孤立
いよいよ最終章(予定)です!
いったいどれほどの時間が経っただろうか。
ラウラはひたすら眠り続けていた。
魔力はほとんど残っておらず、肉体疲労も精神疲労も極限に近かったのだから仕方のないことだろう。
その間、ユーリエとメアリはずっとラウラに寄り添っていた。
「う……ん……どうした、2人とも?」
「お目覚めですか、ラウラ様?」
「お腹は減っていませんか?」
ユーリエは優しく声をかけ、メアリは懐にしまっていた果物を差し出した。
柑橘系の爽やかな香りが食欲をそそる。
それを手に取ると、傷一つない綺麗な状態であることに驚いた。
「よく潰れなかったな」
「はい、終わったら食べていただこうと思いまして」
「ありがとう、遠慮なくいただこう」
相当空腹だったのか、皮ごと齧り付く。
強い甘味とほのかな酸味、鼻に抜ける柑橘の香り。
疲弊した心と身体が生き返っていくのを実感していた。
「これからいかがなさいますか?」
「まずは皆に報告だな、すぐに屋敷に帰るぞ」
服についた土埃を払いながらユーリエが問う。
ラウラの表情はいつになく明るい。
これで全てが終わったことをすぐにでも報告したいのだろう。
今すぐにでも飛びだして行きそうだった。
「わかりました、ですが何があるかわかりませんから、私がお送りします。メアリもそれでいいですね?」
「はい、御屋敷からならば一人で戻れます」
「すまないな、面倒ばかりかけてしまって」
申し訳なさそうに苦笑いするラウラに、ユーリエは微笑みで返す。
「私はラウラ様を支えることができればそれでいいんです。さあ、早く戻りましょう」
「そうだな、早く皆を安心させたい」
ユーリエは2人が寄り添うのを確認すると、ラウラの屋敷へと転移した。
ラウラの屋敷はいつになく静かだった。
尤も、その中心はいつもラウラだったため、本人不在の屋敷が静かなのは当然と言えば当然なのだが………
「随分静かじゃないか? 人の気配は感じられるが……」
「どういうことでしょうか、これは?」
「もしかすると、桐原を倒した余波なのかもしれない。それよりも早く楓に報告しないと!」
逸る気持ちを抑えきれない子供のようなラウラを笑顔で見送る。
ユーリエはこのままメアリを送るべく、ラウラが屋敷に入るのを見届けずに転移した。
メアリの自宅についたユーリエは、メアリを護っていた結界を解いた。
あの場において弱点でもあったメアリを護るため、常に結界を纏わせていたのである。
ユーリエが一息ついた時、異変は起こった。
「あ、あああ、ああああああああ!」
「! どうしました?」
突然頭を抱えて蹲るメアリ。
その目は大きく見開かれ、今起こっていることが尋常ではないことは明らかだった。
だが、それはすぐに収まり、メアリはいつもの笑顔をユーリエに向けた。
輝かんばかりの笑顔なのだが、ユーリエにはそれがどことなく違和感を感じていた。
何がおかしいのかわからないが、不安が胸の内に広がってゆく。
そして決定的な一言がユーリエに大きな衝撃を与えた。
「ユーリエ様、屋敷に行きましょう。ラウラ様の偽物を殺しましょう」
「偽物? 何のことですか?」
「何を言ってるんですか? これまで私達を騙して使役していたあの偽物ですよ? 本物のラウラ様がお目覚めになられた以上、偽物はもう必要ないですから」
その目の奥に意思の光が見えないことを悟ったユーリエは、すぐさま麻痺を放って動きを止めると、メアリを自宅に閉じ込めて家ごと封印した。
ユーリエが理解に苦しんでいると、ユーリエの頭の中に何かが侵入してくるような感覚があった。
それはまるで水に垂らされた塗料のように、徐々にユーリエの思考を浸蝕してく。
だが、それはある所で止まった。
それどころか、浸蝕を押し戻していた。
「ふざけた真似を! これでメアリを操ったということですか!」
見えない敵に向かってユーリエは強い口調で言い放つ。
「ですが………私には通じません!」
はっきりとした拒絶の意思を持ったとき、浸蝕していた何かが霧散した。
ユーリエは嫌な感覚が消えたことに安堵するが、すぐさま今の状況の危険性を悟った。
「またしても……ラウラ様に助けられてしまいました。ですが、メアリだけが操られているとは考えにくいです。おそらくは屋敷にいる方々は全て……」
そこまで呟いて、ユーリエは最大の危険がラウラに迫っていることを理解した。
操る方法が精神への浸蝕だとすれば、無力化する寸前に自刃されてしまうかもしれない。
「もし楓さんが操られていたとしたら……ラウラ様は楓さんを攻撃できない。もし自刃でもされたら、それこそラウラ様の心が壊れてしまいます! まさかこんな方法でラウラ様を排除しにかかるとは……悔しいですが、あの神もどきの最期の言葉は正しかったんですね」
メアリの様子を探ると、封印の効果で室内で眠っているようだった。
ひとまず安心したユーリエは、その目に戦意を燃やしてローブを召喚する。
かつて魔王と呼ばれた頃の装束だった。
ラウラと出会い、己の心が優しく溶かされていくと共に、身に纏うこともなくなっていた。
ユーリエはあまりにも大きな敵に抗うことを決意する。
おそらく、この魔大陸に現在ラウラの味方は自分しかいないだろう。
そう確信したのは、先ほどの浸蝕を跳ねのけた時だ。
かつてユーリエはラウラに内緒でその血を飲んでいた。
悪魔族における血液の摂取、それは己の主を決める契約でもある。
その契約がユーリエを護った。
最愛の主に刃を向けるという不義を防ぐことができた。
自分達の絆は、黒幕の小賢しい手段を防いだのだ。
しかし、今ラウラは孤立無援になりつつある。
あれほどラウラに心酔し、かつては魔力を分けてもらったことすらあるメアリがあの豹変ぶりなのだ。
楓達はこういうことに対する抵抗力を持ち合わせていないであろうことは容易に想像できる。
果たしてラウラは楓に攻撃することができるのだろうか。
信頼していた者の裏切りにその心が耐えられるだろうか。
ユーリエはラウラの性格からして、いい方向に転ぶことはないと考えていた。
「とにかく屋敷に向かわないと……」
『ここから先に行かせる訳にはいかないわ』
突然頭上から投げかけられる声。
直後、巨大な影が現れる。
その姿は次第に明確になる。
陽光に輝くのは深紅の鱗光。
物理法則を完全に無視したその巨体は、優雅さすら感じられるほどにゆっくりとユーリエの前に降り立った。
『あの方の偽物に会わせることは看過できないわ』
「紅玉竜さん……まさかあなたまで……」
押しつぶされそうな威圧に何とか立ち向かう。
圧倒的な力が自分に向けられている。
しかし、ここを突破しなければラウラが危ない。
「いいでしょう、あなたを倒してラウラ様の元へ向かいます!」
『ふん、偽物に騙されてることにも気付かないなんて、哀れだわ』
内心は非常に焦っていた。
相手は古代竜、一筋縄ではいかないのは明白だ。
時間をかければ倒すことはできるはずだが、それこそ敵の思う壺だ。
(何とか早いうちに彼女を撒いてしまわなければ……)
紅玉竜を見据えたユーリエの全身から濃密な魔力が溢れだす。
周囲の空間が陽炎のように歪んで見える。
『流石は魔王を名乗るだけあるわね』
「力押しだけでは私には勝てません。魔道の極みの片鱗を見せてあげましょう」
『消し炭にしてあげるわ!』
ラウラの為に作られた畑が、水田が、果樹園が無惨に踏み荒らされてゆく。
その光景を忌々しげに見つめながら、術式の構築に入る。
「さあ、思う存分踊ってもらいましょうか!」
魔王ユーリエと紅玉竜の戦いが始まった。
屋敷の玄関に向かうラウラは上機嫌だった。
それもそのはずである。
散々手間をかけさせてくれた奴を消し去ることができたのだ。
後は楓と2人、ラブラブな時間を過ごすだけだ。
そのことがラウラの警戒心を緩ませた。
尤も、黒幕はそれを狙っていたのだが……
「あれ? どうして鍵がかかっているんだ?」
玄関の扉が開かないことに首をひねる。
いつもはラウラの屋敷は鍵なんてかけていない。
ラウラがいると知って侵入してくるような者は誰一人いなかったからだ。
「そうか、私がいない間、用心のためにかけたんだな」
完全に緩んだ思考は、本来ならばありえないことですら、自身に都合の良い理由をつけてしまっていた。
ラウラは扉を強く叩いた。
「おーい! 私だ! 今戻ったぞ!」
「……はい」
小さく返す声が聞こえた。
それは待ち望んだ楓の声だった。
早くこの喜びを分かち合いたい。
これからの生活を一緒に考えたい。
溢れる想いを伝えようとするラウラの前に楓が姿を現した。
その表情はどこか虚ろであり、普段のラウラなら明らかにおかしいと感じただろう。
だが、今のラウラはそんなことも分からない。
そして、ラウラは全く想像していなかった言葉を楓から聞くことになった。
「おかえり、偽物さん。本物のラウラちゃんのために……死んで?」
ラウラの思考が完全停止した。
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