その甲斐あってか、矢島の腕は無事繋がり、今は落ち着いた状態だった。
「どうして…参田君」
矢島の腕を落とした人物…それは、ティングレイ勇者軍大将、参田勝だった。参田は楓の前に歩み出る。
「おい、もう降参しろよ。そうすれば殺さない」
「何でこんなことするの? 仲間じゃないの? 友達でしょ?」
必死に説得しようとする楓を笑い飛ばす参田。
「あははははは! 馬鹿じゃねえの、お前? 仲間だ? 友達だ? こいつらは俺が生きるための道具なんだよ! あの魔物も俺が召喚してやった! たくさんエサが喰えて満足だろうよ!」
楓は気が遠くなりそうだった。彼は何を言っているんだろう? 人間を道具扱いなんて…それにあの魔物を暴れさせてたくさんの人が死んだ。これが人間のすることなのだろうか? つい最近まで、同じクラスで笑いあっていた者のする事だろうか?
そんな楓の心を無視するかのように、参田は続ける。
「別にお前も魔物のエサにしてやってもいいんだぞ。死にたく無いだろ? 全部捨てちまえよ、そうすれば楽になるぜ? 俺はこれから佐々木のところへ行く。どうやら好き勝手できるみたいだし、ティングレイもお終いだろう?」
吐き気を催すような笑顔を浮かべながら、参田は楓に近づく。楓はこみ上げるものを抑えることが出来ずに嘔吐する。果たして人間はあんな気持ちの悪い笑顔を、嫌悪感しか抱かせない笑顔を生み出すことができるのだろうか。
楓は嫌悪感に混乱しながらも必死に抵抗しようとするが、何故かその身体はまるで全身に鎖を巻かれたように動かない。魔法を唱えようとするも呂律が回らずに呪文が完成しない。その間にも参田は近づく。
「やだ…やだよ、こんなの…助けて…たすけて…てつくん…てつくん…」
混乱を極めた楓が縋るのは、ここにいるはずのない幼馴染。どうせ殺されるのであれば、最期のひと時だけでも、大好きな幼馴染のことを考えていたい…そんな思いで、届かぬ叫びを上げる。
「徹君、助けて!!」
参田が伸ばすその手を拒絶するように、涙に濡れる瞳を瞑って叫ぶ。
――― ぐちゃ ―――
果物を潰すような音、そして…
「あああああああああああああああああああああああ!!」
参田の絶叫。何事かと思い、目を開けると、そこにはかつて見た少女。その耳は長く、普通の人間ではないことは明らか。その細腕は伸ばされた参田の腕を容易く握り潰す。その可憐な姿からは想像できないほどの殺気を、全く隠すことなく撒き散らしながら、参田に吐き捨てる。
「楓にふざけた真似してんじゃねえよ、屑が」
楓はどこか懐かしい雰囲気を漂わせるエルフの少女を見つめる。
「ラウラ=デュメリリー…」
楓の叫びは届いた。
『世界の悪夢』とまで言われた存在に。
読んでいただいた方、誠にありがとうございます。