佐々木という男
下衆が登場!
ラウラがティングレイ皇城を襲撃してから数日後のこと、皇女ミレーネは困惑していた。その理由は勇者達だった。勇者達は自分の力が優れていることを自覚していたが、あの時現れた悪夢は次元が違っていた。その圧倒的なまでの力の差がトラウマになりつつあった。
特に佐々木が酷かった。勇者の中でも一番の力を持っていた佐々木ですら、ラウラに全く歯が立たなかったからだ。おまけに皆の前で無様に腰を抜かすという失態を見せてしまったのも余計に悪かった。部屋に籠り、食事もまともに摂ろうとしなかった。
「カズキ様…」
彼女にはただ待つしかなかった、この先に待つ結末がどんなことであろうとも…。
一方、佐々木は与えられた部屋でベッドに潜り込んで震えていた。かといって眠ることすら出来なかった。眠れば必ず夢に見てしまうからだ、ラウラの笑顔を。自分の力など全く及ばない、次元の違う強さは佐々木の心を完全にへし折っていた。
佐々木は思う。何故こんなにも自分が苦しまなければならないのか? 自分は勇者なのに何故誰も護ってくれなかったのか? 自分はその程度としてしか見られていないのか?
歪んだ思慮はやがてその心を歪ませる。否、元の歪みに戻ろうとする。かつての自分に戻ろうとする、まるで劣化した鍍金が剥がれていくように…。暫くして、佐々木は窓を開けて辺りを見回す。外は夜の帳が下りて、場末の酒場や冒険者ギルドの明かりがちらほらと見えていた。その一角に何かを見つけると、口元を歪に形作るとそのまま窓の外に身を翻らせた。
モトロの裏通りを少女は走っていた。その顔は既に涙や鼻水で汚れているが、そんなことも気にせずに走っていた。背後からは複数の足音と、男の怒声。彼女がその男たちに追われているのは明らかだった。
少女は必死に逃走するが、体力の差かついに捕まってしまう。
「いや! 離して! 誰か助けて!」
彼女の悲痛な叫びは夜の町に消えていく。ここは首都だが、治安は最悪だった。少女の叫びを聞いても誰も相手にしない。関われば巻き込まれる、命の危険があるとなれば、誰もが耳を塞いでやりすごした方が利口だと考える。彼女の叫びは助けてくれる者の耳には届かなかった。
「相棒を置いて逃げるなんざ、薄情な女だな、お前」
男が少女の恐怖心を煽るようなことを言いながら、その細い腕を掴んで引き摺っていく。その行き先はうち捨てられた廃屋。小さなランプの灯りの中、何かが蠢いていた。
廃屋の中には少女がいた。少女は男達に組み敷かれ、その獣欲のはけ口にされていた。その瞳は焦点が合っておらず、口からは泡をふいている。散々殴られたのか、その顔は腫れ上がり、少女の面影すらない。
捕まった少女は、物のように投げ捨てられる。
「こいつの相棒か? ちょうどいい、こいつが壊れちまったんでどうするか困ってたんだ」
男の言葉に少女が視線を巡らすと、そこには陵辱された少女が横たわっていた。その胸は呼吸の動作をしていない。虚空を見つめるその瞳に生命の光が戻ることは無い。
「…嘘…やだ…ニナ…なんで…いや…いや…いやああああぁぁぁぁ!」
彼女とニナと呼ばれた少女は幼馴染だった。お互いに実家は貧しく、口減らしのために自ら家を出て冒険者になった。まだ駆け出しで、薬草の採集くらいしか出来なかったけど、一生懸命頑張っていた。そんな時に勇者の話を聞き、ティングレイまで見物に来た。当然ながら宿に泊まれるほどの持ち合わせは無く、この廃屋で夜を明かすつもりだった。まさか首都の治安が悪いなんて思ってもいなかった。
だから、自分達が襲われるなんて考えは毛頭無かった。ニナは自分を逃がすために囮になり、そして命を散らされた。次は自分だ、そう思った時、陽気な声がした。
「お前達、悪者だな? 殺しても問題ないな」
その声が終わるより早く、室内を暴風が駆け抜けた。男達は声を上げる間もなく、血まみれの肉塊に変わっていった。
「大丈夫かい? 怪我はない? 変なことされてない?」
全く恐怖を感じていないような声に戸惑いながらも頷くことで返事を返す。
「それなら良かった。こんな奴等の食べ残しなんて勘弁して欲しいから」
少女は理解出来なかった。理解したくもなかった。何故、助けてくれた男が自分を組み敷いているのか、何故この男に犯されているのかを。男は彼女を介抱するのではなく、犯している。少女の未成熟な肢体を蹂躙している、その欲望のままに。
「何だよ、つまらない。もう少し何とかしろよ」
掛けられる無情の声にも反応する気力すらない。ただ為すがままにされている。
「そうだ、思い出した。こうすればいいんだよ」
男は少女の細い首にその両手を掛けると、人間とは思えない力で締め上げる。
「――――――!」
「ははは、やっぱりこうすれば多少は良くなるな。何で忘れてたんだ?」
呻き声すら出せない少女の身体を弄びながら、そんなことを呟く男。やがて、枯れ枝が折れるような音とともに、男は獣欲を吐き出した。首をあらぬ方向に曲げて横たわる少女を見る目には何の感情も籠っていない。
「やっぱり女はこうするのが一番すっきりするな。何で忘れてたんだろう? まあいい、早く城に戻らないとミレーネが心配するからな。…ミレーネはどんな味がするんだろう?」
そんなことを呟きながら、その男は夜の闇に消えていった。その男の名は佐々木一樹、本当の名は蓼沼一樹。かつて日本で、何人もの少女を犯して殺すという猟奇的犯罪を行った二人組の片割れ。そして…
前島悠子の親友の仇でもあった。
蓼沼はとある少女を殺害した時、運悪く目撃されてしまい、警察に現行犯逮捕された。当時蓼沼は16歳、もう一人の犯人は15歳。まだ少年法の影響が強くあった頃だ、当然の如くその内容は隠され、被害者の一人であり、目撃者である前島にもその動向が知らされなかった。
さらに悪いことは重なる。蓼沼ももう一人の犯人も、家族が有力な政治家だった。それも与党の重鎮で、政府閣僚にも名を連ねるほどの実力者、そんな人間が家族の醜聞をどう考えるだろうか。行き着く先は「揉消し」、関係者に鼻薬を嗅がせ、時には脅し、場合によっては口を封じて沈静化を計った。蓼沼は護られていた、しかし、完全に護りきることは不可能だった。
家庭裁判所にて形式上の審問が行われた時、それは起こった。通路を歩く蓼沼達の前に一人の男が立ちふさがり、行く手を遮ると、ポケットからあるものを取り出した。蓼沼は戦争映画などでそれを目にしたことがあった。
「手榴弾…」
誰かがそう呟くよりも早く、男は動く。狙いは蓼沼達なのは明白だった。蓼沼は護衛によりその場から離されたが、もう一人は男に抱きつかれた。
「よくも娘を、亜紀を、裕美を、お前だけは絶対に、俺が地獄に送ってやる!」
すでにピンを抜いてあった手榴弾は男を振りほどく間もなく爆発し、轟音と爆風が辺りを支配した。やがて静寂が訪れると、そこには襲撃者と、もう一人の少年のぼろぼろの死体があった。
蓼沼一樹にとって、その少年は親友だった。籠の鳥のような生活から連れ出してくれて、面白い遊びをたくさん教えてくれた。一緒にたくさん殺した。その親友が、呆気なく死んでしまった、これまで殺してきた奴等と同じように、醜く、無様に死んでしまった。その事実が蓼沼を壊した、否、凍結させた。思考を停止し、まるで幼児のような状態になった。
蓼沼は療養施設に送られ、様々な検査を受けたが蓼沼としての意識が戻ることは無かった。その道の第一人者と呼ばれる研究者にも頼んだが、結果は同じだった。そこで研究者はある提案をしてきた。
それは、人格の上書き。
蓼沼の人格が出てこないのなら、新しい人格を植え付け、蓼沼の人格を封じてしまえばいい。早速実行されたそれは成功した。若干の難はあるが、社会生活には問題ないレベルの人格が植えつけられた。こうして佐々木一樹が誕生した。その結果は良好で、佐々木一樹は大学に入学し、教師としての資格まで取得できるほどになったのだ。
だが、偽りの人格は脆くも崩れていく。召喚の負荷により、佐々木一樹の人格に皹が入ってしまった。そして顔を出し始める蓼沼の人格。決定打はラウラによって佐々木のプライドが粉々に砕かれたことだった。佐々木の人格は最早蓼沼を抑えることが出来ず、蓼沼の人格に吸収されていく。
こうして、佐々木一樹の知識と経験をその身に取り込んだ蓼沼一樹が復活した。
先ほど、一人の少女の絶望と、その命の終焉を堪能した蓼沼は、皇城への道を歩きながら、その余韻を舌なめずりしながら愉しんでいた。
「やっぱりいいなあ、女はこうじゃないと…今度は誰がいいかなぁ、流石に皇女はまずいかな? やっぱりあのエルフの女の子もいいな、ああいう子をやりながら殺せたら最高かも」
突然、その眼前が光ったかと思うと、そこには光を纏った女性がいた。
『蓼沼一樹…あなたのその力を使うのはここではありません。バラムンドに向かい、己の使命を果たしなさい。それが出来たなら、私から褒美を授けます。あなたの望むものを授けましょう』
蓼沼は特に驚くこともなく、『褒美』の部分に反応する。
「何でもいいのか? それならあのエルフを…いや、あれは自分で何とかしたほうが楽しそうだし、まだ今の僕じゃ敵いそうもないから…とりあえずバラムンドに行こうっと。ご褒美は後で考えるから」
『わかりました。世界はあなたの力を必要としています…くれぐれも失敗の無いように。それから、これを授けます。あなたの助けになるはずです』
女性は蓼沼に小さな瓶と1枚の紙片を渡すと、背中から純白の翼を出してそのまま空に消えていった。
「天使……まあどうでもいいか。とにかくバラムンドに行かないと、でも僕だけじゃ不安だから仲間を集めよう! 使える奴じゃないと駄目だな、要らない奴はお土産がわりにでもしようかな」
その紙片に書かれた内容を読むと、まるで子供のような笑みを浮かべながら蓼沼は皇城に向けて歩き出した。
読んでいただいた方、誠にありがとうございます。