待っていた者
鬱蒼とした森のはるか奥、人の踏み込むことの許されない場所に建つ屋敷。
その一室に動く影があった。起き抜けの顔のままで窓を開け、気配を探る。
目当ての気配を察したのか、寝惚けた表情を一変させると、寝間着を脱いで着替え始める。
寝間着をベッドに放り投げると、下着姿のまま着るものを物色する。その姿は少女だ。
慎ましやかに胸当ての下で女性であることを主張する二つのふくらみと、明らかにサイズの小さい女性用のショーツがそれを証明していた。しかし、彼女の容姿がただの少女では無いことも証明していた。
柔らかなプラチナブロンドの髪に長い耳、小さなタマゴ型の顔に大きな碧眼。所謂エルフだろうか。
エルフならばこの容姿でも人間と同じ年齢であるとは考えられない。
そのエルフはクローゼットの引き出しからいくつかの服を取り出し、思案する。やがて、ゆったりした拳法着のような服を選ぶと、いそいそと着始める。
着替えが終わるとキッチンに行き、小さなタライに魔法で水を溜める。その水で顔を洗うと、タオルで顔を拭きながら、書斎に入る。魔法でティーポットにお湯を淹れ、香茶の葉を一さじ入れる。
机の上に乱雑に置かれた羊皮紙の束の中から、お目当ての1枚を探し出す。その内容を何度も読み返し、一息ついて瞑目する。
やがて目を開くと、服掛けに掛けてあったローブを纏い、フードを目深にかぶって屋敷を出る。
鍵などは掛けない。これまで掛けた記憶もない。それどころかこの屋敷に侵入した者さえいない。
突然、その姿が掻き消える。何か魔法を使った形跡は無い。その姿は数十メートル離れた木の枝にあった。
別段大したことはしていない。ただそこまで跳躍しただけのことだ。跳躍しながら移動を繰り返し、やがて高く聳える岩山に辿りついた。その岩山も軽々と跳躍しながら登っていく。登るうちに雲を抜け、雲海をさらに眼下に収めるあたりでようやく頂上が見えた。
とくに気合を入れるでもなく、跳躍しながら頂上に到達する。実は彼女はここまで手を一切使っていない。
ローブの中に入れたままだ。一体どれほどの身体能力だろうか。ちなみに今いる山の頂は標高1万メートルは軽く超えている。人間なら即凍死するような寒さも大して気になっていないようだ。
彼女は徐にローブから両手を出す。その手にはティーポットとカップがあった。先ほど香茶を作ったティーポットだった。まだ熱々の香茶を愉しみながら、彼女は上空の一点を見つめる。
やがてそこには小さな光が現れる。その数はだんだん増えていき、しかもこちらに落ちてくる。
徐々に大きくなってくる光に慌てることもせず、しかし目を離すことなく香茶を飲む。直後、その光は岩山を掠めるように通過すると、そのままはるか遠くに落ちていった。
彼女はカップの残りの香茶を一思いに飲み干すと、愉しげに口角を上げた。次の瞬間、彼女の姿は忽然と消えたのだった。
岩山から彼女が消えたと同時に、屋敷の書斎に彼女の姿があった。何のことはない。ただ転移術を使って戻ってきただけだった。では何故、行くときに転移しなかったのかというと、それは彼女にしかわからない。彼女は行くときに転移を使いたくなかっただけなのかもしれない。
椅子に座り、先ほど見ていた羊皮紙を愉しげに眺めながら呟く。
「数は確かに43。情報通り一つ足りない。それじゃあさっさと後始末して、のびのび愉しもうじゃないか。くくくくく…」
そう言って笑みを浮かべる。彼女を良く知る者なら、皆、口を揃えて言うだろう。
『その笑顔は危険だ』と。
そして慄くだろう。諦念するだろう。全てを諦めて笑うしかなくなるだろう。
『最も解き放ってはいけない存在が目覚めてしまった』…と。
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