絆と証
今回更新の最後の1本です。
ややエロに結びつく表現があります。
ご注意ください。
何かが近づいてくる。その事実にラウラは狼狽する。
楓でもユーリエでもないその存在、もしかするとオリジナルの策略かとも考えてしまう。
だが、この場所はオリジナルにもわからないように強い隠蔽効果を持つ魔法にて隔離してある。この場所に辿り着けるのは、【血の契約】を行ったユーリエのみだ。
向かってくる存在はラウラへと真っ直ぐに向かってくる。そこには一切の迷いは感じられなかった。
もしかすると、ユーリエを何らかの方法で取り込んだ存在なのかもしれない……そんな考えが頭に浮かぶ。他にも様々な考えが次々に思い浮かび、より一層ラウラを混乱させる。その間にもその存在はラウラとの距離を詰める。
それに気付いたラウラは、一旦は小屋の外に出て迎えようとした。だが、その脳裏に先ほどの屋敷でのことが鮮明に思い出される。
もしここに来た者が敵対していたら…
もしユーリエが何者かに取り込まれていたら…
楓とユーリエを失うという衝撃はラウラの心を脆弱にさせていた。あとほんの少しでその心は砕け散ってしまうだろう。
ラウラは歩みを止め、踵を返すと小屋の隅に膝を抱えて蹲ってしまった。
もう何も見たくない、もう何も聞きたくない、もう何もしたくない……
辛い現実に一人で立ち向かうという気概など欠片もなくなっていた。まるで幼子のように、耳を塞ぎ、目を瞑り、ただただ震えていた。
楓は森の中を飛ぶ。
上空に出てしまえば古代竜に見つかってしまう。そんなことでタイムロスをするわけにはいかない。多少飛行速度を落としても、森の木々をすり抜けながら進むことを選んだ。
「転移は魔力の動きで場所を知られちゃう……じれったいけど、今は我慢するしかない」
それはユーリエから受け継いだ知識が教えてくれたことで、そのおかげで未だに見つかることなく進めている。
「右前方に魔物の反応……少し大回りになるけど、左に迂回しよう」
右方向に魔物の存在を感じた。恐らく全ての『森』の魔物はオリジナルの支配下にあると見て間違いないだろう。そう判断した楓は、即座に回避することを選んだ。
今の楓ならば、かなりの高位の魔物にも勝つことはできるだろうが、問題はその戦いの音を聞きつけて他の魔物達が集まってくることだ。
ラウラの元に辿りつくまでは、見つかることは許されない。
オリジナルは間違いなく楓とユーリエのことは把握しているだろう。だが、直接何かを仕掛ける手段を持たない以上、他の存在を使う必要がある。楓が他の存在に見つからなければ、それはラウラにとっての勝機に繋がる。
「もうすぐ目的地……確かこのあたり……」
ラウラの気配をすぐ近くに感じた楓は地に降り立つ。そこには何の変哲もない『森』の風景が広がっているだけだった。
「流れを感じて……必ず入り口があるはず……ん?これかな?」
周囲の魔力の流れを感じ取っていくと、やや前方の空間に小さな綻びがあった。それは一見しただけでは全く気付かないほどの小さな綻び。ユーリエのような魔道に長けた者が漸く気付くほどに小さい。その綻びに向けて、楓は即座に術式を展開する。
「亜空間を展開、同調。接続時間は最短にして侵入口を形成……」
明らかに楓のものではない知識が、術式が組み上げられる。やがて綻び大きくなり、人が何とか通り抜けられる程度の大きさの扉が創り上げられた。
扉一枚向こうにはラウラがいる。この扉を開ければ、そこにいる。
あの時とは違う、召喚の時に離れ離れになったあの時とは。あの時の無力さを忘れてはいない。自分の命すら投げ打って楓を生かそうとした徹の、悲しさを、辛さを必死に押し留めた笑顔を、一度だって忘れたことはない。……はずだった。
だが、実際にはオリジナルの思惑に嵌り、忘れてはいけないことを忘れてしまった。傷つけてはいけない存在を傷つけてしまった。その結果、大事なものを失おうとしている。
それは楓にとって、到底受け入れられるものではないが、受け入れなければならない事実だ。既に起こってしまったことは消せないが、これから起ころうとしていることは変えることができる。何よりも……今は一人ではない。
「ユーリエさん……一緒に行こう」
楓は自分の心の奥底に呼びかけると、その扉を開いた。
その目に飛び込んできたのは、予め覚悟はしていたとしても衝撃的な光景だった。
そこにあったのは部屋の隅で蹲って震えているラウラの姿だった。
隠蔽の結界をこじあけて入ってくる存在をラウラははっきりと認識していた。
ラウラが何かあった時に逃げ込むために組み上げた結界だ、生半可な魔道知識と実力では発見すらできない。だが、それを意に介さずに入ってくる者とは一体誰だろうか。
入り口の扉がゆっくりと開かれる。
その動きは明確な意思を以って、ゆっくりとだが力強く開かれてゆく。その様子をラウラは俯いたまま、目線を動かすだけの動作で見ていた。
その者の姿を構成するパーツには見覚えがあった。
新雪の如き眩い白髪と鮮血の如き紅さを湛えた瞳、蝙蝠のような翼と細くしなやかな尻尾は悪魔族であるユーリエに見受けられた特徴だ。だが、そこにいる者の顔はユーリエではない。
その顔は幼い頃よりすぐ側にいた幼馴染のもの、自らの全てをかけてでも護ると決めた少女、楓のものだ。だが、楓は悪魔族ではない、人間だ。
視覚情報とラウラの持つ記憶が一致しないことに動揺するが、ラウラはその匂いが二人であることを認識した。
「か、楓……そして……ユーリエ?」
「……うん、そうだよ」
ラウラはよろよろと立ち上がると、覚束ない足取りで入り口に向かう。だが弱りきった心がその身体を蝕んだのか、数歩進んだところでよろけて転びそうになる。
「危ない!」
「…………!」
ラウラの身体は床に転げるようなことはなかった。楓の姿をした悪魔族の少女によって優しく抱きとめられていた。
力強く、しかし優しく抱きとめられたラウラは、その時におおよそのことを理解した。
そこにいるのは……間違いなく楓とユーリエだということを。
「ユーリエさんがね……私に命をくれたの。私に託してくれたの」
「そうか……そういうことだったのか」
ラウラと楓は小屋のベッドに腰掛けて話をしていた。ラウラがいなくなった後のことを、そしてユーリエとのことを。自分が瀕死の重傷を負い、ユーリエが残った寿命を全て使って融合したことを。
「……ごめんね、私、酷いことしちゃった。ラウラちゃんのこと忘れて……傷つけて。でも、どうしても会わないといけないってユーリエさんが……」
「もういい、何も言うな」
謝罪しようにも、嗚咽で言葉が詰まって話ができない楓の姿を見て、ラウラはそっと抱き締める。その頭を大きく張りのある胸にうずめ、小さく呟く。
「ありがとう、ユーリエ。楓を護ってくれてありがとう。最後の力を使ってくれたんだな」
「ラウラちゃん……ユーリエさんの寿命のこと、知ってたの?」
「ああ、もしユーリエが望むのなら……私が受け入れるつもりだった」
恐らくはそう考えるだろうからな、と小さな笑みを浮かべながら、どこか遠くを見つめるような顔で話すラウラ。だが、楓はそう考えていなかった。
「ラウラちゃん……それは違うよ?」
「……どうしてだ?」
「ラウラちゃんはユーリエさんの本当の気持ちを理解してないから」
何か確信めいたものを持っているのか、楓はラウラの言葉をきっぱりと否定した。少なくとも楓と過ごしてきた時間より、ユーリエと共にいた時間のほうが長かったラウラにとっては聞き過ごすことのできない内容だ。
「何で理解していないって分かるんだ?」
「だって……ラウラちゃんと融合しちゃったら……どうやって愛せばいいの?」
「お前……何を言ってるんだ?」
「私はユーリエさんと一緒になったから解る。ラウラちゃんのことをどれだけ想っていたか、どれだけ自分の気持ちを抑え込んでいたか」
融合した本人から言われてしまえばラウラとて納得するほかない。すると、あることに気付いて顔を青褪めさせる。
「そうなると、私のことを想ってくれているユーリエの前で楓のことばかり優先していたのか……ずっと辛い思いをさせていたのか……」
「うん、ずっと思ってた。もっと話したい、もっと触れ合いたい、もっと……愛したいって」
暫く俯いていたラウラだが、やがて顔を上げた。その顔には自責の色がありありと浮かんでいた。
「そうか……きっと今の私の状況は『罰』なんだ。自分の命すら投げ打ってくれた者の想いすら気付けない、そんな情けない者にはこんな無様な姿がお似合いだ。一人寂しく震えていればいいんだ。いや、オリジナルに取り込まれて消えていけばいいんだ」
「……きっとそんなことを言うと思った。だから会いにきたんだよ」
楓がラウラの肩をしっかりと掴んで自分の方を向けさせる。その瞳はラウラの目を、その奥の心を射抜いていた。
「ねぇ……悪魔族ってさ、どっちもいけるって知ってた?」
「え?も、もしかして……」
ラウラの顔色が途端に真っ赤に染まる。楓が何故そういうことを言い出したのか、理解できてしまったからだ。勿論、当の楓も顔を赤くしていた。だが、白磁のように白い肌が赤くなってほんのり桜色になったその顔にラウラはつい見蕩れてしまった。それを誤魔化すかのように、まるで取り繕ったかのようなことを言ってしまう。
「で、でも、どうやって?」
「……それは……実体験してみればいいよ?」
迂闊な返しで墓穴を掘ってしまったことを悟るラウラ。しかし楓の顔は真剣そのものであり、何とかして脆くなったラウラの心を支えようという決意を滲ませていた。
ラウラは考える。
ラウラはアステールに来てから、目に見えるような、はっきりと判るような形での繋がりを持とうとしなかった。それは、いずれ地球に、日本に帰るつもりだったからだ。
だが、楓はユーリエと融合してしまった。恐らく帰ることはできないだろう。もし帰っても、魔力が存在しないであろう日本では生命維持すら出来なくなる可能性が高い。
そう考えると、ラウラにとって日本に帰るという選択肢は途端に意味を持たなくなった。楓と共に帰ることが出来なければ意味がないのだ。
そして、これからオリジナルと戦わなければならない。これはラウラが単身挑まなければならない戦いであり、オリジナルからの何らかの妨害があることは間違いないだろう。既にここまで追い詰められたのだから。
だが、一人ではないと実感できたらどうだろうか?
心の支えがあれば、精神的妨害も耐えられる。絶望的な戦いでも、ほんの僅かな可能性があれば折れることなく臨んでいける。
「楓……私は自分の運命に逆らう戦いに向かう。これは絶対に避けられない。そして負ければ私の存在が無くなる。だが、心の支えがあれば……戦い抜いてみせる。生き残ってみせる」
「ラウラちゃん……」
ユーリエとの融合でラウラが戦うべき相手のことは知っていた。だが、ラウラの口から改めて聞かされると背筋が凍る思いがした。
果たして『森』の魔物の上位に君臨する古代竜すら精神支配してしまう存在に太刀打ちできるのだろうか。
しかしラウラはほんの僅かな可能性に全てを賭けるつもりであり、さらには生き残るという希望を持ち始めている。そのために心の支えを欲しがっている。
「楓……お前との絆を、証をくれ。絶対に消えることのない証を」
「ラウラちゃん、私だけじゃないよ?」
「ああ、そうだったな。お前達二人、ユーリエの分も証をくれ」
ラウラは楓を誘いベッドに横になる。そして楓もそれに追随する。
やがて二人のシルエットは一つになっていった。静寂の中、3人の想いが溶け合ってゆく……
今回はできるだけ話の間を開けたくない内容だったので続けて更新となりました。
元々考えていた展開とはいえ、主要キャラがいなくなるのは辛かったです。
読んでいただいてありがとうございます。