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私が天使だったころ

作者: マビ

                     

 神さまはあなたにこう言った。

「この子はあなたたちに近づけすぎてしまった。私の元に置いておくには、あまりに哀れだ。私はこの子をあなたに授ける。そしてあなたはこの子が大きくなるまで共に過ごし、この子はあなたに守られるだろう。」


 あなたはわたしを大事に抱えて、恭しく神さまにこう返したのだ。

「神よ、あなたのお言葉の通りになりますように。」





 私が天使だったころ





「イヴリール、どこにいる?」

「ここよ、パパ。」


 おぉ、ここにいたのか俺の娘!あなたは破顔して、幼い姿をしたわたしを抱き上げた。


「俺のかわいいイヴリール!今日も楽しく過ごしているか?」

「もちろんよ、パパ。パパのおうちは今日も平和でとっても楽しい。」

「そうか、そうか!」


 あなたはわたしを片腕に抱えて、お前も大きくなったなぁと笑った。

 あなたはきっと、わたしがわたしのはじまりを覚えているとは思っていなかったのだろう。わたしの記憶の始まりは、赤子のわたしを抱えるあなたとわたしの本当の父――――神さまの姿だ。神さまは去り際に言った。「あなたの繁栄が続きますように」。それからあなた――――父親になるのにちょうど良い年頃のこの国の王は、わたしを自分の娘として養育しはじめた。わたしが天使だったころを、ほんの少しも感じさせることなく。


「俺のかわいいイヴリール。今日から家族が増えるぞ。」

「家族?」

「俺のところのちび共だ。仲良くできるな?」


 できるよ。わたしは笑顔で頷いた。このひとは、神さまとの約束を守ってくれたんだ。わたしがこの世界でたった一人になってしまわないように。







「・・・どうした、イヴリール。具合が悪いのか?」

 わたしの顔を覗き込むひとの声にわたしはようやくまばたきをした。もう、随分昔のことを思い出していた。

「あなたと出会った時のことを、思い出していたの。」

「そりゃまた随分古い話だな。」

 フランシスはくすりと笑う。この美しいひともすっかり大人になってしまった。

「俺も、君と会った時のことはハッキリ覚えてるよ。君が父上に連れられて部屋に入ってきたとき、どこからかやさしい風が吹いてきて世界がパッと明るくなったんだ。」


 金の髪を耳にかけながら「柄にも無いことを言ってしまったな」と恥ずかしそうに笑うフランシスはあのひとによく似て育った。顔の造形はもちろん、身振り手振りまでそっくりだ。


 わたしが子どもでなくなってからもう幾年も経つ。その長い年月の中で、あの人は忽然と消えてしまった。元々ふらりふらりと遊びに出ては国中の人を心配させる王だったけど、今回の旅はあまりにも長い。

 王が不在でも国は動く。朝日は昇る。人は生きる。外へ出ることを許されないわたしはただ、帰りを待つばかり。

 

 そうしてわたしは「本当のわたし」を知る人を失ったのだ。


 わたしの記憶の始まりは、赤子のわたしを抱く二人の父の姿。

 だけど、それはほんとうなのかしら。

 大人になるまでの長い時は、何が真実かを分からなくさせた。あれは子どもの妄想だったのかもしれない。わたしはきちんとパパの娘で、人間だったのかもしれない。だって、今まで生きてきて、天使らしいことなんて一つも有りはしないのだ。

 わたしはただ、城の中で美しい人と美しい物に囲まれて美しくあればいい。フランシスのように政治を知ることもない。騎士のように剣を構えることも、下女のように料理をすることも、城の外へ出て馬に乗ることもしてはいけない。何もしなくていい。何もしなくていいけれど、ただ、ここにいなければならないのだ。


 わたしがここにいるのはどうして。


 ねぇ、パパ。

 わたしが天使だったころが嘘で、あなたの娘であることが本当だと聞かせて。







 イヴリールは、イヴリールの始まりについて勘違いをしているのだろう。イヴリールは、きっと、神さまが俺に赤子の姿をしたイヴリールを預けたあの時こそがイヴリールの始まりだと思っている。だから、この世界で一人ぼっちだって。

 でも、あの時神さまは俺にだけ聞こえる声でそっとささやいたんだ。「この子は、天の国において特別に産まれてしまったのだ。ずっと眠っていたけれど、とうとう目を覚ましてしまった。だけど、それでは一人ぼっちになってしまう。この子はあなたたちに近づけすぎてしまった。私の手元に置くよりも、人の傍に居た方が安全なのだ。」


 自分が天国に来て、やっと確信した。イヴリール―――イヴリエルは、きっと、神の国そのものなのだ。

 天使のように特別な力を持たない。神のように世界を思い通りにする力もない。ただ、国として、そこに在るだけ。

 だから天の国にそのまま居てはいけなかった。

 だってきっと、蛇は身を守る術のない彼女を丸呑みにしてしまう。



「あの子にほんとうのことを伝えなさい。」


 神さまは俺の我がままに対してそう言った。それを交換条件に、地上の子どもたちに一晩だけ会いに行って良い、と。


「イヴリエル。」


 イヴリールは、目の前に突然現れた俺を見て、目を見開いた。「どうして、」かすれた声が夜の空気に響く。

 死んでしまったのはもう随分と前のことだ。イヴリールが子どもだった時と姿が変わらぬ自分に驚くのも、無理はない。

 そうして俺の命が潰えたことを悟ったのだろう。瞳に涙をいっぱいためて、声を震わせた。


「どうして、あなた、」

「もうパパって呼んでくれないのか?イヴリエル。」

「だって、」


 ぎゅう、とイヴリールを抱きしめる。


「いい女になったな、イヴリエル。」

「・・・・・・娘を口説くの?」

「そういう意味じゃない。言い換えよう、俺のかわいい、たった一人の娘。お前が強く、美しく、しなやかに、やさしく育ったことを俺は嬉しく思う。お前を愛してるよ、イヴリエル。」

「・・・パパ。」


 不安そうな声に、イヴリールを、イヴリエル、を、抱きしめる腕に、力が入る。


「お前に、本当のことを伝えに来たんだ。お前の、本当のお父さんからの伝言だよ」


 イヴリールの身体がかたくなる。

「そんな、」

 悲哀に満ちた声。イヴリールは、ほんとうのことなんか、知りたくなかったんだ。


「お前は――――――国だよ。国の化身。それがお前の正体だ。」

「国、って、なに。」

 震える指が、外套を握る。

「だって、わたし、自分が何だか分からない。」

「地上に居るからだよ。お前は、天使だもの。」

「言ってる意味が、」

「お前は、天使たちの国―――神の国だよ。イヴリエル。」

「かみの、くに、」

「天に帰るその時が来れば、全部思い出せるさ。そのときまで、どうか健やかに。」

「待って、だめ、行かないで、パパ!」


 大丈夫、大丈夫だ、イヴリール。神さまはお前を見守っている。間違えるわけが、ないんだ。大丈夫だよ、俺のかわいいイヴリール。ずっとお前にほんとうのことを伝えるのがこわかった。お前はきっと、ずっとこの世界に生き続けるのだろう。こんな風にお前にお別れを言わなければならない俺たちを許してくれ。許してくれ。あいしてるよ、イヴリール。俺の娘。









 もうずっとずっと昔のこと。金の髪が美しい王子は先王の夢のお告げでひとりの娘をこう呼んだ。『神の国』。

 『神の国』は自分を見つけ出してくれた王と王子とを祝福し、神の誘いを断った。

 それからずっと、この国は『神の国』に守られている。


 きゃあという子どもの声が響いた。美しい娘に抱き上げられた子どもは頬を赤くして木々に手を伸ばす。 


「ねぇイヴリエル。あのリンゴを取って。」

「取ってもいいけど、きっとおいしくないわ。まだ青いもの。」

「じゃあ、いますぐ赤くして。」

 子どもの我がままに、娘はおかしそうに笑った。

「そんなことできないわ。」

「どうして。『神の国』なんでしょう?」

「魔法使いとは違うのよ。」

「じゃあ、なにができるの。」


 神の国と呼ばれる天使は、にっこり微笑む。


「あなたと一緒にリンゴのジャムを作ること!」

 

 



 わたしが天使だったころ、きっとわたしを知るのは神さまひとりだったのだろう。

 わたしが子どもだったころ、きっとわたしを知るのはわたしの父ふたりだったのだろう。

 わたしが神の国と呼ばれるいま、国中の誰もがわたしのことを知っている。


 愛しいひとたちはわたしを置いていってしまうけれど、それと同じ数だけまた愛しいひとに出会える。


 だからきっと、わたしはこの国を離れない。あの頃と同じように政治を知ることもなく、騎士のように剣を構えることも、下女のように料理をすることもしない。城の外へ出て馬に乗るようにはなったけど、わたしは何も変わらない。あの頃と同じように、何もしなくていい。何もしなくていいけれど、ただ、ここにいる。

 国は動く。朝日は昇る。人は生きる。


 そしてわたしは笑うのだ。


 わたしが天使だったころと、ほんのすこしも変わりなく。









 神に選ばれた男は授かりものを大事そうに抱えると、恭しく神に返事をした。


「神よ、あなたのお言葉の通りになりますように。」

 そう言って男が赤子の顔を見やると、赤子は誰よりも美しく、誰よりも幸せそうに、にっこりと笑った。


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